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16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

現在の支援総額

3,096,500

206%

目標金額は1,500,000円

支援者数

322

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,096,500

206%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数322

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

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コロナ禍、日本に帰国高校1年生のSAYAです。2019年4月から父の駐在でミャンマーに住んでいました。新鮮な環境に身を置きながら、充実した毎日を過ごしていました。でも2020年になり、コロナが蔓延し始め、私たちは日本に避難することとなりました。1ヶ月くらいでまた戻ってこれるんじゃないか、2ヶ月もいたら長いほうだ、と当時の私は思っていました。だから、着の身着のまま帰ってきました。けれど、日本に帰ってきてから何ヶ月経っても、戻れる気配はありませんでした。半年が過ぎた頃にようやくコロナは落ち着き始め、父はミャンマーに帰っていき、私も帰れる日を今か今かと待ち望んでいました。対面でミャンマーの学校や塾に行きたい。友達と遊びたい。プールで泳ぎたい。置いてきた物が恋しい。ミャンマーで観光地らしき場所は、シュエダゴンパゴダとゴールデンロックしか行ってない。インレー湖やバガンにも行きたかった。やりたいことは、考えれば考えるほど出てきました。クーデターを日本で知る2020年2月1日。クーデターが起こったと知りました。私のミャンマーへ帰る道は、一気に閉ざされた。ミャンマーの方が感じた絶望感は、私のそれとは比べ物にならない大きさであることはわかっています。その時は恥ずかしながら、ミャンマーにいる父の心配より、ミャンマーの方々の心配よりも、自分が帰れないという絶望感の方が大きかったです。学校も塾もオンラインなのに、インターネットが繋がらず、休みになったりもしました。やっと繋がるようになると、画面越しにデモの音が響いています。ミャンマー人の英会話の先生が「これからデモ行ってくるから」とまるで買い物に行くかのように言っていたのは、衝撃的でした。同時に、それくらいミャンマーの人々の生活に、デモが根付いてしまったことを実感しました。ニュースやSNSで見るミャンマーの姿は、私が知っているあの穏やかなミャンマーではなく、私に向けてもらったあのたくさんの温かい笑顔も消えているように感じました。クーデターは、彼らの人生を大きく変えてしまいました。生活も、性格も。未来も。私はただただコロナもないクーデター前のミャンマーに戻りたいだけなのに。きっとそれは、ミャンマーの方も同じだと思います。政治的なことや難しいことはわからないけど、その気持ちはほんの少しですが分かっているつもりです。この先、また平和で美しいミャンマーに戻ってほしい。でもあの時と同じではありません。私も、中学3年生のままではないから。ただただ、あの時のミャンマーに戻りたい。私は滞在期間も短いし、実際にクーデターを体験したわけでもないけれど、クーデターによって失われた、私が知っているあの頃の平和で美しいミャンマーをたくさんの人に知って欲しいと思ったから、ヤンゴンかるたの活動に加わりました。それがあの頃のミャンマーに戻る、第一歩な気がしたからです。(石田紗也)


政変が奪うもの
2021/12/15 15:28
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受験中に起きたクーデタークーデター当日、僕はミャンマーからドイツの大学に出願をする予定でした。ネットが遮断されると聞き、困惑しました。アウンサンスーチーさんが早朝に拘束されたと聞いて、何が起こったのか、最初はよくわかりませんでした。その日はなんとか出願ができたものの、度重なる通信遮断により授業や試験に支障が出て、米英の先生方の多くが帰国を始め、厳しい時差の中でオンライン授業をすることになりました。一緒にドイツ語を学んでいたミャンマーの友達が「ネットが繋がらず参加できない」「デモに行ってくるから、授業を休みます」と言うことが、次第に増えていきました。そして3月の末、後ろ髪を引かれる思いと、どんどん深刻になるヤンゴンの状況に不安を感じながら、卒業を待たず、日本に帰国しました。シャン州の子どもたちとあやとりをする僕とにかく生きるための支援当時、コロナで疲弊した経済状況の中過ごしてきた人々が、抗議活動によってますます貧困化していきました。ヤンゴンなどの都市部では野菜が高騰し、地方では作物の価格は大暴落しました。それでも彼らは抗議活動をやめようとはしませんでした。それは未来を、希望を、失うことだからです。日本でもクラウドファンディングによる資金調達があり、貧困世帯への食料支援が始まっていま した。とにかく生きる。そのためには食べなくてはいけない。だから食糧支援はもっとも大切だと思います。でも、僕には気になることがありました。僕は学習障害があり、公教育、高校受験、さまざまな状況下で、普通の生徒と同じように学び進学することができませんでした。いつ自分の学びが閉ざされてしまうのか、と常に不安を感じていました。だから、ミャンマーの子どもたちの学びが奪われていることに対して、危機感を感じていました。ミャンマーを発つ前、ミャンマー人の先生に、勉強道具、洋服、日本語の教科書など、さまざまな物資をお渡ししました。子どもたちに少しでも日常に楽しさを感じて欲しくて、ピアニカ、リコーダー、ぬいぐるみなども渡しました。そして僕は一番気になっていたことを聞いてみました。「ヤンゴンの子どもたちの学校は始まりましたか?コロナでずっと休校や、オンラインの授業が 続いていて、学びが止まっていますよね」すると先生は言いました。「軍はもうすぐ学校を再開すると言っていますが、親たちは子どもを学校に通わせないと言っています。軍政下で、親は子どもを学ばせたくない」子どもたちに学びの継続をそれを聞いてハッとしました。確かに、軍事政権下での学びは、偏向教育の可能性が否めない。子どもを人質に取られる危険性もある。先生はクーデター以前から、過去のミャンマーの教育(極端な暗記教育、自らの考えを育てない教育など)を問題視していました。逆に学校に通うことで、CDM(市民的不服従運動)に参加する人々から非難される場合もあると聞きました。都市部のヤンゴンでは、進学率も上がってきましたが、まだ児童労働の問題があり、高校を卒業できる子どもの割合も低く、職業の多様性もありません。先進医療や高度な科学を勉強するためには、英語を学ぶ必要もあります。近年、日本のJICAの協力を得て、教科書が変わり、ネットの普及で世界を知るようになり、ミャンマーの若者の意識は大きく変わりつつありました。僕たちがヤンゴンに住んでいる間、ショッピングセンターが続々と建設され、スーパーマーケッ トで売られる商品の品質が改善され、お洒落なカフェやレストランがどんどん増えていました。環状線の古い線路は新しく張り替えられ、近い将来、日本の鉄道が走る準備が始まっていました。かるたの写真を撮っていた2019~2020年頃の様子新型コロナの厳しい自粛政策の下、感染者数が減り、経済活動と学校の再開を心待ちにしていた矢先、クーデターが起きたのです。僕は日本人です。ミャンマーに住んでいても、病気になれば日本で先進医療を受けることができます。ミャンマーでクーデターが起きれば、日本に帰国して、日本の教育を受けることができます。僕は学習障害があっても、インター卒業後、オランダの大学に進学しました。僕たちと同世代の若者は、もしかしたら海外進学が決まっていたかもしれない。夢の実現のために、勉強したいことがあったかもしれない。クーデターによって起きた経済的な問題、ビザの取得問題、学校の長い休校や親の考えによる不登校。それらは、子どもたちから未来を奪っているのではないか。そう考えた時、何かしなくてはいけないと思ったのです。政変によって奪われるのは、目の前の命だけではありません。子どもたちの学びを奪うことは、個人と国の未来を奪うことです。(野中宏太郎)8/18のFBの記事


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本日、目標額の100%を達成しました!ご支援・拡散していただいた皆様、本当にありがとうございます。ミャンマーを伝える「ヤンゴンかるた」がお手元に届くのを楽しみにしていてください。在日ミャンマーの方々と一緒に、募金活動やビラ配りをしていた時、立ち止まるのは高齢の方ばかりで、若者は私たちを見ないように通り過ぎていきました。決して無関心なわけではないと思いますが、政治や国際問題を避けていく同世代に、ミャンマーのことを、わかりやすく、伝えるための方法はないのだろうか。考えた末に辿り着いたのは、日本人に馴染みの深いかるたでした。ミャンマーと繋がりのある方に、ご支援をいただき、こんなにも短期間で達成することができました。皆さまのご期待と自分たちの行動に対する責任を改めて感じています。私たちは、ステップ1のかるた製作を実行できることになりました。けれど、ヤンゴンかるたの本当の活動はここからです。ヤンゴンかるたは、学校や地域でイベントや研修会をすることで、かるたの魅力をより発揮できます。札だけではわからない背景について、ICT機器を利用し、写真や動画によるライブ感のある説明を加えることで、より深くミャンマーを知る仕掛けがあります。遠く離れた場所で繋がり、オンラインでもかるたを楽しめる方法も考えていきます。今は私がかるたの読み手(=かるたキーパーと呼んでいます)をしていますが、全国にかるたキーパーとして活動できる方を増やしたいです。そのために、誰でも使えるようなシステム作りをしたいと思っています。日本を伝えるかるたをミャンマー語で製作し、ミャンマーで販売やチャリティも考えています。ミャンマーと日本、お互いの国をかるたで知った若者が、5年後10年後に交流する未来を思い描いて、私たちは活動しています。目標金額を超えるご支援を頂くことで、私たちは次の活動計画を進めることができます。未来をつくる活動を、ぜひ応援してください!(野中優那)


春を待つ人々
2021/12/13 08:23
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平和を願う人々の集い12月12日の日曜日、新宿のシネシティ広場で開催された「Spring Festival ミャンマー春の集い」に参加してきました。「Spring Revolution(春の革命)」は、国軍からの支配から解放され、民主主義を求める活動を意味しています。ぼくは、紙署名の収集やミャンマー支援のポストカードやシールを販売などをしていました。(こう言うと、バリバリ働いていたように聞こえますが、実際には自分はミャンマー料理を食べたりと、のんびり過ごしていました…)会場の人々の熱気会場は、着くとその大掛かりな設備にびっくり、はじまると熱気にびっくり、といった感じでした。革命の歌やシュプレヒコールが響きわたる中で、ヤンゴンかるたのプロジェクトメンバーでチラシ配りを行いましたが、思ったより人で埋め尽くされていたので、場所取りに苦労したという嬉しい誤算もありました。Yangonかるたのメンバーそんな中、様々な活動をされているミャンマー関係者の方々とお会いし、温かい言葉を掛けていただくことができて、大きな励みになりました。このような身近な文化を通じてミャンマーのことを知ってもらう取り組みは、クーデター下の今はもちろん、情勢に改善が見られ国を立て直す段階になった時にも生かされる支援だと思っています。ステージでパフォーマンスをする人ミャンマーの人の味方にカルタで描かれているような魅力あふれるミャンマーを取り戻すために、僕たちは引き続きミャンマーの人たちの味方であることを行動で示していきます。来年は春の革命が成功し、明るい笑顔でミャンマーの集いができますように。ミャンマーの方は、日本でミャンマーを伝える活動として、長年お祭りをされてきました。12月19日まで、ミャンマー祭り「慈しみのミャンマー写真展」が三田の増上寺で開催されています。お祭りは終わったけれど、平和を願う人たちの想いは変わりません。(石川航)


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もったいないよ「ミャンマーを伝えたい」「はやく平和を取り戻して欲しい」と願うのは同情や哀れみからではありません。なんかもったいないよ、と思うからです。ヤンゴンにお気に入りのクレープのお店がありました。東南アジアだとガレットのお店が多いのですが、ここは生地がフニャッとして生クリームがいっぱいの、まさに日本のクレープ。ジャパンと付けばなんでも高いのに、現地価格と比較しても高くない。100円くらい。レーダンという若い人が集まる地域にありました。座って待っていると少し照れ臭いそこで注文し待っていると、ミャンマーの方が「ありがとうございます」「ご提供が遅くなり大変申し訳ありませんでした」と美しい日本語で応対されて驚きます。弟は「ゴテイキョウってなに?」と聞くほど。100円のクレープを売る店に、私が日常忘れてしまっている美しい日本語を話すミャンマー人がいる。「このままじゃ、負けるぞ、私」と思いました。(何の勝負かはわかりません)ベトナム(2年間住んでいた)にも、ミャンマーにも、日本語を話す人がたくさんいて、なんだか言葉にできない勢いがありました。おもしろくてなんかワクワクするこの携帯ケース買う人いるのか•••私たちは教科書で、日本は先進国、東南アジアの多くは途上国だと学びます。でも、言葉だけでは判断できない「何か」がここにはあると感じます。(それはまだうまく言葉にできません)私は行動できるのかミャンマーでクーデターが起きたとき、若者は次から次へと新しい方法で平和的なデモで対抗をしました。SNSを利用して情報を共有し、お互いの命と安全を守る様子を、現地で見聞きしながら、私は「自分の国の将来を守りたいと考えてきただろうか」「自分の身に何かが起きたとき助け合う友達はいるのだろうか」「誰かの主張に賛同し行動できるだろうか」と思いました。2021年2月 クーデターに抗議して集まる人々(レーダンセンター前)クーデターで、この人たちの歩みが、数年(数十年?)止まる、あるいは今後も繰り返されて、その度に遅れるなんて、あり得ない。ただ、そう思ったから。そして、彼らに学びたいと思ったから。達成目前ですミャンマーに思い入れのある方に、たくさんの支援を頂き、支えられ、本当に感謝しています!!私もメンバーも、そういう強い気持ちでこの活動をしています。決してかわいそうな国だからじゃなく、関心をもって「いつか行ってみたい」と思って支援してくださる方のご支援を増やしたい。完成品のご紹介も間近です「ミャンマーってクーデター起きてたの?知らなかった!リターンが可愛くて支援したのに!」って方の支援を広げたい。最近気付いてしまったのですが、推しのアーティストの故郷のことを詳しく知ることができるヤンゴンかるた。絶対に買いです。猛烈にオススメしたい。そして同世代の人に、興味を持っていただきたいです。一緒に活動したいな、と思っていただけたら気軽に連絡して欲しい。素敵なミャンマーに出会ってください「かるた製作」の目標は達成できそうですが、私たちの活動はここからがスタート。学校や地域でのイベントを通じて日本の学びを変えていくこと。そして、日本を紹介するカルタを、ミャンマー語で作り、お互いの国を理解する若者を増やすことです。数日後に、新しいリターンもプラスして、数もたくさん追加します。素敵なミャンマーを知る機会にして欲しいです。(野中優那)