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茨城県龍ケ崎市で大正3年から続く老舗の煎餅屋「鍵林」の味を守りたい

茨城県龍ケ崎市で107年の歴史をもつ老舗煎餅屋「鍵林」が、新型コロナウイルスの影響で存続の危機に見舞われています。伝統の味はなんとしてでも守るという思いからクラウドファンディングに初挑戦します。コロナ禍で誰もが大変な状況ですが、地元の方々に愛されて続けてきた鍵林伝統の味を一緒に守って頂けませんか?

現在の支援総額

1,346,800

134%

目標金額は1,000,000円

支援者数

211

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/08/12に募集を開始し、 211人の支援により 1,346,800円の資金を集め、 2021/10/26に募集を終了しました

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茨城県龍ケ崎市で大正3年から続く老舗の煎餅屋「鍵林」の味を守りたい

現在の支援総額

1,346,800

134%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数211

このプロジェクトは、2021/08/12に募集を開始し、 211人の支援により 1,346,800円の資金を集め、 2021/10/26に募集を終了しました

茨城県龍ケ崎市で107年の歴史をもつ老舗煎餅屋「鍵林」が、新型コロナウイルスの影響で存続の危機に見舞われています。伝統の味はなんとしてでも守るという思いからクラウドファンディングに初挑戦します。コロナ禍で誰もが大変な状況ですが、地元の方々に愛されて続けてきた鍵林伝統の味を一緒に守って頂けませんか?

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今日は、仲良しの友達と会食。美味しいものを食べて、(マスクをしたまま)声が枯れるほどお喋り(^^♪・・・にんまりしながら夜になって、やっと出勤しました~。れれ?、机の上の白い袋はなんじゃいな?それはーーー素晴らしい「御色紙‼」 でした♡ ・・(「わあ~きゃ~」は私の歓声です(^^)利根町の寺島孝明様と言う方からのプレゼント!(ですよね?)届けてくださった寺島様、本当にありがとうございました_(._.)_鯛を抱えた恵比寿様、素晴らしい笑顔ですね!見ていると、こちらまで笑顔になってしまいます(*‘∀‘)その上、鍵林のロゴや、私の名前まで書いていただきました~(^O^)/光栄です!嬉しいです!家宝にします!メールで学生さんに褒められ、お店にいらしたお客さんに褒められ、今日また恵比寿さんを頂いて、どうも私は、舞い上がって、いい気になってしまいそうです、威張るかも?そうしたら、私は、「イヤ~なオババ」、になってしまうでしょうから自戒します(^^)/社長になったとき、三つの誓いをたてました。「裏切らない 奢らない 妬まない」苦しい時にお世話になったときのご恩は決して忘れない・・という決意。(クラウドファンディングで支援してくださった皆さんも一緒です。)そして、ちょっと状態が良くなった時にいい気にならない。奢らない・・という決意。(私が、頑張ったとから・・とか、鼻の穴が上を向いたり・・とか)妬まない。今は奢らない気持ちが大切ですが、少しゆとりができて見回したら、あ、私より凄い人がいる、とか、うらやむ気持ちを捨てる、と言う決意。少し忘れかけてきたこの気持ちが、今は大切だな~と思います。だって「猿もおだてりゃ木に登る」と言うじゃありかせんか!私、申年ですから~(;^_^今日もたくさんのご支援(その上にご支援の御色紙まで!)本当にありがとうございました♡心よりお礼申し上げます<m(__)m>


もう秋だね
2021/09/11 19:21
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        (ハウルさんの写真・・薔薇の終わり?年とってもこうありたい(;^_^)なんとなく、まったりした秋の日。緊急事態宣言解除の日だったのに・・あきらめが悪い私。こんな日は食欲が出る(?‥することないから。滅法暇だし・・工場休みだし・・)「大得さ~ん(パートさんの名前) 、お昼、天丼でも取ろうか‥」「私は結構です!」(太るから?)「天竜さん、もうありませんよ!」「あ、あ、あ~そうだっけ!ご主人が亡くなってお店閉めちゃったんだね・・」残念無念、太ってもいいから食べたかったのに・・ころもが厚ぼったくて味が濃くて、上に乗った海老天も、イカ天も、しし唐もいい味で、全部食べちゃって、ご飯だけは残そうと思っても、ご飯にも美味しい汁がしみているから、美味しくて綺麗にどんぶりが空になる。もう食べられないなんて‥ちょっとつらいわぁ・・数年前に他界したケーキ屋さんアルブルさんのフォーレノアール。アルブルさんは私がお誘いしてサプラに出店した仲。私が大好きだったのをご存じで誕生日にホールのままのフォーレノアールを頂いた。サクランボとチョコと生クリームの絶品。ほとんど一人で食べてしまった(怖!)もう食べらない・・サプラ出店の際、最初に声をかけてくれた石嶋落花生さん。豆菓子も美味しかったけど、奥様のけい子さんの味噌ピー、大好きで二日で一袋食べちゃったことがある(しょっぱくて、甘くて食べ始めたら止まらない・・怖!)もう、閉店されたので、手に入らない・・体重も糖尿病も犠牲にしてもよいからもう一度食べたいなあ・・ね、だから、鍵林のお煎餅は何が何でも継続したいのですよ♡お客様の皆さんの為とか言いながら店主の私が、うちの煎餅が食べられなくなったら淋しい(-_-;)母の味の浮かれ河童が亡くなったら悲しい。コンソメ揚げ餅もマヨ韓もなくなったらヤダ‼今日もたくさんのご支援を頂きました(^^♪ オババと同じように「ヤダ‼」と仰ってくださる皆さん、皆さんがずーーーーっと鍵林のお煎餅が食べ続けられるよう、頑張りますからね(^^)/本当にありがとうございました<m(__)m>


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       (可愛い小鳥の写真、宮崎征志さんにお借りしました。モズですって!)昨日、今日と歩いていたら金木犀の香りが辺りに漂っているのに気がつきました(*‘∀‘)数年前までは金木犀が咲くと(あ、10月になったんだ!)と気づいたのに、この頃は花の咲くのが早いこと早いこと(;^_^・・そう言えば桜も早かったなぁ‥花々よ,そんなに咲き急いでどうするの・・?金木犀が咲くと亡き叔父を思い出します。市内で医師をしていたので、子供の頃はとても可愛がってもらいました(^^♪金木犀が咲くと持病の喘息が起こるので、好きな花なのに、咲くと機嫌が悪くなり、ちょっと騒ぐと「うるさい、うるさい」と言われて・・(*‘∀‘)聴診器を耳に当てて微妙な身体の変化を聴き分けるので、私が騒ぐと「うるさい!」だったのでしょう・・でもチョコレート大好きで、ジャズが大好きでスタンリーブラックなどのこンサートにも連れて行ってもらいました。私のチョコ好きも叔父の影響かも・・後年は浮かれ河童が大好きで、浮かれ河童しか食べなかった・・(*‘∀‘)叔父が亡くなったのは、祖母、父、弟、主人と次々に亡くなって私が慣れない仕事に頑張っていた時だったので、看病にも行けないまま・・・・お墓参りにはいつも浮かれかっぱを持っていきました。金木犀の香りを嗅いだら、ふっと叔父のことを思い出しました。子供の頃はいつも傍にいたけど、今の私の年より若い72歳で自分の駅に降りていきました。このコロナ禍でお家でみんなで過ごしているみなさんに大声で言いたい♡本当は今、とても貴重な時間なんですよ~じっくり家族の良いところを見つけてほめてあげてください。いつ別れが来るかわからない人生なのだから、話をしたり、好きな音楽を一緒に聞いたり、チョコレートをつまんだり・・毎日一緒でイヤになる、なんて思わないでね(^^♪私のように失ってしまってからでは遅いのよねえ(T_T)今日もたくさんのご支援を頂きました。金木犀の香りに包まれて幸せ気分のお礼です。本当にありがとうございました<m(__)m>


がくーん
2021/09/09 19:08
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茨城県の緊急事態宣言は、12日の日曜日に解除になると、勝手に思い込んでいたので、朝のニュースで9月30日まで19都府県がそのまま延長!と聞いてがくーんと来てしまいました~年を取ると、「思い込んだら命がけ♪」の歌(?何の歌?)ではないけれど、その思い込みから脱却するには相当時間がかかるんですよ(;^_^来週にはカラオケ付きの定例同窓会があるはずだったのに…今度こそは開催可能!と思ったのに・・がくーんです。同級生の友達が訪ねてきたので、「またもや中止になっちゃったよ~がっかり!」と言うと、ばっちり茨城弁で「シャーんめえ!我慢するしかなかっぺ~❣」としり上がりのイントネーションで明るく仰る(^^)/「うだね~。他にも大変な人がいっぱいいるのに、ぜいたく言ってらんないよね~」「うんだ、うんだそーだよ~、少し我慢すっぺよ!」「うんだうんだ!」 龍ヶ崎弁は、ほかの土地の人が聞くとまるで喧嘩をしているように荒っぽいらしい(*‘∀‘)でも、生まれも育ちも龍ヶ崎の私にはこの言葉使いが懐かしいし、面白くて元気になる(^^♪父は横浜母は東京生まれなので、若いころよく「言葉が悪い!」とたしなめられた(;^_^土浦の高校に行ったらもっとなまりがすごくなって、よく父に怒られた。「なんという言葉を使っているんだ、女なんだから少しはつつましく喋りなさい!」とかなんとか・・でも、龍ヶ崎弁や茨城弁大好き!いかっぺよ~楽しくて~(^^)/今日も沢山のご支援を頂きました。本当に感謝感謝です。ありがとうございました。_(._.)_ちなみに、パートさんの大貫さんが持ってきてくれた桔梗は、龍ヶ崎市の市花です。こんなにたおやかな紫色の花には「うだっぺ~!」は似合わないかな(*‘∀‘)


観音様
2021/09/08 20:20
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                (この写真は小林さんにお借りしました)私とすぐ下の弟は二つ違い。温和で優しい性格なので、両親はよく「あ~あ、上のが男で下が女だったら良かったのに・・」と慨嘆していました(;^_^家のすぐ近くに観音様があり、子供の頃の私は弟や友達とその境内でよく遊んだものです。お転婆の私は高いところから飛び降りて下駄(当時の子供の履物は下駄❣)を真っ二つに割って親に怒られたりしたけど、弟は高所恐怖症だったからそんな失敗は皆無。でも、そんな弟が38歳で不治の病に罹ってしまい、従弟が勤めていた埼玉医科大学で療養することになり、私と嫁さんが看病のため交互に3時間かけて毛呂山に通うことになりました・・ある日、私が病室に行くと弟は珍しく笑顔で、「夕べ、夜遅くに、凄~く綺麗な観音様がお供を2人連れて、そこの窓からはいって来たんだよ♡」と仰る。病院の窓は個室で大きな窓だったから。3人並んで入っては来れるけど病室は6階。幻覚でも見たのかなと思ったけど弟には「ふーん、あ、そう!」みたいな返事・・交代して龍ヶ崎に帰る道々、弟の話が気になって観音様に寄ってみることに・・その時見た額に、あ、そうか・・だから観音様が来てくださったのか~と、納得した言葉が書いてあったのだけど、もう30年以上も前の話、言葉はすっかり忘失してしまった。でもこの話が書きたくて、夕方急いで観音様に出かけ、賽銭箱の上に架かっている額を見を確認しに行きました。けれど残念!当時の額はもう無かった(;^_^境内に子供の頃一緒に遊んだ住職さんがいらした。幼馴染だから嬉しい。弟の肇のことを話すと「ああハジちゃん!(肇の愛称)覚えてるよ!三歳年上ですごく優しい先輩だったなあ・・」病室に入ってきた観音様の話をすると、「確かに、観音様は二人お供を連れていますよ。観音様のお言葉は『抜苦与楽』と言うんですよ」教えていただいた。『抜苦与楽』(ばっくよらく・・苦しみを取り除いて楽を与えてくださる)そうだ!あの額にそう書いてあった!だから意味を調べて解ったときとき、すごく嬉しかったのだと納得しました。弟はその後39歳で夭逝してしまったけれど、優しい観音様の元できっと幸せに暮らしているに違いない。今も私はそう信じています(^^)/今日は長々と身内の話をしました。明日は何を話そうかな・・今日もご支援、ありがとうございました<m(__)m>同級生のオミちゃんも苦労して支援してくれました。私の後ろにも観音様がいるかも・・幸せだなあ(*‘∀‘)