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夢を叶えるための第一歩

将来フリージャーナリストになって貧困地域や紛争地域にいる社会的弱者を取り上げたいと思っています。そのために9月から一年間NPO法人でインターン、次の一年間イギリスで留学しようと考えています。どちらも夢のためには必要なステップです。

現在の支援総額

45,000

3%

目標金額は1,500,000円

支援者数

4

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/07/12に募集を開始し、 4人の支援により 45,000円の資金を集め、 2020/09/29に募集を終了しました

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夢を叶えるための第一歩

現在の支援総額

45,000

3%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数4

このプロジェクトは、2020/07/12に募集を開始し、 4人の支援により 45,000円の資金を集め、 2020/09/29に募集を終了しました

将来フリージャーナリストになって貧困地域や紛争地域にいる社会的弱者を取り上げたいと思っています。そのために9月から一年間NPO法人でインターン、次の一年間イギリスで留学しようと考えています。どちらも夢のためには必要なステップです。

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便利さの弊害
2021/09/03 06:26
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(こちらのnoteにも投稿しています)「ウガンダの料理はとても美味しいです。ただ一つ言いたいのは『味が濃い』。」という始まりで前回記事を書きました。(料理から見えるウガンダの歴史)今日、友達と話していて悲しいことも分かったので同じ話題を書くことにしました。私が住んでいるグル県にはアチョリという民族が住んでいます。食材は魚や肉も食べますが野菜中心でとてもヘルシーです。すごくレパートリーも豊富で、美味しい民族料理ナンバーワンといっても過言ではないのではとも思うほどです。(私は民族料理をそこまで知りません)しかし、気になるのは上記の通り、味が濃い、つまり塩や砂糖、加えて油を大量に使うということです。前回の記事では調味料が使われるようになった背景として、先進国が持ち込み、多く消費するよう宣伝したと書きましたが、別の理由があるようです。(以下、あくまで友達から聞いた話で、アチョリの場合です。)1990年代から2000年代初めにかけて、紛争(LRA vs 政府軍)によりたくさんの国内避難民キャンプがありました。そして国連が支援のためにウガンダに入ってきて様々な物資を提供します。その中に塩、砂糖、油がありました。もともとアチョリは塩や砂糖を使う文化はありませんでした。今でこそ大量の砂糖を入れた紅茶を朝食として飲む文化が定着していますが、当時は外国から来た人の文化であり、一般の人は前日の残りを朝食とし農業に行くのが習慣だったようです。調理の際も、食材の本来の味を楽しむために塩は使っていませんでした。油を使う文化はありましたが、一般的な人は高級なサラダ油を使っていませんでした。何を使っていたのか。それは”ごま油”です。ごま油は日本食のイメージがあるかもしれませんが、ウガンダ北部はゴマの産地のため、料理にもたくさんのゴマを使ったものが存在し、ゴマから出る油を活用して調理します。それだけでなく、ゴマを石ですり潰し、少量の水とこねることで油を搾りだし、ごま油を生成していました。ウガンダは今でも9割の国民が農業に従事しており、高級なサラダ油を買わなくても自給で自分の農地からとることが出来たのです。しかし、援助が入り、無料で大量生産された安価な砂糖、塩、油が無料で配られ、それに慣れてしまった人々は昔の習慣をほぼ失ってしまいました。今でも貧しい小さな村の人々はその習慣を続けている人もいますが、ほとんどの人が貧しくてもお金を絞り出し、砂糖、塩、油を買っています。また以前、ポショ(ポショ、ポショとは?)についても紹介しましたが、ホワイトポショの定着も援助がきっかけです。援助の際は保存のできるものを大量に支援することが多いため、新鮮で栄養素の多いオーディナリーポショではなく、栄養素を削り長期保存を可能にしたホワイトポショが配布されました。その結果上記の調味料同様、人々はホワイトポショ(の便利さ)に慣れてしまったようです。支援によって生まれる負の側面の一つは文化や習慣を壊してしまうことです。(別の支援の難しさも以前紹介しました)いい意味でとらえれば”進歩”(早さ、便利さ重視)ともいえるかもしれませんが、これによってアチョリの寿命は短くなり、病気になる人も増えたようです。教えてくれた友達は「以前のアチョリの食習慣に戻ってほしい」と話していました。せっかくこんなに素敵な、世界に発信できる文化があるのに、西欧化して世界共通に近づいてしまうのは悲しいしもったいないことだと思います。アチョリ料理の魅力に気付いて誇りに思っているアチョリの人々はたくさんいるので、当時の文化は忘れず、可能な限り続けて、受け継いでいってほしいなと思います。




(こちらのnoteに投稿しております)コロナ禍で”アジア人差別”が聞かれるようになった。ウガンダも例外ではない。個人的にだが、6/19に再度発表されたロックダウン後から、「コロナ!」(「チャイニーズ!」)と叫ばれたり、マスクを少しでも外すと顔をしかめてマスクをつける動作をしてみせる、消毒液を顔の前に突きつけてくる、などをされた。私の経験もそうだが、世界でこのような話やひどい場合は暴力事件にも発展していると聞くと単純に、「ひどい話だ」「差別だ」「悲しい」と思っていた。しかし、いったん冷静になり俯瞰してみると、違った側面にも気づくことができる。コロナが世界中で話題になり始めたとき何が起きたか。多くの人々が我先にと自国に帰国したのではないか。その中には海外で生活をしていた人やビジネスをしていた人、さらにはNGOのような国際協力をしていた人もいるだろう。海外で生活しているよりは自国の方が安心、国境が閉鎖される前に帰国したい、といった思いがそうさせたのは容易に想像ができる。(一方で、本人の意思に反して国や所属団体が強制帰国させたケースもあるのは確かだ)しかしそれを実行したのは誰か。飛行機に乗れるくらいの経済力をもつ”金持ち”なのではないか。(*個人差はあるが、ひとくくりに”飛行機に乗れる=金持ち”とする)そう思うと前述したウガンダでのアジア差別も仕方ないのではないか。コロナの発祥は中国だというのが現在の世界の認識だ。そこから日本を含むアジアに広がり徐々に世界中に広がっていった。世界中で国境をまたぐ大移動をしたことはその原因の一つと言えるだろう。しかしウガンダの人々の大半は、国から出るどころか自分の住む地域から出たことのないものばかりだ。では彼らにとって、”金持ち”のイメージがあり自国民ではないムズングを見れば、飛行機に乗ってウガンダに来てコロナをもたらしていると考えるのは必然なのではないだろうか。視点を少し外に置くと相手の言い分が分かり、批判の気持ちはなくなる。世界中で様々な”差別”が叫ばれるなか、みんなが(分かっていても)忘れがちなことだと思う。「他人の靴を履く」意識を常に持つことは世界中で必要なことだ。また、この点に気づくと「悲しい」ととらえていた私の感情が「申し訳ない」気持ちに変わった。しかし、私がコロナをウガンダにもたらした訳ではないのは事実だ。彼ら彼女ら自身も私が元凶ではないことは理解している。私がすべきなのは”ここにいるべき”理由(ウガンダに渡航し滞在することを決めた理由)、帰国した人々は帰国の理由を体現ししたうえで今できることを最大限やることだ。この話は、ある程度以上の余裕のある人と脆弱層とに分けた場合よくあることだと思う。結局国際的な、グローバルな動き(全体的、大きなもの)は脆弱層を取り残してしまう多数決の世界だ。力のあるものや多数が利益を得るためこの構造はなかなか無くならない。脆弱層が取り残された場合、そこに立ち向かう体力は十分ではないどころかむしろなく、倒れてしまう。ではどうしたらいいか。困難に取り組む余裕のあるものが、責任をもってリスクを負わなければならないのではないか。余裕のあるものがリスクを負えばそれを跳ね返す可能性も十分あり、少なくともそれに耐えることはできるだろう。余裕のあるものが世界を動かすなか実現はなかなか難しいが、そこを意識できる人が率先してリスクを負担して少しずつ広げていくのが一番の近道かもしれない。