今後の予定についてこんにちは。改めまして今回はご支援いただき誠にありがとうございました。今後の予定につきましてご連絡いたします。・リターンの発送 リターンの発送は、必要な手続きが全て完了した4月以降になります。暫くお待たせしてしまうことになりますが、制作過程等を活動報告ページでご紹介する予定です。そちらも併せてお楽しみいただければ幸いです。・ツアー参加者の方へ ツアー参加者の方へは12月中に再度、日程調整の方法等のご連絡をいたします。よろしくお願いします。1列目の間伐が終了しました!間伐完了部分今日は先週始まった間伐作業の1列目が完了致しました!この列は幅が10mで設定されています。10mの他には20mと5mの幅を設定しており、この下端に作業道を設置する予定です。作業道の設置にはもうしばらく時間がかかるので、伐倒した木は暫くこのまま置ておきます。この際、葉っぱを付けたまま放置することで、葉の蒸散を利用して水分を効率よく材を乾燥させることが出来ます。この技術を「葉枯らし」と言います。伐倒風景木も生き物なので水分を利用しており、伐倒した直後はしっとりと湿っています。このまま木材として利用しようとすると、時間がたった時に歪みや割れが生じてしまうので、乾燥することが必要です。現在では湿ったままの木材を丸太にして搬出し、特定の場所でまとめて乾燥させる方法が一般的ですが、かつて運搬技術が発達していなかった時代は、なるべく軽い状態で運びたいので、山の中で葉枯らしを行い軽くしてから搬出する方法が良く行われていました。搬出技術の発達に伴い、葉枯らしの技術は衰退していましたが、近年この技術は見直されています。材を軽くすることで輸送コストが低減される一方、乾燥材は生材よりもやや高い値段で取引できる可能性があるためです。また、秋田や吉野では材の色をよくするのにも利用され、「あく抜き」や「渋出し」と言われていたそうです(※1)。先人の知恵は技術が発達した今日でも通用するものがあり驚かされますね。空が開けたことで光が入ってきている伐開した部分は空が開けたことで光が入ってきました。この光に反応してどんな樹木が生えてくるか楽しみです。今後も進捗状況や今までのような森林のトピックをご紹介する予定ですのでどうぞよろしくお願いします!※1:愛媛県 1988 葉枯らし乾燥技術指針
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ご支援有難うございました!おかげさまで当初の目標金額の173%にあたる156万円を145名の方から支援頂きました!心より感謝申し上げます!皆様から頂いた資金を元に、研究活動に一層励んでまいります!また、支援者の方々から数々の応援のお言葉を頂きました。まだ返信できていない方もいらっしゃいますが、この場をお借りしてお礼申し上げます。応援のお言葉の中には、問題意識に共感していただけたことや、近所の森でも同様の問題があることなどがありました。やはり、私が取り組もうとしている課題が一部地域に留まらず、全国的な問題となっているんだなと、自分の研究の意義を再確認できました。今後も皆様からのお言葉をモチベーションに、課題解決の糸口を見つけるべく研究を進めてまいります!明日、スタッフ一同で終了後のミーティングを行い、詳しい活動終了の報告を皆様にお伝えする予定です。研究に関する報告や、今後の予定等についても、この報告やメール等を通じ随時お伝えしてまいります。今後ともどうぞよろしくお願い致します!この度は誠にありがとうございました!2020/12/1 井口光
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いよいよ残すところ3日となってきました!今日は前回の続きの木炭のお話からしたいと思います。木炭の歴史そもそも木炭はいつからあるのでしょうか?少し歴史を遡ってみることにしましょう。現在見つかっている日本最古の木炭は約30万年前の愛媛県鹿の川遺跡で見つかったものとされています(※1)。実に石器時代のことです。消し炭とは異なる木炭の痕跡があり、料理に使われていたと考えられています。また、お隣の中国では今年の3月に木炭に関する考古学的な発見のニュースがありました。それによると、近年実在が有力視されてきた中国最古の王朝、夏王朝末期の木炭窯が見つかったそうです(※2)。これが紀元前1600年ごろのことで、銅の製錬のために用いられていたと考えられています。人と木炭のお付き合いはかなり長いようです。展示室の木炭国内では奈良時代になると、利用状況が文献に良く残るようになります。奈良の大仏を作る際には大仏の鋳造に750tもの木炭が利用されたという記録があります。(余談ですが奈良の大仏建設の際、平井のケヤキの巨木が利用されたという話も残っています。)当時の利用されていた炭は記録から白炭であると考えられています。炭には白炭と黒炭があり、焼き終わったときに窯の外で灰をかけて急激に冷やす方法で作られる炭を白炭、焼きあがったら空気を遮断し窯の中で冷やす方法で作るのものを黒炭と呼びます。この白炭を作る文化は世界でも日本の限られた地域(熊野、土佐、日向、日本海側一部)と中国にしか存在せず、中国から伝わった製炭技術が当時既に開けていたこれらの地域に伝わったのでは?と考えている人もいます。その一方で、島根や房総、鹿児島県のシラス台地では日本古来とされる系統の炭窯がしばしば発見されることもあるようです(※1)。作り方一つとっても面白そうな話があふれてきますね。「炭焼と魚」の舞台となっている樫山現在主流となっている黒炭が生産されるようになったのは鎌倉時代のことで、室町時代に入ってから本格化したとされています。そして、この黒炭の躍進には茶の湯の文化を広めた千利休が関わっていると言われています。当時、甲冑や刀剣の製造への用途が主流だった木炭を、お茶を沸かせる燃料として改良するのに利休が貢献したようです(※3)。備長炭さらに時は経ち、江戸の元禄の頃になると備長炭が姿を現します。発明したのはパンダで有名なアドベンチャーワールドのある白浜の隣、田辺市に住んでいた備中屋長左衛門さんです。勘の良い人は気づいたかもしれませんが、備中屋長左衛門の炭だから略して備長炭です。備長炭の特徴は圧倒的な赤外線と煙の少なさです。さらに長時間燃焼可能なうえ火力調節しやすく炭火料理に最適でした。かばやきや焼き鳥は備長炭あってこその料理かもしれません。(ただし、備長炭は着火が非常に難しいのでキャンプなどで使うときは注意が必要です。)備長炭また備長炭は、質量に対する表面積が非常に大きく、1gでテニスコート一面分に匹敵する表面積を持つと言われています。これは備長炭に無数の穴が開いているためです。そしてこの穴が物質の吸着に役立ち、カルキ臭の除去や水の浄化にも利用されています。また、備長炭は他の炭と比べても非常に硬く、その性質を利用して風鈴にすることもあります。紀伊田辺で発明された備長炭は全国各地へ伝わり、土佐備長炭や日向備長炭などご当地備長炭もできました。しかし今では、備長炭と名乗る商品が溢れかえって偽物が問題となっています。そこで偽物との差別化を図るため、和歌山と奈良にある特有の窯で古くからの方法に作られたものだけを紀州備長炭とし、和歌山県木炭協同組合が商標登録しています。こうして手間暇かけて作られた紀州備長炭は、なんと世界一高価な木炭らしいです(※4)。ちなみに、一般的に木炭は航空機への持ち込みが禁止されているのですが、この紀州備長炭は許可されているとのことです(※5)。さて、また少し長くなってしまったので続きは次回にしたいと思います。残り3日!よろしくお願いします!※1:岸本定吉(農林省林業試験場) 1962 木炭の生産と利用の現況と將来 ただし、木炭そのものの年代測定はされていないようで、木炭と洞窟の年代が一致するかどうかは不明とのこと※2:AFP BBNews 2020年3月21日 夏・商時代の銅製錬遺跡で木炭窯と祭祀遺構を発見 中国・山西省 https://www.afpbb.com/articles/-/3273881 閲覧日2020年11月26日※3:林野庁 木炭の種類 https://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/mokutan/syurui.html 閲覧日2020年11月27日※4:紀州備長炭本舗 紀州備長炭とは http://www.bincho.jp/topics/01topics_03.html 閲覧日2020年11月27日※5:JAL 2013 炭(木炭等)及び活性炭の取扱いについて https://www.jal.co.jp/jalcargo/inter/news/pdf/jcs-12054.pdf
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皆様からのたくさんのご支援、誠にありがとうございます。いよいよ終了まであと10日を切りましたが、ここで新たに追加リターンを1種類、設定させていただきました!和歌山研究林のヒノキ間伐材から作られた木組みの鍋敷きです。おかげ様で既にストック切れとなりました木製コースターとは少し趣向を変えたものをと、研究林スタッフの方々と相談を重ねて使用樹種や形などを決めました。ヒノキ本来の持ち味を最大限に生かすためにオイル仕上げを行わず、形も飽きのこないシンプルなものを目指しました。フックなどで壁に引っ掛けて保管しておけば、少しおしゃれなオブジェとしても活躍できるかもしれません⁉(笑)大きさは約20cm四方、内側の正方形の穴部分は約8cm四方です。掲載している写真は試作品のため少し薄めに作られていますが、実物は実用性をもたせてもう少し厚みのあるものになります。引き続き、リターンのページからご支援いただけましたら幸いです。宜しくお願い致します!
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早いものでクラウドファンディングの残りも1週間となりました。本日は平井に詳しい方と散策に行ってきました。集落にまつわる色々な話が聞けた他、知らなければとてもたどり着けないような炭窯の跡を案内して頂けました。その内容を少しご紹介したいと思います。谷を散策小さな滝普段は研究林の中しか歩かないので、平井に住んでいてもどんな所があるのかほとんど知りません。地元の方に連れて行ってもらえる今日のような機会がなければ、知らないままな所も多いと思います。その意味で今日の散策はとても面白く感じました。大きな岩と滝集落を流れる平井川の支流を登っていきます。途中、存在を全く知らなかった滝が次々と現れます。特に上の写真の滝は、スケールが大きく迫力がありました。写真ではうまく伝わらないのですが、中央に写っている岩は僕の身長の5倍ぐらいあったので、10m近い大きさです。まさに隠れた観光スポットのようでした。炭窯跡また、滝や岩だけでなく所々に人の痕跡が見られました。沢沿いの僅かな平地なので大規模な集落跡ではありません。山村の重要な産業の一つであった製炭業に欠かせない炭窯の跡です。平井で一番最後まで利用されていたという炭窯の跡中には天井が崩れずに原型を留めている窯もありました。案内してくださった方が言うには、平井で最後まで利用されていた窯らしいです。かつては山村経済を支えていた製炭業ですが、現在ではほとんど見ることがありません。原因は単純で燃料資源が木炭から石油に移ったためです。天井が落ちてしまった窯炭作りは非常に過酷な労働だったため、全国各地で過酷さを表す逸話が残されています。東京都檜原村では親が山に篭って炭作りをしている間に、子どもが成長して親の顔を忘れてしまったなんて話が残されていました。また、古座川町内の樫山という集落の小学校に赴任した教師が書いた、「炭焼きと魚」という小説の中でも、当時の話がかなり詳細に載っているので、興味のある方は是非読んでみて下さい。また、今住んでいる家の裏のおばあちゃんは若いころ完成した木炭を運ぶ仕事を手伝っていたそうで、「とても重かった…」と当時の話を聞いたことがあります。落ちていた炭焼きの道具今日は少し短いですが、次回もう少し詳しく続きを書きたいと思います。