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ガザで挑戦、ビジネスコンテスト! ビジネスを通じ、共に未来を創りたい!

天井のない監獄とも言われるパレスチナのガザ地区で、逆境に負けずソーシャル・チェンジを起こそうという起業家の卵がいます。われわれ「ガザビジ」は、未来を切り拓く若者の挑戦を支えるため、昨年に続き2017年も起業コンテストを開催します!(優勝者は世界の起業家と共に日本へ招聘)

現在の支援総額

648,000

43%

目標金額は1,500,000円

支援者数

33

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/08/01に募集を開始し、 33人の支援により 648,000円の資金を集め、 2017/09/29に募集を終了しました

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ガザで挑戦、ビジネスコンテスト! ビジネスを通じ、共に未来を創りたい!

現在の支援総額

648,000

43%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数33

このプロジェクトは、2017/08/01に募集を開始し、 33人の支援により 648,000円の資金を集め、 2017/09/29に募集を終了しました

天井のない監獄とも言われるパレスチナのガザ地区で、逆境に負けずソーシャル・チェンジを起こそうという起業家の卵がいます。われわれ「ガザビジ」は、未来を切り拓く若者の挑戦を支えるため、昨年に続き2017年も起業コンテストを開催します!(優勝者は世界の起業家と共に日本へ招聘)

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原点
2017/09/25 18:46
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上川路です。モロモロ立て込み、更新が遅れてすいません。   滑って転んでしながらですが、ガザビジは何とか2017年の夏のイベントを無事に終え、これからサポートのフェーズにはいっていくこととなります。   僕らの取り組みは本当にちっぽけで、ガザみたいな圧倒的なリアリティを目の前にするとその瞬間にヘニャッとなってしまいそうになる自分がいます。 普段の仕事もあるし、家族も友達も生活も、守りたいものもたくさんあります。朝は眠いし、夜はお腹が空くし、美味しいものは食べたいし、体型だってそろそろライザップで絞らなきゃいけない。   それなのに何故ガザのことに手を出すのか、出し続けるのか。 正直自分でも良く分かりませんが、僕はただ、ちっぽけな自分でも何かをできることを証明したいだけなのかもしれないと思います。   少し昔の話をさせてください。   === 学生時代、イスラエルとパレスチナの対話にたまたま関心を持って、挑み、派手に失敗しました。   イスラエルとパレスチナ、仲が悪いよね。でも日本に呼んできて、日常から離れたところで対話したら仲良くなれるんじゃないか。 そんな思いで突っ走り、JICAや外務省に手ぶらで出かけて語り掛けたら、話を聞いてくれる人がいました。仲間も少しずつ集まり、イスラエル人、パレスチナ人を日本へ呼んでくる企画が実現。   正直、調子に乗りました。 企画を一緒に進めてくれている税所は「世界変えたい系男子」という恥ずかしいネーミングを貰ったそうですが、僕も一緒。 世界は変えられるんじゃないかとホントに思って、ガザに突っ走って、不条理を見て、感情に任せて兵士に当たりちらし、気が付いたらイスラエル軍に掴まってました。 軍隊って対話とか通じないんですよね。裸に向かれて、ひたすら放置されて、怖くて、不安で、30時間後に僕は「世界変えたい系男子」からあっさり宗旨替えしてました。 もうパレスチナとか、イスラエルとか関わりたくない。   漫画喫茶にこもって、ただひたすらに現実から逃避する日々。 カイジっていう漫画にドはまりして、力が欲しい、力がない正義なんて虚しいだけだ、なんていうことを強く思うようになりました。そこから某総合商社に入社。   仕事は楽しいです。世界中を飛び回り、知らない世界に触れ、優秀な仲間や先輩に恵まれて、ムカつくこともそりゃあるけど、面白おかしく10年以上、社会人をやってきました。 でもなんでしょう。自分の中でパレスチナってのは消えない。やりきった感じがしない。   2014年にイスラエル軍による大規模なガザ侵攻がおきました。 当時僕はアメリカにいて、パレスチナは果てしなく遠くて、今の自分にできることなんか何もないような気がしてました。 でもそれでいいの?まだ心の中がモヤモヤ。   モヤモヤの中から、当時の仲間と話して考えたのが起業コンテストでした。 社会人になって10年以上が経った今なら、もう少し、できることがあるかも。もうちょっとだけ、トライしてみたいかも。 ===   学生時代の気持ちがよみがえってきました。   2016年、ガザで初めてのビジネスコンテストを開催。 2017年、世界の女性起業家を日本に呼んで、第2回のビジネスコンテストを開催。   僕らのできることは本当に小さな小さなことしかないけど、僕らが選んだガザの企業家たちは凄いです。 昨年選んだMajdは世界に羽ばたき、Amalは若手起業家のホープとして、2人ともガザのアイコンみたいな存在に成長している。   現実は厳しい。でも、あきらめる理由なんてない。 僕ら1人1人ができることは本当に限られているけど、みなさんの支援を貰えたら、そのパワーや思いは掛け算で増えていくんだと思います。   あと5日間、できることは多くはないけど、少しでもみなさんのパワーを分けてもらえたら嬉しいです。   長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。   9月25日 上川路


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今回は、ガザのインキュベーターの1つ、the Islamic University of Gaza 内に作られたBusiness and Technology IncubatorのYousef M. El-Hallaqからのメッセージをお届けします。昨年のビジネスコンテスト初開催の時より協力してくれ、今年も事前の書類審査と当日のMCを務めてくれました。 [写真は、Business and Technology Incubatorを訪問した時のもの。手前に写っているのがYousef] *** ガザのビジネス・テクノロジーのインキュベーターの仕事の一環として、2016年、2017年のビジネスコンテストに参加できたことは幸運なことでした。コンテストはガザの若い起業家とそのエコシステムを支援する素晴らしいイベントとなっています。 若者を支援するための機関やイベントは多々ありますが、このイベントは非常に大きな価値をもたらします。まず、ワークショップやトレーニング、優勝者に与えられる賞は、日本のメンターや企業と対話しネットワーキングをする新しい機会となり、テクノロジーや産業を発展させる大きな価値をもたらします。いうまでもなく、10年にわたる封鎖で苦しんでいる若い起業家にとって、優勝者に授与される2週間の日本への旅行の機会は、かけがえのない希望になります。 ガザの封鎖は人の行き来を制限し、非常に大きなネガティブな影響を与えています。結果として、若者が思考やイノベーションの範囲を狭めることになっています。そのため、この機会は、起業家たちの視野を外の世界やビジネス市場に向けさせ、成長機会を広げることに非常につながります。 ハードウェアの分野の優勝者にとっても貴重な機会です。封鎖により、機器を試作したり開発したりすることができず、このような分野の者にとっては追加の制限がかけられているといえます。Japan Gaza Innovation Challengeは、自分たちが取り組んでいる分野で継続していて進んで行く希望を与えてくれます。 第2に、この特別な機会に参加しようと、より多くの若者が働きイノベーティブになろうとする動機付けになっており、起業の環境に利益をもたらしています。 日本のチームがこのイベントを運営するための努力の大きさを感じ、そして、目の前で見てきており、イベントの成功と若者の間での価値の最大化につながっていると思います。この成果は今年の応募数の増加と発表されたビジネスアイディアのレベルの高さにも表れています。 私自身にとっての収穫は、ガザの若い起業家を支援しようという献身的な希望を持ち、情熱的で愛くるしい人々と出会うことができたことです。ここで築いた友情は一生大切にしたいと思います。 *** ガザのビジネスコンテストはYousefのようなガザのインキュベーターや国連機関、職業訓練学校の方々など、多くの方のサポートで行われており、ガザの方々の豊富な経験と情熱にいつも励まされています。そして、彼らとのやりとりの中で、遠く離れた日本からの起業支援が持つ意義を実感します。 今後も、ガザの起業家の希望の灯を届けるため、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします!


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度重なる戦争により、破壊された建物が残るガザ地区。今回は、昨年、今年と2年連続でガザでのビジネスコンテストの運営を担ったメンバーの岩田より、ガザの人が話してくれた戦争の経験を紹介します。 ***  —— 戦争中は皆、当時7歳だった弟でさえも、ただ死を祈った。 これは、私たちがガザの滞在中に、昨年の準優勝チーム・Sketch Engineeringのアマルとガーダ、そして日本での留学経験を持つリームとの食事の席で耳にした言葉です。 ガザで出会った人々のほとんどは、いつも笑顔でジョーク好きな明るい性格なだけに、一緒にいると、彼女たちが今までに体験してきた壮絶な過去をつい忘れそうになるくらいです。 そんな楽しい夕食の時間でも、ふとした瞬間に戦争中の経験を思い出し、私たちに話をしてくれました。 「戦争中、私たちはただ死を祈った。人々がアッラーにお願いしたことは、生きることよりも、安らかに死ぬことだった。当時7歳だった私の弟でさえも、負傷して苦しみながら生きるより、どうか痛みなく死ねますように、毎日そうお祈りをした」 「たとえ空爆前にイスラエル兵からの電話が来てもあえて電話をとらず、下手に避難しようとして負傷するより、自分らの慣れ親しんだ家で死ぬことを選んだ人もいた」 戦争中の彼らのこうした祈りや心情の背景の一つには、ガザでの医療サービスの問題がありました。特に戦争中は、ガザで利用可能な治療法は限られており、負傷しても回復するどころか、手術後の感染症などで悪化した例も多かったため、負傷すれば死よりも過酷な未来が待っている−そう考えたそうです。 「2008年に始まった戦争の初日に起きた出来事を、今でもまだ鮮明に覚えている」とアマルとガーダ。当時17歳だった彼女たちは、イスラエル軍が何時にどこに最初の爆弾を落としたのかまでも忘れられないと言います。 「それは2008年12 月27日午前11時半、多くの学生が行き来する大学のすぐ横だった。爆音とともに、突然目の前で木や車が空を飛んでいるのを見た。 その時私たちは、何が起きているのか分からなかった。だってこの出来事の数分までは、戦争を一度も経験したことのないただの学生だったから。 でもこれが、私たちの人生が180度変わり始めた瞬間だった」 いつもは私たちの前で弱音を全くはかない彼女たちも「あの時は、当時は本当に辛かった」と繰り返しました。 「でも不思議なことに、戦争中でもいいこともあった」とリームは言います。 「戦争中、人と人との距離が縮まって団結し、それまで以上にお互いを助けあい、励まし合うようになった。知り合い、他人関係なく、誰であろうと水、食料、電気、寝る場所、情報を共有し合って、共に悪夢を乗り切ろうと人々はひとつになっていた」  [ガザ市のシーフードレストランにて: 写真左 アマル、左奥 リーム、右奥 ガーダ] ガザに来ると、絶えず耳にする厳しい生活環境とは対照的な、ガザの人々が持つパワーはどこから来るのだろうと常に考えさせられます。 それと同時に、目の前にある過酷な状況を生きるしかなくなった時、人はここまで強くなれるのだと、気付かされるばかりです。 彼らの人生や故郷への想いを諦めない姿勢を、私たちと共に応援していただけたらと思います。 引き続きご支援やシェアをよろしくお願いいたします!


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2016年、2017年と2回にわたりガザでのビジネスコンテストに参加した乙武洋匡さんが、ガザでの体験をメディアで紹介してくださいました。2度にわたるビジネスコンテストでは、毎回ご自身の経験を話し、ガザの若い起業家にエールを送り、会場はスタンディングオーべーション。(*乙武さんからのメッセージはこちら)メディアのレポートでは、様々な角度からガザの様子を詳しく紹介されていますので、ぜひご覧ください! 東洋経済オンライン2回にわたり、写真も多く入れながら、ガザの訪問を紹介。ガザへの入域、難民キャンプ、漁港、教会とモスクが隣り合う旧市街、パレスチナの家庭と、ガザの様々な場所を現地の人との会話も交えながら振り返るとともに、ガザの人々との出会いから感じた思いを綴っています。 乙武洋匡が見たガザ地区の痛ましすぎる現実 失業率40%超、空爆が日常の難民キャンプ(2017年8月22日掲載) 乙武洋匡が見たガザ、そこに生きる人の苦悩 選べない境遇の違いが大きな隔たりとなる(2017年8月23日掲載) COURRiER Japon昨年のビジネスコンテストの優勝者・マジドと準優勝者・アマルとの出会いを詳しく紹介。2回の訪問を通じて乙武さんが考えるガザの課題とビジネスコンテストの意義も書いています。 乙武洋匡・世界へ行く│ガザ地区でのビジネスコンテストがもたらす希望(2017年8月27日掲載) HUFFPOSTイスラエルの空爆によって両脚と左腕を失いながら、ガザで車椅子で小学校の先生を務めるアフメッド・アルサワフェリさんとの対談を紹介。学校現場での経験、ガザ・日本それぞれの障害者に対する寛容さや障害者でも活躍できる社会のあり方、今後の夢を語っています。 ガザにも、車椅子先生がいた。乙武洋匡が“二人〇脚”の対談で得たもの(2017年9月2日掲載)


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こんにちは! 今回は昨年度ビジネスコンテストの準優勝チームSketch Engineering の代表であるアマルについて紹介します。 アマルは大学で機械工学を専攻した25歳の女性です。車いすや重量物の移動をサポートするキャリアを開発しています。 ガザ地区は過去10年間に3回もの戦争を経験し破壊された建物の再建も進まず、電気、水道などのライフラインも不安定な状況が続いています。特に、電気は現在も1日12〜16時間は停電し、人々は非常に困難な生活を強いられています。このSketch Engineeringのキャリアは、電力供給が不足する中、戦争のため障害を持つ人が多くいるガザ地区の状況を解決すべく、アマルが友人たちと共に開発しました。   [開発した製品を持つメンバーと共に写真に応じるアマル] ビジネスコンテストの前、製品の抱える問題をどのように解決すべきか悩んでいました。インターネットを通じ、日本をはじめとする海外の福祉機器メーカーの製品をみて、どうすれは試行錯誤していましたが、ユニバーサルデザインの普及、コンサルティングに力を注ぐ「バリアフリーカンパニー」の中澤社長と知り合い、その縁から、日本の福祉機器メーカー「株式会社サンワ」の美澤社長に出会うことができました。現在、設計、技術面でのアドバイスをいただきながら、改良に励んでいます。 アマルは、今年のビジネスコンテストでも大活躍。先輩起業家として、参加者に経験を話すと共に、運営面でも私たちガザビジをサポートしてくれました。夢に向かって進んでいる彼女の姿は、ガザの企業家にとってもロールモデルになっています。 アマルからこれまでの経験と今年のビジネスコンテストについてメッセージを書いてもらいました。 *** 皆さま、 旅行をしたり、意見交換したり、異なる文化に触れたりする機会が不足している中、ガザビジの方が、私たちのところまで来てくれました。湾岸諸国が資金面の支援をする一方、ガザビジは、知識、経験、コーチングを提供してくれています。若い起業家がロールモデルを見失っている中、ガザビジは成功経験を持つ方を連れて来てくれました。破壊されたガザを再建する中、ガザビジは私たちの希望を再建してくれました。ガザビジは、私たちの能力を信じてくれ、私たちはガザビジのメンタリングを信じています。 2016年に優勝した後、私達は国際的な「旅」を始め、キャリアを改良するために日本の専門性の高い企業やメンターを得たり、自分たちのネットワークを得たり、プロトタイプを生産するための賞を獲得したり、壁を乗り越えて日本に旅をし、狭いガザの外に広がる世界を知ったりしました。 ガザはとても狭いコミュニティで違いがとても近く、今年のビジネスコンテストの参加者も含め、すべてのガザの起業家は私たちの日本での経験を知り、それを実現したいと感じていました。そして、最終ラウンドに残るために懸命に頑張り、それぞれのスタートアップを発展させる機会をつかもうとしていました。10チームがコンテストに優勝するために競いましたが、実際はこのユニークなコンテストに参加した時点で勝っていると言えます。起業家たちは新しい知識を得て、プロジェクトに対して新しいコメントをもらい、成功した専門家や競い合える人々と出会っているからです。コンテストの後、何を学んだかを聞いたところ、下記のような答えが来ました。 ・  長期的な夢が何かを知るべきだと学びました。ビジョンをチームに浸透させ、自分の年齢よりも大きなパッションを持つべき。そして、成功はいいチームに宿るということです ・  よりオーガナイズされた人間になる方法を学びました ・  言葉を数字で表現するなど細かな部分での特徴がビジネスを価値あるものにするのだと学びました ・  日本のメンバーからどのようにビジネスが成功していくのか学びました。日本人はとても親切でよくオーガナイズされています。そして私たちが成功するのを応援してくれています ・  アドバイスを受けて、良いプレゼンテーションの方法を学びました。また、ビジネスの計画を改善するためのビジネスルールも知ることができました。 ・  グローバルな市場の理解を高めるか、アイデアをどのように事業に転換するか、を学びました。また、異なる視点から課題にアプローチをし、ビジネスアイディアを他者より魅力的にできることも知りました。さらに、世界の文化や社会(特に日本)も学びました。日本人との出会いは美しい思い出として胸に刻まれています。とてもユニークな方々で、感謝しています。 最後に、私からも2016年と2017年のビジネスコンテストに向けて支援してくれたことに感謝の気持ちをお伝えします。個々人の貢献が非常に大きな支援になり、私たちがゴールに向かうのを後押ししています。皆さんの支援は私にとって大きな意味を持っています。ガザに住む私たち全員からありがとうと伝えたいです。そして、ガザビジが企業家や若者のためのイベントとして毎年開催される伝統のようになることを願っています。 *** 10年で3度の紛争を経験し、モノ・ヒト・カネの移動が制限されているガザの中で、未来を切り拓こうとするガザの起業家たち。 私たちは、アマルとの出会いから、起業家のビジネスアイディアを実現させることでガザの課題の解決に近づくことができると共に、その起業家の姿そのものが他のガザの人々にとっての希望にもなるということを実感しています。未来を切り拓こうとする希望の輪を広げていくため、引き続き、ご支援のほど、よろしくお願いいたします!