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「紙の」雑誌を新しくつくり、ゆっくり考える場を取り戻したい。(宇野常寛責任編集)

現在の支援総額

7,579,881

505%

目標金額は1,500,000円

支援者数

1,129

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/07/12に募集を開始し、 1,129人の支援により 7,579,881円の資金を集め、 2021/08/20に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

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「紙の」雑誌を新しくつくり、ゆっくり考える場を取り戻したい。(宇野常寛責任編集)

現在の支援総額

7,579,881

505%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数1,129

このプロジェクトは、2021/07/12に募集を開始し、 1,129人の支援により 7,579,881円の資金を集め、 2021/08/20に募集を終了しました

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宇野です。この「モノノメ」のクラウドファンディングも、残り4日になってきました。最近は毎日、ここに書いていたので、なんだが終わると思うと寂しくなります。僕としては、出来上がるまでが半分、そしてそれを読者に届けることが半分くらいの仕事だと思っているのですが僕は「届ける」ほうはあまり得意じゃなくて、いつも悩んでいます。このクラウドファンディングが終わっても、ブログ(note)などで経過を書いていこうかとか、いっそのことここの更新を続けようかとか(それも変かな?)、そんなことを考えています。さて、今日は実はこの『モノノメ』創刊号のここに公開されている目次で、いつの間にかしれっと加わっていたものについて取り上げます。みなさん、目次が更新されていたことにお気づきでしょうか……? (別に勿体つけていたわけではなくて、単にこのページの収録がいちばん遅かったので、素材が揃うのも遅かったわけです。)『モノノメ』では、毎回ゲストが自分の好きな絵本を紹介する連載を始めます。タイトルは『絵本の話はながくなる』。初回のゲストは作家の川上弘美さんにお願いしました。川上さんが選んだのはオランダの作家ハリエット・ヴァン・レークの『レナレナ』と、スウェーデンの作家ヨックム・ノードストリュームの「セーラーとペッカ」シリーズから第一作の『セーラーとペッカ、町へいく』です。どちらも、僕は知らない絵本だったのですが、どちらもちょっとマイナーな感性をもった人たちが主人公で、そのマイナー性を楽しんで生きているところがいいな、と思いました。そして収録のときの川上さんの解説、というか紹介、というか肩肘をはらない、でもものすごく芯を食ったお話がとにかく面白くて……。絵本という言葉数こそ少ないけれど絵と組み会わされることで圧倒的な情報量を発揮する表現の面白さを堪能できるページになっていると思います。メインで取り上げた『レナレナ』は今でもかんたんに手に入るので、ぜひあわせて読んでみてください。 


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宇野です。クラウドファンディング、いよいよのこり5日になりました……。Amazonや大手チェーンをできるかぎり使わずに回していくには、インターネット直販が鍵になってきます。事実上の先行販売を兼ねたクラウドファンデイングになので、気になっている人はここから買ってもらえるとすごく助かります。さて、今日はこの創刊号の「都市」特集の冒頭の部分ーー僕が特集のコンセプトを解説している文章ーーを特別に公開します。まだ草稿段階のものなので、載るものは結構変わる可能性があるのですが、なぜ、このコロナ禍のタイミングで「都市」を特集するのかは、これを読むとよく分かってもらえると思います。結論から述べると、僕はコロナ禍「だからこそ」この特集を選びました。ちなみに次の号は今の所「身体」論を特集にしようかなと思っています。その理由も、下記の文章をよく分かるのではないかと思います。それでは、少し長いけれど読んでみてください。※ ※ ※ この雑誌の創刊号の特集のテーマには「都市」を選んだ。けれども、最初に断っておくべきことがある。たとえば僕たちは21世紀を席巻するであろうグローバルなメガシティ間の競争とそれに対応するための有り得べき都市開発のビジョンといったことにはあまり、興味がない。そしてその反対側から都市を見ることーー地域コミュニティを振興するためにワークショップとアート展示を重ねて、住民とクリエイターの交流を図るといった類のことーーにも同じように興味がない。僕たちが考えたいのは、もっと本質的なことだ。 情報技術の発展とネットワークの整備は、この四半世紀で空間の定義すらも変えつつある。このとき果たして僕たちが長いあいだ「都市」と呼んできたものの性質は根底から覆るのではないか。 たとえば僕たちは都市に接続することで、自分が一人の独立した個であることを確認してきた。家庭や職場から切り離されて、一人の人間として活動する時間を手に入れてきた。そのことが、共同体の一部ではなく一人の独立した人間として社会にかかわっていることを自覚させていた。しかし空間の移動はもはや、この「個」であることを確認できる時間を確保することを意味しない。そもそも同じ空間にいることが、その対象とコミュニケーションを取ることを保証しない(僕は今、高田馬場のカフェにいるがこの文章を、香港の友人とチャットしながら書いている)。もはや都市は、人間が何ものでもない誰かになれる場所ではなく、僕たちは常にスマートフォンに着信する家庭からの、職場からの、そして「世間」からの通知にまとわりつかれて生きている。 あるいは、かつて僕たちは都市に接続することで目当てのものではないものに偶然出会い、会うつもりのない人に出会ってきた。しかしこの前提は既に崩されて久しい。実際にコロナ・ショックでそれが強制終了される前の10年は、あらゆるシーンにおいてーー政治運動から「インスタ映え」消費、音楽フェスやアイドルの握手会までーー人間がSNSによって実空間に「動員」されていた10年だった。もはや実空間はサイバースペースの延長にしか存在しなくなったのだ。 そしてハッシュタグを検索して、「動員」されて街に出てきた人は、そこでどれだけ雑多なものを目で見、手で触れても目当ての物事以外は意識できなくなっていく。今日においてはもはや「広場」も「街頭」も検索窓とハッシュタグの先にある。それはそこが既に交通事故のように予想外のものに出会う場所ではなく、予定調和だけが待つ場所になっていることを意味する。 そう、世界人類は圧倒的なスピードでその生活空間をメガシティに集中させるその一方で、実空間は、都市という場所そのものは、その力を低下させていったのではないかーーそう、僕は考えている。人間を居住させ、給餌し、繁殖させる装置としての都市が肥大する一方で、公共心と創造性の培養装置としての都市はいま、情報ネットワークからの侵略を前にいまその力を失ないつつあるのではないか。 多くの人がいま、こう考えている。閉じた情報ネットワークの外部としての実空間がいま重要なのだと。そこで人間と人間が接触することこそが公共性を育み、豊かな文化を生み出すのだと。しかし、それは甘い認識だ。観光客たちが、目当ての物事の写真をハッシュタグをつけてInstagramに投稿して満足して帰るように、検索してたどり着いたそこはSNSを中心に展開する閉じた相互評価のネットワークの外部ではなく、その一部に過ぎない。そこで人は、何ものにも出会うことはできない。重要なのは物理的な空間に身体を運び、そこで事物に接触すること「ではない」。そのことによって、ネットワークの裂け目に、穴に、触れることだ。空間的に特定の場所に身体を置くことではなく、そうすることで時間的に自立することだ。情報技術を用いた、世界中の人間の時間を同期させる力に抗うことだ。 僕はコロナ・ショック以降の東京をーー特に2020年の最初の緊急事態宣言下に見られたあの無人の東京をーー走りながら考えていた(僕はランニングが好きで、よく都内を走っている)。場所がその力を取り戻すために必要なことはなにか、と。僕は思う。それはたぶん「つながらない」ことだ、と。 世界はいま、一枚のゲームボードの上に統一されていて、誰もが同じ時間を共有し、同じ話題に言及している。そして、そのために世界から多様性は失われつつある。どれだけ多様性の政治的な保護が必要だという意見が拡大しても、その一方で人々の振る舞いそのものは一様になっている。閉じた相互評価のネットワークの中で、誰もが他のプレイヤーからの関心を集めようとしている。その結果として既に多くの他の誰かが話題にしていること以外に言及する価値が目減りしていく。こうして、世界はボトムアップの全体主義に近づいていく。実空間がサイバースペースに飲み込まれたいま、この閉じたネットワークの外部は消失している。この状況下において、僕たちの暮らす場である都市が価値を生むために必要なことはないか。 無人の都市を走りながら、僕は考えた。ここには人間がいない。だからこそ、可能性がある。孤独に世界をと向き合う時間がある。街を走るランナーたちはの目的は「走ること」そのもので、誰かに会うとか、何かを買うとか、そういったことのために街に出ているわけじゃない(ハッシュタグに「動員」されていない)。だから走るとき、目の前にある街の風景そのものを強く意識する。道が、建物が、木々が、虫たちが、商店に並べられた物品たちが、ハッシュタグのつかないむき出しのかたちでそこに現れる。人はいない街では、特にそうだ。走るとき僕は他のどのような時間よりも、たくさんのものごとに出会っている。閉じた相互評価のネットワークから切断された時間だからこそ、「走ること」そのものが目的であるからこそ、ものごとそのものに触れることができる。しかし、かつての都市はただ歩いているだけでもこうして人を孤独に、匿名に、して鋭敏にしてくれる装置だったのではないか。 僕たちはずっと「つながる」ために都市を用いてきた。しかし、いま必要なのは「つながらない」ための都市なのではないか。いま僕たちの世界から急速に失われつつある時間的な「自立」を、僕たちが暮らすこの都市というシステムをどう扱い、どう変えることで回復できるのか。それが僕の問いだ。「つながる」ことなど、インターネットに任せてしまえばいい。僕は「都市」の話がしたい。 紙の雑誌『モノノメ』創刊に向けたクラファンは8月20日までです。支援はこちらから。


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宇野です。『モノノメ』創刊号の編集作業も大詰めです。このクラファンも、残り1週間を切って、ネクストゴールも設定して走り切ろうと思います。進捗としてはいま、ひらすら上がってくる原稿とデザイン(特に後者)をチェックして、デザイナーや印刷会社の担当さんと話し合いながら具体的に「紙に印刷するもの」のクオリティを追求している段階です。そして今日は、その中でも一押しというか、今回の誌面でいちばん気に入っているデザインをちょこっとだけ紹介します。それは、この進捗報告の初回で紹介した高山都さんのランニングフォトエッセイです。僕はランニングの魅力のひとつに、普段住んでいる街の風景を普段とは違う角度から見ることができるところにあると思っています。人に会いに行くとか、買い物に行くとか、「目的」があると人間はそこに関心が向いてしまって、実は風景というものをあまり高い解像度で捉えなくなる。でも、ランニングでは「走る」ことのものが目的になっている。その結果として、普段よりもかなり高い解像度で街を捉えることになる。僕は散歩も好きなのだけど、歩いているときは風景が変化する速度が遅すぎて、逆にあまり意識が向かない(そのぶん、目の前にあるもののディティールに注意が向く)。自分の足で走ることが速すぎず、遅すぎず風景に向き合うのに最適なアプローチだと僕は思っています。この企画はそんなランナーの視線で街を捉え直すということをやってみたい、と考えてはじめました。『PLANETS vol.10』からコラボレーションしているランニング誌『走るひと』の上田唯人さんに加わってもらい、ミーティングを重ねて、高山都さんを誘い、そしてカメラマンの久富健太郎さんにお願いすることにして、梅雨の終わりころのに何度も、何度も空模様を理由にリスケジュールして、そして逆にちょっと暑すぎるんじゃないかという晴れた日に撮影したのがこの写真です。執筆と撮影のコンセプトをしっかり共有しないといけないと思って、撮影の前後、高山さんと久富さんには、ここに書いたようなことを僕はひらすら話しました。たぶん、ちょっとめんどくさい感じが出ていたと思うのだけれど、ふたりともとても熱心に聴いてくれました。上田さんが時々、いいトスを上げてくれて、とても助かりました。そして、強い日差しの中走りに出た高山さんを、僕と上田さん、そして久富さんの3人が追いかけながら撮影しました。気がついたら全員汗だくで、半分溶けたようになっていたけれど、いい撮影でした。チームで仕事をするというのはこういうことなんだな、という充実感があった、そんな時間でした。久富さんの写真を、上田さんがディレクションし、アートディレクターの館森則之さんが試行錯誤して作り上げているのがこのページで、高山さんの息遣と視線を共有してもらえるものに仕上がっていっている、という手応えを感じています。これまで、僕が作ってきたものとは少し違った世界を見せられたら、このページで「走る」ことで得られる視点のことを意識してもらえらたら……なんてことを思っています。 『モノノメ』創刊に向けたクラファンは8月20日までです。支援はこちらから。


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宇野です。新創刊する雑誌『モノノメ』のクラウドファンディング、ついに一週間を切りました。公開から24時間も経たないうちに目標金額を達成し、気がついたら目標達成率300%も超えていました。たくさんの支援、ありがとうございました。この期待に、全力で応えたいと思っています。実はこの新創刊はクラウドファンディングがびっくりするくらい大反響で、大成功している反面、広告はさっぱり取れませんでした。(なので広告用のページにはいくつか、僕が応援したいと思っているプロジェクトの告知を載せたいと思っています。)雑誌広告への出稿がかなり厳しい情勢だったことに加えて、僕の「タイムラインの潮目を読まない」というコンセプトも、ここでは不利に働いたように思います(そりゃそうだろうな、と自分でも思います。でも、ここは譲れないので、仕方ないです)。なので、このクラウドファンデイングがなかったら、正直この船は出港前に挫傷していた可能性すらありました。支援してもらったみなさんには、足を向けて寝られないです。そして、なんというか自信のようなものも取り戻しました。コツコツやっていれば、見てくれている人は見てくれているのだな、と……。残り1週間を切ったので、ネクストゴールを決めたほうがいいと担当者から言われて、うーん、何をしたらいいかなあ、と思ったのですが、僕が既に考え始めている(じゃないと間に合わない)「次号」、つまり『モノノメ #2』の現時点の構想を全部語るイベントが良いかなと思っています。ネクストゴールは達成率400%を目指します。達成できたらすべての支援者を招待した限定オンラインイベント「宇野常寛が『モノノメ #2』の構想のすべてを語るトークショー(仮)」を開催します。次号の構想をどこよりも早く聴ける場にするつもりです。もし、これで400%とか、450%を達成できたら、この号だけじゃなくて、次号の制作もすごく助かります。いい環境をつくって、じっくりいいものを仕上げたいと考えています。1円も無駄にしません。残り1週間を切りましたが、引き続き最後までよろしくお願いいたします!※イベントの開催時期はプロジェクト終了後、メールにてご案内します。またライブ配信に加え、アーカイブでの配信も予定しています。紙の雑誌『モノノメ』創刊に向けたクラファンは8月20日までです。支援はこちらから。Banner photo by 岡田久輝


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宇野です。このクラウドファンディングもいよいよあと、一週間を切りました。今日はここで、この「都市」特集の基調座談会を紹介したいと思います。以前にも書きましたけれど、この都市特集はグローバルな都市間競争を背景とした(主として東京の)都市計画に、地域コミュニティの再興(と紐付いた文化振興)で対抗するといった国内ではこの10年、震災復興の流れで飽きるほど見られてきた構図を最初から採用「しない」という方針で作っています。背景には、僕が4年前から参加している安宅和人さんが立ち上げた「風の谷を創る」の運動の影響があります。この運動は、いわゆる環境保護運動ではないし、「街おこし」みたいなものともかなり距離がある。人間が都市「ではない」場所に暮らすときの、それも自然とともに暮らそうと考えたときのあたらしい形式を最新の技術を使い倒して実現し、そしてそれを経済的にもしっかり自走させて、そしてそこに都市とはまた違った回路で高い文化生成力を確保しよう、という野心的なプロジェクトです。そこでは「道」や「エネルギー」の地方(というか、都市ではない場所)での新しいかたち(運用法)から、家屋や集落の設計などの研究を続けてきて、この21年からは実空間で実験を開始するために動いています。いくつかの研究チャンクに分かれて活動しているのですが、僕の担当は「全体デザイン班」と呼ばれるコンセプトにのっとった基本方針の作成や各チャンクの調整、全体のシステム設計などを行うチャンクです。そしてこの都市特集を組むときに僕は「風の谷を創る」が都市の「オルタナティブ」を創る運動なら、この特集はそこで得た知見を活かしつつ「都市そのもの」について考える特集にしたいと考えました。それも、既に存在している論点をおさらいするのではなく、新しい視点を提供できるものにしたい。そう考えました。そういう背景があって、特集の冒頭を飾るこの座談会には安宅さんに、そして同じ「風の谷を創る」メンバーからは菊池昌枝さんに来てもらいました。菊池さんは、観光事業の専門家で都市と文化の関係について、とても豊かな知見を持っている人です。(最近は滋賀に移住して、その暮らしをエッセイにして連載してもらっています。)そして、都市論のハード側の代表として饗庭伸さん、そしてソフト側の代表として渡邉康太郎さんに来てもらいました。饗庭伸さんは『都市をたたむ』が知られていますが、まさにこの国の国土開発の最前線にかかわりながら、その身も蓋もない現実を受け止めた上で最適解を模索してきた人だと僕は勝手に思っていて、渡邉康太郎さんは情報技術が「空間」の定義を変え、モノとコトの境界線がなくなったいまだからこそ有効なデザインの思考を模索している。この陣容で、「都市」というシステムがいまどのような節目を迎えているのか、その課題を徹底して洗い出しています。この都市特集は、いわゆる「都市論」や「まちづくり」が好きな人が手に取ると、ちょっと変わった視点から語りすぎていてびっくりするかもしれません。しかし、それが狙いです。その狙いの背景には、こうした現状認識があるのだということを踏まえておいてもらえると嬉しいです。要するに、僕の認識は安宅さんに近くて(そりゃあ、4年も彼のプロジェクトに参加しているくらいなので)現状の都市のシステムからは「生まれてこない」ものが今の社会には重要だと思っています。しかし、僕らは都市というシステムを「捨てる」ことはできない。むしろ、これからは都市の時代になっていく。では、どうすればその本来は都市のシステムからは供給されないものを生み出していくのか、そのために都市はどうかわるべきか、がこの特集のテーマです。早く読んでほしい……と心から思うのですが、そのためにも能書き垂れていないで、編集長業務に戻ります。 紙の雑誌『モノノメ』創刊に向けたクラウドファンディングは8月20日までです。支援はこちらから。