ミャンマーの今とこれから12月18日(土)に、世田谷区の講座にて、認定NPO法人 CFFジャパンさんによる『ミャンマーの今とこれから』多文化理解講座(せたがや国際交流センター主催 世田谷区後援)が三軒茶屋キャロットタワーにて開催され、そのなかで私たちの「ヤンゴンかるたプロジェクト」を紹介する機会を頂きました。講座にお集まりの多くの方々の前で、実際のかるたのサンプルやクラウドファンディングの返礼品の紹介をしながらメンバーの思いやヤンゴンの現在などお話しできたことは大変ありがたいことでした。「以前にミャンマーに住んでいたから」「ミャンマーの生活を知りたいと思って」など、参加者の方のミャンマーとの関わりやご興味などたくさん伺うことが出来ました。他世代で遊べるかるたかるたのサンプルを手にとって「孫とこれで遊んでみたい」というお言葉を頂けたこともとても嬉しいことでした!そして多世代で遊べるかるたというツールの楽しさを改めて感じました。残念ながらお正月には間に合いませんが、ぜひ!手に入れてみて下さい。講座の中では、ミャンマーの児童養護施設での生活や日本野菜の栽培による農業支援の話など、大変興味深い話を聞くことが出来ました。「ヤンゴンかるた」プロジェクトメンバーの多くはヤンゴン都市部の生活しか経験がありません。日本の1.9倍の国土をもつ意外と(?)広いミャンマーのことをもっと知りたいと思った一日にもなりました。リターンの実物やかるたサンプルを実際に見て頂きましたCFFジャパンの皆様、世田谷区国際交流センターの皆様、本日は貴重な機会をありがとうございました。中学1年生のメンバーが当日つくった資料です(木中)
ヤンゴンで社会人体験中学2年生の時、私はミャンマーのLive the Dreamという会社で、職場体験をさせて頂きました。初めての社会人体験がヤンゴン。今思い出すと貴重な経験でした。Live the Dreamは、ミャンマーの若者に職業を紹介するビデオを作る会社です。ミャンマーには職業の多様性や「職業を選択する」という意識がまだ若者の中に浸透していないそうです。ロールモデルを紹介することで、若者が職業を知り、将来像を描き、学び、働く社会を目指していると聞きました。ボディービルダーさんの取材に同行したり、実際に動画のストーリーラインを書かせていただいたり、ミャンマー人のスタッフさんとランチをしたりしました。一緒に食べたシャンカウスエが美味しかったです。ミャンマー人スタッフの方から聞いたお話が、とても印象的でした。「両親にご飯をご馳走したい」と同僚からお金を借りたのに、そのお金を道中で困っている子どもたちに全て渡してしまい、両親にご馳走はできなかったそうです。当時、話を聞いたときはびっくりしました。もっと驚いたのは、周囲が「それはいいことをしたね」という反応だったことです。驚くことに、そういうエピソードはミャンマー中にたくさんあって、珍しいことではありませんでした。お互いに助け合ったり、ドネートしたりすることが、日常の一部なんだと感じました。世界人助け指数、日本は最下位ところで、2021年のworld giving index(Helping a stranger, Donating money, Volunteering timeの3項目)で、日本は総合最下位だそうです。ちなみにミャンマーは4位でした。こういう指標に対しては、さまざまな意見や見方があると思いますが、人を助ける人が少ないということは、自分が困ったときに助けてもらえないということなんだな、とこの記事を見て思いました。そもそもホモ・サピエンスは、生物的に弱く助け合ったからこそ繁栄したと聞いています。(by兄)お互いの思いに寄り添って助け合って生きること、つまり共助・共存といったことは、私たちが本能的に持っているものだし、人間らしさそのものと言えるのかもしれません。私たちは、思いがけなくたくさんのご支援をいただきました。改めてご支援に感謝し、活動に対して責任の重さも感じています。いよいよ、ミャンマーにかるたを届ける活動を開始します。現在セカンドゴールに向けて、話し合いを始めています。皆様には引き続きクラファンへのご支援、そしてミャンマーを知る支援、伝える支援をお願いします。(野中優那)
新しい時代を生きる感覚ミャンマーのクーデターに対して「これまでも軍事政権だったんだし、仕方がない」「軍は変わらない」と言う人がいます。今年の2月にクーデターが起きた直後から、ミャンマーの若者は、歌を歌ったり音楽を奏でたり警察官に花束を渡すなど、非暴力で平和的なデモを行い、SNSを活用して世界に発信していました。それは、国際社会へのアピールでした。過去の歴史がどうであれ、「武力による支配はあり得ない」と誰もが思っていたからです。「この理不尽を国際社会が許すはずがない」ミャンマーの若者は誰もがそう思っていたはずです。実際、ミャンマーで暮らす私も、国際社会が黙って見ているはずがないと、信じていました。これまで深く考えたことはありませんでしたが、今の時代を生きる私たち(Z世代とか言われても全然ピンときませんが)は、ミャンマーに住んでいても、日本に住んでいても同じ「世界市民(地球市民?)」だという感覚を持っているのではないかと思います。それなのに、国際社会は目を背け、彼らのSOSに答えませんでした。私はミャンマーにいて、この過程をみている間、仮に日本が某国から支配されたり侵略されたとしても、国際社会は助けてくれないのだ、と危機感を覚えました。そしてミャンマーの問題に対して無関心でいることは、日本の未来に対して無関心なことと同じなのではないか、と思ったのです。日本の学びの矛盾日本では、道徳の授業の中で、いじめに関して「傍観者は加害者と同罪だ」と教えます。私はこの意見に反対ですが、賛同する人は少なくありません。日本は、ミャンマーの現状に対し、傍観者になってはいないでしょうか。傍観者が加害者と同罪であるならば、ミャンマーの若者が追い詰められ、武器を持つようになったことも、地方で弾圧が強まり、多くの避難民が出ていることも、国際社会がミャンマーの問題を傍観し続けた結果だと言えるのではないでしょうか。(日本で教える道徳は、所詮建前なのでしょうか。道徳の教科書に「※政治や外交には通用しません」「※理想と現実は違います」など、注釈が必要ですか?正直、私は道徳の授業にはうんざりでした。)私たちにできることは何かクーデター発生から弾圧が激しくなっていく3月までヤンゴンにいて、一番強く感じたのは「国際社会は何かできないのか」ということでした。もし私たちがGLOBALCITIZENなら、国際社会は、一方的な武力による理不尽を許すはずがありません。内政干渉など、複雑な政治問題がよく話題に上がるけれど、人権が侵害されている現状に対し、傍観することが正しいとは思えません。「もっと早い段階で、何かできたのではないか」と今でも思います。ミャンマーで起こったことは、他人事ではありません。同じ「世界市民」である私たちは、自分の住む世界で、起きている全ての出来事に対して、当事者です。私は常に対話できる人になりたいです。そのために今何をするべきなのか、プロジェクトのメンバー、そして皆さんと一緒に考えたいと思います。(野中優那)
コロナ禍、日本に帰国高校1年生のSAYAです。2019年4月から父の駐在でミャンマーに住んでいました。新鮮な環境に身を置きながら、充実した毎日を過ごしていました。でも2020年になり、コロナが蔓延し始め、私たちは日本に避難することとなりました。1ヶ月くらいでまた戻ってこれるんじゃないか、2ヶ月もいたら長いほうだ、と当時の私は思っていました。だから、着の身着のまま帰ってきました。けれど、日本に帰ってきてから何ヶ月経っても、戻れる気配はありませんでした。半年が過ぎた頃にようやくコロナは落ち着き始め、父はミャンマーに帰っていき、私も帰れる日を今か今かと待ち望んでいました。対面でミャンマーの学校や塾に行きたい。友達と遊びたい。プールで泳ぎたい。置いてきた物が恋しい。ミャンマーで観光地らしき場所は、シュエダゴンパゴダとゴールデンロックしか行ってない。インレー湖やバガンにも行きたかった。やりたいことは、考えれば考えるほど出てきました。クーデターを日本で知る2020年2月1日。クーデターが起こったと知りました。私のミャンマーへ帰る道は、一気に閉ざされた。ミャンマーの方が感じた絶望感は、私のそれとは比べ物にならない大きさであることはわかっています。その時は恥ずかしながら、ミャンマーにいる父の心配より、ミャンマーの方々の心配よりも、自分が帰れないという絶望感の方が大きかったです。学校も塾もオンラインなのに、インターネットが繋がらず、休みになったりもしました。やっと繋がるようになると、画面越しにデモの音が響いています。ミャンマー人の英会話の先生が「これからデモ行ってくるから」とまるで買い物に行くかのように言っていたのは、衝撃的でした。同時に、それくらいミャンマーの人々の生活に、デモが根付いてしまったことを実感しました。ニュースやSNSで見るミャンマーの姿は、私が知っているあの穏やかなミャンマーではなく、私に向けてもらったあのたくさんの温かい笑顔も消えているように感じました。クーデターは、彼らの人生を大きく変えてしまいました。生活も、性格も。未来も。私はただただコロナもないクーデター前のミャンマーに戻りたいだけなのに。きっとそれは、ミャンマーの方も同じだと思います。政治的なことや難しいことはわからないけど、その気持ちはほんの少しですが分かっているつもりです。この先、また平和で美しいミャンマーに戻ってほしい。でもあの時と同じではありません。私も、中学3年生のままではないから。ただただ、あの時のミャンマーに戻りたい。私は滞在期間も短いし、実際にクーデターを体験したわけでもないけれど、クーデターによって失われた、私が知っているあの頃の平和で美しいミャンマーをたくさんの人に知って欲しいと思ったから、ヤンゴンかるたの活動に加わりました。それがあの頃のミャンマーに戻る、第一歩な気がしたからです。(石田紗也)
受験中に起きたクーデタークーデター当日、僕はミャンマーからドイツの大学に出願をする予定でした。ネットが遮断されると聞き、困惑しました。アウンサンスーチーさんが早朝に拘束されたと聞いて、何が起こったのか、最初はよくわかりませんでした。その日はなんとか出願ができたものの、度重なる通信遮断により授業や試験に支障が出て、米英の先生方の多くが帰国を始め、厳しい時差の中でオンライン授業をすることになりました。一緒にドイツ語を学んでいたミャンマーの友達が「ネットが繋がらず参加できない」「デモに行ってくるから、授業を休みます」と言うことが、次第に増えていきました。そして3月の末、後ろ髪を引かれる思いと、どんどん深刻になるヤンゴンの状況に不安を感じながら、卒業を待たず、日本に帰国しました。 シャン州の子どもたちとあやとりをする僕とにかく生きるための支援当時、コロナで疲弊した経済状況の中過ごしてきた人々が、抗議活動によってますます貧困化していきました。ヤンゴンなどの都市部では野菜が高騰し、地方では作物の価格は大暴落しました。それでも彼らは抗議活動をやめようとはしませんでした。それは未来を、希望を、失うことだからです。日本でもクラウドファンディングによる資金調達があり、貧困世帯への食料支援が始まっていま した。とにかく生きる。そのためには食べなくてはいけない。だから食糧支援はもっとも大切だと思います。でも、僕には気になることがありました。僕は学習障害があり、公教育、高校受験、さまざまな状況下で、普通の生徒と同じように学び進学することができませんでした。いつ自分の学びが閉ざされてしまうのか、と常に不安を感じていました。だから、ミャンマーの子どもたちの学びが奪われていることに対して、危機感を感じていました。ミャンマーを発つ前、ミャンマー人の先生に、勉強道具、洋服、日本語の教科書など、さまざまな物資をお渡ししました。子どもたちに少しでも日常に楽しさを感じて欲しくて、ピアニカ、リコーダー、ぬいぐるみなども渡しました。そして僕は一番気になっていたことを聞いてみました。「ヤンゴンの子どもたちの学校は始まりましたか?コロナでずっと休校や、オンラインの授業が 続いていて、学びが止まっていますよね」すると先生は言いました。「軍はもうすぐ学校を再開すると言っていますが、親たちは子どもを学校に通わせないと言っています。軍政下で、親は子どもを学ばせたくない」子どもたちに学びの継続をそれを聞いてハッとしました。確かに、軍事政権下での学びは、偏向教育の可能性が否めない。子どもを人質に取られる危険性もある。先生はクーデター以前から、過去のミャンマーの教育(極端な暗記教育、自らの考えを育てない教育など)を問題視していました。逆に学校に通うことで、CDM(市民的不服従運動)に参加する人々から非難される場合もあると聞きました。都市部のヤンゴンでは、進学率も上がってきましたが、まだ児童労働の問題があり、高校を卒業できる子どもの割合も低く、職業の多様性もありません。先進医療や高度な科学を勉強するためには、英語を学ぶ必要もあります。近年、日本のJICAの協力を得て、教科書が変わり、ネットの普及で世界を知るようになり、ミャンマーの若者の意識は大きく変わりつつありました。僕たちがヤンゴンに住んでいる間、ショッピングセンターが続々と建設され、スーパーマーケッ トで売られる商品の品質が改善され、お洒落なカフェやレストランがどんどん増えていました。環状線の古い線路は新しく張り替えられ、近い将来、日本の鉄道が走る準備が始まっていました。かるたの写真を撮っていた2019~2020年頃の様子新型コロナの厳しい自粛政策の下、感染者数が減り、経済活動と学校の再開を心待ちにしていた矢先、クーデターが起きたのです。僕は日本人です。ミャンマーに住んでいても、病気になれば日本で先進医療を受けることができます。ミャンマーでクーデターが起きれば、日本に帰国して、日本の教育を受けることができます。僕は学習障害があっても、インター卒業後、オランダの大学に進学しました。僕たちと同世代の若者は、もしかしたら海外進学が決まっていたかもしれない。夢の実現のために、勉強したいことがあったかもしれない。クーデターによって起きた経済的な問題、ビザの取得問題、学校の長い休校や親の考えによる不登校。それらは、子どもたちから未来を奪っているのではないか。そう考えた時、何かしなくてはいけないと思ったのです。政変によって奪われるのは、目の前の命だけではありません。子どもたちの学びを奪うことは、個人と国の未来を奪うことです。(野中宏太郎)8/18のFBの記事




