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夢を叶えるための第一歩

将来フリージャーナリストになって貧困地域や紛争地域にいる社会的弱者を取り上げたいと思っています。そのために9月から一年間NPO法人でインターン、次の一年間イギリスで留学しようと考えています。どちらも夢のためには必要なステップです。

現在の支援総額

45,000

3%

目標金額は1,500,000円

支援者数

4

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/07/12に募集を開始し、 4人の支援により 45,000円の資金を集め、 2020/09/29に募集を終了しました

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夢を叶えるための第一歩

現在の支援総額

45,000

3%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数4

このプロジェクトは、2020/07/12に募集を開始し、 4人の支援により 45,000円の資金を集め、 2020/09/29に募集を終了しました

将来フリージャーナリストになって貧困地域や紛争地域にいる社会的弱者を取り上げたいと思っています。そのために9月から一年間NPO法人でインターン、次の一年間イギリスで留学しようと考えています。どちらも夢のためには必要なステップです。

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カリブ
2021/08/21 04:19

(こちらのnoteに投稿しております)「カリブー!」ウガンダに来て一番と言っていいほどよく聞く言葉(スワヒリ語)で、直訳すると「welcome」です。マーケットでのお客様への呼びかけ、オフィスに入ってすぐの挨拶、何かしているときに人を迎え入れる、などなど、、、ゲストの訪問を受け入れ、感謝する素敵な言葉です。笑顔でみんなが「カリブ」と声をかけてくれると温かい気持ちになります。言葉だけでなく、実際に食事や自宅内にも招いてくれます。歩いていて食事中に出くわすと「カリブ」と自分の分ぼごはんをお裾分けしてくれたり、食事をもう一人分出してくれることもしょっちゅうです。また道で出会い、会話して少しでも仲良くなるとすぐに家に招き入れてくれます。自分のお店の商品をくれたり、ちょっとしたお菓子を買ってくれたり、あげることを惜しまない様子もみられます。一方でお金やものを欲しがったり、お客様を確保しようとする姿勢は遠慮がなく、初めは驚いてしまうほどです。(マーケットではたくさんの人に「customerカリブ」と言われるので正直にいうと疲れます)最後の部分はネガティブに聞こえるかもしれませんが、ここに書いたことは総じて、「受け入れる」「信頼する」「共有する」といった気持ちから生まれる、とても素敵な人柄です。支えあい生活し、人と人との関係性が近いからこその文化であるともいえるかもしれません。


(こちらのnoteに投稿しております)私は英語で会話できます。それは外国で仕事をしたい、外国人と話したい、と大学の授業に加えて自学で頑張って勉強したおかげです。しかし今でも、頻繁に単語が浮かばないし発音もキレイではなく、決して流暢じゃありません。ウガンダの人も英語を喋れます。小さい子供もある程度ならわかり、大人は普通に会話できる人が多いです。小学校から英語は必須科目として特にスピーキングをやるし、たくさんの外国人が旅行や移住でいるため日常的にも使います。ある時、ウガンダに住むインド人経営者が従業員(と私)にこんな話をしていました。「ウガンダは国のレベルが低く、自国だけでは経済が回らないし発展できない。だから強い国に頼るために、その多くが用いる英語を学んで公用語にもなっている。最近は中国語も学校の授業に加わったしね。」「逆に日本とか中国(と英語ネイティブの国)はその国自体が強く、自国だけでも成り立つ。他国との関係性は必要不可欠ではないしそのための言語も習得する必要はない。だから彼らの公用語は日本語や中国語で英語は選択的・自主的に習得する言語でしかない。」確かにウガンダはいわゆる途上国に分類される国であり、先進国からの支援に頼る国です。経済力も強くないため物価も安く、だからこそNGO関係者や経営者、移住者として外国人が多く住んでいます。しかしこれだけの理由ではなく、違う言語を使う民族がたくさんいるため、その垣根を越えて会話するには共通の言語とが必要になってきます。その言語が公用語である英語です。もちろんもう一つの公用語であるスワヒリ語よりも英語が浸透しているのは、上記の外国との関係による利便性があるからだと思います。単純に植民地支配の名残としか考えたことがなかったため、現在まで公用語として英語が強く根付いている理由を考える彼の意見には納得しました。しかし一方で、彼の言葉の背景に、自分たち(自国の言語を重視する国)が優れていると考えた、上から目線な考え方が多少なりとも含まれているのではないかなと感じました。彼の経営者という立ち位置で従業員に対して話していたからかもしれませんが、私を仲間として、ウガンダの人を見下した雰囲気を感じてしまい、その時私は納得したものの彼に同意できませんでした。英語のおかげでウガンダは日本に比べ、外国と取引がしやすく、ウガンダ人は自国にある外国企業や外国で就職することも容易です。さらに言えば自分の民族の言語と英語に加え、スワヒリ語やほかの民族の言語を喋れるマルチリンガルも少なくありません。これは絶対強みで誇れる長所だと思います。内容としては結局同じかもしれませんが、長所と短所は表裏一体で考え方次第です。性格や特徴を否定せず、認めて伸ばしていける考え方ができると素敵だし、これは”国際協力”や”支援”にも必要な考え方だと思います。(もう一つ、村で自分の民族の言葉のみを用いて自給自足の生活を送る人々もたくさんいます。彼の考え方で行くと彼らは”レベルが高い”ことになります。これもある意味肯定できるし否定できる例だと思います。皆さんはどう思われますか?)


(こちらのnoteに投稿しております)ウガンダで食べる料理はとても美味しいです。ただ一つ言いたいのは、「味が濃い」。ウガンダの料理の味付けは基本塩ですが、料理の様子を見ているとやはり塩や油をたくさん使っています。紅茶や牛乳を飲む際の砂糖も大匙山盛り5杯入れるのは普通です。そういう文化なのかなと思っていたのですが、個人差があります。しかしただの個性ではなく、そこには理由があることに気が付きました。「たくさん調味料を使うことに抵抗がある人は街中に住んでいる、もしくはある程度安定した生活を送っている」というものです。どういうことか。調味料=砂糖、塩、油などをたくさん使えば保存がきくようになります。乾季や雨季でも日中は気温が高く、冷蔵庫を持っている人はほとんどいない(首都除く)ウガンダでは食品がすぐ傷んでしまいます。そこで調味料を多く使って長持ちするようにしていることが考えられます。だからこそ、保存をそこまで考える必要のない生活レベルの人々は調味料を多く使う必要がないのです。また、調味料を使いすぎることが健康に害をもたらすという知識を持っています。これは相対的貧困の人々に肥満が多いことと同じ問題です。お金がないと調味料を使って持続させた安い材料を使うファストフードなどを食べがちになり、量は食べていなくても高脂質・高カロリー(低栄養素)の食品を摂取することになります。(参考:イギリス国内では富裕層の子供は痩せ、貧困層の子供は更に太っていく現実(英研究))また、もう一つウガンダで調味料をたくさん使う背景に、先進国との関係性もあるようです。調味料が先進国から持ち込まれた際、先進国はより多く売るために、調味料を多く使うよう宣伝したようです。(美味しさ、保存のため)依存性もあるため、調味料を多く使う文化が生まれてしまったと考えられます。貧困層、富裕層の間に差が生まれているところを見ると、これから発展していけば変わっていくと思いますが、健康にも影響するこの慣習は早めに変わっていってほしいなと思います。*この文章は筆者が周りの友人の話や主観をもとにした一つのアイデアであり文献やデータをもとにしているわけでなありません


ポショ
2021/08/21 04:12
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(こちらのnoteに投稿しております)ポショをご存じでしょうか?(参考 ポショとは?)ポショはトウモロコシを粉末にしてお湯で練ったアフリカの主食です。(作っている様子です→Youtubeより)スワヒリ語でウガリといいますがこちらのほうが聞き覚えのある方が多いかもしれません。ウガンダの主食はマトケと呼ばれる甘くないバナナやスイートポテト、アイリッシュポテト、キャッサバ、お米、ミレットなど様々ですが、ポショが一番一般的に食べられています。今回はそんなポショの話ですが、ウガンダでは2種類のポショがあります。一つ目は真っ白のポショ(以下、ホワイトポショ)、二つ目はクリーム色のオーディナリーポショです。オーディナリーポショは乾燥させたトウモロコシ全部を粉末にしていますが、真っ白なポショは胚乳という炭水化物と水分でできた部分のみを使っています。つまり、ホワイトポショはトウモロコシの栄養素をがっつり取り除いちゃっている糖分だけ高いポショなのです!!しかも減らした部分は処分したり飼料となったりいるためもったいない!!しかし、ホワイトポショは広く食べられています。では一体なぜなのでしょうか?私の周りの人と話して分かった理由をご紹介します。1.オーディナリーポショは時間がかかるオーディナリーポショは乾燥させたトウモロコシを丸ごと製粉機で粉にして作ります。そのためフレッシュですが逆に腐りやすいです。乾季は気温が高く雨季は湿気の多いウガンダですが、ほとんどの家庭には冷蔵庫がなく、長期保存ができないため、定期的に粉にして使い切らなければなりません。一方でホワイトポショは長期保存が可能で、お店にも既製品が売ってあるため大袋を買ってしまえば製粉の手間がなく保存も可能です。2.ホワイトポショのほうが癖が少ないホワイトポショは、トウモロコシの栄養素をほとんど取り除き糖分と水分の多い部分だけにしているため味が淡白です。一方でオーディナリーのほうはトウモロコシの香りや味が残っており、これを嫌う子どもや男性が多いようです。(なぜ男性のほうが苦手意識を持っているかは分かりません)3.ホワイトポショのほうが固まりやすい混ざりけが少ないからか、ホワイトポショのほうが固まるのが早く、成形しやすいようです。私が実際に作ってみると確かにオーディナリーのほうが柔らかく、成形に時間がかかります。4.ホワイトポショは”裕福”の証実はこの理由が一番大きいのではと調査した感覚的に思っているのですが、ホワイトポショを食べることがステータスとなっているようです。・子供のころに村で生活し、毎日オーディナリーポショとビーンズを食べていた。大人になって独り立ちし、やっとそのループから抜け出せた…というようにもうオーディナリーポショには飽き飽きしてしまっている。・村の”貧しい””病気”といったイメージがオーディナリーポショのクリーム色(白に比べて”汚い”)から連想される。・少し値段の高いホワイトポショを食べることで見栄をはりたい。 etc,,こういったオーディナリー=貧しい・汚い、ホワイト=リッチ・きれい、というイメージが人々に浸透しているようです。これらの理由から、人々はオーディナリーポショのほうが安くて健康にもいいと分かっていながら、ホワイトポショを食べ続けているようです。個人的にはオーディナリーポショのほうが柔らかくて味も香ばしく断然おいしいと思っています。ただ染みついてしまったイメージはなかなか拭えないため、どんなに健康のため食品を無駄にしないためとはいえ、ウガンダの人々がオーディナリーポショに戻ることは難しいと思います。これも発展(時間が無くなる)やビジネスに利用されている(ホワイトブレッドと同様)などの弊害の一つの例だなと思います。


名前の秘密
2021/08/21 04:07

(こちらのnoteに投稿しております)ウガンダの名前は3つ、もしくは4つから構成されていますファーストネームが生まれた場所(状況)、セカンドネームがイングリッシュネーム、サード・フォースネームが親の自由というのが基本です。一番気になるのはファーストネームですが、まずはセカンドネームから触れていきます。ご存じの通り、ウガンダはイギリスの植民地でした。そのためウガンダには多くの植民地時代の名残があるのですが、名前もその一つです。西欧によくある名前やクリスチャンネームがセカンドネームに使われます。例えばジョージやピーター、ナンシーやマリアなどです。植民地前はというと、先祖代々名前を引き継ぎ足していく文化だったようで、とてつもなく長い名前の人ばかりだったようです。植民地支配は黒歴史ですがそのお陰(?)で名前の簡易化が進んだようです。そして気になるファーストネームですが、上述のように「その子が生まれた場所(状況)」が名前になります。例えば、道端(yoo)で生まれた子供はOyoo(男)/Ayoo(女)    茂み(tim)で生まれた子供はOtim(男)/Atim(女)    雨(kot)の日に生まれた子供はOkot(男)/Akot(女)といったように生まれた場所(状況)に男はO、女はAつけたものが名前となります。ちなみに例外として、車(mutaka)の中で生まれた場合はそのまま男女関係なくmutakaだそうです。ウガンダはまだ医療が発達していないところや、適切な知識を持たないお母さんも多いため、病院での出産が当たり前ではありません。これは負の側面ですが、その一方でこんなユニークな名前が生まれるのは皮肉でもあり面白い文化です。ちなみになんでもOKのサードネームですが、日本と同様に願いを込めてつけたり、先祖の名前を使ったりする場合も多いです。中にはユニークなものもあり、指が6本ある(恐らく多指症)(6本目をjaraという)子にOjara/Ajara生まれてすぐの肌の色が薄い子にmzungu(黒人じゃない人)といった、どちらかというとマイナスな意味合いの名前も存在します。これはあえて子どものマイナスな部分を名前にすることによって、幸福な人によりつき幸福を奪ってしまう悪魔が、不幸な子だと勘違いして寄り付かないようにするというおまじないの意味があるようです。名前だけでこんなにたくさんの歴史や文化に触れることができるウガンダのユニークな慣習、これから発展し医療が発達したり宗教の価値観が変わればこの文化はなくなってしまうかもしれません。そう思うと少し寂しさもありますが、親が子の願いを込めて名前を授けることは時代・国・文化を超えて共通しているなと思います。*”ウガンダ”の文化として書きましたが、紹介した名前はすべてAcholi(ウガンダ北部に住む民族)のものです。文化としては国で共通しているため一貫して”ウガンダ”と書かせていただきました。