■連載「ひとりあそびの(おとなの)教科書」の収録のために、都内某所でウニモグを走らせてきました宇野です。ちょっと編集作業が佳境になってきて、この進捗報告を書く時間もなかなか取れないのですが、なんとかやっています。ワクチンも無事二回目を接種して、特に副反応らしい副反応もでることもなく、当日も翌日も普通に仕事をしていました。正直言うと、ちょっと拍子抜けで、高熱が出て他にものが食べられないときのために買っておいたハーゲンダッツのアイスクリームが2個、冷蔵庫に眠ったままになっています。さて、昨日は都内某所にこの『モノノメ』創刊号の最後から2番めの収録に出かけてきました。目的地は湾岸の、とある緑地です。その目的はひとつ。あるトラックのラジコンを走らせることです。この記事は雑誌の巻末に載せようと思っている僕の連載エッセイで、「ひとりあそびの(おとなの)教科書」という通しタイトルを考えています。実は僕は去年から、中高生向けの新書を書いていて、いろいろあってもうとっくに出ているはずのものが出ていないのだけれど、その新書のタイトルが『ひとりあそびの教科書』と言います。これは、僕が「みんな」でワイワイ遊ぶのではなくて、「ひとり」で遊ぶからこそ見えてくる世界の豊かさを伝えたくて書いた本なのだけれど、この本のメッセージは大人にも有効だと思って、その大人版を『モノノメ』で書いていこうかなと考えた次第です。僕は「大人の遊び=飲み会」になっているのがものすごく嫌で、飲み会も飲み会が好きな人も苦手で、特に出版業界の一部ーー思想とか批評家あの界隈ーーは業界のボスに忖度して取り巻きがボスの敵の悪口を言って盛り上がる醜悪な文化がはびこっているところがあって、そして僕自身もそういったものときっぱり手を切ることでとても広い世界に出られたし、人間関係にも恵まれたという実感があります。ちょっと話がそれましたけれど、僕はずっと前から「大人の遊び」=「飲み会」という等式に違和感があって、そこで大人の、それも「ひとり」の遊びの世界をどんどん開拓していこうと考えていました。それでラジコンのトラックなのか……と思う人も多いと思います。しかし、だまされたと思って読んでみてください。ちなみに僕らはラジコンには実はそれほど詳しくないし、実はまともにさわった経験も数えるほどです。そんな僕がどんな動機でラジコンで遊ぼうと考えて、そして実際に手にして、組み立てて、走らせにいって何を感じ、考えたのかをエッセイにまとめようと思っています。そこから、僕の考えるひとりあそびの時間のよさとは何かを、感じ取ってもらえたらと思います。ちなみにウニモグはメルセデス・ベンツの発売しているトラックの名前です。なぜ、サンダードラゴンでもホーネットでもなくウニモグなのか、も書いておくので、それもお楽しみに。『モノノメ』の支援はこちらから!
定期刊行の雑誌を新創刊することで、僕がやりたかったことの一つが小説を掲載すること、です。いろいろ考えに考えて、依頼したのは浅生鴨さん。僕が知り合ったのはもう10年以上前で、彼がまだNHKにいたころでした。その後すぐに、NHK_PR1号としてちょっと変わったかたちで有名になっていって、2014年に退職、その後「浅生鴨」というペンネームで作家として活躍しているのはみなさんもご存知ではないかと思います。 僕の最初の依頼は短編集『猫たちの色メガネ』の1編のようなもので、短くてもいいから強烈な読後感を残すもの、ただしSNS的なザラついた感じではないもの、というものでした。我ながら抽象的で、書くほうとしては困る言い方だな、と思うのだけれど、浅生さんならこういう言葉から、たとえそれが誤解であったとしても何かを受け取って、創作の手がかりにしてくれると信頼していたからです。 で、ここからが問題なのですけれど、僕がお願いしたのは原稿用紙40枚(16000字)程度の短編だったのですが、上がってきたのはなんと100枚(40000字)の中編でした。おいおい、勘弁してくれよ、と苦笑いしながら受け取った原稿を読み始めたのですが……気がついたら夢中で読み耽って、最後まで一気に読み通していました。そして次の瞬間、僕はスタッフに台割の組み換えと、イラストレーターの選定を相談していました。 タイトルは『穴』。この「穴」とは何か。ネタバレになるので詳しいことは書きませんが、僕の解釈ではこの「穴」は、それが空くことで僕たちの生きるこの世界の息苦しさを解消してくれるものです。しかし、その穴は空けようとしても、空けようとしてもどんどん自分たちの手で埋められてしまう。そんなシステムに僕たちの世界は覆われている。「穴」はどこにあるのか。どうすれば、埋められない「穴」は存在できるのか。浅生さんの深い絶望と静かな怒り、そしてこういった感情をじっと熟成することで想像力を遠いところまで持っていこうとしているのが伝わってくる小説です。久保田寛子さんの挿絵イラストも、ラフをいただいていますが、とても素敵です。お楽しみにお待ち下さい。
宇野です。この新雑誌「モノノメ」創刊にあたってのクラウドファンディング、おかげさまで順調に進んで、いま237%、438人の支援が集まっています……。とても、とても嬉しいです。実はこの創刊号、クラウドファンディングはちょっとびっくりするくらいの大反響なのですけれど、その反面、広告営業がさっぱりで……やはり、もう少し分かりやすく人が集まりそうな(インフルエンサーがズラッと並ぶ、みたいな)目次がないと難しいところが多くて、このクラウドファンディングがないと結構、いや、かなりマズいことになるところでした(本当に、感謝、感謝です!)。少し言い訳じみたことをさせてもらうと、確かに今回は部数も流通も絞ることを最初から打ち出しているのですが、その代わりに可能な限り読者の一人ひとりとしっかりとかかわっていこうと考えています。だから、ターゲットを「わざわざこの本を探しに来てくれる人」と、逆に「完全に偶然通りかかってこれを手にとってくれた人」に絞っています。意図的に「何か世間で流行っているものをチェックしよう」という意識の人は除外しています。既に存在しているどの流れに乗ると自分が高く売れるかとか、周囲にでかい顔ができるかという人は読者にいらない、と考えているわけです。なぜならば、僕たちが考えているのは、ここから新しい価値を生むこと、だからです。なので、もし僕らのこういうスタンスに興味を持ってくれる企業で広告を入れてくれるところがあれば、単に読ませて終わり、ではなくて一緒に読者とのエンゲージメントをつくっていくようなことができればいいと思っていますし、置いてみたいという書店(に限らず、あらゆる店舗やスペース)が手を上げてくれたら、僕も(さすがに小部数すぎると物理的にしんどいですが)ガンガン可動しますし、それをきちんと売り切る努力と、やっぱり読者との関係性づくりのようなことが一緒にできたらなと思っています。地味な陣地線をコツコツ重ねることとで、少しずつ数を積み上げることもそうですが、それ以上にSNS的な空中戦では見えてこないものが見えてきたり、あまり他のプレイヤーが持っていない別のカードが手に入るのではないか、そんなことを考えています。興味を持ってくれた人は、気軽に連絡をください。https://slowinternet.jp/contact/ まで、お待ちしています!
宇野です。この連休中は、「モノノメ」創刊号に掲載のフォトエッセイ「10年目の東北道を、歩く」の本文を執筆していました。この創刊号で、細かいところは僕が編集部名義で本文を書いたり、リードやキャプションを記名/無記名を問わずたくさん書いたりしているのだけど、きちんとした署名原稿はここだけになる予定です。今年はあの震災から10年目になります。僕はこの震災はそれぞれの土地の問題であると同時に、いまの日本を象徴していると考えています。だから、このタイミングで定期刊行物を創刊するならまずは、ここからはじめよう、と考えました。僕がこう考えるようになったのは、実はしばらく前にまったく別の用事で、今回歩いてきた宮城と岩手ではなく福島を中心にいくつか被災地を歩いてきたことが直接のきっかけです。それはなかなかな……いや、かなり強烈な体験で、要するにこのとき僕は復興という大義名分で大量に流れ込んだ税金の再分配のゲームが、あの災害と事故を経てこの土地と人間との関係をどう再構築するかという本来の問題を完全に覆い隠して、一人歩きをはじめているのを結果的にだけれどかなり身も蓋もないかたちで実感して帰ってきたわけです。そして東京に戻ってきた僕は、これはもう一度しっかり自分で取材しないといけない……ちゃんと自分で企画して、しっかり時間をかけて、歩いてみてこなければいけないと、そしてそのことをきちんと書こうと決めました。実際に取材に出かけたのは少し前のことで、石巻と気仙沼で復興に関わってきた二人の知人を訪ねることを中心に置きました。その過程で目にしてきたものについて考えたことを、10年間自分の土地で戦ってきた人にぶつけてみる、という形でやってみることにしました。10年前に東北に名前を上げるチャンスと復興予算のおこぼれが埋まっていると大はしゃぎで出かけていったメディアや文化人のほとんどが、もうこの土地に見向きもせずに、コロナ禍とオリンピックの話題に占拠されたタイムラインにどう乗るか、逆張りするか、どっちが得かみたいなことばかり考えています。昨日夜の開会式にも、震災とその復興についてはアリバイ的にちょろっと配置されていただけだけで、それが「世間」(本当に嫌いな言葉です)のこの問題に対する距離感なのだと思います。しかし、僕にとっては違う。むしろ、あれから10年経ったからこそ見えてくるものが、あの土地たちにはそれぞれ、数え切れないほどある。それは被災地に寄り添っている、とかではなくてただ単純に、実は自分たちがずっと直面していた問題がこれらの土地に、あれから10年立ってるからこそ、端的に露出している。東北の、被災地との間には距離がある云々という言説こそが、今となってはむしろフィクションに見える。それを、僕は自分の足で歩いて体感してきました。この2日くらいは、それをどう文章にするかで苦心しています。我ながら、創刊号の巻頭からあまり売れなさそうなーー少なくともタイムラインの潮目には乗っていないーーものを取り上げているなと思うのあけど、いまの僕にはこういう作り方しかできない。そして、へこたれそうになるたびにこのクラウドファンディングの応援コメントを読み返して、元気を出しています。引き続き、よろしくお願いします。
宇野です。明日はついに東京オリンピックが開幕して「しまう」ことになります。僕たちは6年前に「オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」というかたちで、開催反対の立場から2020年の東京オリンピックの「対案」を提示した(当時の誌面はここで無料公開中です)という経緯があって、このオリンピックの強行開催とそれに関連する茶番の数々には、とても、とてもとてもとても思うことがあります。しかしそこで、ちょっとうまいことや胸のすくことをTwitterに投稿して言論ポルノで支持を集めるようなことをするのもかなり違うと思うので、僕らなりの、「遅い」インターネット的なアプローチでこの問題を扱いたいと考えています。そのうちのひとつが『モノノメ』創刊号に掲載予定の、「東京2020/2021はどうあるべきだったか」と題した座談会です。これは、6月に開催したトークイベント(僕が司会で、乙武洋匡さん、門脇耕三さん、岡島礼奈さんが出席)の採録に大幅筆修正を加えたもので、僕たちの6年前の計画を再検討しながら、このオリンピック/パラリンピックはどう扱うべきだったのか(そもそも必要なのか)、そもそも21世紀においてスポーツとはどうあるべきなのか、メディアの問題、社会の多様性の問題、民主主義の問題と、網羅的に、縦横無尽に、とことん議論しています。たしかにこのオリンピックは……さすがに酷すぎる。今の日本のダメな部分の象徴というか、失われた30年の帰結でもあるだろうし、世界的にはコロナ・ショックに翻弄された人々の失敗例の代表のようなものになっていると思います。そして僕たちは「だからこそ」、うっぷんを晴らすための道具にこれを使うのではなくて失敗からできるだけたくさんのものを引き出して、学び倒して、そしてこれからの社会で何を作るのかという議論につなげていきたいと思います。本当はこの茶番に関連した世論の沸騰を、動員に使うのが商売としては正解なのだと思うけけれど、そういうことをやってすり減らずに済む「考える場」をつくるのがこの雑誌の目的です。それでは、(連休中だけれど)編集作業に戻ります!