みなさん、こんにちは。 関西で活動させていただいている あかりプロジェクトの岡井ルマです。 みなさまの応援、心より感謝しています。 本当にありがとうございます。 引き続き、応援していただければ幸いです。 さて、 今回は関西のあかりトーク(当事者同士の分かち合いの場)について 少しご紹介したいと思います。 関西では毎月、京都の宇治市で あかりトークを開催しています。 みんなの話を聞いていると、 「ああ、わかる、わかる…」 「うんうん、そういう時、 理解してもらえなくて苦しいよね…」 「すごく申し訳なく思うんだけど、 それでもどうしようもできないんだよね…」 などと、頷くことも多く、 今日もあらためて、 この病気の難しさを実感しました。 罪悪感で苦しんでいるけれど、 自分の力ではどうにもできない もどかしさ。 この辞典をより多くの方に手にとっていただき、 少しでも誤解を減らしていくことで つらい思いを抱えている仲間が楽になれたら… そう心から願い、 関西でも活動を続けています。
みなさん、こんにちは。 東京でリカバリーフレンドをしているマリです。 金沢から始まったこの「あかりプロジェクト」ですが、 昨年より、東京でも本格的に活動を開始しました。 今日はその東京での「あかりトーク」をレポートさせて頂きます 「あかりトーク」は、摂食障害の当事者が、 それぞれの思い思いのことを語る場ですが、 共感している間に自然とその日のテーマが出来ることがあります。 24日のテーマ。それは、「家族に分かってもらえない苦しみ」でした。 食べることは人間としての基本中の基本。 それが、自分の子に限って突然出来なくなるなんて。。。 家族には受け入れてもらえません。 拒食の場合、「世の中には食べたくても食べられない貧しい人がいるんだから」と責められ、 過食の場合は、「後から吐くなら食べなければ良いのに」と呆れられ、 まるで、"贅沢なわがまま病"のように冷ややかにあしらわれることがあります。 だけど私達には、ここに行き着いてしまうほど苦しい過去があった。。。 どうしても抜け出せない苦しみがあった。。。 摂食障害の多くは、背景に、子供の頃のいじめ、家族との確執、愛する人との別れなど、 辛く苦しい思い出が隠れていることがあります。 その苦しみと闘う過程で辿り着いた場所。それが、摂食障害。 「あかりトーク」では、家族にも言えないそんな背景も含めて 話し合い、お互いを受け入れ合うことで、心の平和を取り戻そうとしています。 だけど本当は、家族にも分かってもらいたい。 友達にも恋人にも、もっと多くの人に分かってもらいたい! 私達は、そんな祈りのような願いを持って、あかりプロジェクトの活動をしています。 どうかこの願いが、より多くのみなさまに届きますように。 そしてどうか、全国でこの病気と闘うより多くの方に、平和な毎日が戻りますように。。。 私達の活動は、そんな願いを抱えて、続いていきます。
(2)からの続きです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・摂食障害。 こんなに辛くて苦しい病気なのに、なぜ、こんなに認知されていないのだろう・・・。 少しずつ回復に向かっている私ですが、未だに、周りの人たちからの誤解に、胸を痛める時があります。 最近は、うん、身近な人、大切な人から、理解されないことが苦しいかな。 別に、助けて欲しい訳じゃない。 ただ、何年も闘ってきた摂食障害者である私を、無視しないで欲しい。 摂食障害は、私の大きな要素だから・・・ それを、無い物みたいにしないで欲しい。 なんか、すごく、さみしくなるの。 「ああ、そういう病気も、あるんだね。 辛いことなんだね。」 って、一言でも言ってくれたら・・・どんなに心強くて、温かいか。 ・・・摂食障害って、孤独なんです。 休むこと無く追いかけてくる過食衝動と、罪悪感。 過食に捕まれば、朝も昼も夜も分からず、ひとりぼっちの暗闇の中、食べ物に支配される。 そして、周りに理解されず、苦しみを心の中に押し込める日々。 逃げ場が、どこにも無い。 だからどうか、近い未来、摂食障害で苦しむ人たちが、もっと生きやすくなる社会が出来たら良いなって思います。 それには、もっと、この病気への一般的な認知が必要だと思う。 もっともっと、摂食障害で苦しむ人たちが安心出来るような温かい場所が、増えて欲しい。 そんなことを願って、このレポートを書きました。 届くかな・・・この思い。 読んでくれて、ありがとう。 では。
(1)からの続きです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このような状況でしたが、当時の私は、自分が病気であるとの認識は少なかったように思います。(拒食で困ることって、私は少ないからな・・・痩せていられるし。) ですが、ある日、一個の甘いパンを食べたことがキッカケで、過食が爆発。 来る日も来る日も、寝ているとき以外は、過食をし続けました。 私は嘔吐が無かったので、どんどん体重は増えていき、 三ヶ月後には、25キロだった体重は、70キロに。 このように、私は、過食になって初めて、この病気の恐ろしさを痛感したように思います。(拒食ももちろん辛いのですが、私にとって、過食の比ではなくて・・・) そして、そこから、太った自分への嫌悪感、自信の無さ、 そして止まらないか過食衝動から鬱状態になり、 引きこもり生活が始まりました。 しかし、家族の理解は得られず。 父は、私を腫れ物のように扱うだけで、まともに話そうとしてくれず、 「あなたのことは、理解してるから」と言いつつ、精神科から退院してきたばかりの私を、感情的に家から追い出したり。 (実家には、もう9年ほど帰っていません。) 弟には、とことん馬鹿にされ、「デブ、キメーんだよ。死ね!」と罵倒され、 「どうせ使い道なんかねーだろ」と、お金を無心されたりしました。 (未だに、弟とは確執があり、もう10年以上、まともに話していません。) ・・・ですが、母は、私を理解しようと、母なりに努力し続けてくれていたように思います。 また、親戚からの風当たりも厳しく、 【きちがい】 というレッテルを張られたまま、今に至ります。 そして、医療機関。 私は、何カ所か大きな病院に入院・通院経験があるのですが、 統合失調症と誤診されたり、性格の問題、と簡単に片付けられたり・・・ 挙げ句の果てには、過食が止まらない時などに、物凄く強い注射を打たれ、 まるで、廃人と化してしまうような、そんな施設・病棟に入れられたこともありました。 お風呂もまともに入れず、汚物などの物凄い異臭がする、そんな病棟に閉じ込められたのです・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ →(3)に続きます
こんにちは!あかりプロジェクトの村田いづ実です。 たくさんの方々の寄付表明、本当にありがとうございます。あったかいです…。 あと10万円。10万円集まれば、手に取りやすいデザインの書籍ができて、今苦しんでいるより多くのご本人やご家族に楽になる「きっかけ」を届けられます。祈りながら、がんばってみます。引き続き見守ってくださいね。 さて、今日はあかりの仲間の声をお届けします。 今も症状と向き合いながらも、夢に向かって一生懸命歩き続けている仲間、eさん。今年度から、あかりの活動も共にしてくださっています。 摂食障害を抱えながら生きるとはどんなことなのか、周囲の理解がない二重の苦しみの現状も、感じていただけるかと思います。 字数制限の関係上、何回かにわけて投稿しますね。 eさんからのメッセージ、どうか多くの方々の胸に届きますように。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私が摂食障害(拒食症)を発症したのは、13歳の頃でした。 キッカケは、体型や容姿に関して受けていたイジメを苦に、過激なダイエットを始めたこと。 三ヶ月足らずで、70キロあった体重は50キロになり、 イジメを受けることも無くなりました。 ですが、過剰なまでの太ることへの恐怖から、 そこからダイエットを止められなくなり、(過剰な食事制限、運動、下剤乱用など。) 15歳の冬には、体重は、25キロに。 →続く ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・