手前味噌な言い方ですが 春の陽に照らされた、ひん太の金色のたてがみは 本当にこの季節、きれいだと思います。 大学時代の友だちが支援してくれ、lineからも便りを くれました。 今も私のことを「たっちゃん」と呼んでくれる 有り難い友だちです。 クラウドファンディングは有り難いことに 昔の友だちとも、もう一度会わせてくれます。
・・・でした。 14時46分には当地でもサイレンが鳴り響きます。 7年前の2011年3月11日。 今回のお礼の品物にもなっている拙著「僕の子ども絵日記 ~ながさきの四季」が印刷所から刷り上がって自宅に届いた日でした。 仕事場で荷ほどきをしながらラジオをつけていると、 東北の方で大きな地震があったと。 当時小学校1年で早く帰宅していた娘と居間のテレビをつけると、 そこには信じられない光景が映し出されました。 ヘリコプターから映される大津波のライブ映像。 カメラが映した津波の先には、何も知らない人々が 悠々と歩いていて・・・・ 7年目の今日、日曜ということもあり、各局特集番組の中で けっこうな勢いで当時の津波映像が流されていましたが、 やっぱり私の中でも3.11はトラウマです。 見続けることができず、テレビを消しました。 それから、一年後となる2012年3月10日に 対州馬の荷はこび再現を長崎市伊良林で行いました。 当時小1だった娘は中学3年になろうとしています。 月日は流れました。 今日は天気もよく風もなく、とても静かな一日で、 平和な日々の有り難さをしみじみと想う一日でした。
作業をしていると、おばあさんと小さな子どものやりとりが聞こえました。 見ると、おばあさんとお孫さんらしき、小さな男の子。 「ちょっと、馬を見せてください」と。 もちろん大歓迎です。 聞けば、けっこうな道のりを二人で手を繋いでやってこられたのだそうです。 おばあさんは、その昔市内で荷運びする馬の姿をよく見ていたのだとか。 きっと孫にも馬を見せてやりたかったのでしょう。 しばらく、ひん太の様子を見ていましたが、帰る時、 男の子は「ありがとうございました~!」と大きな挨拶をして帰っていきました。 3歳だと言っていたので、年齢的に微妙ですが、 この日のことをずっと覚えておいて欲しいなぁと思いました。 『昔、故郷で祖母と一緒に、手をつないで歩いて対州馬を見に行ったことがある』・・・と。
・・・というほどのことはないんですが、 朝はめずらしく横に住まれてる大家さんが 顔を出してくれました。 ひとり暮らしをされているのですが、 いつもいい感じのタイミングで顔を出しては 気持ちよく話してくれる、いい方なのです。 午後は、お母さんと小学生の娘さん、 転勤がなく、また今年もひん太に会いに来れると 伝えに来てくれました。 馬が繋いでくれる「縁」。やっぱりいいものです。
なんて思ったのは、前の放牧地では一度もありませんでした。 今日は朝からしっとりした雨。 風も無いので、 「雨もまた、楽し」という感じです。 でも、雨の日はやっぱり誰も来ないので さびしいです。 もしかして、小学生達が来るかなと思い ニンジンを余分に持っていってましたが、 持ち帰ることになりました。 今までよく来てくれた親子さんはもしかして 今回、引っ越しかな?とか 中学生達も卒業後は忙しいしなぁ・・・なんて 考えているとなんだかやたらさびしくなります。 前の放牧地は山の中だったので、はなから そんなさびしさも無かったのですが・・・