動かぬ体、溢れ出す感情。ALS合⽥朝輝監督の奇跡の映画をリッツカールトンで初公開

体が動かない。声も出ない。それでも合田朝輝監督は映画を撮ると決めました。視線で紡いだ想いを作品に乗せ、リッツカールトン大阪で届ける挑戦。限界を越えて生きる姿が、あなたの心に火を灯します。この瞬間は、誰かの人生を変える物語のはじまりです。

現在の支援総額

582,000

116%

目標金額は500,000円

支援者数

56

募集終了まで残り

51

動かぬ体、溢れ出す感情。ALS合⽥朝輝監督の奇跡の映画をリッツカールトンで初公開

現在の支援総額

582,000

116%達成

あと 51

目標金額500,000

支援者数56

体が動かない。声も出ない。それでも合田朝輝監督は映画を撮ると決めました。視線で紡いだ想いを作品に乗せ、リッツカールトン大阪で届ける挑戦。限界を越えて生きる姿が、あなたの心に火を灯します。この瞬間は、誰かの人生を変える物語のはじまりです。

皆さま、いつも温かい応援をありがとうございます。 プロデューサーの清水ヨシカです。ファーストゴール達成、そしてネクストゴールへの挑戦と、日ごとに熱量を増していくこの映画プロジェクトですが、本日、作品のクオリティを決定づける「とてつもなく強力なパートナー」が仲間に加わってくださったことを発表いたします。地元香川県、そして全国の映画・映像界で大活躍されている映画監督・映像作家の香西志帆(こうざい しほ)さんが、本作の「監督補」として全面バックアップしていただくことが決定しました!■ 異色のキャリアを持つ実力派・香西志帆監督とは?香西志帆監督は、香川県高松市出身。現役の百十四銀行員として地域創生や広報活動に携わりながら、映画監督・脚本家としても数々の輝かしい実績を残されている、非常にユニークでパワフルな映画人です。日本映画界の巨匠である中島貞夫監督に師事し、脚本や映画制作の真髄を学ばれた後、数々の話題作を世に送り出してこられました。●長編映画『恋とオンチの方程式』(2016年全国公開 / 製作:『踊る大捜査線』シリーズ等の本広克行監督 / 主演:夏菜さん、出演:吉田羊さん、戸田恵子さん等)で監督・脚本・編集を務める。●高松盆栽のPR映像『盆栽たいそう』では、世界最大規模の映像祭である「米国国際映画祭」のミュージックビデオ部門で最優秀賞(ゴールド・カメラ賞)を含む2部門を受賞し、国内外で大きな話題に。●短編映画『しまこと小豆島』(2017年)では、国内外の映画祭で多数の賞を受賞。●2015年には、その多大なる功績から「高松市文化奨励賞」を受賞。まさに、香川の魅力を映像の力で世界へ届ける「地域ブランディングと映像制作の超プロフェッショナル」です。■ 撮影からキャスティング、編集、広報まで。合田監督の右腕として今回、香西監督は合田朝輝監督の「何があっても映画を撮る」という執念と、彼が紡ぎ出した脚本の魅力に深く共鳴し、「監督補」という大役を引き受けてくださいました。ベッドの上から視線入力で指示を出す合田監督の「手足」となり、現場での撮影やキャスティングの調整、さらには編集や完成後の広報・配給活動に至るまで、映画制作の最初から最後までをプロの技術とネットワークで強力にサポートしてくださいます。香川県を舞台にしたこの作品において、地元を誰よりも知り尽くし、プロの現場を束ねてきた香西監督の参画は、僕たちにとってこれ以上ないほど心強く、百人力の布陣です。■ そして、物語を彩るキャスト陣にも大きな動きが……!香西監督の全面的なサポート、そして何より合田監督の魂の込もった脚本の力によって、実は現在、スクリーンやメディアで誰もが一度は目にしたことのあるような、著名なキャスト陣の出演も決まり始めています。「この挑戦の一部になりたい」「この作品に出演したい」と手を挙げてくださった素晴らしい俳優の方々を、今後、決定し次第この活動報告にて徐々に皆さまにお披露目していきます。ぜひ、楽しみにお待ちください!■ アマチュアの枠を超え、「本物の映画」として羽ばたくために香西監督というプロの映画人の参画、そして実力派キャスト陣の決定により、この映画は単なる「難病当事者の自主制作映画」という枠を完全に超え、「一人の表現者の執念が生み出す、本物の商業映画」としてのクオリティと格を手に入れました。12月22日、リッツカールトン大阪で皆さまにお見せするスクリーンには、間違いなく素晴らしい作品が映し出されます。僕たちの挑戦は、ここからさらに本格的なステージへと進みます。 どうか引き続き、この奇跡の瞬間に向かう旅を、一緒に楽しんでいただき、背中を押し続けていただけたら嬉しいです。プロデューサー 清水ヨシカ


監督の合田朝輝です。仕事をし始めてしばらくした頃、友人からひとつの提案がありました。「講演で話している内容を、子どもたちにも伝わる形に、絵本にしてみないか」正直、最初は現実味がありませんでした。ただ、やってみたいという気持ちはありました。私がアイデアを出し、友人が文章を書き、別の友人が絵を描く。そうやって役割を分担しながら、少しずつ形にしていきました。構想から完成まで、およそ2年。時間はかかりましたが、『フィーロくんのいと』という一冊の絵本ができあがりました。完成した時、達成感と充実感がこみ上げるのを感じました。その絵本は、地元の学校に寄贈され、いろいろな場所で読み聞かせをしてもらえるようになりました。私が会ったこともない人たちが、この絵本を手に取り、読んでくれている。私が死んでも残るものが作れた。心残りが一つ減った感覚。いつ死んでもいい。そういう風に思うようになりました。かと言って死にたいわけではないんです。ALSという病気と付き合っていく中で、私はいつ死んでもおかしくない。これからどのタイミングで死ぬことになっても、それが私の寿命で運命。そう思うようになったんです。諦めているわけじゃないんです。めちゃくちゃ死にたくないんです。ALSを何が何でも治す。それが私の夢です。そこに向かってできることは続けています。同時に、いつ死んでも仕方ない。そんな不思議な感覚で、今も生きてます。絵本が完成する少し前から、体の状態が段々落ちていくのを感じていました。できていた動作が、ひとつずつ難しくなる。できなくなったことを確認して、受け入れていく日々。それまで続けていた仕事や活動も、徐々に維持することが難しくなっていきました。そんな2024年の12月に、私は呼吸が止まり、救急搬送されました。その日は朝から体調が悪く。食事もほとんど取れず、「休めば治るだろう」と軽く考えていました。しかし、夜になっても回復せず、少しずつ息が苦しくなり。ヘルパーさんに不調を訴えたところで、私の意識は途切れました。目を覚ました時、そこは病院でした。この時期の記憶は、あまりはっきりしていません。正直に言えば、あまり思い出したくない時間です。医師から「気管切開」という選択肢を提示されました。「あなたも周りも楽になる」から早くした方が良いと。すぐには決断できませんでした。もう少し粘りたい。手術をすれば、生活の質が下がる。そう思っていました。当時はまだ、リハビリでHALを使ってなんとか歩くことができていました。完全に動けないわけではない。ギリギリではあるけれど、「まだできていること」が残っている状態でした。食事やリハビリ、日々の生活に気を配りながら、なんとか現状を維持していた時期です。だからこそ、気管切開をすることで、そのバランスが一気に崩れてしまうのではないか、という不安がありました。できるだけ先延ばしにしたい。もう少し、この状態でいたい。気管切開をすれば、全て壊れて失ってしまう。そう考えていました。しかし、結果として、気管切開を選びました。選んだ、というよりは、それしか選択肢が用意されてなかった、という方が正確だと思います。手術自体は特別なものではありません。医療的には一般的な処置であり、看護師として働いていた頃には、何度も見てきたものでした。手術室に運ばれて、麻酔をして、目が覚めたら終わってる。しかし、患者としてそれを受けることは、まったく別の体験でした。術後の生活は、想像していたものとは大きく違っていました。只々、地獄。痛み、違和感、咳、吸引、呼吸苦。どれも今までの日常には無かったものです。 その変化に、適応できない状態が続きました。気管切開をしてからの一年間は、全く余裕がありませんでした。新しい体の状態に慣れること。生活の流れを作り直すこと。それだけで精一杯でした。日常のすべてが、別のルールで動き始めます。呼吸器の管理、体位の調整、周囲のサポート。生活そのものを、一から組み直していく必要がありました。ベッドから起き上がれない日も増え、同時に、身の機能がどんどん落ちていくのをはっきりと感じていました。これまで必死に守ってきたものが、少しずつ、確実に崩れていく。現実は、あまりにも無慈悲でした。「楽になる」という医師の言葉の意味を、何度も考えました。間違っているわけではないと思います。呼吸は安定しますし、命のリスクは確実に下がる。ただ、それは医療的な意味での「楽」であって、少なくとも自分にとっては、生活の実感とは一致しませんでした。むしろ、負担が増えたと感じることの方が多かった。それでも、時間は進んでいきます。環境は変えられない以上、自分が合わせていくしかない。毎日、試行錯誤を繰り返しました。どうすれば楽になるのか。どうすれば負担が減るのか。どうすれば生活が回るのか。試して、失敗して、また試して。それを繰り返していきました。結果として、「楽になる」ことはありませんでした。慣れただけです。痛みを。苦しみを。耐えながら生活することに。完全に無くなったわけではありませんが、いつ、どのタイミングで「それ」が来るのか、ある程度予測できるようにはなりました。それだけでも、感じる負担は変わります。今は、少しだけ余裕が戻ってきました。これが、現在に至るまでの経緯です。自己紹介としては、少し長くなりました。ただ、どれだけ言葉を並べても、今の自分の状態はうまく伝えられない気がしています。それでも、私のことが、誰かにほんのちょっとでも届けば良いと思って、出来る限り言葉にして、残しておきます。改めて。合田朝輝といいます。ALSという状態の中で、映画を作ろうとしています。もしよければ、この先の過程も、引き続き見てもらえたら嬉しいです。


皆さま、本当に、本当にありがとうございます!目標としていたファーストゴールの「50万円」を100%達成することができました!ベッドの上から視線入力だけで映画作りに挑む合田監督の姿、そしてこの奇跡をカタチにしようとする僕たちの想いに、これほど早く、多くの方々が共感してくださったこと、メンバー一同、胸が熱くなる思いでいっぱいです。まずは、このスタートラインに立たせてくださった支援者の皆さまに、心から深く御礼申し上げます。■ 映画完成、そして世界へ届けるための「現実」と「本当の挑戦」今回のプロジェクトを立ち上げるにあたり、僕たちは「まずは支援の輪を広げること」を最優先にし、ファーストゴールを「50万円」に設定しました。しかし、ここから皆さまに僕たちの「誠実な現実」をお伝えしなければなりません。香川県でのロケ、俳優陣の出演料、機材レンタル、そしてプロの手による編集や音楽制作――。 ボランティアスタッフの多大なる協力を得たとしても、映画『カメラの外に何がある?』を妥協のないクオリティで完成させるための制作実費だけで、実際には【350万円】が必要です。さらに、リッツカールトン大阪という最高の舞台での上映会費用や、この映画を全国のミニシアター、ひいては世界の映画祭へ届けていくための宣伝・配給費用を含めると、総額で【600万円】という資金が必要になります。50万円は、この果てしない挑戦の「スタートライン」に過ぎません。■ 12月22日、リッツカールトン大阪での上映会は「開催確定」ですここで支援を検討されている皆さま、特にスポンサー枠での応援を考えてくださっている皆さまに、大切な約束をお伝えいたします。12月22日(火)のリッツカールトン大阪での完成披露上映会は、すでに会場の契約を終え、上映に向けてプロジェクトは後戻りのできない「確定した挑戦」として動き出しています。万が一、目標金額に届かなかったとしても、上映会を中止することは絶対にありません。僕はそれだけの覚悟と責任を持って、この映画を完成させ、皆さまへリターン(上映会ご招待やエンドロール掲載など)をお届けすることをお約束します。だからこそ、映画制作費や上映費用のすべてをカバーし、このプロジェクトを成功させるためには、皆さま一人ひとりの応援の力がどうしても必要です。■ ネクストゴールの設定:まずは「100万円」の山を、一緒に超えてください!本日より、本当のゴールである「映画本編の完成(350万円)」、そして「上映会と世界へ届ける挑戦(600万円)」に向けて、ネクストゴールをスタートします。まず、僕たちが全員で力を合わせて目指す「次のステップ」は【100万円】です。この100万円を達成することで、今夏のロケや編集の初期実費をしっかりと支え、妥協のない作品づくりの力強い一歩を踏み出すことができます。動かない体で、それでも視線だけで一文字一文字想いを紡ぎ続ける合田監督の情熱を映像に宿すために。 そして、12月22日にリッツカールトン大阪のスクリーンに、奇跡の映画を必ず映し出すために。どうか、この物語の「当事者」として、引き続き僕たちの背中を押していただけないでしょうか。 ご友人やSNSでのシェアなど、皆さまの「一歩」を、再び僕たちに貸してください。ここからが、本当の挑戦の始まりです。 一緒に、まだ見ぬ美しい景色をカメラの外側に創りに行きましょう!プロデューサー 清水ヨシカ


監督の合田朝輝です。あらためて、自己紹介をします。合田 朝輝(ごうだ ともき)といいます。香川県観音寺市に住む37歳です。映画を作っています。——と言えるほどの実績は、まだありません。ただ、少なくとも今は、そこに向かって動いています。そして、その前提として、私にはALSがあります。ここでは、私自身のことと、ALSについて書いていきます。あなたはALSについて、どれくらい知っていますか?名前だけは聞いたことがある、という方も多いかもしれません。ただ、その実態については、あまり知られていないように感じています。ALS(筋萎縮性側索硬化症)運動ニューロンが徐々に機能を失っていく進行性の神経疾患。脳から筋肉へ送られる運動の指令がうまく伝わらなくなり、身体を自分の意思で動かすことが難しくなっていきます。進行に伴い、全身の筋肉を動かせなくなっていき。歩くこと、持つこと、話すこと。当たり前にできていた動作が、一つずつ難しくなっていきます。最終的には、呼吸に関わる筋肉にも影響が及びます。ひとつ、誤解されやすい点があります。ALSは「身体が動かなくなる病気」ですが、意識や思考そのものが失われるわけではありません。頭ははっきりしているのに、身体が動かない。言いたいことはあるのに、声にできない。この“ズレ”が、この病気の特徴でもあります。進行の速度や症状の現れ方には個人差があります。ただ共通しているのは、症状が進行性であり、基本的に元に戻ることはないという点です。現在のところ、根本的に治す治療法は確立されておらず、機能の低下は時間とともに積み重なっていきます。こうして説明すると、どうしても重たい印象になると思います。実際、軽い病気ではありません。ただ、これはあくまで一般的な説明です。“情報としてのALS”です。ここから先は、私個人の話になります。ALSの中で、実際にどう生きているのか、という話です。どんなふうに生活が変わるのか。何を諦めて、何を選んでいるのか。そんな話です。最初に違和感があったのは、些細なことでした。右手の親指に力が入りにくい。うまく動かない。ほんの少しのズレ。最初は疲れだと思いました。腱鞘炎かもしれない、と。でも、その違和感は消えませんでした。むしろ、少しずつ確実に、範囲を広げていきました。病院でいくつかの検査を受けて、そして診断が出ました。ALS。約7年前のことです。言葉だけは、なんとなく知っていました。でも、その意味を自分のこととして理解していたわけではありません。説明を受けながら、どこか他人事のように聞いていたのを覚えています。現実感がありませんでした。時間が経つにつれて、その言葉の意味が、少しずつ現実に変わっていきました。できていたことが、できなくなる。その変化は劇的ではなく、むしろゆっくりで、だからこそ確実でした。ある日突然、すべてができなくなるわけではない。でも、確実に、できることは減っていく。その事実に、少しずつ慣れていくしかありませんでした。最初に諦めたのが何だったのか、正確には覚えていません。ただ、「これはもう無理だな」と思う瞬間が、何度もあったことだけは覚えています。そのたびに、少しずつ生活の形が変わっていきました。できないことが増えていく。絶望だけが増えていく。そして気づけば、今まで普通だった日常は、全て消え去っていました。動かせる場所は、どんどん減っていく。動ける間にできることをしておこうと思いました。美味しいもの食べて、行きたいところに行って。マック食べて。温泉入って。夜更かしして。美味しいお酒飲んで。私にとっての、最後の自由な時間。それは、あっという間に終わりました。動けなくなり、やることがなくなった私は、友人の勧めで仕事を始めます。動けないのに仕事?と疑問に思うかもしれません。しかし、私は「逃げ場所」を求めていました。考えなくていい時間を。体が動けない状態は思ってた以上に暇でした。撮り溜めていた番組。いつか観ようと思っていた映画。全てがあっと言う間に消費されていきます。時間ができると、現実から逃げられなくなります。動かないのに感覚だけが残る手足。痛み、痒み、苦しみ。逃げ出したい。けれど、指一本動かせずに、ただそれを耐える日々。私は必死に逃げ場所を求めます。くだらない動画。頭を使わなくてもいいもの。錆びた十円玉がピカピカになる動画を見ていると、何も考えずに一日を終えられる。そんな日が続きます。ある時、そんな私を見かねて、友人が仕事を勧めてくれました。「君は体は動かないけど、考えることはできる。ならできることはある」丁度その頃はコロナ全盛期。社会が急激にオンラインで動き出し、私にも自宅にいながらできる仕事がありました。僅かに動く腕と、なんとか聞き取れる声で、仕事を始めます。ホームページ制作、補助金申請やクラウドファンディングのサポート、マーケティングのアドバイス。講演会などの話もいただきました。ビジネスコンペで賞をいただいたこともありました。この時は、体が動かなくなっても、ずっと仕事をし続けられる。そう思ってました。少し長くなってしまったので、次回に続きます。次は、私が絵本を作った経緯や、呼吸機能が低下し気管切開をした事。そして、仕事を続けるのができなくなった話をしようと思ってます。


プロデューサーの清水ヨシカです。いつも温かい応援をいただき、本当にありがとうございます。この映画制作プロジェクトは、たくさんの仲間たち、そして応援してくださる皆さんの熱い想いに支えられて一歩ずつ進んでいます。今日は、この映画プロジェクトの魂である合田朝輝(ごうだともき)さんの、人生そのものである『挑戦の軌跡』についてお話しさせてください。ALSと闘いながら、自らの意思で子どもたちへ届けるメッセージ合田さんは、難病である「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を患われています。 普段のすべての意思疎通やパソコン操作は、「視線入力(目線の動きだけで画面を操作する技術)」を使って行っています。今、合田さんは自らの活動として、絵本「フィーロくんのいと」を小学校の子どもたちに寄贈する取り組みをされています。その寄贈先の子どもたちに向けて、「自分がなぜ挑戦し続けるのか」その意味を自らの言葉で伝えるため、合田さんご自身の強い意思で、このメッセージ動画の制作を決められたのです。●合田さんの話せていた時の声をAIを使って、テキストを音声化。●絵本のキャラクター「フィーロくん=合田さん本人がモデル」が、その音声に合わせて口を動かして話す。最初は、僕が少しだけ動画作り方のレクチャーとお手伝いをさせていただいたのですが、なんとその後、驚くほどのスピードで「動画を作れました」と連絡をくれたのです。そのメッセージの最後には、こう書かれていました。「動画を作れました。ただ、視線入力での動画制作は、無謀だと実感しました」目線の動きだけで、細かな動画編集ソフトを操作し、言葉を紡ぎ、動画を一本形にする――。その大変さは、僕たちの想像をはるかに絶するものだったと思います。それでも合田さんは、その「無謀」に自ら挑み、子どもたちのためのメッセージを形にして届けてくれました。僕は、合田さんにこう返しました。 「でも、その無謀に挑む姿勢そのものが、子どもたちや多くの人の心を打つんだと思います」指が動かなくても、目線の動きだけでここまでの表現ができる。 その背中(事実)を見た子どもたちが「自分も、何か新しいことに挑戦してみよう」と、どれほど大きな勇気や希望を受け取るでしょうか。合田さんは自らの挑戦によって、すでに誰かの希望になっているのです。圧倒的な「時間の濃度」が生み出す、無限の可能性合田さんの姿を見ていて、確信したことがあります。 それは、彼のように「モニターを通じて世界と繋がる環境」にあり、そこに圧倒的な時間の濃度を注ぎ込める人たちは、僕たち健常者を遥かに超えるスピードで、秘められた才能を開花させる可能性を持っているということです。外出が難しい中で、モニターの画面と深く向き合う環境だからこそ、外からの不要なノイズや遊びの誘いが入ってくることなく、四六時中、そのスキルや表現と徹底的に対話することができる。この圧倒的な「集中できる環境」と「取り組む時間の濃度」の差は、僕たちの想像を超える成長速度となって現れます。それは今回の動画制作に限った話ではありません。彼がこれから積み重ねていく挑戦、表現、そして映画制作のすべてにおいて、健常者を軽々と追い越し、信じられないほどの高い成果と、深い達成感を生み出すはずです。「支援される側」ではなく、憧れられる「ヒーロー」へ人間にとっての最大の生きがいは、「自分自身の力で価値を生み出し、誰かの役に立っている」と実感できることだと、僕は思っています。「かわいそうだから手伝う」という福祉の枠ではなく、圧倒的なクリエイティブスキルで世界を魅了し、大きな成果と対価を堂々と受け取る。まだ合田さん本人や仲間たちに直接話したわけではありません。これはあくまで、僕が勝手に胸に秘めている強い想いです。 「障害があるのに頑張っている人」ではなく、「こんなに人の心を震わせる作品を撮る、一流の映画監督」として、多くの人から憧れられ、背中を追いかけられるような「ヒーロー」になってほしい。そして、その挑戦のプロセスそのものを、僕も全力で応援したい。そんな彼の生き様を、この映画を通じて世界へ届けることこそが、僕がこのプロジェクトを応援し、支え続ける最大の理由です。自らの生き方をもって「無謀な挑戦」を体現し、子どもたちの希望になろうとしている合田さん。彼の撮る映画をカタチにし、この挑戦を多くの人に届けるために、どうか引き続きこの映画クラウドファンディングへのご支援・応援をよろしくお願いいたします!清水ヨシカ


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