「衆議院が解散しそうだ。マスコミは解散を前提として、何時首相が解散権を行使するのかばかりを報じている。こうなると流れは止まらない。解散となれば四〇日以内に総選挙が実施される。選挙権を持っている者は挙手」 政治経済の木村が挙手を求めた。半分弱が挙手。「九月末日までに一八歳を迎えると選挙権を持つ。棄権するなよ」 氷空ゆめは「は~い」と返事したものの、どの党に、誰に投票するのか、決まらない。決められない。判断不能状態。それはクラスの全員の戸惑いだった。街には各政党の政策宣伝車が繰り出し、自党への支持を訴え、新聞は特集を組み、各選挙区からの立候補予定者を掲載していた。此処は北海道一区。「棄権するなよ」とは木村に脅迫されている。棄権したら、思慮が足りない、だらしない、いい加減。何も考えていないパープリンだと。そもそも日本人は棄権が嫌いだ。途中で棄権したら本人は罪悪感に苛まれるし、周囲も、今までどんな練習をしてきたのか…。何て根性のない奴、と眼が冷たい。特に駅伝ではそれが著しい。 氷空ゆめはパープリンと周囲の冷たい眼を想った。 罪悪感は無視した。選挙権は自ら望み、手にした権利ではない。降って湧いたような与えられた権利。先進国の選挙権は一八歳からが趨勢。投票者数と、あわよくば投票率を上げようとする政治家と役人の思惑からの権利。そんな権利なら、どのように使おうがわたしの勝手。わたしだって棄権したくない。棄権しないとは、誰かに、林立している党の何れかに、投票しなければならない。その投票先が見つからないのだ。 氷空ゆめは教員室に木村を訪ねた。「どうしたんだ。ゆめ。おっかない顔して」「先生。教えて欲しくて。投票する先が見つからない時はどうしたらいいんですか」「そうなったら何も書かないで白紙で投票箱に入れるんだ」「それって棄権と同じじゃないですか」「いや。違う。立派な投票行動だ。無効票として扱われるが投票したとカウントされる」「無効票って間違って書いたとか、イタズラ書きしたとか」「そうだ。それでも投票率を上げるのに寄与する」「それって何かムダ。棄権と変わらない。わたし。投票率を上げる為に投票したくない」「ゆめ。政府も総務省も投票率にはとても敏感。投票率を上げようと常に考えている。民主主義の根幹だからなんだ」「先生。白票がどのくらい増えると選挙結果に影響が出るの…」「取り決めは無い。これは私の考えだが、無効票が投票数の一〇%を越えたら大騒ぎなるだろう。しかしそれでも選挙結果は変わらない。白票が増えて投票総数の四分の一を当選者が獲得できなかった場合には当選が無効になるが…」「当選したけれど四分の一に満たなくて無効になった例は在る…」「国政選挙では無い。小選挙区制ではこれからも発生しない」「やっぱ白票には意味が無い。後ろ向き。先生。わたし。自分が投票したくなる政策を創ってみる。出来たらまた来る」「ゆめ。おまえ。凄いこと言うなぁ」 氷空ゆめは学校を出ると書店に向かった。普段は停まらないコーナーに立った。『社会科学』。何時もは雑誌とコミック。ブックケースの背には有斐閣とか第一法規、岩波書店と馴染みのない名前。一冊を取り出し値段を見た。二五〇〇円。他の厳めしい本もすべて二千円以上。中には三千円を越えていた。何れも写真やカットが無い。文字が小さい。そして文字だらけ。馴染まない。講談社とか集英社とか小学館を探すことにした。平積みの冊子に『日本の一〇の課題』が在った。九八〇円。写真とイラストが気に入った。①安全保障と憲法改正②少子化と待機児童③高齢化④所得格差の拡大(相対的貧困)⑤北朝鮮問題⑥日本の借金⑦女性が輝ける社会⑧原発⑨地球温暖化⑩南海トラフ
氷空(そら)ゆめには予知する力が在った。 眠る前に念じると夢が知らせてくれた。 その知らせは七日後に正夢になる。 気づいたのは幼稚園の年長組の時。 念じるとは強い想いを繰り返す。 許せない、口惜しい、腹立つ、心配、あの人は今どうしている、を名前と一緒に呟く。眠るまで呟く。 眠ると鮮明な夢が現れた。それが七日先。 自分の先は無理だった。…わたしはこれからどうなるの… これを呟き続けても夢は現れてくれなかった。 神さまに自分をお願いしもダメなんだ。許せない。口惜しい。腹立つ。心配。あの人は今どうしている。これ以外は知らせてくれないんだ。自分の先が分からないから人は泣き、笑い、怒るんだ。 氷空ゆめはこう考え納得していた。 幾ら念じても夢が現れないことも在った。 けれども新月には必ず現れた。 小六の時にカレンダーが教えてくれた。 新月は二九.五日に一回。 それまで待てないこともあった。 氷空ゆめは念じる儀式を試みた。 辿り着いたのが自由の女神の冠。アンテークショップを巡り、冠を見た時に、これだ、と想った。白の寝間着。母が縫ってくれた。手には黒の数珠。占冠の祖母からもらった。両の脛には紫の脚絆。赤の二本の紐で縛った。脚絆も母が作ってくれた。用意を整え、手を組み、人差し指を、月に向け立て、呪文を三回唱えた。「あびらうんけんそわか。あくしお。あくしお。あびらうんけんそわか。あぱれしうむ。あぱれしうむ。あびらうんけんそわか」 これにより氷空ゆめの願いは、新月でなくとも、叶えられたが、時々は失敗した。夢が現れず、現れても、記憶に残らない朝もあった。この原因は今も分からない。 新月では念じると夢が現れた。思いがけない夢も在った。これも一週間先の正夢だった。念じない夢は楽しみのひとつになった。思いがけない夢の原因も分からない。