屋久島のイメージって? 屋久島といえば、もののけ姫の世界を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。 縄文杉、コケ、ウミガメ、大自然の息吹が昔と変わらないままに残っている 屈指の世界遺産の名所だと思います。 2018年は節目の年! 2018年には、屋久島が世界遺産に選ばれてから四半世紀、 そして、屋久島のある鹿児島は、 西郷隆盛、大久保利通などが推し進めた明治維新から、2018年でちょうど150年。 様々な節目をこれから迎えようとしており、大変注目を浴びている地域でもあります。 そもそもどうやって屋久島に行くの? 鹿児島の人でもなかなか屋久島には行かないな〜 そんな声を沢山耳にします。 屋久島は鹿児島の南部、JAXAで有名な種子島の左側に位置する島です。 HOW TO ARRIVE IN YAKUSHIMA 屋久島には 1)鹿児島空港から飛行機で屋久島空港に行く手段:とても早い! 2)高速船のトッピーで行く手段:2時間くらい 3)フェリで行く手段:4時間くらいゆっくりと 飛行機であっという間に着くのも快適ですが、 船の旅も捨て難いものがあります。 わたしたちは、鹿児島まで空の旅を楽しんでから船旅を選びましたが、 時間が過ぎるのも忘れてあっという間に島についた感覚でした。 山間の印象が強い屋久島ですが、カヤックやスキューバダイビングなども 楽しめる自然の恵みをふんだんに楽しめる場所です。 島には体にとても良い温泉、島民しか知らないような秘湯などがあり、 島の人と仲良くなって、いろいろな情報を教えてもらうのも醍醐味だと思います。 コンセプト映像にも使いましたが、 星空も言わずもがな満天でして、 自然に囲まれた自分の存在を感じることができることは、 生きていて良かったなと、生命に対しての畏敬を感じることのできる かけがえのない体験だと思います。 ぜひ、みなさんにも屋久島に訪れていただきたいと思います。 わたしたちスタッフは、再度ご挨拶周りのために 10月に屋久島に伺う予定でおります! (次回は、小生が開催している「シネマ・アクティブ・ラーニング」について)
大きな台風も通り過ぎ、八月も本日で終わりますね。 映画の方も一つ一つ準備を進めております。 様々な方へのご挨拶周りの中、ご縁から鹿児島ご出身の田上晃吉さんとお会いしました。 お兄様が音楽プロデューサーの田上陽一さん、 弟様が鹿児島ユナイテッドFCキャプテンの田上裕さん という才能溢れるご兄弟に囲まれております。 お母様も一人芝居で活躍されている女優のたぬきさん。 素晴らしい才能のご家族の中で育ったからか、 ご本人のオーラをとても強く感じました。 殺陣がお得意とのことで、まさに江戸時代の武士を彷彿させるお顔立ちに とても惚れ込んでおります。 本作に向けても、応援をして下さるとのことで、 とても勇気付けられます。 ステキな出会いに心より感謝致します!
スタッフと共に脚本を作成するためのリサーチ (これをシナリオハンティング=シナハンと言います) に出かけました。 降りて最初の印象は、 「この場所に呼ばれている」 という感覚でした。 小生は映画の活動をすることで、全国各地に足を運ぶこととなりました。 その中でも、ご縁の深い場所というのは、 降り立ったその瞬間に、 「あ、この場所が自分を呼んでいる」 という感覚になるわけです。 この感覚は、東京の八丈島、兵庫の赤穂などで起こりました。 屋久島では、「一週間のうち十日が雨」という面白い表現があるほど、 天候が不順な場所です。 小生どもが降り立った時は、お天気にも恵まれ、 大変順調なシナハンとなりました。 島を車で散策して、 白谷雲水峡やヤクスギランドなどを回りました。 話には聞いていましたが、鬱蒼とした森の中、 空気がとても澄んでいて、河もコケもそれぞれが素晴らしい息吹を持っておりました。 日本にこのような素晴らしい場所が存在するのかという感覚になりました。 現代社会に生きていると、様々なものに囲まれ、 ついつい、生きられることが当たり前に感じてしまうのですが、 こういう場所に訪れると、人間というのは、様々な自然の恵みに支えられ 培わられ、育てられていることを再確認できると思います。 そして、最終日の前日は、映画で主人公が最後に向かう縄文杉まで参りました。 明朝4時出発、往復10時間という過酷な行程です。 ガイドの斎藤さんの先導でひたすらこのような道を突き進むわけです。 観光客も大変多く、この日は女性が8割もいる日となりました。 途中外人女性のガイドさんとも出会いました。 なんでも屋久島があまりに好きすぎて、アメリカで学位を取ってから、 こちらに移住されてきたとのこと。 その感覚、なんだかとても分かります。 休憩をちょいちょい挟みながら、ようやく縄文杉までたどり着きました! まさに自分との闘いでしたが、 訪れて本当によかったと感じております。 やっぱり本作のメインの舞台は、この屋久島だという確信が持てた大切な時間でした。 現代人が忘れがちな、自分は誰かの支えのもとに生きている 身近な人間だけではなく、自然や動物などから恩恵を受けていることを 作品で伝えて参りたいと思います。
皆さんは屋久島に訪れたことがありますか? 小生は、実はこの企画が生まれて初めて屋久島に訪れました。 もともと、小生は島が大好きです。 海と陸が混在するあの感覚がとても好きなのです。 ↑おいらが下積み時代からお世話になり、とても大好きな八丈島↑ 実はこの映画を作るきっかけは、とあるお仕事のご相談から始まりました。 「古新さん、映画監督がロボットを作ったらどうなりますか?」 「え?! ロボット」 自分は応用物理を専攻しながらも、プログラミングや工学がとても苦手な人間でした。 なので、このご相談に関しては、自分は門外漢だと思ったのです。 ですが、生まれた頃からあまのじゃくな性格ゆえ、 「ロボットについて徹底的に調べてやる」と思い、リサーチを始めたわけです。 そんな中、母校の早稲田の仲間から、 「吉藤健太朗さんって方が面白いロボットを作っているらしいわよ」 と教えてもらい、OriHimeを知ることになったのです。 すぐにコンタクトを持ってもらい、 吉藤氏の顔写真を観た時に、「!」(この「!」の理由は、講演会でお話ししますね) と思ったのです。 そして、すぐに三鷹の彼の事務所に参りました。 この時に思った吉藤健太朗氏(=オリィ君)の話は、 「とても面白い!」でした。 そして、自分のいじめられて、引きこもりで、それでも這い上がった人生と ものすごく近いと思ったのです。 ・学校に馴染めなかった幼少時代 ・同じ大学の同じ学部 ・映画やロボットを作りたいのではなく、コミュニケーションを育みたい そんな様々な視点がシンクロして、このOriHiimeに惚れ込んだのです。 そして、オリィ君が自分の会社を立ち上げるきっかけとなったのが、 屋久島でキャンプをして見上げた夜空に感動したこと、 OriHImeのネーミングもあまのがわの離ればなれの人たちが繋がる奇跡、 を聞いた時に、本作の舞台は屋久島だ! と直感的に思ったのでした。 (次回に続きます)
皆さん、初めまして。 「あまのがわ」監督の古新舜と申します。 この度、次回長編映画「あまのがわ」に向けて、多大なるご支援、応援を賜り、 厚く御礼を申し上げます。本作は、前作「ノー・ヴォイス」の公開から3年が経ち、 次回は自分がずっと描いてみたかった「自分の道を切り開くには?」です。 自身が映画監督になった経緯もとても不思議なもので、 当初は全く映画監督になりたいなど思ってもいなかったのです。 導かれるようにこの活動を行うようになって、 自分自身の固定観念や先入観、価値観をガラッと変えることができました。 世の中、自分が変わることで、囲まれている人々や接する機会も変わることを体験してきました。 「踏み出す勇気が、自分を変える」 一歩何かを踏み出すことには、それなりのエネルギーや勇気がなければできません。 ですが、私たちは理想や目標を掲げております。 どうして、その目標があるのに、動くことができないのか、 そこには恥ずかしさや失敗を恐れる考えが根付いてしまっているからだと考えます。 これは個人だけの問題ではなく、日本の社会全体に言えることだと思っております。 「社会と個人」どちらも双方がバランスを取って成長することで活性化されていくと思いますが、 今の日本は、Lose-Loseな関係に思えてなりません。 Win-Winの関係になるには、個人が社会のことを見つめ、個人を振り返り、 社会が個人を見つめ、社会を捉えていくことが大切なんだと思っております。 次回レポートでは、本作のロケ地を屋久島に選んだ理由、 そこに導かれた理由を綴ってみたいと思います。