こんばんは!
cocokaraの かとうゆりえ です。
今日は、この本を作ろうと思ったもう一つの理由(アナザーストーリー的な)を書いていこうと思います。
変わりたいのに変われなかったあの頃の自分へ。
この記事のタイトルにもあるように【「〜かもしれない」は最大の敵】というお話し。
トレーニングに通い始めるまでの私は、なかなか変わることへ踏み出すことをしませんでした。
もちろんタイミングもありましたが、変わりたいと思うようなきっかけがこれと言ってなかったのかもしれません。
今までの日々でもさほど困らなかったから。
それでも日々鏡にうつる自分の姿や、不意に撮られた写真の自分が嫌でした。
そんな自分に嫌気がさし、自己嫌悪に陥る日々。
だんだん人前に出るのも嫌になり、ニコッと笑うとほっぺたの肉がぎゅっとしてパンパンな顔も嫌でした。
コロナ禍に入り、マスク生活になり、人とも会わなくなると、マスクを外すことや人に会うことさえ抵抗をかんじるようになり、ちょっと人が怖くなってしまった時期もありました。(自分に自身がなさすぎて人に会いたくなかったんです。)
そんな気分が落ち込んだ時期
もしかしすると誰かに変わるきっかけを与えてもらうのを待ってしまっていたのかもしれません。
自分では押せなかったスイッチを、誰かに押してもらわなきゃ変われなかったのかも。
なんで踏み出さなかったのか?と今振り返ると、きっと要因はここにあったんじゃないかな?と思うんです。
「もしトライしてみて変われなかったらどうしよう。」
「恥ずかしい」
以前の私はこういった起こるかどうか分からないことに怯えて動き出せなかったんです。
まさに「〜かもしれない」
こうなったらどうしよう…って。
だけど、変われるチャンスが向こうからきたから、だったらやってみよう!それでもダメなら仕方ない。やらないよりはやってみよう。
そう切り替えて、変わることに一歩踏み出せたら、思っていたような「〜かもしれない」の不安は全く必要のない、自分が作り出した感情でした。
案外飛び込んでみたら全然怖くなかったー!っていう、初めてのプールとか、食わず嫌いみたいな感覚。笑
この、人間特有の感情がめちゃめちゃ分かりやすく表現された映画があって。
「プーと大人になった僕」
という、私の大好きなプーさんが出てくるディズニー作品なんですが、キャラクターそれぞれが人間の感情を表現していて、なんか考えこんでしまう人ってこうだよね。って俯瞰して見れたりして、だけど大切にしたかったことって何だった?忘れてしまってない?というのを思い出して取り戻しにいくストーリーなんです。
今なかなか踏み出せずにいるけど、実は現状に満足していない人がいたとしたらば、ぜひ観ていただきたい。
なんだか客観的に自分の気持ちが整理できるかも。
観たら分かるんですが、
マイナスな考えの「〜かもしれない」からは何も生まれないんですよね。
それよりも、プラスな考えの「○○かもしれない!」だと、新しい気付きやチャレンジから得るものがたくさんあるんですね。
変われた側だから言えるのかもしれないですが、自分が生み出した不安の「〜かもしれない」に呑み込まれないでほしいんです。
「こうなれたらいいなぁ」
そう思う何かがあるなら、まずは思い描くことから始めたらいいし、描き始めたらそこにいいね!と人が集まるかもしれない。
今の自分には想像もつかない嬉しいことがたくさん待っているかも。
「かもしれない」という敵に負けずに一歩踏み出せたら、新しい色が見つかるかもしれないよ!
と、過去の自分へ。そして、そんな気持ちの方へ届けられたらいいな。と思ったのがアナザーストーリーでした。
それぞれのこれからが明るい色で彩られていきますように♪