「裸の男とリーダーシップ」という有名な動画をご存知でしょうか(初めて聞いた方はぜひ検索してみてください。YouTubeの動画が出てくると思います)。これはムーブメントのつくり方について示唆に富んでいると同時に、「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」の両方についての大きな学び・気づきがもらえる動画です。動画の内容を軽くご紹介。まずは、公園の真ん中で裸の男がデタラメに踊り出します。それを周りは笑って見ています。一人のフォロワー(2人目)が同調して一緒に踊り始めます。するともう一人のフォロワー(3人目)が踊り出して、それを契機に次々と他の人も踊り始めます。そして最後はほぼ全員が踊っていて、踊らない方が恥ずかしいくらいにみんなのムーブメントになっていきます。ムーブメントやリーダーシップやフォロワーシップについてたった3分で深くわかる衝撃的な動画です。これを私たちのNPO・市民活動・コミュニティ活動にひきつけるとどんなことが考えられるでしょうか。私たちの活動(非営利組織)は、多くの場合ボランタリーなメンバーによって成り立っていることが多いです。リソース(経営資源)が多様で不安定でコントロールが難しく、気持ちで動いている部分も多々あります。私たちはそのことに頭を悩ませるのですが、逆な見方をするとそれこそが市民社会的であり、ボランタリー活動やコミュニティ活動の醍醐味とも言えます。田尾雅夫さんの著書『非営利組織論』でも「非営利組織は、本来もろい基盤の上にある」と言い切っています。「ボランティアを主体とすれば、嫌ならいつ辞めてもよいということである。組織への忠誠を前提としない、アドホクラシー(adhocracy:その場限りの、出来合い)な組織である」と。そんな条件下にいる私たちが、何かを生み出そうとしたり、何かを創造しようとすると、かなりのエネルギーが必要になることは必然なのです。新しい団体を立ち上げる。新しい事業を立ち上げる。お祭りとか上映会とかフォーラムなどの行事・イベントを創り上げる。そこには私たちが想像している以上に大きな大きなエネルギーが必要であり、そのことにかなり自覚的であることはプロジェクトの成功と幸福のためにとても重要なことだと思います。アイディアと計画があればうまく行くような簡単なものではなく、中心に湧き起こる熱いエネルギーのようなものがより重要なのが非営利組織なのです。よって、新しい団体を立ち上げる、新しい事業を立ち上げる、いろいろな行事やイベントを成功させるには、「真ん中で踊り続ける誰か」が必要になります。中心で旗を振りながら、「やるよ~!」「がんばるぞ~!」「成功させるぞ~!」と言い続ける人の存在は殊のほか重要で、その熱源がない中でスマートに役割分担してもなんだかうまく行かないことはみなさんも体験したことがあるでしょう。これは再起動においてもそうです。むしろ再起動の方がまた違った難しさがあって、既存の活動や既存の人(組織)や既存の歴史(過去)があるから、それがアドバンテージとして有利に働く面もあれば、柵(しがらみ)となって逆に重さや難しさに働くこともあるでしょう。そんな性質であるからこそ、余計に中心のエネルギーが必要になってきます。もしあなたがリーダーの立場にいるのならば、ぜひ踊ってください。真ん中で踊り続けてください。いろいろ言われるかもしれないけど、そんなことはできるだけ気にしないでまずはデタラメで良いので踊り出してください。いま最も必要なのは「エネルギー」です。最適さでも適切さでも正解でもなく「エネルギー」です。中心のエネルギーがなければ、新しい起動も再起動も起きません。中心のエネルギーがなければ、どんなに良さそうなアイディアや企画も“計画倒れ”に終わります。3年間でいろいろなことがわからなくなって、停滞したり混沌とした中で、次のフェーズに行くためには「正しさ」よりも「エネルギー」です。そして、誰かが「真ん中で踊り続ける」ことが必要なのです。それは不器用でも、説明不足でも構いません。「地図も設計図もない。でも山を登ろう、建物を建てよう」と言って、中心でとにかく踊り続ける。そのことが道を切り拓くことにつながります。もしあなたがフォロワーの立場にいるのならば、ぜひ裸でデタラメに不器用に踊るリーダーが踊り続けられるようにフォローしてあげてください。「中心で燃え続けている人」の存在の重要性を理解し、その人は往々にして説明が足りなかったり、直観的でわかりにくいことも理解し、まわりの人がついて来られるような橋渡しをしてあげてください。そこに理解を示すことができて、橋渡しできるスキルのあるあなたが、リーダーをただのバカからムーブメントの立役者に仕立ててあげてください。団体・事業・イベントの起動・再起動には大きなエネルギーが要ります。そのエネルギー源になれるのはリーダーであるあなただけかもしれません。迷いや逡巡もあるかと思いますが、スマートじゃなくてもいいから、まずは少しがむしゃらに踊ってみてはいかがでしょうか。そして、まわりの人はその少し無謀でわかりにくいリーダーの踊りが撃沈に終わらないようにうまく支えてプロデュースしてあげてください。最終的にはみんなで一緒にダンスができるように、力を合わせて気持ちを合わせて進んでいきましょう。by CRファクトリー 呉 哲煥■NPO法人CRファクトリー https://crfactory.com/■『コミュニティマネジメントの教科書』好評発売中! https://crfactory.thebase.in/items/26459854■「白熱コミュニティ教室」YouTubeにて開校中! https://youtu.be/qGkzB3YX3KU
不朽の名作(名曲)、DREAMS COME TRUEの『何度でも』。長いトンネル、長い停滞、出口や光や兆しがなかなか見えない日々。どう動いていいかわからなくて、そもそも心のエネルギーもチームのエネルギーも以前のようには湧き上がってこない。どうしたものか・・・。難しいなぁ・・・。困ったもんだ・・・。そんなときに聞きたい曲だ。「誰かや何かに怒っても 出口はないから 何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで 悔しくて苦しくて がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ 10000回だめで へとへとになっても 10001回目は 何か 変わるかもしれない 落ち込んでやる気ももう底ついて がんばれない時も きみを思い出すよ 10000回だめで かっこ悪くても 10001回目は 何か 変わるかもしれない」コロナが2類から5類になって、世の中は確実に着々と正常化に向かっている。観光や旅行や飲食もコロナ前の水準まで戻ってきている。そんな順調そうに見える世の中の流れがあるからこそ、余計に自分(たち)だけが停滞しているのではないか疑心暗鬼にもなる。最近いろいろな声が届いてくる。自治体や市民活動センターのみなさんからもいろいろなお声を聞く。NPOや市民活動や地域活動をしている方々から個別に相談されることも多い。SNSだけを見ていると勘違いしそうだけど、思った以上に難しい状況、停滞や不活性な状況、縮小や崩壊のような状況が多くある。私はそんな状況や仲間たち(市民活動・コミュニティ活動の運営者たち)に向けてこのコラムを書いているところがある。一度こじれた糸はなかなかほどけない。一度崩れた積み木はなかなか元通りには積み直せない。その状況に長い間もんもんとしていたり、自分の力不足だと自己不信に陥っている人だっていると多いと思う。でも・・・。今の状況はそもそもすごく難しいと思う。「気持ち」が何よりも大事なエネルギー源であるボランタリー組織・ボランタリー活動にとっては、その「気持ち」=資源・エネルギーが弱い中で(盛り上がりにくい中で)ものごとを進めなくてならない。「気持ち」がまだまだ盛り上がりにくい今の状況において「お金は強いなぁ」とすごく感じる。お金で人員と労働を確保し、スケジュールと稼働をつくれて、その生産とサービスで価値を創り出して、需要と顧客を呼び込み、それで好循環をつくっていけている。「気持ち」がまだまだ盛り上がりにくい今の状況において、市民活動・コミュニティ活動は「働きかけ側」も「参加側」も共にエネルギーを出しきれなくて、人生・暮らしでの優先順位を上げきれなくて、供給も需要も好循環になかなか入っていけていない。停滞というよりは、“好循環のスパイラル”をなかなか創り出せずに、その糸口をつかめずにいるという方が適切かもしれない。今の状況はそもそも難しい。個人差・団体差はあるけど、全体としては時間がかかりそうな予感がしている。でも、逆から見れば「時間がかかるけど、その後は良いときが来る」とも言える。今は重たい石かもしれないけど、あきらめずに動かし続けていれば、いつか下り坂にたどり着いてゴロゴロと転がっていくかもしれない。そもそも今の状況は難しいのだから、結果や勢いを出そうとがんばり過ぎないで、でもあきらめない姿勢も同時に持ちたい。「この状況は自分が創り出している」「不甲斐ない」という自己不信だけは絶対違うと思うので、その思考に行かないでほしい。「10000回だめで 望みなくなっても 10001回目は 来る きみを呼ぶ声 力にしていくよ 何度も 明日がその10001回目かもしれない…」これからの時代、市民主体の市民活動やコミュニティ活動はとても大切になってくる。誰かにとっての居場所、人生を共に楽しみ支え合うつながり、防災、子育て、介護、健康づくり、孤独孤立予防。市民活動・コミュニティ活動の出番です。あきらめずに、粘り強く、何度でも何度でも。by CRファクトリー 呉 哲煥■NPO法人CRファクトリー https://crfactory.com/■『コミュニティマネジメントの教科書』好評発売中! https://crfactory.thebase.in/items/26459854■「白熱コミュニティ教室」YouTubeにて開校中! https://youtu.be/qGkzB3YX3KU
最近ちょっと思っていることがあります。それは「ちょっとした思いつき・アイディア」と「体重の乗る覚悟」の大きな違いについて。どういうことか。少しお話しさせてください。最近すごくたくさん歩いています。一見仕事をしていない時間(遊んでいる時間)に思えるけど、私からすると深く思考し、身体で考え(=感覚とすり合わせして)、心に覚悟という根っこを張る作業。メールたくさん返したり、資料作成した方がTODOは減っていくけど、それだとシングルループ(既存のものの見方・あり方)から抜け出せないのです。最近よくサシ飯・サシ飲み・サシお茶(←そんな言葉あるか?)をしています。2時間〜3時間たっぷりたっぷり話して、後から内容を要約するとたぶん「2行」ぐらいにまとめられる。めっちゃ効率わるい(笑)。それこそTODOやっている方がよっぽど生産的。でも、このたっぷりの時間で奥深いところの認識に変化が起きていることがあると思います。要約すると「2行」だけど、その深さはかなり深いのです。なんかこの3年間はこういう時間が減ったのかなぁと思います。若干非効率な部分はあったかもしれないけど、仲間たちとあれやこれやとワイガヤで語り合って、時間をかけた分だけ心に根っこが張られる。みんなで一緒に根っこが張られて共通認識ができるから、その根っこから推し進められる活動はパワフルになりやすいのかもしれない。細切れにパッチワークされたミーティングでは、既存のものはなんとか回せるけど、新しい創造を生み出すのは難しい。短いオンラインミーティングで情報共有やすり合わせはできるけど、推進力を高めるようなモチベーションや情熱はつくりづらいのかもしれない。企画やアイディアが出ても、それを力強く推進できぬままに、お蔵入りしたり中途半端な感じになることもこの3年間多々あった。それはきっと意志が弱いわけでもなく、やる気がないわけでもなく、身体の中心に根っこというか軸のようなものを打ち込めていないから、力強く推進できずに「ま、いっか」「仕方ないか」となっちゃう。(私もたびたび元気が湧かなくて、パワー出なくて、これをすごくやってきた。自分をなぐさめてみる)リアル・対面が是でも絶対でもないし、オンラインも含めたいろいろなミーティングや活動の組み合わせ・かたちがある。でも、この「心に根を張る」感じ。「体重の乗る覚悟」が育まれる感じ。これはなんか大事な気がしていて、たまにリアルなミーティングをやってみる、ホワイトボードを使った長めのミーティングをやってみる、レジャーっぽい遊び・日帰り旅行を入れてみる、そんなことが必要な気がする。1泊2日の合宿ってすごくすごく非効率だけど(笑)、「心に根を張る」「体重の乗る覚悟を育む」においてはかなり効果がある気がする。歩いて歩いて歩きまくって、何十周も頭の中で考えたことは、体重が乗ってそれなりの迫力を持って推進できてる実感がある。サシ飯やサシ飲みで時間かけておしゃべりしたことは、中長期的には変革の起点になっていたりする。オンラインで効率良くグイグイ進める部分と、リアルで少しゆっくりたっぷり無駄込みで気持ちや認識をつくる部分と、両方の組み合わせなのかもしれない。前回のコラムでも書いた通り、今の状況はそもそもすごく難しい。だからこそ余計に、少し体重の乗る覚悟を育む必要がある。少し遠回りのように思えるけど、みんなでご飯を食べて、おしゃべりして、熱い議論やくだらない雑談を繰り広げて、帰りの電車で疲れながら「よ〜し!明日からもがんばるか〜!」と一人覚悟を決めるみたいなプロセスが必要なのだと思う。がんばりましょう。by CRファクトリー 呉 哲煥■NPO法人CRファクトリー https://crfactory.com/■『コミュニティマネジメントの教科書』好評発売中! https://crfactory.thebase.in/items/26459854■「白熱コミュニティ教室」YouTubeにて開校中! https://youtu.be/qGkzB3YX3KU
最近のデジタル化やAIの興隆を見ていると、コミュニティの未来は暗くて明るいと思う。暗くて明るいとはどういうことか。うっすら考えていることをかなりあいまいに書きたいと思う(無責任・笑)。時代の変化と共に「コミュニティ」や「つながり」のかたちは変化してきた。近代化だって都市化だってコミュニティにとってはいろいろ逆風だったけど(自由・人権・移動という強烈なインパクトでコミュニティは大きく変化した)、一方で何かしらの「解放」や「可能性」をもたらしたことも間違いない。明暗は裏表や同時だったりする。高度経済成長期にみんなが会社員になって職住分離が進み、地域に働きざかりの人が少なくなり、地縁社会が衰退していく。今は共働き世帯も増えて、ますますこの傾向に拍車がかかる。これもコミュニティにとっての大きな変化だ。資本主義経済の発達は市場経済・消費社会を生み出し、共同体で支え合わなくても生きていける社会構造を生み出した。労働でお金・貨幣を稼ぎ、行政サービスと企業サービスを納税と消費で享受し、一人でも生きていける構造となった。(スマホとコンビニとAmazonでかなり生きていける)これは非婚化・単身化とも大きくつながっている。共同的関係のわずらわしさをわざわざ人生に組み込まなくても、必要なときにいろいろな人とつながり、自由で快適に生きていけるようになってきた。共同的関係での支え合いがマストじゃない社会になっているのだ。これもコミュニティにとっては大きな構造変化であり、良い面とそうじゃない面の両方がある。ここにさらに「デジタル」や「AI」が加わってくる。冷蔵庫の中味をカメラとセンサーが探知して、自動的に買い物してくれて家に届く。日常的な買い物も減っていくかもしれない。仕事・職場にもAIが入り込んできて、プロジェクトマネージャーがAIとか、上司との定期面談もAIになるかもしれない。日常生活や仕事生活での人間同士の接触部分がAIに代替・仲介されて、それがわずらわしさからの解放であったり、効率化→快適さにつながることは十分に考えられる。そこで間違いなく起こることは、「たまたま」「ついでに」「偶然」の人間同士の接触の大幅な低減だと思う。学校には休憩時間があって、そこでいろいろな「たまたま」「ついでに」「偶然」が起こる。いま出社が回帰しつつあるが、出社して一緒に同じ空間を過ごしているからこそ「たまたま食堂で一緒になって話した」「寄ったついでにコーヒーでも飲んでいこうかな」「偶然ばったり会って立ち話していたら良い解決策をいただけた」みたいなものが起きることがある。必要性から生まれるリアルを中心とした共同性は、その周辺に副産物としてこのようなついでの偶発を生み出してくれる。この先のデジタルとAIがさらに進む未来は、こういうものが減っていく傾向にあるのではないかと思う。「だから学校はリアルで」「職場はリアルで出社で」という流れには残念ながらならない気がしていて、デジタルとAIの代替・仲介によって、より個人化・分散化していくような気がしてならない。ここからは未来予測だが、そこで出てくる大きな動きが「わざわざ会う・集まる」(意図された集合)という動きのような気がする。日常的な家事や用事はスマートに機械の力を借りて済ませ、それ以外の時間でわざわざ約束したり場を設けてカフェやイベントでみんなで集まる。日々の仕事や業務はAIアシスタントの力も借りてスマートに済ませ、業務時間外で勉強会や酒場に集まってみんなで過ごす。機械の力を借りて道具的に済ませる部分と、人間的・精神的・充足的に過ごす部分との棲み分けがより起こるのではないだろうか。昔のように、日常生活や仕事をしていると一緒に(ついでに)人間関係もついてきた時代とは大きく違ってくる。日常生活や仕事をしているだけでは「コミュニティ」や「つながり」に恵まれない構造になる可能性を感じるのだ。これはなかなか暗い話で、「コミュニティ」と「つながり」をつくることに主体性とスキルを求められることになる。職場に勤めて一生懸命仕事をしているうちに先輩や同僚やお客さんとの豊かな人間関係に恵まれた、なんていうストーリーとはだいぶ違う。「コミュニティ」と「つながり」をわざわざつくるスキルをみんな持っているわけではない。「つながり格差」がより生み出されやすい自由主義的な構造になる。一方で、明るい面もあるかもしれない。自分の人生に「人間的・精神的・充足的に過ごす時間」を入れていくということに自覚的な個人が増えていくかもしれない。また、個人のつながる意欲とスキルに任せずに、「自然と偶然につながれる場」を社会に・地域に用意しようという動きが活発になるかもしれない。この話はなかなか興味深いので別な場でも論じようと思うが、いずれにしてもデジタルとAIがより進んだ未来は、「道具的な関係(必要性に基づいて発生する関係)」と「人間的な関係(自ら求める楽しくて満たされる関係)」の使い分けがより進みそうな予感がする。そして、デジタルとAIが進めば進むほど、逆説的に「コミュニティ」と「つながり」の重要性が増していく社会になると思う。「コミュニティ」と「つながり」が、個人や地域や社会の貴重な資源となり、国や自治体も社会保障していこうという動きも出てくるかもしれない。コミュニティの運営スキルや場づくりのスキル、ファシリテーションやコーディネーションのスキルもより需要が高まっていくだろう。そして、一人ひとりが自分に合ったコミュニティとつながりを探し見つけ参加する「コミュニティ活動力」もより重要になっていくだろう。がんばりましょう。by CRファクトリー 呉 哲煥■NPO法人CRファクトリー https://crfactory.com/■『コミュニティマネジメントの教科書』好評発売中! https://crfactory.thebase.in/items/26459854■「白熱コミュニティ教室」YouTubeにて開校中! https://youtu.be/qGkzB3YX3KU
アメリカの公民権運動を主導したマーティン・ルーサー・キングは、25万人が参加したと言われているワシントン大行進の演説で「I have a dream」と語りました。「私には夢がある」と。世界中で話題となったユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』では、人類(ホモ・サピエンス)の他の種にない最大の特徴・強みは「フィクションを信じる力」だと説いています。目には見えない国家や宗教(神)や貨幣を信じることができる力が私たちホモ・サピエンスの最大の特徴なのですね。なんだか少し不思議な話ですが、私たち人間は「パンのみに生きるにあらず」で、夢・ロマン・物語みたいなものが必要のようです。そういうものが頭の中でスキッと整うと、急にいろいろなものに意味が出てくるという体験はみなさんにもあるのではないでしょうか。いま市民活動・コミュニティ活動に必要なのは「夢・ロマンを語る」ことかもしれません。止まってしまったり、崩れてしまった3年間があり、ここからいよいよやり直すとき、まずはみんなの心を動かすような「夢・ロマン」が必要な気がします。団体の立ち上げや始動のときに必要なのが「夢・ロマン」です。逆に言うとまだ実績や実体がないので「夢・ロマン」しかありません(笑)。今は多くの団体が再起動や再始動のとき。そのフェーズ・段階でも必要なのがやっぱり「夢・ロマン」です。「どんなことがやりたいのか?」「どんな世界をつくりたいのか?」。一度みんながわからなくなってしまっているタイミングでもあると思うので、改めて「夢・ロマン」を言葉にして語ることは大事な行為だと思います。そんなこと言われてもリーダーだっていま言葉を失っています。みんなと共有・共感し合える言葉(夢・ロマン・物語)を生み出せなくて苦しんでいます。でも、まだ半信半疑で構いません。不安で迷子になりながらも、一生懸命考えて紡ぎ出した言葉が言霊となって、また次の言葉や考えや構想を誘発してくれることもあります。まわりの冷めた反応や無反応や批判的な意見におびえる必要もありません。今は誰も正解がわからないのだから、どんな旗でも旗を立てる勇気が大切です。ここで大切なのは、少なくとも自分だけは信じられる旗を立てること。「仮に一人になってもいいからこれで行くんだ」という覚悟を持って考えることができればこわいものはありません。そして、結果はそんなふう(全員居なくなる)にはなりません。そういう覚悟のある旗にいろいろな人が共感してくれて、また新たな船で船出をしていくことができます。音楽プロデューサーのつんくさんがあるインタビューでエンターテイメントについてこう言っていました。「エンターテイメントは最終的にはいろいろな人を喜ばせることにあるんだけど、生み出すときはたった一人のおかんのため、たった一人の娘のためにつくる。結局それがみんなのもの=エンターテイメントになっていく」。今は「夢・ロマン」が求められています。あのときと同じように再開・再起動はしないかもしれないけれど、また新たな船で「こうやってがんばっていこうぜ」という旗印が必要です。いくらでもやり直すことはできます。時間はかかるかもしれないけれど、長い目で見れば見通しは明るいです。開き直って、軽くなって、自由になって、またエネルギーあふれるあなたでいてください。そして、時間をかけて良い団体・活動をつくっていきましょう。by CRファクトリー 呉 哲煥■NPO法人CRファクトリー https://crfactory.com/■『コミュニティマネジメントの教科書』好評発売中! https://crfactory.thebase.in/items/26459854■「白熱コミュニティ教室」YouTubeにて開校中! https://youtu.be/qGkzB3YX3KU