ATTARAMON展 - あったらもん展-開催のご報告投稿が遅くなりましたが、多数の方からご支援いただきました「ATTARAMON展」を無事に開催することができました。改めましてご支援いただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。今回展示させていただきましたコンテンツと、ライブパフォーマンスについての詳細を記述させていただきます。ご来場いただけなかった方、ぜひご覧ください。CONTNTS:1『しもつかれブランド会議の軌跡』2025.3.1〜3.2の二日間、宇都宮市のGallery Hannaさんで開催したしもつかれの「勿体無い」にフォーカスした展覧会。栃木弁で「勿体無い=あったらもん」と方言することもあり命名しました。入り口付近から、1Fの畳張りのスペースでは、これまでのしもつかれブランド会議の活動の中から生まれた印刷物やパッケージデザイン、洋服、アート作品などから、掲載いただいた、新聞、書籍、雑誌、大学生の卒論として取り上げてもらった論文などの展示。香川大介さんに描いていただいた屏風が空間をジャックします。壁面には、しもつかれの歴史や、しもつかれと勿体無いの相関関係を示す独自研究の結果なども展示。その必然性を読み取っていただきました。これまでの7年間の活動を俯瞰して体感できる機会となり、また、しもつかれの価値を理解していただく展示となりました。ご来場いただいた方々の中には我々の活動を認知していなかった方も多く、「しもつかれこんな風に変化してるなんて知らなかった」「しもつかれ、オシャレになってますね」「しもつかれってアカデミックなんですね」などなどご意見をいただきました。また、「毎年ポスター楽しみにしてます」「活動応援してます」といったお言葉もいただきました。栃木県民に定着するしもつかれイメージの世界線だけでなくこうした潮流もあるのだということをご覧いただける機会となりました。来場者の価値観の転換に立ち会えたのが成果と言えると思います。[主催・運営]株式会社あを, しもつかれブランド会議[設営・コンテンツ生成]Toru Aoyagi, Atsuko Aoyagi, mizumotoOTAhirotsugu, Takefumi Kondou, Moe Nagata, Yumiko Kashiwakura, Akiko Nara, Akiko SuzukiCONTENTS_2『SHIMOTSUKARE COLAR CHART』しもつかれの代名詞といえば「見た目が悪い」。本当にそうでしょうか。しもつかれブランド会議を始めた当初から思ってました。栃木県民の中に刷り込まれてしまった見た目が悪いという価値観。これをグラフィックとしてポジティブにできないかと見立てたのが本企画です。メンバーでもありグラフィックデザイナー仲間の水本氏とアイデアを練り水本氏にデザインいただいた作品。「SHIMOTSUKARE COLOR CHART」完成した多数のしもつかれから色を抽出しグラフィカルにレイアウト。向かって左は、ナンバーごとに個別しもつかれから抽出した色、右側は、それぞれのしもつかれから食材の色を抽出し、食材ごとにグラデーションでまとめたものになっています。それらをつなぎ合わせ、長いドレープのある印刷で優雅に可視化しています。そして中央のタブレットには、グラフィックまでのプロセスを映像化したもの、QRコードからは、実際に色を抽出したしもつかれの写真を見ることができます。https://blok.jp/shimotsukarecolors/このように見るとどうでしょうか。ほぼアースカラーで構成されていますね。昔ながらの自然に近い食材で調理されていることが理解できます。そして美しい。こうしたグラフィックを見ていただくことでしもつかれの美しさに気づいていただけたらという願いも込めてデザインしていただきました。Graphic design:mizumotoOTAhirotsuguMovie:mizumotoOTAhirotsuguWeb:mizumotoOTAhirotsuguDirection:Toru Aoyagi設営:Takefumi KondouCONTENTS_3『アッタらもん』Gallery Hanna 2Fでの展示作品。「勿体無い」とは、ただの節約や再利用の概念ではない。「勿体」とは、物の本質や存在が持つ価値、権威、品位を指し、「勿体無い」とは、それらを失うことを意味する。最も勿体無いもの、それは「生命」と言える。日本では古来より、八百万神の考えのもと、あらゆるものに生命が宿るとされてきた。しかし現代では、フードロスや文化の喪失といった形で、まだ活かせる生命が捨てられている。それとともに、八百万神を感じる感覚も薄れつつある。「山は山であって山でない。故に山である。」この言葉に示されるように、生命とは、要素の集積によって構築されるものだ。生命は、混沌や未規定性、不確実性、偶然性の中から生まれる。完璧な計算から生まれる生命は存在せず、結果として、蓄積されたものが形を成し、生命となる。しもつかれもまた、生命と同じく、混沌、未規定性、不確実性、偶然性そのものである。だからこそ、しもつかれを現代の八百万神として表現できないかと考えた。それは、神なのか、仏なのか、悪魔なのか、鬼なのか──。この具現化の試みとして、「アッタらもん」と名付けた。絶対的な課題解決ツールを持つ某キャラクターの名を拝借した。もちろん皮肉を込めて。そんな彼もまた、サブカルキャラクターとして活躍しながら、廃棄されたぬいぐるみの山の中に埋もれていく。本展では、失われつつあるジャパンカルチャーや「勿体無い」とされるものをかき集め、それらをしもつかれと紐づけた。こうして、栃木の「勿体無い」を象徴するモチーフを構築し、そこに新たな生命の誕生としてつまみ細工の華も付加した。生と死、うごめく生命──。その存在を、体感できるような作品とした。素材:主に廃棄されるもの・余り物たち人形:丸山工芸社 生人形骨組み映像:Toru Aoyagi声:Atsuko Aoyagi, Ayaka Shimizu, Kazuyo Manaka音:Toru Aoyagi会場設営:Toru Aoyagi, Atsuko Aoyagi, mizumotoOTAhirotsugu, Takefumi Kondou, Moe Nagata, Yumiko Kashiwakura, Akiko NaraCONTENTS_4LIVE PAFORMANCE 前述の通り、しもつかれは生命と同じく、混沌、未規定性、不確実性、偶然性そのものである。今回のライブパフォーマンスも、「勿体無い」という生命の「際」を表現すべく、混沌、未規定性、不確実性、偶然性を自ら誘発するような立て付けとした。パフォーマンスメンバーは、しもつかれブランド会議の代表でデザイナーでもあり、音を創作する「青栁徹」、同会のメンバーであり、文章を生業とし、物語も生成する「青栁厚子」、そして津軽三味線師範の腕を持つ「山口理貴」の3名。不確実性を担保するために、事前擦り合わせをせず、アイデアを持ち寄った。青栁厚子は勿体無いをテーマにしたオリジナルの物語創作を提案。その物語に添いながら、それぞれの音楽性を付加するパフォーマンスとすることに。青栁厚子は生成した物語を自ら朗読。そこに物語と音としての厚みと付加するために、朗読家・間中一代氏と、声楽家・しみずあやか氏の2名にもご朗読いただいた。青栁徹はフィールドレコーディングで、作中に沿うような音を収集しながら、勿体無い物から音を採取し、ライブ中に付加。山口理貴は普段の古典的な演奏とは異なる、物語の世界観に合う演奏を試みた。不完全性、偶発性を誘発するために、リハーサルはパフォーマンス前日と当日の2度のみ。生と死、うごめく生命──。物語の世界観と、しもつかれの世界観。それらが組み合わさることで完成した作品となった。物語創作:Atsuko Aoyagi朗読:Atsuko Aoyagi津軽三味線:Riki Yamaguchi音:Toru Aoyagi朗読協力:Kazuyo Manaka, Ayaka Shimizuパフォーマンス動画:https://youtu.be/IH2yHszWnmY




