
「梅の木が、龍神さまに見えたんです」
そう言って送られてきた一枚の写真。
そこに写っていたのは、長く横たわる梅の幹。
けれど不思議と、ただの木には見えませんでした。
うねるような姿。地を這うような流れ。
まるで、いのちがそのまま、かたちを変えて現れているような――
龍神さま、あらわる。
そんな存在感がありました。
あの日、森で見た赤。
切られたばかりの断面に宿っていた、あの鮮やかな色。
それは、ただの樹液ではなく、
これから咲くはずだった花の色であり、そして、いのちの奥からあふれ出た、強いエネルギーのようにも感じられました。
「龍神さまだったんですね」
ゆっきーさんのその一言で、すべてが静かにつながっていきます。
「赤龍」は、火のエネルギー。情熱的な行動力をもたらす存在。
もし、この出来事に意味があるとしたら――
それはきっと、“進みなさい”という後押し。
紅梅は、切られて終わりではなく。
枝は、染めとなって布へ。幹は、手に触れるかたちへ。
そして、そのいのちは、次へとめぐっていく。
ゆっきーさんは、切り株に養護剤を塗り、
「ここからまた、新しい芽が出ますように」と、そっと願いを込めてくれました。
そして、その色は――
スカーフになりました。
咲かなかった花の色が、
いま、やさしくひらいている。
「天女の羽衣みたいだね」
そう言ってくれたのは、19歳の息子さん。
その言葉に、この出来事の意味が、ふっと重なります。
これはただの布ではなく、
いのちを受け取り、身にまとうもの。
「これからは、この梅の命と共に」
そう綴られた言葉に、すべてが込められていました。
そして、あとから届いたもう一つの言葉。
「なぜか涙があふれてきました。きっと梅の木の精からの涙ですね。感謝の涙です。」
龍神さまとして現れた紅梅は、
咲かなかった花の色を、別のかたちで咲かせながら、
いま、暮らしの中で、やさしく息づいています。
終わりではなく、はじまりとして。別れではなく、めぐりとして。
そのいのちは、いまも、確かに続いています。
この“命のめぐり”を、あなたも受け取ってみませんか。



