『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!

制作会社「ピー・プロダクション」が手掛けた特撮テレビ番組『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』4作品の、少年漫画誌「冒険王」のために撮影されたスチール写真のポジフィルム約2000枚分をデジタル化し、アーカイヴとして後世に残すプロジェクトです!

現在の支援総額

6,094,000

121%

目標金額は5,000,000円

支援者数

448

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/05/19に募集を開始し、 448人の支援により 6,094,000円の資金を集め、 2023/07/17に募集を終了しました

『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!

現在の支援総額

6,094,000

121%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数448

このプロジェクトは、2023/05/19に募集を開始し、 448人の支援により 6,094,000円の資金を集め、 2023/07/17に募集を終了しました

制作会社「ピー・プロダクション」が手掛けた特撮テレビ番組『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』4作品の、少年漫画誌「冒険王」のために撮影されたスチール写真のポジフィルム約2000枚分をデジタル化し、アーカイヴとして後世に残すプロジェクトです!

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バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。本日もみなさまにフィルムの中から厳選してご紹介します。『快傑ライオン丸』からこちら!前回タイガージョーについて紹介しましたが、今回はその変身前ということで、虎錠之介を写したフィルムを2枚、紹介いたします。1枚目は第27話「大魔王ゴースン怒る!」の錠之介初登場のシーンと思われる写真。そして2枚目は第45話「抜け忍けもの道 怪人ハンザキ」終盤のシーンで撮影されたと思われる写真です。 第27話、獅子丸の前に姿を現した錠之介は「正しいものが勝つんじゃない、強いものが勝つんだ」と語り、獅子丸に刀を突き付けます。劇伴の効果やカメラワークも相まって、緊張感に満ちた名場面ですが、何よりこの錠之介の圧倒的な迫力!登場直後の錠之介はゴースンに忠誠を誓いつつ、「獅子丸/ライオン丸を倒すこと」を自身のアイデンティティとする人物でしたが、その苛烈なキャラクター性がこの写真からも伝わってきます。こうした劇中の名シーンのまさにその瞬間が、写真のフィルムという形で、そして非常にクリアな状態で多数現存しているのです。 作品中盤から登場し、以降のエピソードのドラマ性を大きく引き上げた虎錠之介。ただ彼は、途中で演者が代わっています。第27~30話、第40・41話までは戸野広浩司さんが、第42話以降は福島資剛さんが虎錠之介を演じました。ファンの方々はよくご存知のことかと思いますが、戸野広さんは第40・41話の彦根ロケにおいて、宿泊先での事故で亡くなりました。エネルギッシュで荒々しい悪の剣士・錠之介を熱演し、これから満を持して再登場、という矢先での出来事でした。この頃のドラマのセリフは演者がアフレコで声を当てていたため、第40・41話の錠之介の声は声優の池田勝さんが吹き替えています。 それ以降は、戸野広さんとは同じ劇団の同期でもあった福島さんが最終話まで演じた錠之介。福島さんの雰囲気や芝居、声のトーンもあって、第42話以降の錠之介は幾分落ち着いて、渋みを増したアウトローの空気を纏っているように見えます。そして錠之介を巡るドラマはさらに加速し、彼をメインに据えたエピソードも多く作られました。第45話では、徐々に獅子丸と接近しゴースンの配下から抜けて抜け忍となった錠之介に対し、かつて彼の親友だった怪人ハンザキが差し向けられ、旧友同士が戦う切ないエピソード。写真は、ゴースン打倒を誓う錠之介が、武器である象牙を川で研いでいる終盤のシーンだと推測されます。 2人の俳優によって演じられ、日本特撮史にその名を刻んだ虎錠之介。残されたフィルムからも、彼の存在の力強さが感じられるのではないでしょうか。次回、もう1枚だけ、タイガージョーのフィルムを紹介しようと思います。


こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。先日動画として発信した三池敏夫さんインタビューの全文を、こちらの記事で公開いたします。三池さんは特撮美術監督として、ゴジラシリーズ、ウルトラマンシリーズ、平成ガメラシリーズと数多の特撮作品に中心スタッフとして参加してきました。また近年は、認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、残された特撮作品の資料を保存・研究するアーカイブ活動にも積極的に取り組まれています。今回はその三池さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際にご覧になっていただきました。そして、ピープロ特撮そのものの魅力、その写真資料としての価値、そして特撮作品の資料アーカイブの意義について、様々な観点で語っていただきました。──三池さんはATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の中心メンバーとして、特撮作品に関する制作資料・中間制作物を未来に残すためのアーカイブ活動をされています。今回発掘されたピープロ特撮のフィルムの写真資料の価値について、アーカイブの観点からはどのように考えられていますか?三池 特撮のアーカイブ運動をやっているわけですけど、世の中がブームの時には溢れかえっていたものが、やっぱり10年20年するとびっくりするぐらいを失われていくんですよね。怪獣ブーム・変身ブームの頃は、町中が本当にもう怪獣とかヒーローで溢れていて、その時には当たり前のようにあった写真とかが、いつの間にか無くなってしまうんですよ。今回のピープロ作品の資料も、これまで出たことのない写真もあるだろうし、キャラクターの格好良いポーズの写真も魅力的なんですけど、作り手側の立場から言うと舞台裏、先ほど話が出たクレーンで吊っているとかですね。そういう撮影の舞台裏の資料があるのが、とても大事なことなんです。そういう資料も、やっぱり「ちゃんと残そう」という意志がないと間違いなく消えていくんですよ。資料がどんどん失われている。当時撮影に直接携わっていた人たちも居なくなっていて、今回フィルムが発掘された中で一番古い作品の『快傑ライオン丸』なんかは、50年以上も経った現在では多くの関係者が亡くなっているわけです。写真という形で残っている資料を永久に残すための努力というのは、非常に重要なことです。『風雲ライオン丸』より。レギュラーキャスト3人とライオン丸。獅子丸とライオン丸が並ぶ、劇中ではあり得ない写真だ。『風雲』がちょうど50年前の作品であり、このフィルムをはじめとする資料もそれだけ古いもの。一刻も早いアーカイブ化が必要である。三池 もちろん文字情報や絵、紙の資料も大事なんですよ。台本だったり、スケジュール表だったり、絵コンテだったりも貴重なんですけど、それらと比べても写真資料の重要性は特に高いですね。撮影当時の状況そのものを直接知ることができます。見る人にも分かりやすく伝わるし、その価値も理解しやすい。そういう意味でも、写真資料をアーカイブとして残していくことは本当に大事だと思います。──今回のプロジェクトは、フィルムのアーカイブをクラウドファンディングで行おうという試みですが、将来的にはどういう展開に繋がっていくと良いと思われますか?三池 もうちょっと「アーカイブ」ということ自体の価値を世の中が認めて、私は特撮専門でやっていますけど、映画文化というものを後世に残すための施設や組織を映画業界全体でもっと作っていかないといけないな、という思いはあります。アニメ特撮アーカイブ機構という組織の活動は、映画の中でもアニメと特撮に特化しているんですけど、そういう過去の作品に関する資料を将来に残したい。それは自分たちがそういう作品が好きで、アニメや特撮作品に育てられたっていうのが原動力ではあるんですけど、将来自分たちがいなくなってからでも、世界に誇れる日本の文化として末永く残っていくことこそが最大の願いです。──「アニメと特撮」という領域を考えますと、渡辺善夫さんのマットアートをはじめ、ピープロ作品って特撮作品の中にアニメ―ションを多用しているわけで、その2つのジャンルを積極的に融合していた先駆者でもあるわけですよね。三池 ピープロはそもそも、アニメと特撮の両方で作品を制作した珍しい会社なんです。『マグマ大使』で初めて特撮作品を制作するより前に『0戦はやと』(64年)を制作して、日本最初の本格テレビアニメ『鉄腕アトム』(65年)も下請けで制作しています。そもそも子ども向けの番組って、最初の特撮ブームの頃は「アニメーションだ」「特撮だ」っていう区別は、観る側もそれほど意識はしていなかったんです。──いわゆる「テレビまんが」の時代ですよね。三池 その通りです。テレビまんがみたいな形で、放送枠もアニメと特撮を連続して再放送するようなことはよくやっていましたよね。そういう時代を、ピープロは色濃く反映している会社であり、作品だと思います。──そうした「子ども文化」の担い手だったピープロ作品ですが、今後その貴重な資料のアーカイブをますます進めていかなくてはなりません。最後に、このクラウドファンディングに協力してくださっている皆さんに向けて、三池さんからメッセージをお願いします。三池 現在のアーカイブ活動の現状でいくと、無くなった会社に関する資料ってどうしても保存が難しく散逸してしまうんです。東宝、東映、大映を引き継いだ角川(現KADOKAWA)、それから円谷プロダクションと、それぞれ今でも現役で新作を作っている会社であれば、そういう資料と共に自社の歴史をちゃんと残せる。でもピープロは今、権利を管理する会社として社名は残っていますけど、制作会社としての実績は無いですから。資料はどんどん失われているし、新たな資料の発掘も、こういう機会がないとなかなか難しいですよね。つまりピープロは、特撮文化の中でも発掘や保存といった活動が一番遅れてしまった会社だと思うんですよ。だから今回、こういう形でピープロ作品を未来に残そうという動きは大歓迎ですし、ぜひ皆さんにご協力いただきたいなと思います。(聞き手・構成:馬場裕也)特撮美術監督 三池敏夫 プロフィール1961年熊本県出身。1984年九州大学工学部卒業後、矢島信男特撮監督に師事。東映テレビヒーローシリーズに参加した後1989年フリーとなり、東宝のゴジラシリーズ、大映のガメラシリーズ、円谷プロのウルトラマンシリーズなどに特撮美術として参加する。2008年再び特撮研究所に所属。代表作は『超人機メタルダー』(1987)、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003)、『男たちの大和』(2005)、『日本沈没』(2006)、『ウルトラマンサーガ』(2012)、『巨神兵東京に現わる』(2012)、『のぼうの城』(2012)、『シン・ゴジラ』(2016)、『Fukushima50』(2020)、『シン・ウルトラマン』(2022) など。©ピープロダクション


こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。先日動画として発信した三池敏夫さんインタビューの全文を、こちらの記事で公開いたします。三池さんは特撮美術監督として、ゴジラシリーズ、ウルトラマンシリーズ、平成ガメラシリーズと数多の特撮作品に中心スタッフとして参加してきました。また近年は、認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、残された特撮作品の資料を保存・研究するアーカイブ活動にも積極的に取り組まれています。今回はその三池さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際にご覧になっていただきました。そして、ピープロ特撮そのものの魅力、その写真資料としての価値、そして特撮作品の資料アーカイブの意義について、様々な観点で語っていただきました。──今回このアーカイブプロジェクトを手掛けているバリュープラスは、三池さんが監修を務められた『生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展』(2022年)でも資料のアーカイブ作業に協力しています。その際にも、ピープロ作品に関する資料が複数発掘されました。三池さんは井上泰幸さんに師事されていましたが、井上さんからピープロ作品についてお話をうかがうようなことはありましたか?三池 井上さんは元々、円谷英二監督の元で特撮班の美術監督を務め、東宝特撮の様々な作品に参加されていました。円谷さんが亡くなった後、井上さんは1971年に「アルファ企画」という会社を立ち上げて独立し、他社からミニチュアや造形物の制作などを受注するようになります。その中にピープロもあったわけですね。当時のアルファ企画は色々な会社と仕事をしていましたから、それぞれで話は聞きましたけど、やっぱりうしおそうじさん、つまりピープロ社長の鷺巣(富雄)さんとは、井上さんは個人的な付き合いがあったというかな。鷺巣さんって戦後の東宝特撮に円谷英二組としては参加してないんだけど、戦前・戦中には円谷さんと一緒に東宝で仕事をしているわけですね。──鷺巣さんは戦前から東宝に特殊技術課線画係として勤務し、特技課の課長だった円谷英二さんとは、お世話になりつつ頼まれて仕事も手伝うような関係だったそうですね。『風雲ライオン丸』より。ピー・プロダクションの社長・鷺巣富雄=うしおそうじは、キャラクターデザイナーとしても才覚を発揮。自身の持つ猫族へのこだわりを、ライオン丸などのヒーローデザインへと昇華した。『風雲』のOP冒頭に登場する、目が動くライオン丸の絵もうしおそうじ本人によるものだ。三池 そう、鷺巣さんがうしおそうじとして漫画家になられる前の段階ですね。そういう関わりもあって、おそらく鷺巣さんは戦後も東宝特撮の現場にも顔を出していたのではないかと、僕は思います。円谷組で美術をずっとやっていた井上さんの仕事を鷺巣さんが認めて、ピープロでスタッフが必要な時に、鷺巣さんの方から井上さんにも声をかけたんだと思いますね。だから井上さんは『マグマ大使』はやっていないけど、『スペクトルマン』以降のピープロ作品にはアルファ企画として大体関わっていますよね。──井上さんとアルファ企画によるピープロでの仕事は、代表的なものとしてはやはり主人公のキャラクターなどを造形した『電人ザボーガー』になるでしょうか。三池 そうですね。アルファ企画では、『電人ザボーガー』はザボーガーのマスク・スーツとバイク(マシーンザボーガー、マシン・バッハ)、そのほかサタンボーグやテッカーマなどのキャラクターを何体か作っています。『電人ザボーガー』より。ザボーガーと第6話に登場するテッカーマ。いずれもアルファ企画でスーツが制作された。ザボーガーは肘や膝などに蛇腹の関節を施してあり、高い造形技術を感じさせる。三池 あと『快傑ライオン丸』と『風雲ライオン丸』それぞれのライオン丸も、井上さんご自身のご記憶としては一応「やった仕事だ」とおっしゃっていました。実際に複数のマスクを作っている写真も残っているんですけど、ライオン丸の造形は高山良策さんがやっているわけでしょう。その棲み分けは何なんだろうなと思ったら、井上さんが手掛けていたライオン丸はどうもアトラクション用みたいですね。当時はヒーローショーもいっぱいやっていましたから。つまりライオン丸は本編の撮影用を高山さんが作って、量産してヒーローショーで使うものを井上さんが手掛けたのかなって、井上さんの遺された写真を見る限りはそう思いますね。ただ『風雲』の方はアルファで作ったマスクが撮影用にも見えるし、もう少し新たな資料の発掘を待たないと断言できないですね。それから『快傑ライオン丸』ですとペガサス、ヒカリ丸はミニチュア撮影をやっていて、その造形物を井上さんが制作している写真が残されています。特撮で使うヒカリ丸をアルファ企画で作っていたんだと思いますね。また『快傑ライオン丸』の大魔王ゴースンも、撮影で使用したスーツをアルファ企画で制作しています。──井上さんの資料のアーカイブ作業中に、ゴースンのほか数点、明らかにうしおそうじさん直筆と思われるデザイン画も発掘されました。あれはうしおさん=鷺巣さんから井上さんに直接渡されたものなのでしょうか?三池 そうでしょうね。ピープロとアルファ企画、それぞれの社長同士の話ということで、発注する際の予算も含めて決めていたんじゃないかな。──こうして数々の仕事をうかがっていくと、ピープロ作品を下支えする重要な役割を井上さんとアルファ企画が担っていたわけですね。三池 そうですね。アルファ企画も元々はミニチュア作りが専門で、建物だったり乗り物だったりのミニチュア制作を手掛けるところから始まっています。そこにキャラクター造形に関係する仕事もどんどん入ってくるようになったわけです。他社作品ですけど『ダイヤモンド・アイ』(73年)もそうですね。あれはもう敵味方ほとんどの造形物をアルファ企画で作っていた。もちろん井上さんご自身が造形物の全てをメインでやっていたわけじゃなくて、そういう分野に手慣れた人を呼んで作ってもらっていたとは思います。スーツなどにギミックを仕込むのにも、高木明法さんというトップクラスの技術者がいたわけですしね。この時代は本当に作品数がすごいわけですよ。週に1本放送するだけでも大変ですけど、そのための造形物を作る方は同時に並行して複数やっているわけですから。相当手が足りない感じの印象は、色々な作品で感じますね。──先日、鷺巣さんの息子で現在のピープロ社長でもある鷺巣詩郎さんにお話をうかがいましたが、『マグマ大使』や『怪獣王子』で造形を担当した大橋史典さんからピープロが受けた影響は、後年まで色濃かったとおっしゃっていました。三池 造形業界の歴史の中では、大橋さんってちょっと謎の人ですよ。東宝でも『獣人雪男』(55年)を手伝って、演者としても出演されているわけですよね。僕はそのあたりは詳しくなくて、大橋さんの歴史は僕も分からないです。おそらく造形の品田冬樹さんが一番詳しいですよ。大橋さんをはじめ、鷺巣富雄さん独自の人脈もピープロの大きな特徴になっていますよね。先ほど挙げた渡辺善夫さんの作画も、やっぱりすごかった。『マグマ大使』で無重力によって物が上空に浮き上がる時の絵とかも、ものすごいインパクトがありました。マグマ大使の胸からミサイルが出るところも、子どもながらに「ちょっと絵っぽいな」とか思うんだけど、それが独特のピープロカラーでしたね。それを『スペクトルマン』や『快傑ライオン丸』以降でも持ち味としてずっと継続していくわけです。『鉄人タイガーセブン』より。愛車スパーク号にまたがるタイガーセブン。このスパーク号もアルファ企画で制作された。ややローアングル気味に撮られた珍しい写真で、フロント部分の底面など、造形のディテールを見ることができる。【第五回に続く】 


こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。先日動画として発信した三池敏夫さんインタビューの全文を、こちらの記事で公開いたします。三池さんは特撮美術監督として、ゴジラシリーズ、ウルトラマンシリーズ、平成ガメラシリーズと数多の特撮作品に中心スタッフとして参加してきました。また近年は、認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、残された特撮作品の資料を保存・研究するアーカイブ活動にも積極的に取り組まれています。今回はその三池さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際にご覧になっていただきました。そして、ピープロ特撮そのものの魅力、その写真資料としての価値、そして特撮作品の資料アーカイブの意義について、様々な観点で語っていただきました。──これらのフィルムを保管していたのは児童向け雑誌「冒険王」を発行していた秋田書店です。三池さんも当時は「冒険王」をはじめとする児童雑誌は読まれていましたか?三池 雑誌もいくつか種類がありましたから、それらを全部は買ってないですけど、「表紙が良いな」と思って買うようなことはありましたよ。実は今も残していて、実家にあります(笑)。九州は熊本なんですけど、大事に取ってあるんですよ。──ネットがある現在は、「何話にどの怪人が出てきたのか」など簡単な情報であれば誰でも即座にアクセスできます。しかしネットが存在せず、映像ソフトの登場以前で映像自体も繰り返し観ることができない当時は、そういう書誌情報が生命線ですよね。三池 そうです、情報発信自体が本当に少なかったですから。そういう子ども向けのテレビ番組情報誌みたいなものは、やっぱり頼りにしていました。当時印象に残っていることとして、他社の話になりますけど「週刊少年マガジン」とかは、雑誌の最初の方にカラーのグラビアページが結構あって、そこで色々な特集をするわけですよ。怪獣ブームの時には怪獣が表紙になったり、グラビアページでも結構良いカラー写真で載っていたりしていた。そういう中で、完成作品では見えてはいけない、スタッフが写っているような写真もちょこちょこ出てくるんですね。それを見て、子どもながらに「やっぱりこういうものを作っている人がいるんだ。そういう仕事があるんだ」ということを知るきっかけになりました。完成作品の映像とは違うんだけど、そういう写真も魅力的でしたよね。怪獣を作る人がいるとか、怪獣の中に人が入っているとか、それを動かす人がいるとか、そういうことはそこで知るわけですよ。『快傑ライオン丸』より。ミニチュア撮影の様子。おそらく第27話「大魔王ゴースン怒る!」で、ゴースンが巨大化しゴースン島を突き破って登場する場面だろう。ゴースンのアクターは遠矢孝信。完成映像より右に寄ったアングルのためか、右側にスタッフが写り込んでおり、まさに「見えてはいけない」舞台裏の一枚。──大人になって作り手の側に回った三池さんにとっても、児童雑誌やそこに載っている写真からの影響は大きかったと。三池 第1次怪獣ブームの頃にはテレビ雑誌はまだ無くて、「少年マガジン」とかの漫画雑誌の表ページに特集されているぐらいだったんです。でも70年代に入って第2次怪獣ブームの頃になると、「テレビマガジン」(1971年創刊、講談社)とか「テレビランド」(73年創刊、徳間書店)とか「てれびくん」(76年創刊、小学館)とかが出てくる。これらは本当にテレビ番組の紹介が主体になっていて、カードとして切り取れるおまけだったり、ちょっとした小冊子になっている付録だったりもあって、色々な作品の色々なキャラクターをどんどん頭に入れられる雑誌なんですよ。それらを読んで、みんな怪獣博士・怪人博士になっていくわけです(笑)。──三池さんが特撮にのめり込むきっかけも、そういう児童向け雑誌などの子ども文化に存在したわけですね。三池 そうですね。それ以外の情報はなにも無いですから。一般の雑誌とかには、そんなキャラクターものの写真なんか一切載らないんですよ。児童雑誌だけが情報源でしたよね。『風雲ライオン丸』より。撮影の見学だろうか。ライオン丸を囲んだ大勢の子どもたちの記念写真。当時のヒーロー作品と子どもの関係性を示す一枚だ。よく見ると子どもたちのうち半数ほどが女の子なのも興味深い。この写真を見て「ここに写っている子どもは当時の自分だ!」と思われた方は、是非ご一報ください。【第四回に続く】


こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。先日動画として発信した三池敏夫さんインタビューの全文を、こちらの記事で公開いたします。三池さんは特撮美術監督として、ゴジラシリーズ、ウルトラマンシリーズ、平成ガメラシリーズと数多の特撮作品に中心スタッフとして参加してきました。また近年は、認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、残された特撮作品の資料を保存・研究するアーカイブ活動にも積極的に取り組まれています。今回はその三池さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際にご覧になっていただきました。そして、ピープロ特撮そのものの魅力、その写真資料としての価値、そして特撮作品の資料アーカイブの意義について、様々な観点で語っていただきました。三池 今回、当時の写真をいっぱい見せてもらって、作り手の立場になった今の自分が思うことは「相当苦労したんだろうな」と。「時代もの」の特撮っていうと、なるべくセットの費用をかけないためにロケーション(屋外)で撮影するわけです。そうすると、この『快傑ライオン丸』などを撮影していた時代にはもう、時代劇では見えちゃいけないもの、例えば鉄塔だったり近代的な建物だったりが普通に存在していた。今だったら、仮にそういうものが映り込んでいても合成などで後から簡単に消せますが、当時はそんな技術も無いわけです。とにかく撮った画でそのまま編集して放送したいわけだから、見えちゃいけないものを映り込ませないように現場で頑張っている。そういう苦労の方に目がいきますよね。──写真からも、撮影当時のそういった苦労が滲み出ているわけですね。三池 ええ。特にアクションシーンは、やっぱりよくやっていると思いますね。これはどの会社の作品もそうなんだけど、ヒーローにしたって敵側にしたって、ああいう被り物(マスク、仮面)をかぶっている。もう本当に見えない、ほとんど視野がない状態で戦っているわけですよ。しかも撮影場所がロケーションということは──完成した作品を観ても気温って分からないけど──スタジオでの撮影以上に夏は暑いし冬は寒い。ロケーションでの撮影を続けて、毎週1本放送するってやっぱり大変なことなんですよね。コマーシャルを抜くと、1話分の尺は24分ぐらいかな。オープニングとエンディングも抜くともうちょっと短いんですけど、それでも1週間に1本の作品を作るって大変なことです。作り手になってから見ると、ピープロ作品もすごく頑張って作っているし、独自の魅力があると思います。『快傑ライオン丸』より。第37話「狙われた男 怪人トドカズラ」の1シーンと思われ、滝をバックに対峙する獅子丸(右)と虎錠之介(左)。地形による高低差も上手く活かしており、滝というロケーションを最大限に活用した抜群の構図を創り出している。──『風雲ライオン丸』は写真の枚数も多く、クレーンを用いて撮影をしている様子の写真もご覧になっていただきました。こうした当時の撮影の規模は、三池さんの目から見ても凄いと感じられますか?三池 そうですね。『風雲』の飛び上がるアクションって「どうやって撮ったのかな」ってやはり思うところなんです。トランポリンを使えば一番早く撮れるはずなんだけど、写真を見るとクレーンで吊って撮るということも結構やっていたみたいで、大変な撮影だったと思いますよ。当時は各社が競い合っている時代なんですね。おそらく「ライバル番組に負けないように」っていう意識を各社がお互いに持っている中で、ピープロは時代劇特撮の魅力を少しでも出そうということで、あの手この手でやっていたわけです。『風雲ライオン丸』より。圧巻のクレーン撮影。第1話に登場するネズマが吊られており、少し宙に浮いているのがわかる。クレーンの中ほどにはカメラマンと思しきスタッフも。ライオン丸に空中で斬られて落下し、倒れ込む寸前のネズマを上から撮影したカットが本編にあるが、その撮影か?──ロケーションという意味では、『鉄人タイガーセブン』第1話の写真も多くのフィルムが発見されましたが、タイガーセブンが川の中でマグマ原人カエンジンと戦っているシーンなど、今見ると本当に大変そうな撮影ですよね。三池 そうそう。演じる人も大変だし、マスクやスーツを作った人も「え、水に浸けちゃうの⁉」と思ったはずですね(笑)。でもそういう当時の撮影状況の記録を、こういうスチールの形で残しているというのは本当に大事なことですよ。当時の子ども向けの情報媒体では、色々な出版社が専門のスチールカメラマンを派遣して、現場で撮らせてもらっているわけです。現場もおそらくスチールタイムというものを設定して、「各社、宣伝用に撮ってください」というタイミングをあらかじめスケジュールに入れていたと思います。だけど本来、現場の人は1週間につき1本、テレビで放送できる枠を守るために作品を撮っていくことが最大の使命ですから。そんな余裕の無い現場の中で、ちゃんとスチールタイムを設けて、こうした良い写真を残そうという意識があったのはすごいことだと思いますね。本当に良い写真がいっぱいありました。──宣材に使うようないわゆる特写だけではなく、アクションの立ち回りの瞬間や、撮影の裏側が見えるメイキングのような写真もたくさん残っていますよね。三池 おそらく、決めポーズで「動かないで、構えてください」っていう写真は特写として撮りつつ、それにプラスして、撮影中にも邪魔にならないような位置から撮っていたのであろう写真もたくさんありますね。非常に臨場感のある、その場の様子を今に伝えるような良い写真がいっぱいありました。『鉄人タイガーセブン』より。第1話の終盤、マグマ原人カエンジンとの戦い。滴り落ちる水が、まさにこの瞬間に激しいアクションが行われていることを今に伝えている。ウェットスーツで作られたタイガーセブンの胴体にも注目!──これだけ多種多様な写真が残っているというのは、児童雑誌に掲載するという以外の意図もあって撮影が行われていたのでしょうか?三池 当時は雑誌の付録で、カード式に切り取ってコレクションできるようなものもありました。そういう色々な使用方法を考えた上で、キャラクターの写真も色々な形式で残す、という意図で撮っていたんだと思うんですよ。ただそれだけじゃなくて、キャラクターをフレームに入れられるような良いポジションとは異なる位置から撮られた、メイキング的な写真も残っている。当然完成作品にそういうものは写っていないわけですから、撮影のバックグラウンドを現在に伝えるという意味で、研究者にとっても極めて貴重なものになっていると思います。これまで、ピープロ作品の研究ってちょっと立ち遅れている部分がありました。どうしても他社の人気作品の方が先行して色々な出版物を出している状況で、今回の発見はすごく大きなことだと思います。【第三回に続く】 


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