本プロジェクトですが、X(旧Twitter)の当方アカウントでも情報発信しています。https://x.com/yuichiro53最近は本プロジェクトの活動報告がメインになっていますが、能登に関する情報も発信してますので、差し支えなければ、XアカウントのフォローやX投稿のリポストをしていただけると嬉しいです♪
のと里山空港の定期運航便が再開した令和6年のゴールデンウィークに、珠洲市在住の友人から「能登は落ち着いたから、キャンプ場でバーベキューを楽しみながら近隣のお手伝いしない?」とのお誘いが。石川県で行ったことがあるのは金沢までで、能登へ行った経験はありませんでしたが、自分が関わった場所を見ておきたいと思い、参加することに。奥能登へ行く準備のため、インターネットで情報を集め始めたところ、発災から5ヶ月経っているのに、滞在に必要な情報が見つからない。掲載されている情報は、明らかに発災前で役に立たなそう。マスメディアから伝えられるのは、被災地の大変な状況ばかり。水は使えるのか、トイレは使えるのは、入浴はできるか、洗濯はできるのか、飲食物は買えるのか、日用品は買えるのか、などなど知りたい情報は沢山あるのに、見つからない。イベント参加者によるMessengerグループでの情報交換で、何も用意しなくても大丈夫そうとの結論になり、羽田空港からのと里山空港へ。地理感がないので、ルートはカーナビだより。でも、車載カーナビやNavitimeは通行止め等が反映されておらず、役に立たない。交通規制情報が一番反映されていたのが、Googleマップだったので、Googleマップを頼りに目的地の木ノ浦野営場へなんとか到着。でも、Googleマップの店舗情報が不正確。明らかに休業なのに、営業中表示ばかり。公衆トイレの場所や使えるのかも掲載されていない。地元のメンバーから情報を収集するも、地名や店名など現地に精通しておらず、Googleマップがないと何もできない。Googleマップの投稿や修正に取り組む人がいないなら、自分でやるかなぁと、奥能登をローラーして店舗の情報を集め、営業状況の更新やクチコミ投稿。併せて、奥能登2市2町のオープンデータからトイレ情報を集め、位置や稼働状況の投稿も。トイレマップは比較的上手くいったと思いますが、誤った緯度経度や古い情報をオープンデータとして公開している自治体に翻弄されました。住所から探そうにも、そもそもGoogleマップは登録されていない住所が沢山あるんですね。Googleマップの更新は、支援者の役に立つだろうと頑張り始めた矢先、店舗のクチコミ投稿は、投稿頻度が高いと非公開となることが判明。スパムフィルターが適用されたと推測。自分で観光サイトのようなものを作るしかないかな、とGoogleマップの更新は早々に諦めることに。
二次避難マッチングを初めて数日後、珠洲市在住の友人から「バスを走らせることになったから、予約管理システム作ってほしい」との依頼を受け、時間が最優先と判断し、二日で作ると約束。まずは、仕組みの検討。自分で開発することも出来るけど、時間的に動作を保証できない。いずれは行政を含めて引き継ぐことを想定し、手離れはよくしたい。ということで、既存のツールやサービスを組み合わせて構築することに。多数の被災者がインターネットに接続できる状況になったと判断し、運営側の負担軽減も考慮して、受付対応はオンラインに限定。ネットが使えない人は、周りの人がサポートしてくれると予測。イベント管理ツールが一番近いと考え、被災者心情に配慮し、広告が表示されないことから、Peatixを選択。トラブル防ぐために、石川県とオンライン会議を実施し、実施することに了承をいただく。なんとか二日でサービスイン。令和6年能登半島地震被災者用バス予約サイトその後はSNSを中心に情報拡散。沢山の方に短期間で周知するため、フライヤーも作成し、避難所等目の付くところに掲示いただく。マスメディア数社にも、取り上げていただきました。石川テレビ:二次避難先などへの移動を支援 珠洲ー金沢間で無料バス運行 利用者「本当に助かります」現地に行かなくてもお手伝いできること、色々あるんだなぁと。
自分が能登に初めて関わったのは、令和6年能登半島地震直後にお手伝いした二次避難マッチングなんですね。珠洲市在住の友人が「奥能登に住む5万人をいったん外に出す」と、夫婦で取り組み始めたので、さすがにそれは無茶だろうと「コールセンターつくるよ」と申し出たのがきっかけ。宿泊事業者とのマッチングは別プロジェクトが進んでいたので、自分が関わったのは、宿泊事業者でない受け入れ先とのマッチング。コールセンターは、こんな感じで立ち上がりました。最も優先すべきは時間と考え、2日間でシステムを構築することを最初に決め、その時間で構築できるベターなシステムを検討。費用と時間の観点から、コールセンターの仕組みは全てクラウド上で構築することを決定。インターネットの接続状況がわからず、高齢化率なども考慮し、対応窓口は電話に一本化。コールセンターのオペレーターはボランティアとし、SNSを中心に募集。ボランティアできる時間がヒトによって異なること、オペレーターの負荷を軽減すること、かかってきた電話は全てでること、を考慮して、IVRを使って電話の振り分けを行った上で、留守録へ。オペレーターは留守録を確認し、順番に折り返すことに。オペレーターの費用負担を減らすために、電話アプリを一括契約し、アプリを配布。情報共有のため、毎朝Zoomミーティング。情報共有はGoogleドライブ、Googleチャット、Googleスプレッドシートを利用。新型コロナ禍によって図らずも進んだクラウド技術が、所々で活かされました。このシステムが構築できたのは、自分が学生時代にコールセンターの構築や運営のバイトをしていたから。珠洲市に住む友人とそのバイト先で出会っていたから。災害対策の情報技術について研究していたから。募集したボランティアの中に、コールセンター業務経験者がいたから。すべて、たまたまだったんですね。
色々なご縁で、令和6年能登半島地震発災直後に、広域避難のお手伝いをさせていただきました。当時は「必ず能登に戻すから」という約束で、多くの方に避難していただきました。物理的には戻れるようになった今、約束は守らないといけないよなぁという想いもあり、戻れるための環境づくりをお手伝いさせていただいてます。ヒトが戻るためには、何があればいいのでしょうか。衣食住は、沢山の方が支援されているので、自分の出る幕ではないなと。なりわいは、再開や新規が増えてきている中、自分は情報が専門なので、情報系のお手伝いをさせていただいています。よりどころについては、再開されるお祭りが増えてきているようです。でも、これだけだと自分一人でなんとかできる、支援やサポートがなくてもなんとかなる、ヒトしか戻れないかなと。戻りたくても戻れないヒトが、戻れるようになるには、子育てや医療介護福祉などのサポート体制が必要不可欠だと思うんですね。ところが、この体制を再構築し維持するためには、ある程度の人口を維持し続ける必要がある。日本全体での人口は増加する見込みはないので、関係人口や交流人口を増やしていく必要がある。沢山のヒトが戻るためには、ヒトが必要なんですね。関係人口や交流人口を増やす取り組みは始まったばかりで、効果がでるのはもう少しかかりそう。だからそれまでは、学生がその役割を担えるといいなと。







