本日もご覧下さりありがとうございます2025年12月20日にスタートした当プロジェクト、色々なご意見やご感想をいただきとても勉強になっています先日は、私のお店開店当初からお世話になっている女性のお客様がご来店ご支援をいただきとってもありがたかったですその際、予想外のご意見をいただきました「刀なんて(物騒な)ものが自宅にある、と公表しちゃうのはとても危ないこと、何かあったらどうするの?知り合いにも刀をお持ちの方、何人かいるけれど 皆さん 刀が自宅にあるなんて絶対言わないわよ」少々憤慨しているご様子で、それは私の身を案じてくれているという意味だなぁと 姉のように思っているお客様だったのでとてもありがたく思いましたその時ふと、前々回活動報告に書かせていただいた 刀剣と登録証が別の場所で見つかった刀を思い出しました私が刀って面白いなと思ったのは2013年、「めいとーでん」という舞台を見たことがきっかけでしたそれまでも細工物として刀装具は興味がありましたが、それが「刀」の部品?!とはあまり意識していなかったように思います 笑「めいとーでん」をきっかけに、博物館などで刀身を見るようになった頃、熱心に刀を見ているのは圧倒的に男性が多かったように記憶しています今は 某刀ゲームの影響で女性の刀ファンがとても増えていますね話は戻りひと昔前までは、刀って概ね男性が好むアイテムだった?!なので明らかに女性ものと思われる古いポーチバッグから登録証がみつかったことがとても不思議でしたこれは私の空想妄想なのですが…刀を大切にしていたおじい様?お父様?ご主人?お兄様??が亡くなられた故人が大切にしていたけれど刀はちょっと怖い刀があるなんてヒトに言いたくないから蔵の奥にしまっておこう登録証は大切なもの…と聞いてたから大切なもの(通帳とか)を入れているポーチに入れておこうそんなことが起きていたとしても不思議はありませんねこれまでも、たくさんの刀愛好家の方々、刀に関わるお仕事の方々 が 刀という文化を守り繋ぐ活動をしていらっしゃることを 今回のプロジェクトを始めて知りましたただ残念ながら…これは刀でなくても言えることですが…興味がない方にはそういった情報は届きにくい知る人がいなくなったら…登録証も紛失してしまったら…銘が入っている刀でしたらなにかしらのヒントになるかもしれませんが、今回のように無銘の刀だと由来も何もさっぱりわからなくなってしまいますぜひ、ご実家やご親族に一度「ウチに刀あったりする??」と聞いてみてくださいそのお家で、刀を将来残すのか廃棄するのか、それはその時にならないとわからないと思いますでも、聞いておくことでもしかしたら、刀の存在を語り継ぐ役割を担えるかもしれません♪残り2日、引き続きどうぞよろしくお願い致します2026.2.20
本日もご覧下さりありがとうございます2025年12月20日にスタートした当プロジェクト、残り5日となりましたたくさんの方がサイトを見て下さり、ご支援・共感をいただき本当にありがたいです私のお店やSNSなどにもたくさんの方が関心を寄せて下さり、刀を実際に見に来て下さった方、職場にチラシを貼っておいたよ~という方も♪うれしく大感謝です「刀を研ぐための費用を募りたい」というプロジェクトではありますが 「名刀と言われるものではない(と思われる)刀を残す意味と意義・方法を知って一緒に考えて欲しい」ということも大きな目標にしています私の感覚では(笑)さほど古くない昭和時代の物、身近な「道具」だったものが、「美術館や博物館で見る物」になってしまったものがたくさんありますお店で使っている電話もそうなりつつあるかな「どうやってかけるの??見たことはあるけど、使ったことない」と喜んで下さる若い方も♪ そういう時はどうぞかけてみてください、とお伝えしています端っこ?までダイヤルするのが案外慣れないと難しいようです ジーーと戻る間に何番まで回したのか分からなくなってしまったり笑イマドキの電話の方が留守録もあるし、安全面でも番号が表示されたり断然便利で、不便さが可愛い と思うのは私の個人的嗜好でノスタルジックな感情です刀と黒電話を並べて語るのは、だいぶ違いますね 笑刀の性質上、法の下で安全に保管しなければいけないことを踏まえ その家にあったかつての「道具」を、なにかしらのカタチで〝その家〟に残せたらいいな、美術館や博物館でしか見られない物になってしまったら寂しいな という思いが今回のプロジェクトの発端のひとつでしたプロジェクト終了後も、微力でも私にできることを考えていきたいと思います前置きが大変長々一枚目の写真は、群馬県庁で刀剣の登録審査会の日どんな様子だったかはプロジェクト本文中に書かせていただいていますが、余談的に面白かったことをタイトルに致しました審査の順番を待つ間、カーンカン という音が響いていましたなんの音かな?と思い様子をうかがっていると、どうやら錆びて取り外せなくなってしまった刀や槍を審査のために外す作業の音だったようです審査会の案内には「(銘を確認できるよう)取り外しの練習をしてきてください」というような一文があり、私も動画サイトを見ながら恐る恐る練習をしてでかけました今回の事に向き合うまで知らなかったのですが、たくさんの有識者の方が刀について発信してくださっていて、わからないこと・困ったことなど調べれば情報がたくさんありました古い物を大切にし、残すための活動をして下さっている方がたに心から敬意です古い刀や槍 キズつけたり場合によっては壊れたりの可能性もありますし、刃物ですから慎重に扱わなければなりません刀を拵えから外す…なんて、実際刀剣を所持していなければ なかなかすることがない作業ですよね幸いにも、今回の刀は割合すんなり外れたのですが 練習していかなくても、外れなくても大丈夫!審査の時には、専門家の方が専用の道具を使って外して下さいますので、無理せず安心してお出かけくださいね審査後の登録料のお支払は、県の証紙または電子決済ができると、案内がありました証紙は29階の審査会場から地下1Fの売店に行って購入します ほとんどの方が証紙でお支払していたようでした県庁に行くとつい立ち寄ってしまう売店、群馬県の物産品があったり リーズナブルなお値段で美味しいパンや新鮮な果物があったりで楽しいのですが、この日は電子決済してみようかな、と 笑カーンカン トンカン という音が響く少し緊張感のある会場 その一角にあるお支払コーナー にて 妙に明るい P●y♪P●y♪ という音が…なんだかとても面白かった想い出のお話でした引き続きどうぞよろしくお願いいたします2026.2.17
本日もご覧下さりありがとうございます今回は活動というか…興味深い?ちょっと悲しい?申し訳ない??ことがありましたので、ご報告させてくださいませクラファン本文中で、私が関わった2振り目の刀について記述しています登録証がない状態で見つかった、錆は激しいものの立派な拵えだった刀(以下、N邸刀 と呼びます)ご家族が興味を持たれたようだったので、登録の手続きを簡単にお伝えして、お任せしたところ、次に伺ったら警察で廃棄されていたというN邸刀理由は「大きくて怖かったから」というものでした もっともな理由で仕方のないことでしたがその当時、私の知識不足で「拵えや刀装具などだけなら残せる」とお伝え出来なかったことが、今回クラファンをしたいという思いにも繋がりました少し前、N様邸にクラファンの中で上記のエピソードを書かせていただいたことをご報告に伺いましたそうすると、N邸刀が見つかった蔵から30mほど離れた場所にある第二倉庫も整理したいというご相談をいただきましたその後、3回に分けて 友人の古物商と一緒に整理・引き取りの作業をさせていただきました古物商と一口に言っても、取り扱う分野が微妙に違っていて、それぞれ引取らせていただきたいものや許容量も違います 友人との作業は勉強にもなるしとても楽しい(余談笑)♪私が引き取らせいただいたものを、自宅兼店で整理していた時のこと古い小さな革製のがま口バッグを確認していると…なんと!!刀剣の登録証が出てきたのですN様に確認すると、警察で廃棄してもらったN邸刀の他に、刀は見つかっていない サイズ感も登録証の記載に合致するとのことでしたN邸刀が見つかったのが昨年9月 それから5か月後に登録証が発見されるとは…廃棄する前に、県の文化財保護課に照会することができる と私がお伝え(する知識があれば)出来ていれば、登録証の再発行で刀を残せたのかも…とますます後悔がつのりましたN様は「登録証があっても、怖い気持ちは変わらないので廃棄したと思うよ」と優しく言って下さいましたが、わざわざ警察に提出に行ったか?と考えると、そのままN邸に残ったようにも思えてしまいます昭和34年の登録証法律が出来た翌年のものですので、当時迄は管理され大切にされていたものと思われます後悔先に立たず、ではありますが 刀剣発見から届け出のために期間が限られるというのは、こういうコトも起きるのだな と思いましたそれにしても…昭和の遺物が山ほどあった第二倉庫N様のご家族や、友人・知人の古物商…何人もがそれぞれ引取りたい、手元に置きたい物を選んでいるし、ゴミになってしまったものは、残せたものの何倍もの量がありましたその中でよりによって、私が手にした小さなバッグから出てくるとは…廃棄されたN邸刀が怒っているのかな…とも思いましたが、刀ナキアトの登録証をどうするのか、ということを私に学ばせてくれたのかもしれませんね登録証は「銃砲刀剣類登録証の返納について」という書類と一緒に管轄エリアの文化財保護課に提出してほしいそうです(銃刀法での規制はないそうです)昔の登録証はパウチなどもしていなくて、紙一枚 そのままにしてしまいがちですが、・後の世に 確かに照会できるよう・他の刀に付けられて心無い人に悪用されることのないよう届け出ていただきますようお願いいたします登録証紛失というのはよくあることのようですが、刀が紛失(廃棄)して登録証だけ残った というある意味レアケースのお話でした2026.2.9
本日もご覧下さりありがとうございます2026年最初の月がもう終わろうとしています2025年12月20日からスタートした当プロジェクトおかげさまで1か月が過ぎ、たくさんのご支援・ご協力・反響をいただいております ありがたくとても嬉しい思いです♪先日サンプルができ上った、リターンの御城印をご紹介いたしますすっきりとした白地に、左三ツ巴の紋を背景にして桐生城の堂々とした文字が入っています左三ツ巴は桐生佐野氏(藤原北家藤原秀郷流足氏一門支流)の紋かな?!御城印をリターンに出来ないかと販売所のシルクルさまにご相談に伺いましたすると、御城印製作担当の「群馬御城印プロジェクト」さまをご紹介していただくことができましたさらに「刀の刺繍を背景に入れて、特別な御城印を作りましょう」という嬉しいご提案をいただき 恐縮しつつワクワクびっくり♪そして出来上がったのが写真の御城印!銀糸で入れていただいた短刀一見控え目ですが、角度によってキラキラ光りそう きっと刀も照れながら喜んでいると思います由来も何もわからない無銘の短刀が御城印になるなんて…そもそも、残すことができ たくさんの方に関心を寄せて頂いていることも!!とっても〝運〟が強い刀ですね佳き出会いの運を運んでくれるかも?!通常販売はない予定の桐生城特別御城印 お手元にお迎えしていただけたら嬉しく思います御城印デザインをしてくださった「群馬御城印プロジェクト」さまは戦国時代に多くの武将が活躍した上州群馬の魅力を御城印に込めて発信しています2026年6月13.14日には前橋市内にて群馬戦国御城印サミット第7弾も開催予定かっこいいイラスト入り御城印がたくさん掲載のHP、X(旧:Twitter)ぜひチェックしてみてくださいね桐生城通常御城印は、桐生市観光情報センター「シルクル桐生」さまで販売中です桐生城版はもちろん柄杓山城版(限定御城印)も展示桐生和紙を使ったものもあります 皆ほしくなっちゃいます~♪実際の桐生城跡への入口はシルクルから車で10分ほど標高約361メートルの山城で今は遺構が残るだけです 〝兵どもが夢のあと〟ですね なかなかにワイルドなお散歩道 季節に合わせた服装・履物を準備して、シルクル桐生さんでしっかり情報収集して訪ねてみてくださいね桐生桧杓山城跡 桐生城、どんなお城で人々がどんな風に暮らしていたのでしょうか現在の桐生街中は江戸時代にできた町割りだそうですので、今とは全く風景が違っていると思います色々調べていると、「コロンバス通り」あたりまでお堀があったという文献も見られました三方は山で囲まれているし桐生川、渡良瀬川という天然のお堀もあったのでしょう、堅牢なお城だったのでしょうね登山?!が苦手な方は、桐生城の下屋敷だった「梅原館」だけでも♪住宅街の小さな神社の静かな境内 往時はどんな景色だったのかと思うとワクワクします古い刀を守り残す方法や意味残せなかったとしても、思い出に残すことはできないか桐生という街や、ものづくりのこと読んで知っていただき、一緒に考えていただきたいというプロジェクト残り24日間です引き続きどうぞよろしくお願いいたします2026.1.29
本日もご覧くださいましてありがとうございます前回の活動報告で、御刀枕用の生地を桐生市の 天然染色研究所 さまでサンプル染めしてきたというお話をお伝えしました 天然染色研究所さんからいただいた宿題「どんな思いでどんな木から色を分けてもらいたいのか」桐生市の木、モクセイ?桐生だから、桐?職都桐生だから、桑?淡竹89だから竹?色々考えましたが、今回のプロジェクトに寄せる思いとしてはちょっと違う気がします今プロジェクトの短刀、出自はわからないものの、桐生で作られた可能性は低そうです 他の地から桐生に来たのかな?!ならば私と同じです 笑移住の準備で桐生に通っていた頃、そして今現在も、新桐生駅近く 桜木町の桜並木を通って渡良瀬川にかかる錦桜橋を渡ると「あぁ桐生だ、帰って来たな~」と感じますその桜並木から色を頂きたいな、と思い至りましたいつ桜が植えられたのかを調べましたが確かな事はわかりませんでした桐生案内人の会の方に伺うと、“大正2年に東武鉄道新桐生駅ができた時に、桜並木のある新道(群馬県道68号桐生伊勢崎線)もできた” “錦桜橋は錦町と桜木町を結ぶ橋ということで名付けられたのだろう”とのことでした元桐生市議で現在は郷土史研究家の川嶋伸行さん著書「きりふのしほり」の中に “錦町、桜木町の町名は昭和4年正式名称になる前から通称町名として使われていた” “新道に桜を植樹したことから(「桜木町」と呼ばれたの)だろう”とありました同じく郷土史研究家、奈良彰一さん著書の「両毛見聞録」には、昭和9年に描かれた「桐生市鳥瞰図」がカラーで掲載されています 新桐生駅近くの桜並木も綺麗なピンク色で描かれていて、その当時も桜の名所だったことがわかります大正2~3年頃に新道ができると同時に植えられたのだとしたら、昭和9年頃には桜の名所として育っていたとしても納得です錦桜橋は何度か大きな水害に遭っているので、現在の桜も初代ではないのかもしれませんそんなことをあれこれ考えながら、桜並木を歩いて枝を拾わせてもらいました※桐生市役所街路樹担当さまに、枝を拾うこと・染めの材料にしたいことご相談済普段は車で通るのですが、近くで見ると本当に立派で風格ある桜です大切にお手入れされている様子も見られました同時に、何本もの木が伐採されてなくなっていたり、切り株だけになっていることにも気が付きました桜の寿命もあるかと思いますが、最近では外来種クビアカツヤカミキリの被害もあるそうですずっと当たり前にある大切な景色、でもいつか見られなくなるかもしれない景色、思いを寄せたいなと思いました桜並木の小枝からいただいた優しい色草木染は同じ材料を使っても、同じ色を出せるとは限らないそうですどんな御刀枕をお届けできるか、一緒に楽しみにしていただけたらとても嬉しいです不確かな話を長々失礼しました新桐生近くの桜並木について、詳しくご存知の方がいらっしゃいましたらぜひお話、聞かせてくださいね!引き続きどうぞよろしくお願いいたします2026.1.21





