『殺劫 チベットの文化大革命』プロジェクトには、これまでに以下の専門家の先生方から「X」(旧ツイッター)への投稿を通じてご支援をいただいております。改めて御礼申し上げます。阿古智子先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)https://x.com/tomoko_ako/status/1810200622282711522石濱裕美子先生(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)https://x.com/okamesaiko/status/1809567667004796966楊海英先生(静岡大学人文社会科学部教授)https://x.com/Hongnumongol99/status/1810246886324105341
プロジェクト公開からちょうど3週間がたちました。皆様のご支援のおかげで、本日昼までに、支援金総額が90万2000円(41%)に達しました。ありがとうございます。プロジェクト公開当初に比べると、支援件数の増加ペースは低下してきているのですが、9月21日の募集締め切りまでにはまだ2か月弱の時間がありますので、引き続きご支援をいただけるよう情報発信やPRに精一杯努めたいと思っております。本日は東京都新宿区のチベットハウスを訪問してプロジェクトのフライヤー配布へのご協力をお願いし、アリヤ代表からご快諾をいただきました。感謝申し上げます。皆様のご友人やお知り合いで本プロジェクトに関心を持っていただけそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひ声をかけていただけるようお願い申し上げます。本の編集作業は現在、初校ゲラの校正、修正に取り組んでいるところです。お盆休み前には仕上げたいと思っています。
本書の共訳者である現代中国文学者、劉燕子さんが漢人の立場からチベットへの思いを綴った一文を紹介します。 ◇ 日中および漢蔵の狭間でマージナルな私にとって 劉 燕子 私は子どもの頃「チベット人を農奴制から解放してくれた毛主席に感謝」という、中国では広く知られている歌を聞きながら育った。また、チベットの娘が解放軍兵士の軍服を洗濯してあげる情景を歌った「洗濯の歌」では、「翻身農奴」に扮して、色鮮やかな紙で作ったパンデン(前掛け)の衣装を身につけ、「誰が私たちを生まれ変わらせてくれたのか?/誰が私たちを解放してくれたのか?/同じ身内の解放軍だ/救いの星の共産党だ」と歌いながら踊った経験もある。歌詞はさらに、チベット人を農奴制から解放し、自動車道や橋を建設し、裸麦の収穫や新しい家の建築を手伝ってくれた解放軍に感謝し、「私たちの生活は一変した/私たちは限りなく幸福だ/同じ身内の解放軍に感謝する」と歌い終わる。 この「洗濯の歌」は、文革が発動される二年前の一九六四年に発表され、広く歌われた。作曲者も作詞者もチベット人ではなく、漢人だが、そのようなことなど知らずに、私たち漢族の子どもは、教えられるままにグループで踊りながら合唱した。一九六九年三月から、ラサ近辺のニェモ県やチャムド地区のペンバー県など各地で惨烈な抗議事件が続発したことなど、もちろん全く知らなかった。 その後、一九九一年に日本に留学し、中国の地下文学や亡命文学の調査研究を進めるうちに教えられた内容とは違うチベットの状況を知るようになったが、その時はまだ抽象的な概念に止まっていた。 だが、二〇〇五年夏、ストックホルムで、天安門事件亡命者の茉莉・傅正明夫妻と会った。北欧の抜けるような青空から降りそそぐ透明な夏の日ざしを浴びながら傅正明は消息不明のチベット人の手書き原稿の詩を紹介し、朗読した* 1。雪山よもし君が人間のように立ち上がらなければたとえ世界の最高峰でもただその醜さをはっきりとさらすだけだ最高峰として寝ているよりもむしろ最底辺でスクッと立つべきだ兵士よもしどうしてもぼくを撃たなければならないのならぼくの頭を撃ってくれぼくの心臓は撃たないでくれぼくの心には愛する人がいるから この朗読を聞き、私は衝撃のあまり涙がこみ上げ、抑えようとしてもできなかった。さらにその時、一九五九年には一〇万人という規模の亡命者が出たという離散(ディアスポラ)も知り、強烈なショックを受けた。 亡命したチベット人は身体と精神の二重の苦痛を体験し、その上、母語が使えず、中国語、英語、ヒンドゥー語、サンスクリット語など様々な異邦の言語の中で亡命生活を送る者も多い。インターネットの普及で亡命チベット人が中国本土の親族や友人と通信できるようになったが、中国で広く使われているチャットのQQは、その発音から「哭哭(泣く泣く)」とも表記された。その内容が悲嘆に満ちているためであった。 こうして、チベット人の苦境を知れば知るほど、私は義憤を覚え、漢人の一人として良心の呵責に苛まれ、道義的な責任を感じた。さらに、楊海英の「内モンゴルが中国領にならなかったら、ジェノサイドもなかった、とモンゴル人は認識している」という指摘が* 2、痛烈に突き刺さった。そして、私はこのことを私自身の「生」に関わる課題と受けとめ、なお一文学者として改めて何をなすべきかと考えた。私は自分自身を振り返り、向きあった。その時、自分は日中と漢蔵の狭間でマージナルな存在であることを省察し、ここにオーセルと「生き方」をともにする立脚点があるのではないかと考えた。オーセルたちに自由がなければ、私にも自由はない。オーセルたちが泣くならば、私もともに泣こう。これは謂わば共感共苦(compassion)によるものである。 「炎にあえば御影石も溶ける」という* 3。我が身を炎と燃えがらせる抗議は、盤石に見える独裁体制も溶かすだろう。その思念や行動を記録し、伝えるところに文学の使命があり、また文学の真価が問われる。* 1この詩は、亡命チベット人の詩のアンソロジー『西蔵流亡詩選』(傅正明、Sang Jey Kep編訳、傾向出版社、蒙蔵委員会、台北、二〇〇六年)に収録された。*2 楊海英「ジェノサイドへの序曲―内モンゴルと中国文化大革命―」『文化人類学』第七三巻三号、二〇〇八年一二月、四四〇頁。*3 アンナ・アフマートヴァ『アフマートヴァ詩集―白い群れ・主の羊―』(木下晴世訳)群像社、二〇〇三年、一七三頁。
おかげさまで、プロジェクト公開から2週間が過ぎた本日、目標額のちょうど三分の一、33%を達成しました。ひとえに皆様のご支援のたまものであり、改めて心より感謝申し上げます。引き続き目標達成に向けて、様々な機会をとらえてサポートをお願いしていく所存です。
『殺劫 チベットの文化大革命』は英語版も2020年にアメリカで発行されています。題名は Forbidden Memory: Tibet during the Cultural Revolution(Potomac Books)。これは『殺劫』中国語版の2006年初版を基に英訳されたものです。英訳本は必ずしも中国語の原文を忠実に翻訳しているわけではなく、ところどころ省略して訳しているのですが、同書の中に頻繁に登場するチベット語の人名や地名、チベット仏教関連の用語(いずれも当然ながらすべて漢字で表記してある)を英語でどう表記するのかを知る上ではおおいに役立ちます。私もチベット語の固有名詞などを日本語でどう表記するかという頭の痛い問題を検討するに際して、この英訳本を参考にさせていただきました。それはさておき、『殺劫』が英語でも刊行されたことの意義と影響力は非常に大きいです。欧米などの専門家が文化大革命や現代チベット問題を研究するにあたって『殺劫』 は欠くことのできない基本文献の一つになるはずです。