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荒廃した奥地人工林を『低コストで管理できる森林』へ!

日本の林業は衰退に歯止めがかからず、里山奥地の人工林は管理がままならぬ事態へと陥っています。私たちは人工林に隣接する天然林から広葉樹の侵入を誘導し、放棄された奥地の人工林を効率よく天然林へと戻すことで、多面的機能が高く、「低コストで管理できる森づくり技術」の開発と普及を目指します。

現在の支援総額

1,560,000

173%

目標金額は900,000円

支援者数

145

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/10/20に募集を開始し、 145人の支援により 1,560,000円の資金を集め、 2020/11/30に募集を終了しました

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荒廃した奥地人工林を『低コストで管理できる森林』へ!

現在の支援総額

1,560,000

173%達成

終了

目標金額900,000

支援者数145

このプロジェクトは、2020/10/20に募集を開始し、 145人の支援により 1,560,000円の資金を集め、 2020/11/30に募集を終了しました

日本の林業は衰退に歯止めがかからず、里山奥地の人工林は管理がままならぬ事態へと陥っています。私たちは人工林に隣接する天然林から広葉樹の侵入を誘導し、放棄された奥地の人工林を効率よく天然林へと戻すことで、多面的機能が高く、「低コストで管理できる森づくり技術」の開発と普及を目指します。

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残り11日となりました!40日間に設定した本プロジェクトですが、残すところあと11日となりました。おかげ様で早々に目標金額に到達し、こうして皆様に森林関連のお話をする余裕ができ嬉しく思っております。再度皆様のご支援に感謝申し上げます!さて前回は、これから若者が林業に参加するにあたり、安全に作業を行うための技術の継承は不可欠であることをご紹介しました。木の倒し方など、長年の経験や研究の中で育まれた技術は、機械化が進んだとしても必要になる場面が多いと思います。しかし中には、技術の発達とともに完全に消えていってしまった林業の技術があります。そのような技術は現在ほとんど見ることが出来ませんが、極まれにその痕跡が山中に残っていることがあります。今回は古座川町内に残るそんな過去の技術の痕跡(と思われるもの)をご紹介したいと思います。玉ノ谷落合付近木馬道?まずは和歌山研究林近くの玉ノ谷を散歩していた時に発見したある構造物からです。それが上の写真です。一見するとただつり橋がかかっているだけに見えますが、よく見ると白丸で囲った所に鉄骨が2本突き刺さっているのが見えます。なんであんなところに?と思って近づいてみました。謎の鉄骨近づいて撮った写真がこちらです。よく見ると奥にもう1本鉄骨があるようです。こう見ると、道の骨組みのように見えてきますよね。当初はただの旧道かな?と思い帰ってしまいましたが、研究林庁舎に飾ってあった昔の写真に、偶然同じ場所で撮られたものがあるのを発見しました。研究林庁舎に飾ってあった同じ場所の写真(元のアルバムに撮影場所は玉ノ谷入り口とあるため、同じ場所と推察できる)それがこちらの写真です。鉄骨が当時のものなのか、その後のものなのかこの写真だけでは断言できませんが、少なくとも85年前ぐらい前にはここを木馬道が通っていたことが分かります。この木馬道というのは車や車道が発達する前に、生産された木材を搬出するために整備されていた木製の簡易的な道のことを言います。材を運びやすいよう摩擦を減らすため搬出方向に対し、丸太が直交するように並べられていいるのが特徴です。機動力としては馬や牛が主に使われていたようです。昭和12年に当時の農林省山林局が出版した国有林,下巻に詳しい写真が載っているのでよかったらご覧ください。しかし、この搬出方法はコントロールが効きにくいことなどから、非常に危険な作業とされていました。そのため、後にこの木馬道の真ん中にレールを敷いた単軌木馬という手法が開発され、多少改善されることとなります。(これも国有林, 下巻に載っています。)この方法はいわば馬力モノレールのようなもので、道を外れることがなくなったので格段に安全性が向上したようです。因みに、ある程度平坦な場所ではこのような搬出方法が用いられていましたが、山の上から谷へ下すときは木の滑り台のようなものを使っていました。この方法を修羅と呼びます。木で作った滑り台で木を下へと落とすという、単純な方法でしたがやはり危険が伴うようで次第に廃れてしまった方法です。こちらも国有林, 下巻に載っています。国土地理院昭和29年 1/50000 江住 に記載されている林用軌道森林鉄道この木馬道では馬や牛が運べる量しか搬出することが出来ず、工業化が進む戦後になると急速に減少していきます。代わって主流となってきたのが森林鉄道と呼ばれる林業用の鉄道です。古座川町内には2カ所にこの森林鉄道があったと言われています。1カ所はここ平井で、もう1カ所は少し下流側にある端郷と呼ばれる集落にありました。平井の森林鉄道は地図を探しても見当たらなかったのですが、端郷集落のものは昭和29年発効の地図に記載されていました、それが上の地図です。林用軌道という記載が森林鉄道のことで、規格が高いものを鉄道、低いものを軌道と呼んでいました。森林軌道跡?ということで、現地に行ってみました。ほとんど痕跡は見られませんでしたが、林道脇に時折トロッコぐらいの幅の平坦な道があるのを発見しました。当時を知る人が少なくなってしまった今、この場所が本当に森林鉄道だったのか知るのは難しいかもしれませんが、調査を続けたいと思います。高知県馬路村の魚梁瀬森林鉄道跡この森林鉄道は比較的大規模な構造物を必要としたこともあり、現在でも各地に痕跡をみることが出来ます。上の写真は高知県の馬路村にある森林鉄道跡です。村ではこの史跡を観光名所としているようで、森林鉄道を売り出す看板までありました。屋久島の安房森林鉄道また、現在でも稼働している森林鉄道が日本に2カ所だけ残っています、1つは知っている人も多いかもしれませんが、屋久島のトロッコ道となっている安房森林軌道です。もう一つは京都大学の芦生研究林にある京都大学演習林軌道です。どちらも定期的に利用しているわけではないうえ、木材の搬出をする機会も皆無に等しい状態なので森林鉄道と呼べるかは微妙なラインですが、過去の技術を現在へ伝える数少ない生き証人です。木材流送さて次は木材流送についてです。これはご存じの方も多いのではないでしょうか?道路網が未発達だった昔は、河川が山で生産される木材を消費地である河口へと輸送するのに最適な通り道でした。上流で生産された材は一本ずつ丸太で流される‶管流し”と呼ばれる方法と筏を組む‶筏流し”と呼ばれる方法がありました。平井川での流送風景ここ古座川でもこの木材流送が行われていました。研究林庁舎に当時の写真がありました。この写真では管流しを行っているようですね。古座川では管流しも筏流しもあったようですが、カーブがきつかったり幅が狭い上流部では管流しが主流だったのかもしれません。河口にためられた木材こうして上流から送られてきた木材は河口にためられます。そしてここから各地へと海運や鉄道を使って出荷されていきました。しかし、ダムの完成や路網整備が進むにつれ河川輸送は安全性などの面から次第に衰退し、現在ではほとんど行われていません。和歌山県の北山村では観光用にこの技術が残され、筏に乗って川下りができるので興味のある方は是非調べてみて下さい。さて前置きが長くなってしまいましたが、この木材流送の痕跡が古座川町内に残っていたので、ご紹介します。木材流送の痕跡それがこの穴です。(ちなみに付近の道の駅で配られている地図に観光スポットとして載っていました。)「河川に木材を流す方法だって言ったじゃないか?」と思われたかもしれません。そんな方のために、この穴がどのように使われていたかご紹介したいと思います。ただし、当時を知る人には会えなかったので、あくまで僕の考えです。トンネルの位置このトンネルがあるのは古座川の支流である立合川です。位置関係は上の図のようになっており、カーブの先端で古座川とトンネルでつながっていました。この地理的条件から考えると、立合川の流域でとれた木材をカーブの手前まで運び、そこからショートカットトンネルを利用して材を搬出していたと考えられます。しかしなぜ、わざわざショートカットしていたのでしょうか?それは恐らく立合川の流量と、その下流にあった道が関係しているものと思われます。立合川上の写真は穴を遠くから見た写真ですが、立合川の流量がそれほど多くないことが分かります。このような場合、木材流送では鉄砲堰と呼ばれる構造を作って水をため、その堰を切った勢いで一気に下流へと流す方法が行われていました。鉄砲堰の概要しかし、この鉄砲堰は水とともに木材も大量に流れることになるため、下流の橋は十分な高さが無いと材と橋が衝突してしまい、木材の価値も下がるとともに橋を破壊してしまう可能性があります。立合川ではこのトンネルの下流に高さが低い橋があるので、恐らく鉄砲堰を作ることができなかったのではないでしょうか?そのため、トンネルを作ることで、別の流路を作り、そこから古座川へと木材を搬出していたものと考えられます。トンネルから丸太が次々と飛び出してくるところを見てみたかったものです。少し長くなってしまいましたが、本日は以上です。まだ紹介したい場所があるのでまたの機会にご紹介したいと思います。


26日目
2020/11/16 21:26
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伐倒練習11月も半分が終わりました。平井では柚子の収穫が最盛期を迎えており、集落の中心部にあちこちで収穫された柚子が山積みとなっています。ときどき柚子の香りが漂ってきます。本日からいよいよ間伐が始まりました。今回は伐倒する量がかなり多くなるので、普段伐倒に関わっていないスタッフの方にも手伝っていただくことになっています。そのため、最初から次々と伐倒するのではなく、まずは伐倒の練習から始めました。この伐倒が想像以上に難しい作業です。伐倒講習風景森の中で伐倒した木を思い通りの方向に倒せないと、倒そうとした木が他の木に引っかかるなどして完全に倒れないことがあります。この状態をかかり木と呼び、この処理が伐倒作業の中で最も危険と言われています。2019年、林業労働災害において33名の方が亡くなられておりますが、このうち6件はかかり木にまつわる事故でした(※1)。したがって、かかり木を生じさせないことは労働災害を発生させないために非常に重要です。そこで必要となるのが、思い通りの方向に木を倒す技術です。受口木を思い通りの方向へ切る際は、受口という切込みを先に入れます。この受口がある側が倒す方向です。倒したい方向に対し直角になるように受口をいれ、角度は30~45°、切込みの深さは直径の1/3~1/4にします。それが終わると今度は逆側に追口を入れます。これは受口の開口部の下から2/3の高さで平行にいれる切込みです。受口と追口の間をツルと呼び、直径に対し1/10残すのが理想とされています。ここまで来たら追口側から楔を入れると受口の方へ安全に倒すことが出来ます。…と文章で書くのは簡単ですが、これが本当に難しい作業です。受口の下底は水平に切らなければ、思い通りの方向へまっすぐに倒れませんが、慣れないと水平で切っているつもりでも斜めになってしまいます。伐倒に関してベテランの千井さん曰く、‶伐倒はスポーツ” らしく、体の使い方を実践で覚えていくものらしいです。指導風景も「腰を落として」とか「肘の角度が…」とか、何か武道の稽古のように聞こえてきました。受口の練習さて、スポーツでも時々世代交代が失敗したとか成功したとか話題になりますが、伐倒がスポーツならば林業ではどうなのでしょうか?林業従事者の平均年齢は2015年時点で52.4歳で全産業平均の46.9歳と比べると高い値です。しかし、全産業における若年者の割合が減少するなかで、林業では2010年以降横ばいで推移しており、林業従事者は若返り傾向にあると言えます(※2)。若返りの傾向は林業にとって嬉しいニュースではありますが、その一方で適切な技術を持った労働者の育成が今後の課題にもなっています。新しい技術は積極的に取り入れつつ、古くから培われてきた技術も融合した、高度な技術が継承されていくと良いですね。※1:林業・木材製造業労働災害防止協会 林業労働災害(死亡災害)速報一覧※2:林野庁 令和元年度 森林・林業白書


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11月も中旬となり、結構冷え込むことも多くなってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?平井集落も朝晩はかなり冷え込んできて、最低気温は5℃を下回ってきているようです。布団の中が心地よい季節となっています。調査地では落葉樹が色ついていました。下の写真はヤマウルシです。触るとかぶれるので要注意ですが、色付はとても綺麗でした。ヤマウルシ林道整備準備本日は林道作設のために、どこに道を通すか確認をしてきました。林道の設置現場を見るのは初めての経験だったので、どんな地形が道を通すのに適切なのか?こんな地形ではどうやって道を作っていいくのか?など知らないことばかりでした。今回の林道整備で一番の難所:岩盤が露出している上の写真は今回の林道整備で一番の難所です。岩盤が露出しているため、どうやってこの場所を通過するか現地でスタッフの方々にお話しを聞きました。和歌山研究林内は地形が急峻なだけでなく、このように一部岩盤がせり出している箇所もあって調査時も大変苦労しました。林道整備予定地:非常に急峻な箇所多くの人が開通した後の道しか通ったことがないと思います。僕もその一人だったので、あまりの地形の厳しさに「こんな場所にも道が通せるのか」と驚きながらの確認でした。しかし、毎度のことながらもっと驚くことがあります。それは、こんな恐ろしく急な山奥でも、植林がされていることです。道はもちろん林業用モノレールもなかった当時、一本ずつ苗木をもって山を登って植えていったと考えると、本当に頭が上がりません。メインページにも載せている当時の植林風景日本の林道整備状況さて今回のクラウドファンディングを行った理由の一つでもある林道の未整備ですが、この問題は和歌山研究林に限ったことではありません。林野庁によると平成30年度の日本の林道密度は22.4m/haとなっています。それに対し、理想とされる林道密度は130.6m/haなので、かけ離れていることが分かります(※1)。これに対し、オーストリアは1990年代半ば時点で89m/ha, ドイツ(旧西ドイツ)では1980年代後半には118m/haとなっており、日本の整備状況が遅れていることが分かります(※2)。林道整備が遅れていると、大型の林業機械が林地の奥の方まで到達することが出来ず、どうしても人力に頼った作業となってしまいます。そのため、作業効率が低下し、一本を生産するのにかかるコストが増加してしまいます。こうなってしまうと、現在日本で進められている木材生産に適した土地での林業の集約化が遅れてしまいます。林道整備が遅れている原因このように林道整備が遅れている原因としては、地形や地質的な問題や、木材価格の低下に伴う山林所有者の山林に対する関心の低下、利用期に達した森林が少なかったことなどがあります。また、日本の山林の所有形態も原因となっています。日本では、小面積の山林所有者が多いため、林道を整備するのにも複数の所有者の土地を通らなければならず、整備に乗り出しにくい状態なのです。とはいえ、少しずつではありますが、日本の林道も増加傾向にあります。今後、さらに林道が増えることで管理しやすい人工林が増えると良いですね。※1:林野庁 令和2年度 第1回今後の路網整備のあり方検討会資料※2:林野庁:路網と作業システム 


19日目
2020/11/09 23:09
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ご支援ありがとうございます!いよいよクラウドファンディングの期間も折り返し地点が近づいてきました!ご支援して頂いた皆様に少しでも林業や山村に興味を持っていただけるよう、研究内容や平井での暮らしを少しずつ紹介出来ればと考えております。どうぞよろしくお願いします。柚子と柚子湯はいつの季語?日曜日に地元平井集落の特産品である柚子の収穫作業をお手伝いしてきました。柚子の栽培は山村振興の手段として時折耳にすることがあったため、是非一度体験してみたいと思っていたので良い機会でした。ところで、柚子は冬の季語だとばかり思っていたのですが、秋の季語だったのですね。今日まで知りませんでした。柚子湯は冬に入るから、柚子も冬の季語だとばかり思っていましたが、柚子は秋、柚子湯は冬の季語だそうです。一つ勉強になりました。因みに柚子の花は夏だそうです。雨の雫が滴る柚子柚子の収穫早朝まで雨だったため、水滴が滴る柚子畑の中でのスタートです。1m60cmくらいのところに木の枝が広がっており、成人男性ならずっと屈んだ姿勢で作業しなければならない少し大変な作業環境です。まずは枝に着いた柚子の実を集める作業です。ですがこれが一筋縄ではいきませんでした。柚子園から見る北大(右の青い屋根)柚子の木には3〜5cmくらいの立派な棘が無数に着いています。そのため、上の方の実を取ろうと、枝の中に手を伸ばすと棘が刺さって痛くてしょうがありません。しかし高枝バサミを使うとコントロールがままならず、上手く切れません。そんなこんなで四苦八苦してるうちに、地元の方はポンポン集めていきます。手際の良さは流石としか言いようがありませんでした。柚子園の中集める作業が終わると、今度はヘタ部分を切り詰める作業です。ヘタについている枝が長いと加工機械の故障の原因となってしまうため、一個一個詰めていきます。このスピードも地元の方と僕とでは比較になりませんでした。収穫された柚子こうして加工前の準備が終わった柚子は集落内にある加工工場へ送られて、製品化されます。古座川町内には約70戸の柚子農家がおり、昨年は130トンの生産量があったそうです。2016年の国内総生産量が2万6千トンだったそうなので、だいたい国内総生産量の0.5%を生産していることになります。小さい数字ではありますが、こんな小さな集落から出荷されていることを考えると、かなり大きな値でしょう。柚子の葉柚子の葉ところで柚子の葉は上の写真のような形をしております。見覚えのある葉っぱと少し違いませんか?葉の付け根あたりにオマケみたいな葉っぱが付いてます。これは翼葉と呼ばれるもので、柑橘類の樹木に多くみられます(中には無いものもある)。なんでこんな形をしているのかはよく分かっていないそうです。実は柚子に限らず、植物の葉の形態はよく分からない部分が未だに多く残されているロマン溢れる世界です。ヤマウルシの奇数羽状複葉面白いものをご紹介すると、まず上の写真の奇数羽状複葉があります。この写真の赤丸の中に写っている葉っぱは何枚だと思いますか?1.2.3…と数えてしまった人が多いのではないでしょうか?しかし、実は2枚しかありません。このヤマウルシのように、複葉と呼ばれる葉を持つ植物は、一枚の葉っぱが複数に分裂した結果、小葉と呼ばれる小さな葉っぱがいくつも集まっているように見える形になったと考えられています。ちょうど分裂の過程のような樹木も存在します。カクレミノの葉っぱそれがこちらのカクレミノ。この裂け目が葉脈に達したら、なんとなく複葉になりそうな気がしませんか?なぜ複数のような形が形成されたのかについては、諸説ありますが、あまり栄養を使わずに葉っぱを広げることができるので、その分縦方向の成長が早くなるという利点があると言います。植物にとって縦方向の成長は、光を巡る競争への死活問題です。そのため、この点が有利というのは植物にとってかなり嬉しいことだと考えられます。このように、なんでこんな形してるんだろ?と考えてみると、今まで何も面白くなかった森林の中を少し楽しく歩けるかもしれません。よかったら植物辞典片手に森を歩いてみては如何でしょうか?次回は木曜日になります。間伐作業の確認を行う予定なので、写真付きで解説できればと思います!


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昨日、間伐に向け山の神へ参拝をしてきました。周辺の木々もだいぶ色づいてきてた少し肌寒い日でしたが、陽が当たると多少暖かさが感じられる日和でした。祠は和歌山研究林の入り口付近にあります。お参りの日は山での木の伐採が禁じられているため、予め切っておいた榊に紙垂を結んで玉串を準備します。紙が貴重だった大昔は、木の棒を削りかけの状態にして紙垂のようにする文化がありました。この削りかけの木の棒を「削りかけ」と呼びます。そのままです。この「削りかけ」の文化は日本だけでなくアイヌや樺太の少数民族、さらには東南アジアでも似たような文化が見られ、その類似性がしばしば話題となるようです(※1)。アイヌの場合、この「削りかけ」に類似したものを「イナウ」と呼びます。結構凝った形をしているので興味のある方は是非ググってみて下さい。紙垂をサカキにつけるところ玉串を作り終わると、お供え物をセットして参拝を行いました。参拝の形式は一応平井の形式に則っているそうですが、長い年月の中で北大流になっている部分もあるんだとか。北海道流と熊野流の奇跡の融合文化がここにあるといったところでしょうか。お参りは全体で数分の短いものでしたが、初めての経験だったので興味深かったです。お供え物参拝風景さて、山の神さまは女神だという話は聞いたことがあるのですが、どういう文化なのか全然知らなかったので、帰ってから調べてみました。すると、一口に山の神といってもその対象は様々なようです。山の神は変幻自在?例えば、農民たちの山の神は春になると山から下りてきて、秋になると山へ帰っていくと言います。これは来訪神としての一面もあるようで、ナマハゲの親戚といった立ち位置でしょうか。一方、狩猟民や炭焼きの民など山の民にとっての山の神は、いつもそこにいる存在なのでこのような性質は持ち合わせていなかったようです。そして、かなり厳格な女神様として恐れられていたらしく、祭りの日には女人禁制の文化があったとのことです。さて林業における山の神様は大山津見神(おおやまつみのかみ) が主流だそうです。この神様はイザナギとイザナミの子供にあたります。また、大山津見神は山の神のトップを張っていて、一般的に山の神というとこの神様のことを指すんだとか。一方で、鉱山における山の神は金山彦神(かなやまひこのかみ) が多いそうです。この神様はイザナミが火の神様であるカグツチを産んだときの火傷で苦しんだ時の吐瀉物からでてきた神様という位置付けです。商売繁盛などの意味合いもあって鉱山ではこちらの神様が主流となっていたようです。ただし世界遺産となった端島炭鉱(軍艦島)など、場所によっては大山津見神を祀っていたところもあります。もはや何でもアリの山の神さて、ここで面白いのは金山彦神は女神というのが主流なのですが、大山津見神は男神というのが多いという点です。山は共通して女神だと思っていたのですが、どうもそうではなかったようです。いつの時代からか男神だったはずの山の神が女神となり、女人禁制の文化まで形成されたのか、はたまた全く別の文化が混合しお互いの断片が残った結果なのか。どちらにしても、文化というのは非常に面白いものですね。さらにそれだけに留まらず、富士山では大山津見神の娘である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ) が山の神として陣取っています。また、奥多摩、秩父地域などで見られる狼信仰も山の神としての位置づけであったり、東京の高尾山で見られるような天狗も山の神だったりと、もはや性別どころか種の壁も越えて何でもアリの世界です。どうやら山の神は変幻自在だったようです。これだけ山だらけの国ならば無理もないかもしれません。無社殿神社の矢倉明神森平井の山の神は?さて、平井集落の山の神は誰なのでしょう?集落の一番高いところに位置する若宮八幡神社は、調べてみたところ大山津見神でした。しかし、もしかするともっと昔から住む山の神がいたかもしれません。その痕跡が集落のはずれに残っていたので紹介したいと思います。平井集落の属する熊野地方は古来の信仰形態とされる自然信仰が現在でも残されている稀有な地域です(※2)。このような地域には無社殿神社と呼ばれる社殿を持たない神社があり、古座川流域は特にこの無社殿神社が多く残っています。このような社では何を祀っているかというと巨木や巨岩といった自然物です。平井のはずれにある井ノ谷集落跡にもこの無社殿神社があります。元来は巨木を祀っていたそうですが、現在その巨木はありません。しかし残された磐座と石灯篭が今でも荘厳な雰囲気を醸し出しており、山の象徴として岩や木が祀られていたのではないだろうか?と想像が膨らみます。平井集落内の若宮八幡神社に遷座した矢倉明神森また、この矢倉明神森は後に若宮八幡神社境内に遷座され、北大和歌山研究林庁舎から徒歩5分のところでこの独特の信仰形態をみることが出来ます。興味のある方は是非足を運んでみて下さい。さてお参りも済んだので、早ければ来週からいよいよ間伐を開始いたします。少し忙しくなるので、もしかすると更新が遅くなるかもしれませんが、間伐の方法や意義などを写真を交えてご紹介できればと考えております。どうぞお楽しみに!※1:今石みぎわ・北原次郎太 花とイナウー世界の中のアイヌー 北海道大学アイヌ・先住民研究センター ブックレット第4号※2:桐村英一郎 2016. 祈りの原風景 熊野の無社殿信仰と自然信仰 森話社