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デフフットサル日本代表OURVISION W杯渡航費プロジェクト

男子・女子デフフットサル日本代表は11月のスイスで行われるW杯に出場することが決定しました。 ですが渡航費用や滞在費も選手の自費での負担で賄っている状態です 選手の負担を減らし、沢山の方に応援していただき、男女共に日本フットボール界ではまだ成しえていない【男女W杯アベック優勝 】を目指します

現在の支援総額

4,554,500

22%

目標金額は20,000,000円

支援者数

726

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 726人の支援により 4,554,500円の資金を集め、 2019/07/31に募集を終了しました

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デフフットサル日本代表OURVISION W杯渡航費プロジェクト

現在の支援総額

4,554,500

22%達成

終了

目標金額20,000,000

支援者数726

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 726人の支援により 4,554,500円の資金を集め、 2019/07/31に募集を終了しました

男子・女子デフフットサル日本代表は11月のスイスで行われるW杯に出場することが決定しました。 ですが渡航費用や滞在費も選手の自費での負担で賄っている状態です 選手の負担を減らし、沢山の方に応援していただき、男女共に日本フットボール界ではまだ成しえていない【男女W杯アベック優勝 】を目指します

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デフフットサル日本代表 8番 吉野 勇樹です。山形県出身 神奈川県育ちの27歳です。デフサッカー日本代表とデフフットサル日本代表と合わせて、代表歴は9年目になります。この度、クラウドファンディングのご支援とご拡散いただきありがとうございます。今回は僕自身の「生い立ち」と「デフフットサルを始めたきっかけ」「現状とお願い」について書きますので、興味のある方は最後までご一読いただければ幸いです。「生い立ち」僕は生まれつき耳が聞こえません。両耳平均90デシベルです。幼稚園から中学までは一般の学校に通っていました。小中の間は月に1回、通級教室に通い、発音力や文章力を培うための訓練を受けていました。健聴者との会話では口形を読み取る口話中心でコミュニケーションをとっていましたが、集団での会話となると、今でも難しいです。高校進学を機に横浜市立ろう特別支援学校に入学することになり、初めてデフとの関わりをもち、そこで手話と出会いました。その後は、聴覚障害学生が通う筑波技術大学に入学しました。そこでは情報保障が充実しており、同じデフ同士が対等に学び、互いに切磋琢磨し合える環境がありました。社会人になって、障害に理解のある会社に入り、情報保障の面でサポートをいただくことで、自分の持てる力を存分に発揮することができています。さて、ここで話が遡りますが、僕の生い立ちの中でのサッカー・フットサルとの出会いについてふれたいと思います。僕の原点はフットサルにあります。6歳のとき、横浜市の地元で、ブラジル帰りのコーチが立ち上げたフットサルクラブに入団しました。ボール蹴り始めた当時は、味方にパスもせず、ひたすらドリブルばかりしてました。ただただ下のボールだけを見つめてドリブルをしていたそうですが、僕はこの時期にドリブル技術を培ったと思っています。 12歳までフットサルを続けていくうちに、チームでの戦い方を覚え、自分を犠牲にしてでも、チームが勝つためによりゴールが決まる確率の高い手段を選べるようになりました。中学では横浜市で2番目に生徒が多い学校のサッカー部に入りました。部員が全学年合わせて45人ほどいました。この時に初めてサッカーを始めたのですが、ずっとフットサルをやってきた自分にとってここで初めての挫折を味わいました。ロングボールが蹴れないロングシュートが打てないフットサルコートとは違い、サッカーの広いピッチでプレーするのに必要な技術が足りないことに衝撃を受け、 1年間ひたすら基礎技術(ロングパス、シュート、リフティングなど)を磨いていました。ただ、同学年の中でも絶対の自信があったののは「ドリブル技術」と「スタミナ」でした。これだけは誰にも負けない自分の武器でした。中学2年の夏以降にレギュラーが定着し、不動のボランチとして活躍することができたのは、この強みがあったからこそです。高校時代はろう学校の生徒数が少ないこともあり、サッカー部がありませんでした。その代わりに陸上部に入部して、サッカーのためのトレーニングのつもりで活動していました。専門種目は1,500m走と5,000m走で、全国ろう陸上大会で優勝したこともありました。学校の先輩の勧誘を受けて土日に活動している神奈川デフフットボールクラブ(KDFC)に参加して初めてデフサッカーとの関わりをもち、これをきっかけにデフサッカー日本代表を目指すようになりました。大学1年でデフサッカー日本代表に選出され、日の丸の重みを知り、デフリンピックに2回出場しました。特にサムスンデフリンピックで起こった悲劇は忘れられません。初戦で優勝候補のウクライナに逆転ゴールを決め、大金星を挙げ、予選突破濃厚と思われた日本でしたが、3試合目のイタリア戦で残り数十秒で逆転ゴールを決められ、予選敗退となりました。あの時の悔しさを胸に刻み、次のデフリンピックで必ずこの悔しさを晴らしたいと今も努力を続けています。「デフフットサルを始めたきっかけ」生い立ちの話がとても長くなりましたが、ここでデフフットサルについてふれていきます。2017年サムスンデフリンピックで共に戦った同い年のデフフットサル日本代表 #7 東海林選手の勧誘を受けたのがきっかけです。実は以前からデフフットサルの勧誘を受けていたのですが、デフフットサルに興味を持ちつつもデフサッカーに集中したい理由でお断りしていました。しかし、当時デフフットサルとデフサッカーの掛け持ちしていた東海林選手から勧誘を受け、自分も掛け持ちすることに決めました。なぜデフフットサルを始めたのか?先ほど生い立ちで述べたように自分の原点がフットサルであること。そして、当時はデフサッカーの為のトレーニングの一環と考えていたからです。自分の原点に戻り、もう一度フットサル技術を磨くことで、よりサッカーで力を引き出せるのではないかと思い、デフフットサルを始めました。そこで、デフフットサルフィジカル改革プロジェクト(OURVISION)が始まり、フィジカルベースを上げるべくして、人生で初めてウェイトトレーニングを取り入れ、今まさに身体の変化を感じています。OURVISIONの活動を通してスポンサー様よりトレーニング用品などを提供していただき、限られた時間の中でトレーニングの質を上げることができています。ご提供いただき、本当にありがとうございます。こうして今年タイで行われたアジア太平洋ろう者フットサル選手権にて、フットサルプレーヤーとして自身初の国際大会出場となりましたが、世界王者のイランに勝てず、その差を痛感しました。しかし、その差は11月の世界ろう者フットサル選手権までの努力次第で埋められると思っています。その差を埋めるための努力とは何か?フットサル戦術の理解や実戦経験の積み重ねウェイトトレーニングによるフィジカルベースアップアジリティトレーニングによる身体のキレやスピードアップなどなど、限られた時間の中で努力しなければならないことがたくさんあります。  1日の過ごし方を大切にして世界一になるための覚悟を持って取り組んでいきます。「現状とお願い」僕が所属しているチームは以下の通りです。アバンソールソルド(埼玉県3部)レプロ東京(東京都4部)神奈川デフフットボールクラブ(神奈川県協議会リーグ 1部)なぜ3チームに掛け持ちしているのか?アバンソールソルドはデフフットサル日本代表選手が多く在籍しており、日頃から一緒にプレーすることで、連携を高め、代表レベルの底上げを図るためです。レプロ東京ではデフと聴者の混成チームとしてデフサッカー選手にとってレベルアップを図れるような環境づくりに貢献するのためであり、なおかつ自身のサッカー経験を培う場でもあります。神奈川デフフットボールクラブではデフサッカー日本代表を目指すうえで在籍が必要であり、なにより地元愛のあるチームです。このように3チームを掛け持ちしているため膨大な活動費がかかります。それでも、所属チームでの活動費は自身が代表選手であり続けるための自己投資だと思っております。しかし、大学1年から現在まで毎年、日本代表としての活動費も全て自己負担で海外遠征に行っていました。代表に実力のある選手が選出されても経済的理由だったり、日本でのデフリンピックでの知名度が低いことから、大学や会社で大会派遣を認めてもらえず、海外遠征に行けない選手もいました。代表活動費でさえも選手が負担しなければいけないのが現状です。こういった状況を打開するために、今回のクラウドファンディングを立ち上げることになったのが、ご支援とご拡散をお願いする経緯となります。デフサッカー、デフフットサルの現状を多くの方に認知していただくために、拡散にご協力いただけるとありがたいです。クラウドファンディングに通して、共に「世界一」に挑戦してみませんか?吉野勇樹


私の想い
2019/06/09 16:54
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デフフットサル日本代表8番の宮田夏実と申します。兵庫県出身、関西学院大学4回生で「関西学院大学体育会サッカー部」に所属しており、大学サッカーを中心に日々練習に励んでいます。このプロジェクトをご支援、拡散していただきありがとうございます。今日はデフフットサル・デフサッカーに対する私の想いを綴らせていただきます。まとまりのない拙い文章ですが最後まで読んで頂けると嬉しいです。5つ離れた兄(兄も聴覚障害者です)の影響でサッカーを始めました。小学校の時は、大阪にある聴覚障害者のサッカーチームに月に2.3回くらい通い、中学から本格的にサッカーを始めました。しかし女子サッカー部はなく、それでもサッカーがしたかった私は、男子の中で部活動をしてきました。聴覚障害のことでからかわれることもありましたが3年間なんとか頑張ってきました。高校は女子サッカー部のある高校に行きたくて、学力的にも厳しかったのですが、人生に一度あるかないかっていうくらい死ぬ気で受験勉強しました。そのせいで体重が今より10キロ増えていました(笑) そんな私がデフサッカーに出会ったのは、中学1年生になる春です。そして、大学2回生の時に山本監督に声をかけて頂き、それまでサッカー一筋だった私がフットサルを始めました。サッカーとは違ったフットサルの面白さにすぐに魅了されました。私がデフサッカーに初めて入った頃は、練習着も支給されず、合宿も今みたいに多くなく、1年に2.3回だけでした。それと比べて今ある環境は少しずつ良くなってきていますが、毎月行われる合宿の宿泊費や交通費、そして国際大会の遠征費はほぼ自己負担です。それは入った頃と全く変わっていません。私はデフサッカーとデフフットサルを掛け持ちしており、さらに大学サッカーの部費代や遠征費、その上学費もあり、経済的にとても厳しいです。経済的な理由で辞めていった仲間も見てきました。その時はつらかったです。また、正直なところ、代表合宿に参加するにしろ、このクラウドファンディングをするにしろ、デフの活動をすることにまだ葛藤があります。私は大学サッカーでレギュラーではありません。出たり、出なかったりです。日本代表というのは、所属チームで活躍してこその代表だと考えます。そんな私が胸を張って日本代表としての活動をしていいのだろうかというもどかしさ。国際大会などで長期間部活をお休みする時の後ろめたさ。それでも大学の仲間がデフの活動に理解を示してくれて感謝しかないです。私がデフフットサル・デフサッカーをする目的の一つとして、デフフットサル・デフサッカーを通して、1人でもより多くの方々に聴覚障害のことを知ってもらい、子どもたちに夢や希望を与え、健聴者との架け橋になることです。私自身子どもの頃、聴覚障害であるという現実をなかなか受け入れられず、なんで自分だけが聞こえないんだろう、聞こえてたらもっとあんなことやこんなことできていたのに、と聴覚障害に対して前向きになることができず、そんな自分が嫌いでした。そんな時にデフサッカーと出会い、聴覚障害を持っていながらも前向きに胸を張って頑張るお姉さん達を見て、私もあんな風になりたいと憧れを持ちました。以前よりも前向きにポジティブになれました。また、人間関係が上手くいかず、何度もサッカーを辞めようと思った時もデフサッカーとデフフットサルがあったから、また同じようにデフの仲間が頑張っているからこそ、辞めずに続けてこれました。だから私は、デフフットサル・デフサッカーに夢と希望をもらい、ここまでやってくることができました。次世代に繋げるためにも今度は私が恩返しする番だと思います。今回のデフフットサルW杯で必ず世界一をとり、デフカテゴリーの認知度を上げ、今ある環境をより良くしていきたい。そのためにも今まで以上の覚悟を持って、このチャレンジに挑みます。この大好きなメンバーとフットサルができ、応援してくださる方々がいることの喜びを噛み締めて、皆さまの想いをのせて必ず世界一を成し遂げます。どうか皆さまのご協力、ご支援のほどよろしくお願いいたします。最後まで読んでいただきありがとうございます。#8 宮田 夏実


酒井藍莉の現状
2019/06/08 18:10
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女子日本代表#11 酒井ですたくさんのご支援をありがとうございます。100万突破、驚きが隠せません。本当にありがとうございます!!さて、、今回は私の現状についてお話したいと思います。私は0歳から中学までろう学校に通っていました。私が小学2年のとき、妹がサッカーをやっていたきっかけでサッカーを始めました。小学4年から男子チームと女子チーム、掛け持ちで活動し、女子チームでは各大会優勝、準優勝という結果、最終の目標である全国大会2位という結果を残し、新聞に載った事でデフサッカー選手である人からデフサッカーの日本代表がある事を教えて貰い、合宿に参加させて頂いたのがデフサッカーを知ったきっかけとなりました。中学ではろう学校に通いながら藤枝順心という強豪チームに入り、色々経験を積んで来ました。中学二年でデフサッカーワールドカップ、3年でデフリンピック、最年少しとして参加していました。その時はまだ知らなかった。母の大変さを。あれから数年経ち、デフサッカーとデフフットサル合同合宿があった時。初めてデフフットサルがある事を知りました。しかもずっと一緒だった#10ブチがフットサルをやっていた事すら知りませんでした。ちょっとショックでした。(笑)実際デフの人たちと一緒にフットサルをやってみたら、意外と楽しい、面白い!事に気づきました。それでも日本代表になろうとは思いませんでした。2年前の4月、中国遠征があった時。大会に参加した時、ファーストメンバーに入れず、セカンドとしてやっていました。相手が強かろうが弱かろうが関係なく、ピッチに立っているメンバー達と連携してゴールできた快感が一生忘れられず、、。フットサル日本代表になりたい!!!とここで初めて想いが出てきました。そこからフットサル日本代表として活動することを決めました。今までサッカーの合宿費は全て母が払ってくれていましたが、その遠征費は初めて自分でお金を出しました。ここで初めて知ったのです。「高い!!!」という事を。今まで中学から払ってくれたそのお金には及ばないけど...今まで頑張ってきたバイトのお金を貯めてきた分全てが無くなりました。代表になったのはいいが、お金がなければ合宿も行けない。そう気づいたのです。そこからバイトをできるだけ入れて残業もして貯めてきたお金も、月一の合宿だけで全部なくなる。それぐらい負担が大きい。中学から遠征費を払ってくれた母は、、100万を越える大金を払ってくれたということになる。社会人になり、一人暮らしを始め、国際遠征も2回あったが、苦しかった。生活費、家賃、それにプラス合宿費、遠征費、給料だけではやっていけないと実感した。スイス、諦めようと何度も思ったか。。お金が無い。本当に無い。お金が無い理由でその夢を諦めてしまっていいのか。。色々と悩みました。それでも練習しなければ日本代表になれない。世界一になれない。だからチームも入らないといけない。それで見つけたのがさいたまSAICOLO(女子日本リーグ)でした。チームに入ることでまたお金もかかってしまう。尚更合宿にも行けなくなってしまう可能性も高まってしまった。それでも行く。行きたい!!母が喜ぶ顔が見たい。聞こえない子供たちの笑顔が見たい。その思いでなんとかして行けるようにしてるのが私の現状です。代表として行きたくても行けなくなる選手がこれから増えてくると思います。自己負担が大きい分、活動できる範囲も減ってしまい代表をやめないといけなくなるやむを得ない状態になってしまう選手も出てしまいます。私もその一人になりそうです。。私たちの負担が少しでも減ってくれたらなと思います。環境をもっとよく。それが私にとって最終的な目標です。それが私の願いです。これ以上悩みたくない。そのためには皆様のご支援が必要です。皆さんからご支援いただいた分私達は必ず世界一を獲る!!!皆さんに支援してよかったと思ってもらえるように頑張ります!!長くなりましたがこれからもどうぞよろしくお願いします。女子フットサル#11酒井 藍莉


未来のために
2019/06/08 11:04
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はいたーい!デフフットサル女子日本代表沖縄県出身の宮城実来ですここから私の気持ちを書かせてください。生意気いってたらすみません私は生まれたときから沖縄で育ち、小さい時から普通の学校に通ってたため初めてデフの世界に入ったときは全然手話が分からず周りの先輩方の助けを借りながらなんとかコミュニケーションを取ってきました高校までは合宿が近づくとボール蹴る場所を探してたらすぐ連絡をくださって一緒に混ざって練習するという素晴らしい環境にいられて恵まれてました。しかし、県外合宿に参加するのに飛行機がないとどこにもいけない島なのでお金がかかってしまう為、すごく家族には迷惑かけ申し訳ない気持ちでしたが家族は私の夢が叶うまでサポートする!と言われ、13歳~県外合宿に両親のどちらかと二人三脚で参加してきました。これからも国際大会が多く、沖縄から通うのも金銭的にも厳しいのと家族の負担を減らしたいのと、私の夢が叶う最も近い道はそこしかないと思い4月からの大学生活は地元・沖縄を離れて過ごすという決断をすることになりました。何度も親や周りの方に反対されましたが、最終的には涙しながら見送ってくれたのでこの決断を無駄にせず、世界一という夢を掴み取って地元沖縄に戻って未来の子ども達に夢と沖縄から全国へ!そして世界へ羽ばたいていく人材が出てくるまで頑張りたいと思っています!応援のほどよろしくお願いします#デフフットサル日本代表W杯渡航費プロジェクト#デフフットサル日本代表スイスW杯#デフフットサルOURVISION#W杯男女合わせてアベック優勝#拡散希望#支援してくれた人たちと世界を共に取る#枠を超えろ#Gobeyondtheframe【OURVISIONプロジェクトスポンサー、サプライヤー】#SHUNTAPLUSしゅん太鍼灸整骨院#おかざき鍼灸整骨院#つながるサポート株式会社#Hogrel#FRUTAFRUTA#LINETRAININGLAB#株式会社Creavita#ASHITAcommunicationdesign#Pazduro#Incographica#日本ウエルアップサポート協会#株式会社ステアス#株式会社おさるの森#株式会社リアルスタイル#株式会社丸五#株式会社BANDEL#株式会社キタイ#株式会社飯田産業#株式会社大潟村カントリーエレベーター公社#江戸川区臨海球技場#オーエンス


覚悟
2019/06/08 08:52
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デフフットサル日本代表13番  宗澤麟太郎です。チームでは最年少の20歳です。チームメイトからは「ムネ!!」と呼ばれています。本日までに沢山の人に支援していただき、ありがとうございます。生まれつき耳が聞こえないため、幼稚園から小学校二年生まで聾唖学校に、小学校三年生からは公立の学校に通いました。聾唖学校では同級生が10人いましたが、普通に聞こえる人はどんな学校でどのように学校生活を送っているのだろうと興味がわき、転校しました。転校したタイミングで小学校の近くにあったサッカーチームに入り、そこからサッカーを始めました。大学に入るまでずっとサッカーをしていました。18年間、「デフ」というものを知りませんでしたが、友人の友人がデフサッカーをやっているときき、その人の紹介でデフサッカーを始めました。その後東海林さんのお誘いで、アバンソールソルドに入りフットサルを始めました。そして6月に合宿に呼ばれ、今こうして日本代表として活動しています。アジア予選に出場しイランと戦った時の衝撃は忘れられません。こんなに上手い選手がデフという世界にいるんだと。でも、勝ちたい!世界一になって見たこともない景色を見たい!と。日本代表として活動していますが、まだまだ自分は下手くそです。だからこそもっと上手くなりたい、強くなりたいと思っています。毎日動画をみて勉強しています。切磋琢磨している仲間がいる中で、代表ではスタメンをとるという気持ちを持っています。今は脇役という位置にいますが、ポジションをとるつもりでいます。自分の武器はドリブルとシュートです。磨いていき、イラン相手に臆することなくチャレンジします。その姿勢を見てる人に勝負の楽しさを伝えられたらと思います。世界一というのはとても大きい目標だと思います。しかし、この苦しい環境を変えるためにもならなければいけません。今出来ることを精一杯やり、一つ一つの課題を乗り越えていきます。最後まで目を通していただきありがとうございました。引き続き応援、支援をよろしくお願いします!