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北三陸が誇る郷土食「豆腐田楽」を未来へつなぎたい!

岩手県普代村でつくる北三陸の郷土食「豆腐田楽」を全国の方々に少しでも知っていただきたいです。そのために、全国どこでも豆腐田楽を味わっていただける仕組みを整えます。そして、人のつながりを育んできたこの地域の食文化を未来につなぎたいです。以下、最後までお読みいただければ大変うれしいです。

現在の支援総額

782,000

130%

目標金額は600,000円

支援者数

109

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/11/27に募集を開始し、 109人の支援により 782,000円の資金を集め、 2020/12/21に募集を終了しました

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北三陸が誇る郷土食「豆腐田楽」を未来へつなぎたい!

現在の支援総額

782,000

130%達成

終了

目標金額600,000

支援者数109

このプロジェクトは、2020/11/27に募集を開始し、 109人の支援により 782,000円の資金を集め、 2020/12/21に募集を終了しました

岩手県普代村でつくる北三陸の郷土食「豆腐田楽」を全国の方々に少しでも知っていただきたいです。そのために、全国どこでも豆腐田楽を味わっていただける仕組みを整えます。そして、人のつながりを育んできたこの地域の食文化を未来につなぎたいです。以下、最後までお読みいただければ大変うれしいです。

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クラウドファンディング「Good Morning」内で募集させていただいている「北三陸が誇る郷土食『豆腐田楽』を未来へつなぎたい!」へのご支援に47名の方々、総額442,000円もの支援金をいただいております。本当にありがとうございます。一般社団法人日本豆腐マイスター協会 代表理事の磯貝剛成さんより応援メッセージ頂きました。磯貝さんありがとうございます。磯貝さんは、豆腐製造用器具メーカーの(株)かめさきカホリンにて社長を務めつつ、豆腐マイスター認定制度を立ち上げました。豆腐という食文化が日本から失われていく危機から、豆腐を通した食育活動をできる人を育てる目的のもと豆腐好きの仲間を増やし、延べ3000人以上の豆腐マイスターの方々がご活躍しています。 ***********************昭和35年をピークに全国に約5万件あったお豆腐屋さんは、現在6,143件まで減少し、 今でも毎年500件ほど減っています。そんな中で廃業するお豆腐屋さんを引き継ぎ、異業種から豆腐業に転身された鬼束さんは豆腐屋さんの灯を守ってくれたお一人です。 お豆腐屋さんは地域に根付く商売ですし、地域を活性化させることができる仕事だと思っています。お豆腐や油揚げはもちろんその食べ方や郷土料理も文化の一つです。 北三陸の食文化である『豆腐田楽』 日本の大切な地域の食文化を守り次世代につないでいく、そんな鬼束さんの活動を心から応援しています。 *********************** 今日の拓郎は、「今日までそして明日から」https://www.youtube.com/watch?v=rh76yCwMy7s


ファミリー
2020/12/10 22:06
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クラウドファンディング「Good Morning」内で募集させていただいている「北三陸が誇る郷土食『豆腐田楽』を未来へつなぎたい!」へのご支援に45名の方々、総額427,000円もの支援金をいただいております。本当にありがとうございますm(_ _)m 先代・上下(かみした)さんより応援コメントいただきました。うまく豆腐ができなかったときなど、これまでの経験で培った情報を教えてくれ、支えていただいている上下さん。息子(2歳8か月)を連れていくと「孫が来た」と喜んでくださり、 ちょっとした作業の間など見ていただくこともあります。息子も、「ばあば(=上下さん)のとこ行きたい」と話すこともあり、とてもなついています。夫婦そろって移住者の鬼束家にとって掛け替えのない家族です。************************* 鬼束さんのことを知ったのは、村の広報です。毎月、地域おこし協力隊通信を楽しみにしていました。そんなある日、焼き豆腐を買いに来てくれたときに、初めて対面し「いい記事書くねぇ」と話したのを覚えています。その記事の内容は、「すみません」を「ありがとう」と言い換えるだけで相手への印象が変わるといった内容の記事でした。この記事を読んだとき、ほんとにそうだと思いたまに思い出しては実践しています。私は、義親の世代から豆腐屋を始めたところへ嫁ぎ、いまの加工場を建てて40数年もの間豆腐製造をしてきました。夫が入院しているときは、豆腐を作り終えた後、原付バイクで1時間ほど離れた病院へ向かい用事を済ませ、再度豆腐を作る生活もしました。夫が亡くなり20年近く1人で作り配送などは周りの方に助けられ続けられてきました。小学校で豆腐づくりを教え子どもたちにも楽しんでもらったこともありました。しかし、やりたい気持ちはあっても億劫になっていき年末の掻き入れ時を最後に、暖簾を下ろそうと決めました。廃業することを聞き「後を継がせてください」と頼まれたときは嬉しかったですが、本気なのかわからず回答を先延ばしにしていました。でも偶然、機材の回収業者が交渉に来たその日に、再度やらせてくださいと鬼束さんが訪ねてきたとき、何かの縁かもしれないと思い承諾しました。それから3週間ほど作り方を教え込み豆腐屋の営業を再開しましたが、年末の慌ただしさもあって形が揃わないなど、出来はお世辞にもいいとはいえませんでした。そこから他店へ修業しに行き、元々外国産の大豆を使用していたのを国産に切り替えつつ、上下豆腐の食感を再現するなど技術をあげてきました。奥さんが体調崩したときは、幼いまーちゃん(=息子です)を背負い作業していたこともありました。彼の意志の強さや豆腐を作り始めてたときからの姿勢を見ていると応援したくなります。鬼束さんには、焼き豆腐の文化を次代に受け継ぎ、豆腐を通じて普代の発信してくれることを期待しています。***********************************それではお聞きください。吉田拓郎「ファミリー」https://www.youtube.com/watch?v=_40BgFHAVSw


アキラ
2020/12/09 20:43
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現在、264,000円、目標金額の44%ものご支援をいただいております。みなさまありがとうございます!今日は、協力隊時代のの担当係長から応援メッセージです。普代に来た初日、自転車で散策しているとき連絡が来て近くまでわざわざ迎えにきてくれました。また、新年明けで忙しいはずなのにご馳走や宿泊させていただき歓迎くださいました。ぼく自身長男で、兄のいないぼくにとっては兄のような存在でお世話になりっぱなしな人です。このメッセージを送っていただいたとき、いろんなことを思い出し泣きそうになりました。定住を決めた理由は恩返し。 係長にもそうですが、協力隊の3年で親のような存在の方々や地域のみなさんにいろいろと学ばせていただきました。だからこそ定住を決めたし今度はこちらからなにか還元していきたいのです。*******************************彼(おにっち、鬼)との付合いは、平成27年1月に地域おこし協力隊員として普代村に移住してからとなります。当時、私は地域おこし協力隊受入担当をしており、彼が普代村第1号となる地域おこし協力隊員として着任しました。地域おこし協力隊時代は、興味があった農業や林業を学ぶため地元農家さんへの農業研修や前職であったシステムエンジニアのスキルを生かし情報発信業務を担っていただきました。持ち前の「人なつっこさ」を最大限に活用し、研修受入先の農家の自宅を我が家同然に衣食住先に…。気合を入れるためか?丸坊主にしたところが宮崎県出身で東北の寒さを知らず数日後には「カツラ」を着用…。業務外では、やはり持ち前の「人なつっこさ」と新たな武器「カツラ」により課内の飲み会、お呼ばれもされていない他課の飲み会、地域外の自治会の飲み会などへ積極的に参加し仲間づくりに励んでいました。平成29年12月末で地域おこし協力隊員としての活動が終え、私は彼の貴重な3年間という時間の中で、「本来自分自身がやりたい活動」、「3年後の将来を見据えた活動」について親身になって考えてあげられなかったように感じています。しかし彼は、家を買い、農地を買い、普代村への定住を決意しました。結婚し子供ができ家族を守る立場ともなり退任から数年間は、「ITコンサル業なのか?農業なのか?豆腐屋なのか?畑を耕し、大豆を植え、鹿に食われ…。豆腐は作るが硬すぎる形が悪い…。」と、生きる方向性に本当に苦悩していました。苦悩する中で私との意見も食い違い口論することも多々ありました。 そのような彼が、今、大きな柱を選択し「TOFokU」を屋号とした豆腐屋を生業とし生きようとしています。不定期だった豆腐づくりが毎朝の豆腐づくりへと変化し、そして、自らの足により出来立ての豆腐を持って、地道に各戸を回り訪問販売する姿を目にしています。  私は、彼の普代村への定住を決意した勇気、そして、彼の豆腐づくりへの地道な努力を尊敬します。これからも苦悩の日々は続くとは思いますが、あなたの頑張りは、少なからずここに生きる一人の人間の勇気となっています。 「これからも地道な豆腐づくりをがんばってください。いつまでも応援します…」*********************それではお聞きください。吉田拓郎で「アキラ」https://www.youtube.com/watch?v=9NPtHdz7JG8


俺の北緯40度
2020/12/07 22:21
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今日は、普代村との出会いを書きます。きっかけは、10年前の東日本大震災にさかのぼります。当時、ぼくは東京でシステムエンジニアをしていて、直接的な被害はありませんでしたが、お金があっても物を買えない状況に、大きなショックを受けました。コロナ禍でも同様に、買い物ができなくなって不安を感じた人は少なくないはずです。ぼくは震災の教訓として、社会を一変するような混乱時に消費者自身が困らないようにするために普段から一次産業に関わなきゃならない。例えば、消費者が生産者に代金を前払いし、生産者を支援しつつ定期的に作物を受け取るようなCSAという仕組みでもいいから、徴農制的な仕組みなど。そこから、「まずは自分自身が一次産業と関わることだ」と思い、2012年に宮崎にUターンしました。そうして手立てを探しているうちに見つけたのが、地域おこし協力隊という制度です。幸いにもPCとネットがあればできる仕事ですので宮崎とは逆の日本の北側に拠点を作ろうと考え、宮崎と同じ太平洋側の岩手県で探しました。その時、募集していたのが唯一、普代村だったのです。それは偶然の巡り合わせでした。2014年の大晦日に宮崎を発ち、夜行バスの中で年越し2015年1月1日、久慈市へ到着。復興の様子を肌で感じたかったので、趣味の自転車で久慈市から普代村へ向かいました。震災後訪問した際にガレキの山だった場所は、ドラッグストアとなっていました。冬場の澄んだ青空と太陽が優しく出迎えられ、これからの生活が楽しみになりました。とは言え、全く不安が無かったという訳ではありません。ぼくの「鬼束」という苗字、あろうことかスキンヘッドという風貌…絶対的に怖い印象を持たれてしまうはず。「そうだ!カツラをかぶろう」慣れない寒さと、威圧感をカバーするためぼくはカツラをかぶり仕事をするようにしました。すると面白い奴だなと、隣の島の課長から新年会に呼ばれました。その場では薄毛の先輩方が俺にも貸せ!とカツラをかぶるなど、大爆笑の会となりました。Amazonで買ったカツラがコミュニケーションツールになった瞬間です。この時1500円の元はとったと感じました。突飛なカツラ作戦に出たぼくを、受け入れてくれた普代村の温かさ。そういう飲み会が別の場で何度か続き、良いところに来たなぁと思ったのが第一印象です。これからぼくは、本当の家族のように優しく、ときに厳しく接してくれる人々と普代村で出会います。********************それではお聞きください。鳥羽ㄧ郎「おれの北緯四十度 」https://www.youtube.com/watch?v=T3t2dVC9-IE


2020/12/04 10:39
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元久慈市地域おこし協力隊で、北三陸観光大使、合同会社プロダクション未知カンパニーの藤織ジュンさんより応援コメントいただきました!素敵なコメントありがとうございます。※※※※※※※※※※※※鬼ちゃん(鬼束拓哉さん)は普代村地域おこし協力隊として活動されていた頃からの知り合いです。地域のことを黙々と考えていて、急に全速力でダッシュするようなイメージです(笑)いつの間にかお豆腐屋さんの修行をされていて、いつの間にかとっても美味しいお豆腐を作る職人になっていました。まさに、じぇじぇじぇです!豆腐田楽は東京から北三陸(久慈市)に移住した私も感動した郷土食です。にんにく味噌の香ばしい香りと豆腐の甘さ、食感が絶妙で、ヘルシー!移住当時は毎日のように食べていました。豆腐田楽を全国の人に知ってもらい、それが普代村を訪れるきっかけとなる……素晴らしいことだと思います。その挑戦はにんにく味噌のようにピリリとするかもしれませんが、最後には豆腐の甘みが勝つ結果になることを期待しています。***********************それではお聞きください。吉田拓郎「馬」https://www.youtube.com/watch?v=YYzdYG7s2Ec&t=71s