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16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

現在の支援総額

3,096,500

206%

目標金額は1,500,000円

支援者数

322

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,096,500

206%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数322

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

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「国ガチャ」「時代ガチャ」だってある今年の流行語大賞のひとつに「親ガチャ」という言葉があります。そもそも、大前提として、私たちはこの時代に「ヒト」に生まれることすら選んだわけではありません。そしてほとんどの人はまだ地球を離れて生きることはできません。その中で、日本に生まれた私たちは、良い「国ガチャ」を引いたと言えるのかもしれません。15歳まで義務教育を受けられるシステムがあり、道が整備され、蛇口から水が出て、医療も受けやすい環境にある。もちろん個人差はあります。生き辛さを抱える人も多くいます。でも(誤解を恐れずに言ってしまうと)生きるハードルは低い国だと言えるのではないでしょうか。クーデターってどんなこと残酷な画像にご注意ください11月の研修で、中学生の皆さんにガチャカードを引いてもらいました。クーデターと聞いても、多くの中高生はよくわからないと思ったのです。いつもと同じ平和な朝が来ると信じていたのに、ある日、突然日常が奪われていく。「夜、父親が連行され、翌朝、遺体で戻る」「外で遊んでいた弟が撃たれて死ぬ」これがいま、ミャンマーの人々の暮らしの中にある現実です。カードをただ引くみたいに、突然自分に不幸が襲いかかる。それが、クーデターではないかと思います。軍によって村が焼き尽くされたチン州タンタランの様子を伝えるTwitter「自分の国じゃないから関係ない」「そんな国に生まれたんだから仕方ない」それで済ませてよいことなのでしょうか。そもそも、私たちの国は、永遠に平和なのでしょうか。これから先、海外で暮らす人もいると思います。誰にでも起こりうることだと思います。きっと伝わる。だからためらわずに伝えたい。ミャンマーにゆかりのある高校生イベントでは、ミャンマーの民族問題、日本のODA、クーデターがなぜ起きたのか、そして危険な場所であってもジャーナリストが取材を続ける意味についてなど、たくさんの講師の方にご協力を頂き、お話していただきました。そして国際社会の中で、自分に何ができるのかを中学生と一緒に考えました。イベント後、「いつかミャンマーに行ってみたい」「僕が今度はミャンマーを伝えたい」「若い人たちの力が必要とされている」「もっと社会のことを考えなくては行けないと思った」など、ご紹介しきれないほど、たくさんのポジティブなメッセージを頂きました。私たちは、無関心なんじゃなく、知る機会がないだけ。だから、多くの人から話を聞きたい。そして、ためらわずに伝えたいと思います。クラファン、開始後10日で90%を超えるご支援をいただきました。2月1日までまだまだ走り続けます。ミャンマーにご縁のない方、私の同世代にも、ミャンマーのことを知って欲しい。かるた製作はスタート地点です。どうぞ引き続き、応援をお願いいたします。(野中優那)リーフレットご希望の方、またリーフレットを配布、設置をご協力頂けます方は、是非ご連絡ください。yangonkaruta@gmail.comCAMPFIRE、Facebook、Instagram、Twitterでも承ります。ご負担のない、様々な方法で、応援をお願いいたします。


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クラウドファンディングに協力してくださった皆さま、この度はありがとうございます。プロジェクトメンバーの石川です。今回はヤンゴンかるたを使った課外活動について書いてみようと思います。 11月13日(土)、20日(土)に聖学院中学校さんで実施した出張ワークショップに、自分も運営として参加してきました。1回目は「ミャンマーの概要やクーデター後の現状」、2回目は「国際社会の中でできること」をトピックに、ゲストを招いて実施しました。身を乗り出すように真剣に話を聞いてくれる一方、カルタやクイズなどアクティビティの時はワイワイと賑やかな中学生たちの様子はとても微笑ましく、真っ直ぐにプログラムに取り組んでくれていることが伝わってきました。(上から目線になってしまいましたが、僕より、みんなしっかりしていたと思います…)ミャンマーの食と電力事情のクイズミャンマーの状況に目を向けようとしてくれた中学生たちの言葉から、色々なことを教えてもらうと同時に、自分も頑張らなければ、と刺激を受けたワークショップでした。グローバル教育の現場では、国際社会で必要とされる「スキル」や「知識」を身につけることも大切ですが、世界で起こっている不条理やそこに生きる人々に想いを寄せることのできる「心」を養うことが何より大切だと思っています。ヤンゴンかるたが、日本全国の子供たちにそんな心を持ってもらうきっかけの一つになったら嬉しいです。講師のお話は自分たちの学びにもなりましたこれからも、カルタという身近な文化を生かしたさまざまな取り組みによって、日本とミャンマーを繋ぎ、両国の未来を明るく照らす一助となれるよう頑張っていきたいと思います。引き続き応援をよろしくお願いします!(石川航)


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こんにちは。メンバーの晴一朗です。僕は去年の4月までヤンゴンに住んでいた。コロナで東京に一時帰国した後も、ヤンゴンのインターナショナルスクールのオンライン授業をずっと受けてて、いつになったらヤンゴンに帰れるのかなと思っていた。授業中のできごと今年の2月、クーデターが起こったあとは、ヤンゴンではインターネットがうまくつながらなくて、授業に参加できない友達も増えた。ある日、授業中に友達がチャットで「家の前で兵士が銃を持ってる!どうしよう!」と言ってきた。すぐにほかの友達が「窓から離れて」とか「声を出さないで」と返信したけど、僕は何て言ってあげたらいいかわからなかった。僕だけが平和なところから授業に参加していたのはイヤだった。オンライン授業中次に会う日までその後、僕は東京で中学校に入学した。新しい友達や先生になるべくミャンマーの話をするようにした。僕は次にいつミャンマーに行けるかわからない。でもまたヤンゴンの友達には絶対に会いたい。その時までに僕は東京の友達にもっともっとミャンマーのことを知ってもらいたいと思っている。(木中晴一朗)バガンのお寺で鐘をつくー保護者よりー大人ができること何事にも幼かった息子が、自分のことばかりではなく周囲のために何ができるかということに目が向き始めたように、ミャンマーでの様々な出会いや経験は私たち家族の考え方にも大きな影響を及ぼしたように感じます。「ヤンゴンかるた」のクラウドファンディングにおいては、私たち保護者も返礼品選びにアイディアを出したり、ミャンマーに関わる場所にリーフレットを置いていただいたりといったサポートをしていますが、あくまでもプロジェクトの中心となるのは若者たち。これからも彼らの活動をすぐ近くで精いっぱい応援しながら、見守っていきたいと考えています。プロジェクトの終点はクラウドファンディングが開始され、多くの方々に温かいご支援をいただいています。どのご寄付も大変にありがたく、またメッセージにも励まされています。同時に、私自身も今まで社会に対してどう向き合ってきたか、「自分ごと」と考えアクションを起こしてきたことが一体どれだけあったのかということを考えさせられる毎日です。若者も、大人も、未来のために種をまく。今日まいた種が芽吹き大きな木となり、その種がまた飛んでいく。そんな気の長い支援のプロジェクトですが、いつかミャンマーと日本の若者が共に語り合い、行動できる日のために、今後ともどうぞよろしくお願いします。


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悲しいニュースがつづく平和的なデモをする若者に国軍の車が突っ込み、轢き殺した事件で、若者の命がまた失われた。撮影していた人も連行されたと聞く。家族のもとに、無事に帰ってこれることを心から願う。多くの日本人にとって、信じられない非道な行為かもしれない。上層部の指示なのか、末端の暴走なのか。同じミャンマー人同士なのに、道徳心はないのか。普通はそう考える。久しぶりにニュースになったけれど、2月下旬以降、いつもどこかで起きている。もっともっと酷いこともたくさん起きている。目の前に目障りなデモ隊がいた。だから突っ込んだ。その程度の気持ちなんじゃないか、と正直思う。私にはわからないこと私もクーデター当初は、信じられなかった。良心があるなら、誰もが間違いに気付くはずだと思っていた。ある人から、「兵士の中には、誘拐され、教育をまったく受けず育ち、「打て」と「待て」しかわからないような人もいる。彼らは国軍の世界しか知らず、それ以外をすべて敵だと思っている。彼らにとってそこは食事が提供され生きられる場所。だから自分の行為が間違いだと思っていない」と聞いたとき、先進国で当たり前に教育を受け、生きてきた自分には、見えないことがたくさんあると知った。私はミャンマーに住んでいたけれど、ミャンマー語も話せないし、歴史も知らない。ミャンマーの文化や民族問題もよくわからない。だから本当は、あまり語るべきじゃないと思っている。クーデターの記憶クーデター後は、買い物に出る時も、下を向いて歩いた。平和だった街にバリケードがはられ、兵士が銃を持って立っている。誰かと目が合って、万が一日本人の私が撃たれたり、連行されたりすれば、国際問題に発展してしまう。3月に入り弾圧が激しくなってからは、ほとんど外出しなかった。オンライン授業を受けながら「近くで銃声が聞こえる」と怯えるクラスメイトを見て胸が苦しくなったり、いつも買い物している場所で人が殺されたとSNSを見て驚いたりすることはあっても、私はいつも安全な場所にいた。だから、クーデターを経験したと言っても、それほど多くを知っているわけではない。でも、コロナの中でも粛々と過ごし感染者が減り、新年を待っていた人々の暮らしが、一変したあの日。理不尽に通信を制限され、平和的なデモに武力による制裁が始まり、恐怖と怒りと悲しみと焦り、言葉にできない感情がミャンマー中に広がっていった感覚を、間違いなく知っていると思う。日本に帰国して、強く感じた違和感を、忘れたくないのに、その記憶はどんどん失われていく。だからいつも思い出す。外で遊ぶ子供が銃で撃たれて死んだこと。父親や息子が国軍に連行され、翌日、遺体が返された家族のこと。村が焼かれ、山奥に逃げる人々。家族を殺され、武器をもち、防衛隊になると決めた若者。学校での学びを奪われた子供たち。進学や留学を諦めた若者。コロナや病気でほとんど医療も受けられず亡くなった人々。民主主義を求めて殺された人々のこと。ただ歩いていて殺された人々のこと。選挙に不正があったかどうかなんて知らない。原因は国民じゃなく政治にある。わかるのは、2月1日のクーデター以後、多くの人の命が奪われたという事実。その首謀者を世界中が知っているはずなのに。(野中優那)


僕をいかす
2021/12/06 00:26
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全部おいてきた僕は野中家の末っ子で、中学1年生です。ヤンゴンのインターナショナルスクールに通っていました。コロナ前は、友達とサッカーをしたり、プールで泳いだり、何も考えずに、ただ遊んでいました。コロナとクーデターが起きて、僕の友達はそれぞれの国に帰国していきました。僕も母から「明日、日本に帰ることになったよ!」と言われて、お気に入りのサッカーボールもSwitchも、全部ヤンゴンに置いたまま日本に帰国しました。日本の中学校に編入した後も、時々、モンゴル人の友達とはゲームするけど、ミャンマーの友達がどうしているのか、わかりません。もしミャンマーに戻れるなら、僕はヤンゴンの学校にまた通おうと思っています。いろいろ置いてきたから。僕は積極的な活動は得意じゃないオンライン授業を受けているとき、『コロナ禍で懸命に働く人々』の写真の課題が出ました。僕は日頃から写真を撮ることが好きだったので、あまり意識もせずに、提出をしました。それが、イギリスの財団のコンテストで、18歳以下のクラスで優勝しました。オークションで50ユーロで売れて、それが途上国の学校建設に寄付されると聞きました。えー、なんで、僕がもらえないの?って僕は思った。コンテストで優勝したヤンゴン川の写真できることをするだけ僕は正直、ボランティアに興味もないし、ミャンマー支援と言われてもあまりピンとこない。僕にとっては特別じゃないことだったけど、兄と姉にはすごく褒められた。「すごい気付きをもらった」と言われた。あまり表に出なくても、積極的に発言をしなくても、自分の好きなことで、何かできるのかもしれない。ヤンゴンの裏路地を撮影中ヤンゴンの環状線はJRの車両が使われているプロジェクトは写真と、英語の翻訳やナレーション、映像制作などに関わっています。(野中茂壮)