フェルメール『真珠の耳飾りの少女』、失われた美しさへの挑戦

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』の400年のひび割れを高解像度データで蘇らせ、デザイナーやクリエイターの手に渡す新たな創作素材へ。

現在の支援総額

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目標金額は240,000円

支援者数

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募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/06/17に募集を開始し、 2026/07/19に募集を終了しました

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』、失われた美しさへの挑戦

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目標金額240,000

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フェルメール『真珠の耳飾りの少女』の400年のひび割れを高解像度データで蘇らせ、デザイナーやクリエイターの手に渡す新たな創作素材へ。

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修復作業の方は、この土日でほぼ完了し、現在は細かな部分を調整する最終段階に入っています。ここまで応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。このクラウドファンディングでは活動報告を通して、修復の進捗だけでなく、フェルメールの技法や顔料、クラクリュール(ひび割れ)など、さまざまなことを考えながら発信してきました。そして修復を終えようとしている今、一番大きな気付きがありました。以前、「照明が変われば見え方が変わる」という活動報告でも書きましたが、美術館が作品を記録するために撮影する高精細画像は、筆致や絵肌の質感まで忠実に記録することを目的としています。そのため、クラクリュールも非常にはっきりと写り込みます。展覧会のポスターやチケット、図録などには、このような高精細画像が使われることが多いため、「フェルメールの作品はひび割れが目立つ」という印象を持たれる方も少なくありません。しかし、実際に美術館で作品を鑑賞すると、写真ほどクラクリュールが強く印象に残ることは少ないように感じます。これは展示照明にも理由があります。作品全体を柔らかく均一に照らすことで、ひび割れの溝にできる影が抑えられ、作品本来の色彩や表情が自然に見えるよう工夫されているためです。では、「展示されている作品をそのまま撮影すれば、実際に近い画像になるのでは?」とも考えました。近年はカメラや画像処理技術も進歩し、以前より実物に近い印象を再現できるようになっています。それでも、一つだけ写真では再現できないものがあります。それは、人の目と脳の働きです。私たちは絵を見るとき、少女の瞳や唇、耳飾りなど、自然と見どころへ視線を向けます。そして脳は、それらを優先して認識し、細かなクラクリュールは背景の情報として処理してしまいます。この「実際に見た印象」は、どれほど高性能なカメラでも、そのまま再現することは難しいのではないかと思いました。そこで今回、一つの試みをしてみました。美術館が公開している高精細画像をベースに、私が修復した「ひび割れを除去した画像」を重ね合わせ、透過率を変えながら、実際の鑑賞に近い印象を再現できないか試してみたのです。今回は20%刻みでいくつかのバージョンを作成しました。これが正解というわけではありません。あくまで、「実際に作品を見た印象に近づけることはできないだろうか」という私なりの実験です。実際に『真珠の耳飾りの少女』をご覧になったことがある方は、ぜひご感想をお聞かせください。「このくらいが実物に近い」「もっとひび割れは目立っていた」など、皆様のご意見が、今後の修復活動の大きなヒントになると思っています。


その刹那
2026/07/09 18:16

『真珠の耳飾りの少女』の魅力の一つは、「振り向いた、その一瞬」が描かれていることではないでしょうか。誰かに声を掛けられたのか、それとも何かに気づいたのか。体はこちらへ向きを変え始め、顔も振り返り、そして視線だけがまっすぐこちらを見つめています。体・頭・視線がそれぞれ少しずつ異なる方向を向くことで、一瞬の動きが絵の中に閉じ込められています。その緊張感が、この作品を見た人の心を引きつける理由の一つなのだと思います。では、その直前まで少女は何をしていたのでしょう。実は、この作品について研究者たちも、「振り向く前」の物語をあえて限定していないことに注目しています。フェルメールは、室内の家具や地図、手紙、楽器といった物語の手掛かりになるものをほとんど描いていません。残されているのは、「誰かに呼ばれたのかもしれない」「何かに気づいたのかもしれない」という、ほんのわずかな瞬間だけです。だからこそ、この絵は見る人それぞれが自由に物語を思い描くことができます。修復作業そのものに、その物語は必要ありません。それでも私は、「振り向く前、この少女はどんな時間を過ごしていたのだろう」と想像しながら作業を進めています。機械的にひび割れを消していくのと、一人の少女の存在を思い描きながら向き合うのとでは、どこか仕上がりにも違いが生まれるような気がするからです。その解釈が正しいかどうかは分かりません。けれど、それもまた、フェルメールが私たちに残してくれた「余白」の楽しみなのではないでしょうか。『窓辺で手紙を読む女』(部分)フェルメール 出展:wikimedia commons修正は残り僅か


実際の美術館では、ひび割れはどう見えるのでしょうか?デジタル修復を進めていると、よく考えることがあります。「実際に美術館で見る『真珠の耳飾りの少女』は、どのように見えるのだろう?」結論から言えば、ネットや画集で見る高精細な写真ほど、実際の美術館ではひび割れ(クラクリュール)は目立たないと言われています。その理由は、大きく分けて二つあります。一つ目は写真の撮影方法です。油彩画を撮影する際は、筆致や絵肌の質感を伝えるために光の当て方が工夫されます。また、高精細・高コントラストで記録されるため、肉眼ではあまり意識しない細かなひび割れまで鮮明に写し出されます。一方、美術館では作品の印象が大きく変わります。展示室では、絵肌の凹凸による余計な影が出ないよう、作品全体に均一で柔らかな光が当てられています。そのため、ひび割れの溝にできる影が抑えられ、写真ほど強く目立つことはありません。さらに、鑑賞距離も影響します。名画は一定の距離を保って鑑賞することが多く、肉眼では細かなひび割れが画面全体の印象に溶け込みやすくなります。私たちの目は、写真のように画面全体を均一に見るのではなく、少女の澄んだ瞳や耳飾りの輝き、表情など、自然と見どころへ視線を向けます。そのため、脳は絵そのものを優先して認識し、細かなクラクリュールは意識の背景へと退いていくのです。そのため、チラシや画集、インターネットで見た印象よりも、「実物の方がずっと美しかった」と感じる方が多いのではないでしょうか。そこで今回は、その印象に少し近づけることを意識して、ひび割れを控えめに残したバージョンも試作してみました。展示での照明を考慮した「ひび割れが薄いバージョン」オリジナル 出展:Wikimedia Commons実際に『真珠の耳飾りの少女』をご覧になったことのある方は、ぜひ感想をお聞かせください。「実物はこんな印象だった」「もっとひび割れは目立っていた」「このくらいが一番近い」など、皆さまの体験を教えていただけると、今後の修復の参考にさせていただきたいと思います。*********************修正作業は毎日コツコツ


#『真珠の耳飾りの少女』には、もう一人の"姉妹"がいます。『真珠の耳飾りの少女』とほぼ同じ時期に描かれた作品に、『若い女の習作』があります。あまり知られていない作品ですが、実はこの二作品には多くの共通点があります。どちらもほぼ同じ大きさで描かれ、黒い背景を背にした少女が真珠の耳飾りを身につけ、肩にはスカーフをまとっています。構図や色彩にも共通点が多く、美術史では「対作品(ペンダント)」あるいは「バリエーション作品」と考えられることが少なくありません。また、どちらも特定の人物を描いた肖像画ではなく、「トローニー(人物研究画)」と考えられています。私はこの二作品を見比べるたびに、フェルメールが一つのテーマをさまざまな形で試みた作品群なのではないか、と想像しています。もちろん、それが注文主の要望によるものだったのか、それともフェルメール自身の創作だったのかは分かりません。しかし、同じテーマでも色彩や表情、光の使い方を少し変えるだけで、作品の印象は大きく変わることがよく分かります。そして、その中で『真珠の耳飾りの少女』は、青いターバン、鮮やかなウルトラマリン、視線、そして耳飾りの輝きが絶妙なバランスで重なり合い、まさに奇跡のような一枚になりました。だからこそ『若い女の習作』は比較されることが多く、どうしても控えめな印象を持たれがちです。それでも私は、この作品は決して「劣った作品」ではないと思います。『若い女の習作』フェルメール(1665-166年)出典:wikimedia派手さはありませんが、フェルメールらしい柔らかな光と繊細な人物表現が静かに息づく、とても魅力的な作品です。『真珠の耳飾りの少女』をご存じの方は、ぜひ一度『若い女の習作』にも目を向けてみてください。きっと、新しいフェルメールの魅力に出会えるはずです。*********************■修正も大分佳境に入ってきた感じです


『真珠の耳飾りの少女』を象徴するものといえば、やはり鮮やかな青いターバンではないでしょうか。実際、この作品はかつて『青いターバンの少女』『ターバンを巻いた少女』とも呼ばれていました。それほどまでに、この青いターバンは見る人の印象に強く残る存在だったのでしょう。ターバンの青には、高価なラピスラズリから作られた天然ウルトラマリンが使われています。そして、その隣には金色にも見える鮮やかな黄色のジャケット。フェルメールは、この青と黄色の組み合わせによって、気品と華やかさを見事に表現しています。では、このターバンは本当に「異国の人」が巻いていたものなのでしょうか。17世紀のオランダでは、東インド会社(VOC)の活躍によってアジアや中東との交易が盛んになり、人々の間では異国文化への憧れが高まっていました。フェルメールだけでなく、レンブラントなど同時代の画家たちも、ターバンを巻いた人物を数多く描いています。しかし、『真珠の耳飾りの少女』のターバンは、それらとは少し印象が異なります。実際のターバンを忠実に再現したというよりも、ゆったりと柔らかく巻かれ、布の先端が肩へ流れるように描かれています。私は修復しながら、この「少しだけ現実から離れた巻き方」に、フェルメールならではの工夫があるように感じました。異国情緒を感じさせながらも、少女の美しさを引き立てるために、あえて柔らかく、優雅なシルエットに仕上げたのではないでしょうか。もちろん、これは私自身の印象です。しかし、細部を修復しながら見ていると、フェルメールは流行をそのまま描くのではなく、自分らしい「ひとひねり」を加える画家だったように思えてなりません。『真珠の耳飾りの少女』は、ただ美しいだけの作品ではなく、フェルメールの色彩感覚と構図、そしてそんな小さな工夫の積み重ねによって生まれた名作なのだと、あらためて感じています。※同じ時代に描かれた似たようなテーマ、色彩の作品を参考にミヒール・スウェールツ『ターバンを巻き、花束を持った少年』(1661年頃)出典:wikimedia*********************■修正作業の報告です


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