Check our Terms and Privacy Policy.

『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!

制作会社「ピー・プロダクション」が手掛けた特撮テレビ番組『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』4作品の、少年漫画誌「冒険王」のために撮影されたスチール写真のポジフィルム約2000枚分をデジタル化し、アーカイヴとして後世に残すプロジェクトです!

現在の支援総額

6,094,000

121%

目標金額は5,000,000円

支援者数

448

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/05/19に募集を開始し、 448人の支援により 6,094,000円の資金を集め、 2023/07/17に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!

現在の支援総額

6,094,000

121%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数448

このプロジェクトは、2023/05/19に募集を開始し、 448人の支援により 6,094,000円の資金を集め、 2023/07/17に募集を終了しました

制作会社「ピー・プロダクション」が手掛けた特撮テレビ番組『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』4作品の、少年漫画誌「冒険王」のために撮影されたスチール写真のポジフィルム約2000枚分をデジタル化し、アーカイヴとして後世に残すプロジェクトです!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。本日もみなさまにフィルムの中から厳選してご紹介します。『快傑ライオン丸』からこちら!おそらく第40話「大魔王ゴースン 再び怒る!」の1シーンで撮影されたと思しき1枚です。タイガージョー関連の紹介が3連発で恐縮ですが、『快傑ライオン丸』を代表するキャラクターだけあって残されたフィルムの数も群を抜いて多いため、手厚く紹介させていただきます。 前回の記事でも述べた通り、元々は「獅子丸/ライオン丸を倒す」ことがアイデンティティのキャラクターとして登場した虎錠之介/タイガージョー。彼は第28話において、ライオン丸を一度完膚なきにまで負かすことで、獅子丸が自身のヒーローとしての在り方を見詰め直す展開へと作品を導きました。それまで品行方正で完成された善人だった獅子丸が初めて弱さを見せることで、沙織や小助との関係性も揺らぎ、主人公の内面に深く切り込んでいくというハイレベルなドラマが生まれたのです。また、タイガージョーに必殺技の「ライオン飛行斬り」が破られたことで、ライオン丸の新たな技である「ライオン飛行返し」を編み出すきっかけにもなりました。 そして錠之介は、以降も獅子丸とぶつかり合う中で、徐々にお互いを認め合い、剣を交えながらも相棒のような関係へと変化していきます。第38話、怪人タツドロドから獅子丸が死んだと告げられた際、錠之介が「何故俺と……何故俺と立ち合わなんだ!」と叫び、内心で「獅子丸が死んだ」と噛み締める場面は、彼が既存の悪役の枠から大きく一歩を踏み出した瞬間と言えるでしょう。そして錠之介はゴースンを裏切り、獅子丸たちとともに襲い来る敵と戦うようになります。こうしたドラマを通して描かれる、獅子丸と錠之介、ライオン丸とタイガージョーの関係性の変遷こそが、『快傑ライオン丸』最大の魅力であり、この作品を唯一無二の傑作足らしめていると言って良いでしょう。 紹介しているフィルムは、まさにそんな獅子丸と錠之介の関係性が変わっていく瞬間を写し取った1枚。敵怪人ハリザンザによって毒針を撃ち込まれ、川べりで苦しむ獅子丸をタイガージョーが助け起こし、「貴様をこんなことで死なせるわけにはいかん」という熱いセリフが飛び出す場面だと思われます。川面にきらめく光も美しく、2人の関係性が情感を持って伝わってくるフィルムです。改めて、この虎錠之介/タイガージョーというキャラクターの魅力を再認識できる1枚なのではないでしょうか。


thumbnail

こんにちは、バリュープラスアーカイヴプロジェクトです!5月より開始しました本プロジェクトは昨日7/17(月)23:59をもちまして、無事に募集期間終了となりました。多くの方々のご支援により、目標金額の500万円を達成することができました!◼︎支援総額:6,094,000円◼︎達成率:121%◼︎支援者数:448人当初は高い目標を設定したため、本当に達成できるのかとご心配をおかけした時期もありましたが、皆さまの暖かいご支援のおかげで目標を上回る支援金額を集めることが出来ました。本当にありがとうございます!今後、フィルムのデジタル化やリターン品の制作や写真集の制作をはじめとした、フィルムデータの利活用についても準備を進めていきたいと思います!各進捗状況についてはこちらの活動報告や、Twitter、noteなどにアップしていきますので、引き続きチェックしていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします!バリュープラスアーカイヴプロジェクト


thumbnail

こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』と、ピー・プロダクション制作の特撮作品4作の写真のポジフィルム約2000枚をデジタル化する当プロジェクトもいよいよ大詰めを迎えています。ここまで当プロジェクトに賛同しご支援をいただいた皆様、本当にありがとうございます。当プロジェクトでデジタル化を目指す写真のフィルムは、かつて「冒険王」を発刊していた出版社・秋田書店で発見されたものです。発見したのは、秋田書店で編集者を務める髙橋圭太さんと、編集プロダクション「タルカス」の代表を務めている五十嵐浩司さんです。いずれも特撮作品に関する書籍を多く制作してきたお二人による発見が、当プロジェクト始動のきっかけとなりました。今回は髙橋さんと五十嵐さんに対談いただき、写真のフィルム発見に至る経緯や、お二人が考えるフィルムの価値、ピープロ特撮へのそれぞれの想いなどを語っていただきました。──本日は、今回のプロジェクトが発足するきっかけとなったお二人にお話をうかがいたいと思います。まずお二人の経歴を教えていただけますでしょうか。髙橋 僕は今、かつて「冒険王」を発刊していた秋田書店という出版社で漫画編集者をしています。特撮を布教したり欲しい玩具を買うための、世を忍ぶ仮の姿なんですけれども(笑)。現在所属しているヤングチャンピオンという雑誌の編集部に来る前は、色々な部署を転々としていました。その過程で、ずっと趣味で好きだった特撮の本を出させていただいていた時期がありまして、その時に五十嵐さんとも知り合った、というような形ですね。五十嵐 私は編集&ライターという仕事を……そうですね、もうかれこれ30年以上やってきました。株式会社タルカス代表として、相変わらず特撮に関連した本を作っております。株式会社秋田書店 漫画編集者の髙橋圭太さん(右)株式会社タルカス 代表取締役の五十嵐浩司さん(左) ──今回のプロジェクトで発掘されたピープロ特撮4作品の写真のポジフィルムですが、どのような経緯で発見されたのでしょうか?五十嵐 8年ぐらい前に、私が「メカニックデザイナー 大河原邦男展」(2015年、上野の森美術館で開催)という展覧会のキュレーターを務めておりまして、その展覧会のための素材探しで作品捜索をやっていました。アニメの作品や資料を展示する展覧会でしたが、秋田書店さんも昔「マイ アニメ」というアニメ雑誌を発行しており、それで私が「何か素材があるんじゃないかな」と思って髙橋さんにお願いしたところ、快く捜索を引き受けてくださった。それで一緒に秋田書店さんの倉庫を探していたら、お目当ての作品もすごく劇的に見つかったんですが(笑)、その過程で「冒険王」の写真も見つかった……という流れですね。──ピープロ作品の写真が目的で捜索していたわけではないんですね。五十嵐 棚ぼたじゃないですけど、全く別の目的で入ったところ、それが出てきてしまったんです。ピープロといいますか、「冒険王」の別の作品も含めて結構な量が出てきて、「ウワッ!」となりましたね(笑)。本当に驚きました。こんな何十年も前のものが、そこにあったんです。髙橋 元々「うちの倉庫に写真はあるんじゃないか」っていう話自体はずっとあったんです。でもそれまで僕が見たことがあったのはもっと新しい時代のもので、例えば『ウルトラマン80』(80年)のフィルムとか。五十嵐 秋田書店で『80』のフィルムコミックとかを作っていたからね。髙橋 あとは『超電子バイオマン』(84年)の写真とか、そういったものが多かったんです。でも今回のポジフィルムを五十嵐さんと発見した時は、ある程度まとまった形で、頑丈な箱にファイルごと入った状態で出てきて。別のところから出てきたものもありましたが、大半はその箱にあったものです。また大河原先生の原稿が最後の最後まで出てこなくて、捜索した最後のひと箱から出てくるっていう感じだったものですから(笑)。図らずもそこまでの過程で、倉庫にあるほぼ全ての段ボールを漁ることができたんです。五十嵐 大河原先生の資料は、本当に最後の最後の箱にね。一番底の箱に入っていて「うわーっ」みたいなことがあって(笑)。でもその過程で、この「冒険王」のピープロ特撮の写真も出てきて、もう……。髙橋 非常にドラマチックな1日でしたね。──もし大河原先生の資料がすぐに出てきていたら、ひょっとしたらこれらの写真のフィルムは発見されなかったかもしれないですね。髙橋 見つからなかったかもしれませんね。五十嵐 その可能性はありますね。このようなものが出てきて、本当に驚くばかりでした。──発見された時の状態としては、フィルムの入った箱がそのまま倉庫に置かれていた、という感じだったんでしょうか?髙橋 他の箱は段ボールで積まれてるような状態だったんですけれども、その中に一つだけ異色の、しっかりとした木で作られた箱がひっそりと隠れていたんです。『ドラゴンクエスト』の宝箱みたいな(笑)。その中に封印されていたんですよ。五十嵐 『ドラクエ』のミミックでも出てきそうな雰囲気でしたね(笑)。髙橋 割と大きめの箱で、そこにビシッと入っていたんですよね。──木の箱に入っていたのは、何か理由があってのことなのでしょうか?髙橋 わからないんです。ただ、やっぱり「フィルムは陽の光に曝しちゃうと駄目だ」ということは、プロの皆さんであれば当時からおわかりだったでしょうから、厳重な扱いにされていたのかもしれません。あと秋田書店の社屋も引っ越しているので、もしかしたら運ぶ際に、ああいった箱にまとめて詰めたのかもしれないですね。五十嵐 このフィルム、カビなどは多少見られるんですけれども、変色は極めて少なくてね。他社の本を読んでいると「あー、真っ赤になっているなあ」みたいな写真をよく見かけますけれども、秋田書店さんはその辺もすごく写真も丁寧に保管されていたのかな、と思いました。髙橋 発見以降は保管していたんですけど、フィルムというものは劣化が進んでいくわけですよね。どうすれば今後も保存していくことができるのかわからないまま、何年も過ぎていきました。そんな時、昨年(2022年)東京都現代美術館で開催された「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」で、井上泰幸さんの資料をどうアーカイブしているのか語るトークイベントが6月にありました。それを聞きに行ったら、旧知の仲であるバリュープラスの飛山さんが、井上泰幸展における資料のデジタル化やアーカイブ作業を実務的に担っていたことがわかった。それでその場で声をかけて、「こういう特撮作品の写真がフィルムで残っているんだけど、どうしたら保存できると思う?」と持ち掛けました。そこから今回のプロジェクトの立ち上げを提案されたというわけです。──ピープロの特撮作品は、これまで写真資料があまり多くは残っていないと思われてきたわけですよね。五十嵐 そうですね。──そんなピープロ作品の写真が、これだけの物量で出てきた。発見した際の感慨はいかがでしたか?五十嵐 いや、もう宝の山であると思いました。これは単に事実として「写真が残っていた」ということであるのと同時に、これらの写真は秋田書店さんが作品の撮影現場にカメラマンを派遣して撮影した、いわゆる特写というものですか。そういう「独自の写真」であるということが重要ですよね。当時の版権元やテレビ番組が宣伝用に出版社に渡した写真があった、ということではなくて、秋田書店さんが独自に撮っていたものが残っていたわけですから。他には存在しない写真ですから、本当にすごく貴重なものです。──発見の際にも中身は見られたわけでしょうか?五十嵐 拝見しました。──先ほどおっしゃられたような、グラビアに使用されるような特写がたくさんありつつ、おそらく本番の撮影中であろうメイキング的な写真もたくさんありますよね。そういった写真の内容についてはどのように思われましたか?五十嵐 こういう実写ドラマの場合、最初の撮影会にはとりあえず派遣して、そこで適当にあるものを撮ったら、以降は放置……みたいなことも、どうしても雑誌の世界ではよくあるんです。でもこの写真を見ていくと、その都度その都度、撮影現場にカメラマンを派遣していることがわかりますよね。秋田書店さんは本当にまめに現場に行って撮られていたんだということに驚いていて、まずそこが本当に素晴らしいと。例えば、『風雲ライオン丸』にこれだけのバリエーションで写真があるのはすごいことです。兜を付けていないライオン丸とか、こんなに写真のバリエーションがあるのか!と。こんな写真を、しかもカラーで見られるようなことは当時の雑誌でも少なかったわけです。当時写真を撮っていたのは小学館さんと秋田書店さん、そしてもしかしたらフジテレビとかも撮っているかもしれないけども、雑誌社で言えば多分秋田書店さんが一番多く撮っていると思うんですよ。他にも多くの作品を抱えている当時の状況では、他社は多分『風雲ライオン丸』にそこまで力を注げなかったはずです。五十嵐 「冒険王」など当時の雑誌も、『風雲ライオン丸』だけに何十ページも割いていたわけではないですよね。『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』は、秋田書店さんでは単独書籍や図鑑も作っていなかった。なので、雑誌の2ページの中で何点かちょっとだけ……みたいな形でしか誌面にも載ってこなかったわけです。そういう意味では、ほぼ未公開資料ばかりですよね。 【つづく】


thumbnail

こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。三池敏夫さん、原口智生さん、タカハシヒョウリさんと続けてきました、当プロジェクトでのインタビュー。今回は先日動画でも発信させていただきました、樋口真嗣さんインタビューの模様をこちらの活動報告でも公開いたします。樋口さんは日本特撮界を代表する監督・特技監督として、またアニメ監督・画コンテマンとしても長年にわたり活躍されてきました。特撮作品では、3作品で特技監督を務めた「平成ガメラ」シリーズのほか、2006年版『日本沈没』、『巨神兵東京に現わる』(2012年)など多数の作品で監督を務めました。近年では『シン・ゴジラ』(16年)『シン・ウルトラマン』(22年)も監督しています。また樋口さんは認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人であるのと同時に副理事長でもあります。アニメ・特撮の資料アーカイブ活動について、多くの場で情報を発信してきました。ピープロ特撮、「冒険王」をはじめとする雑誌文化、そしてアーカイブ活動の意義まで、樋口さんの熱い語りを、インタビューから感じ取っていただければと思います。樋口 今、こうしてフィルムを見ていると「これ欲しい、サブスクリプションとかにして欲しいな!」と思いますね。最初の目的として写真のフィルムをデータ化することがあり、次にそのデータをどう活用していくのかを考える。そうすると、今回のクラウドファンディングで支援してくださった人たちに対してはリターングッズのアイテムもあるけど、できればみなさんにも写真を見てほしいな。よりみなさんが見られるような環境に近づけるっていうことが大事だと思います。──樋口さんは認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の副理事長としての活動もされています。こうしたピープロ特撮作品の資料をアーカイブとして残していくことの意義をお聞かせください。樋口 例えば『仮面ライダー』や『ウルトラマン』は今もシリーズとして続いているわけですよね。やり方は変わったけど、続いているので資料も残せている方だと思うんです。一方ピープロは新作が途絶えてしまったので、もう絶滅危惧種、絶滅した文明みたいなものなんですよね。あの頃、土曜日のフジテレビの枠はピープロががっつり抑えていたわけですよ。それが今では跡形もなくなり、その事実を知る人もだんだん減ってきている。当時の栄光もあるし、円谷プロとも東映とも違う、独特の美学というか世界観みたいなものは、改めて観ると「なんじゃこれは?」と感じるものも含めて魅力的なんですよね。特に怪人たちが素晴らし過ぎる。このフィルムには、ピープロ特撮の怪人たちが恐らく地球上で最も解像度の高い状態で保存されている。ある意味、写真だから映像以上にフィルムの状態が良い部分もあるわけですよね。樋口 それから、例えばこういうものをクラウドファンディングにしたっていう事実自体も、記録として残るわけじゃないですか。我々が死に絶えた後にも「こういう時に、こういうものを良いと思った人たちがいた」ということが記録になる。作品や資料だけじゃなくて、作品への思いというものも、何も起きないままで時間が経っていくとどんどん薄まっていくというか、希釈されていっちゃうんですよね。それをなるべく濃いまま残しておけるか。この何年かの間で「こういう資料も残した方がいいんだな」という認識は、世の中に何となく広まってきているとは思うんですけど。俺たちはまだリアルタイムで観たことがあるから「すげえ」と言えるけど、観たこともない人でも「すげえ」と言えるように、どうやって伝えていくかってことが大事なのかなという気がしますね。──最後に、今回のクラウドファンディング企画へのメッセージをお願いします。樋口 こういう写真のケースだけだと伝わりづらいと思うけど、フィルムの情報量と密度ってすごいことなので、是非残していただけたらなと。皆さんがこれを見られる日が来るようにするための準備、ということだとも思います。後で悔しい思いをするよりは、あと残り何日かで達成できるように、是非力を貸してほしいですね。特に今日は、須賀川特撮アーカイブセンターへ行っている某社長がいるんです。社長! あんたのためにやっているようなものだから!あなたが喜ぶようなことやっていますからね。社長お願いします!


thumbnail

こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。三池敏夫さん、原口智生さん、タカハシヒョウリさんと続けてきました、当プロジェクトでのインタビュー。今回は先日動画でも発信させていただきました、樋口真嗣さんインタビューの模様をこちらの活動報告でも公開いたします。樋口さんは日本特撮界を代表する監督・特技監督として、またアニメ監督・画コンテマンとしても長年にわたり活躍されてきました。特撮作品では、3作品で特技監督を務めた「平成ガメラ」シリーズのほか、2006年版『日本沈没』、『巨神兵東京に現わる』(2012年)など多数の作品で監督を務めました。近年では『シン・ゴジラ』(16年)『シン・ウルトラマン』(22年)も監督しています。また樋口さんは認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人であるのと同時に副理事長でもあります。アニメ・特撮の資料アーカイブ活動について、多くの場で情報を発信してきました。ピープロ特撮、「冒険王」をはじめとする雑誌文化、そしてアーカイブ活動の意義まで、樋口さんの熱い語りを、インタビューから感じ取っていただければと思います。──フィルムを実際にご覧になってのご感想はいかがでしょうか?樋口 今、我々がこの作品たちに触れ合うことができる唯一の手段は、DVDをはじめ実際に放送していたものをソフト化したものです。でもこの写真のフィルムは、そういった映像ソフトとは解像度のようなものが違いますね。作品自体は16ミリフィルムで撮ったテレビ映画で当然動きもありますけど、これらのフィルムは静止画、写真ですよ。中にはドラマを撮っている時に横から撮った写真だけじゃなくて、特写っていうんですかね。(本編の)撮影の合間で「ちょっと構えてください」とポーズを取ってもらったであろうものとか、そういう写真がいっぱい入っていると思うんですよね。普通だったら俳優の目線は、お芝居の相手だったり、それこそ自分を撮っている16ミリのカメラだったりに向くものです。ところがこのフィルムの写真では、明らかに撮影しているスチールカメラに目線が向けているものもあり、その場の空気感が伝わってくる。「冒険王」をはじめ、雑誌のグラビアに大判のスチールで載っていた情報を、当時の僕らは貪るように読んでいました。実は僕らにとって、テレビで観るものと同じぐらいの娯楽だったんですよね。その原本みたいなものがこうして残っていたというのは何よりもすごい。デジタル化を目指すフィルムを調査する樋口真嗣さん樋口 フィルムを見ていて思いましたけど、あの頃の僕らにとって「作品を観る」ということは100%テレビの中の体験だったのかといったら、そうじゃないような気がして。どっちが後でどっちが先かってことではなくて、僕らにとっての対等な体験として、あの頃は映像だけでなく雑誌からの情報を浴びていたなっていうのを思い出しました。DVDボックスで作品を映像として観るだけでは思い出せなかったことです。時間を経つのを忘れるとはまさにこのことですよね。フィルムを見ることで、一瞬だけどあの頃に戻っていたような感じがしましたね。──当時「冒険王」は買われていましたか?樋口 買えなかったです。親からお小遣いが貰えなかったんで。友達の家にあるわけですね。青果市場の社長の息子の家にありましたね。──みんなでシェアして読んだ感じでしょうか?樋口 シェアではなくて、その友達の家には「富」が集中しているわけですよ。そいつの家に遊びに行くっていうのが一つのステータスだったんですよね。言ってしまえばスネ夫です。そいつの自慢を聞きながら貪る、みたいな。──ピープロ作品はご覧になっていましたか?樋口 観ていましたけど、やっぱり限られた時間でした。第1話は観るんだけど、以降は親が観させてくれないとか、そういうこともありましたね。親の目を盗んで何を観るか。『ウルトラマンA』(1972年)をやっている時は『変身忍者嵐』(72年)は絶対無理で、『ミラーマン』(71年)をやっている時は『シルバー仮面』(71年)を諦める、とかして。あの頃、テレビのチャンネルはガチャガチャって回すようなタイプのやつで、リモコンもない。ボタンでもない。あまり何度も回しているとズレるんですね、バリコン(バリアブル・コンデンサー)が。ズレをすぐ直せればいいんだけど、ちゃんと直らないこともあった。「乱暴に使うと壊れるよ!」と怒られるのでチャンネルもあまり回せなくて、ごく一部しか観られなかったのが当時の記憶ですよね。だからむしろ馴染みがあったのは、番組そのものよりも友達の家の漫画部屋みたいなところにある「冒険王」のグラビアですよね。──どちらかというと、雑誌に掲載されている写真の方に親しみがあったということでしょうか?樋口 そうです。雑誌の写真というものを、二次的なものというふうに捉えた記憶がないんです。それは他の少年誌のグラビアなんかもそうです。あれ自体が面白いメディアみたいな感じだったので。テレビの番組があるからそういう記事があるんだよ、と分かるまでにもうちょっと時間がかかったんですね。小学校高学年ぐらいになって、川の流れみたいに順番があるんだということを知るわけですよ。あの当時は、紙面とかも生き生きと描かれていました。当時の編集者の方がラフを切って描かせたみたいな、番組だけでは語りきれない裏設定が、イラストで横に細かく載っていた。番組とはまた別のものとして、作品をサブテキスト的に盛り上げていた。そういったものも全部含めて、当時の「番組」だったのかなという気はします。それはピープロに限らず、あの時代のものは全てそうです。そういったものはもう目に触れるチャンスがあんまりない。単行本のような古書店に売っているような古書と違って、雑誌はさらにその原点のようなものなのですから。そういう意味でも、この写真のフィルムは本当に貴重なんですよ。【第二回に続く】