もともと「商売下手だよね」って言われていた。「もっと儲かる方法あるでしょ?」って言われていた。「儲かっているかと思っていた」と言われたことも。う~~ん。25年間会社を経営してきたが、そこはどうでもいいんだよね。いや、次第にどうでもよくなっていったのかもしれないんだけど、お金儲けにはそんなに興味がない。自分が楽しいこと、周りを巻き込んで楽しいこと、そして周りが喜んでくれることを優先して動いてきた。コロナ禍で世の中が大きく変わった50歳の時、ひょんなことから『持続可能な資本主義』の著者・新井和宏さんの無料座談会に参加した。そこでeumoアカデミーのことを聞いた。週に1度の講座であることに加えて、コロナ禍の影響でオンライン開催になったことで福岡からでも参加できそうだと思った。これも運命なのだろうか?基本的にこういう料金がかかるセミナーは、はなから検討もしないことが多いのだが、なんとなくこれは今後につながると直感した。自分としては珍しく、知ったその日に申し込んだ気がする。eumoアカデミーの最終回は全講座を振り返っての意見交換会だった。改めて見渡してみると参加者約20名のほとんどが一回り以上年下。中には自分の年齢の半分ぐらいの人もいた。若いときからこんな講座や仲間に出会えて羨ましいというのが本音だった。そしてその仲間に加えていただいたことにも感謝しつつ、振り返りの感想を述べた。この講座を受講した2ヶ月半で何よりも大きな出来事だったのは、私が救急車で運ばれて緊急入院をしたことだった。しかしこれも、前後の講座とつながっていた感じがする。人生観が否応なしに変わり、今までにも増して「頑張らなくてもいい」と思うようになった。自分には最後(死)があり、そこに向けてどれだけお金を稼いでもあの世にお金は持って行けない。無理すると楽しくないし、社長がそんな様子ではスタッフにも無理を強いてしまうだろうし。さて、どんな振り返りをしたかというと、今回の全講座2ヶ月半で9名の講師の話を聞き、そしてそこで紹介された書籍をたくさん読んだ。普段あまり本を読まない私なので、まだ手をつけていない本もたくさんあるのだが、かなりの情報をインプットした。そのため、まだ処理が追いついていないというのが正直なところ。毎回講座ごとに振り返りをしているのも、自分の頭を整理するためだった。その過程で自分の特殊な環境に感謝した。父方は東洋医学の鍼灸師、母方はお寺。5人兄弟の長子という家族構成も、高校からの先輩なしという境遇も。家では東洋の考え方が刷り込まれ、学校では誰も指示してくれないので常にアクションを起こさないといけない。これはまれに見る環境だと思う。自分で作り出そうとしても、できない環境。そういう意味で、親にも感謝だが、先祖にも感謝だなぁと思った。講義の中でどれが良かったかをまとめようと思ったが、結局まとまらないことにも気づいた。なぜなら「こういう話あったよな」と思ったところで、どの講座か思い出せない。いや、どの講座でも似たようなことを言っていた気がする。結局これは根っこがつながっているからだ、ということに気がついた。 一番私につながっていて、納得したのが「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の関係。・自己受容:肯定的にしょうがないと受け入れる。この環境になったのは、雨だからしょうがないよね。風が吹いているからしょうがないのよ。じゃあ、どうしよう?と受け入れる。・他者信頼:他人は違う、を受け入れる。自分と他者は違っていい。それをどう信頼するか。ここには、対話(ダイアログ)が必要だ。・他者貢献:自分にできる精一杯のことを他者に施す。しかし自己犠牲になってはいけない。自分も楽しんでできること、自分がやってみたいと思うことをしながら相手の役に立つ。ただし、おせっかいや無駄なことにならないように。ここにも、ダイアログが必要だ。これは、キャリア開発の読書会で学んだ14図だ。つまり「徳」=自分の最善を他者に尽くしきること。そしてこれらに共通するのが「許す」だと思った。自己受容に関しても、自分の環境を許す。他者信頼に関しても、他者を許す。そんな事を考えたとき、自分も他人も許すことができるコミュニティが重要だと再確認した。東区オフ会しかり、ウォーキング部しかり、ひとみ会しかり、オープンイーハイブしかり。改めて自分は恵まれていると感じた。コミュニティに関して、この講座で知った言葉。・ありがとう(感謝の言葉)・うれしい(素直な喜び)・助かったよ(お礼の言葉)これが言い合える仲間で作るコミュニティ。人は一人では生きていけない。一人だけで生きようとするとマウンティング合戦になり、相手からHP(ヒットポイント)を奪い合う…そんな関係になる。しかし東洋、特に日本では、コミュニティという「場」にこそ命を吹き込まないといけない。場に力を注ぐことで自分も生きられる。惜しみなくコミュニティに命を吹き込む。それは会社においても同じことだと思う。スタッフ一人ひとりに叶えたい夢があるし、それぞれに抱える事情もある。これまで日本の会社は一方的に条件を出して従業員を雇ってきた。そして条件に合致しない人に対しては、平気で「正社員では雇えません」と切り捨ててきた。そのことに何の疑問も抱いていない。 産休・育休を取るなら無理。 転勤できないなら無理。しかしこれはあまりにも身勝手な態度だ。会社は社会に貢献するための存在なのに、最も身近なスタッフを全く許していない。まずはこの構造を改めなければならない。
あなたのご支援、ご声援、本当にありがとうございます。この度、週2正社員のクラファンQRコードの掲載された《フライヤー》をご提供いただきました!!!はがきサイズのものです。頂いた枚数が、1000枚あります。私達が配っても、たかが知れていますので、そこで達成に向け、皆様のご協力をお願い致します。こちらを、2023年3月31日までの開催期間中、置かせていただける店舗様、テナント様を募集させていただきます。週2正社員に共感してはいるけど、資金的にはちょっと無理。だけど、なんか手伝いたい。というかたへ全国どこへでも発送させていただきます!!開催期間が限られておりますので、お早めにご連絡いただけますと幸いです。皆様のご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
2020年12月に読んでいたのは、『死の講義 死んだらどうなるか、自分で決めなさい』 橋爪大三郎著 ダイアモンド社という本。この本がきっかけで、宗教と死について考えていました。 *** *** *** ***「生きる」は体験できるけれど、「死ぬ」は体験できない。だからわからない。大昔は、やっぱり死ぬのが怖くて、恐ろしくて、小さな集団・村で考えていた。「死んだらなくなるんじゃね?」「違うのもの生まれわかるんじゃね?」「違う世界に行くんじゃね?」小さな集団は、比較的同じ考えだから「そんなもんか」で良かった。「長老がそう言ったから」で事足りたwそれが移動できる範囲が広がって影響も大きくなり、集団が合体して、吸収して、規模が大きくなると、死への考え方が統一されて宗教化していく。宗教=文明である。キリスト教 > ヨーロッパイスラム教 > イスラムヒンズー教 > インド儒教 > 中国 (宗教?w)仏教 > アジア一部ということで、それぞれを見ていくことにしよう。【一神教】一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。 ・人間は神が作った。 ・世の中みんな神が作った。 ・神に体を与えてもらっている。 ・死んでも死なないで復活する。 ・死んではいるけど、復活の時を待っている。 ・復活したら死なない世界に行ける。一神教に死者の国はなくて、復活するまではずっとどこかで待っている。体は神からの借り物というところまではほぼ一緒。さてこの3つの宗教の大きな違いとは?・ユダヤ教ユダヤ人だけが救われる。救われたいならユダヤ人になればいい。・キリスト教ユダヤ人じゃなくても、神を信じていれば救われるんじゃね?でも結構規律があるよ。離婚しちゃだめとかね。・イスラム教規律も(キリスト教に比べたら)ゆるくて、お祈りしておけば救われるんじゃね?厳しめの決まりは時代を越えて、みんなを巻き込むために少しずつゆるくなっていく(これは仏教の宗派にも言えるw)。【多神教・ヒンズー教】因果論、つまり原因があり結果があるのがヒンズー教。 ・宇宙すべてが私に影響している。 ・私が全てに影響している。 ・人間が宇宙であり、宇宙が人間である。なので瞑想すると自分が見えてきて、宇宙のすべてが分かる。それが悟る(覚る)こと。 ・悟るまでは死ぬと生まれ変わる。 ・輪廻する。 ・行いが良ければカースト上位に行けるかもしれないし、行いが悪ければ下位に落ちるかもしれない。 ・悟ると輪廻から外れて天上に行く。因果論だけあって、真理追求を考える。【多神教・仏教(日本以外)】ヒンズー教から派生したのが仏教。 ・瞑想して、悟れば仏になる。 ・もう輪廻しなくなる。 ・輪廻しないということは、存在しなくなる。 ・ただ、悟って仏になっても、人間と生き続ける。 釈迦は死んで存在しなくなり永遠のブッタになった。悟りを開いたら仏になれる。仏になると、いろいろなブッタになる。そこに到達するために、さまざまな方法で修業をする。そして、悟りを開いた仏は、仏国土・極楽に行ける。悟りを開かなければ輪廻する。修行する(原因)>悟る(結果) 根底にはヒンズー教の因果論がある。修行には、密教や、座禅を中心とする禅宗がある。【儒教儒学・中国】儒教は神を信じない。儒教はほぼ政治学。中国は大きな人口を抱えて、北の騎馬民族を恐れながら生活していたから、国としての統制を取る強力な国体制が必要だった。そのための儒教だった。皇帝が中心にいる。そして多くの人口を抱え、農業を中心とした国をまとめるために儒教が発達した。忠孝(忠:皇帝を敬い忠誠心を誓う。孝:一族の長老を敬い、親を敬う)なので、国をまとめてもらうためであれば、多少の皇帝のワガママは許されるwさて死をどう考えるかというと、死後は知ったこっちゃないwなぜなら、税金を払わない人は用なしだから。儒教は、宗教というより政治学に近いというのはこのためである。今の中国共産党の宗教禁止も似たようなもの。だから儒教は、儒学とも言う。でも、中国人も死は気になる。なので、補完するために仏教や道教がある。道教には、輪廻(人間界だけでなく、修羅・餓鬼・畜生・地獄も含む)があり、そして地獄の死者の国がある。死者の国では死者として生きていくことになる(日本でいうところの黄泉の国)。【日本人・神道?仏教?】古事記によると、死者は黄泉の国に行く。しかもイザナミは、神でありながら死ぬ。一神教の神は絶対に死なないが、日本の神は死ぬのである。神話による神道の考え方がある中、538年に仏教が伝来する。ただしこの思想は、先進国・中国の政治とセットで入ってくる。ココから先は、天皇・仏教・摂関と三角関係の政治の花形に。あまりにも仏教が力をつけすぎたので、政治とは程遠い仏教の教えだけを最澄と空海に留学させて、権力から遠ざけるw神道において、死は穢れだとする。仏教は合理主義(因果論)で、死体を恐れない。葬式をやらせるのに丁度いい。だから日本では、葬式を担当するのが仏教になった。神々を祀る神道と真理を悟る仏教が、平安時代に歩み寄り始めた。仏教(インド)の菩薩たちが日本に降り立って神々になった話といっしょくたになった(神仏習合)。一神教でもあったが、最初は厳しい教え・しきたりや修行が唱えられていた。でも広まるにつれて規律が柔らかくなる。 ・念仏を唱えれば救われる。 ・座禅をすれば救われる。つまり仏になって、極楽浄土に行ける。そのほうが伝えやすいし、民衆を巻き込みやすい。もともと宗派は学説と一緒で、大学で学科やゼミの指導教官が違うぐらいの関係、こんなこといっている人がいるっていう研究レベル。だからお互いに、認めることができる。(ただし法華宗は除く。法華経は、他を認めないので)江戸時代に入ると「寺請制度」ができる。村・部落の行政は寺に任され、住民票=過去帳、教育機関=寺子屋、町の相談役=住職と役割が決められた。それぞれの部落でそうなると、すべての宗派が統一された。死後の世界がなかった禅宗も、すべての宗派が、死んだら三途の川を渡り、あの世に行く(神道の黄泉の国なのか道教の死者の国なのか仏教の地獄なのかはよくわからない)。戒名をもらって仏になっていれば極楽浄土に行く。法要も戒名も仏教にはなかったけれど、今でもこの考え方が多いのでは?寺請制度によってお寺は布教NGになった。なので、その部落を守るためだけに存在する。まあ明治になって廃仏毀釈となり、神道を中心として、国を統一させるために使われたりするのであるが。また、江戸後期に国学が流行り、霊という考え方が出てくると、黄泉の国に行くのではなくてそのへんを漂っているというイメージが浸透する。霊となって子孫を見守る。さらに国のために身を捧げた人は英霊となる。戦死者は家で戒名を付けられ仏壇に位牌として置かれる一方で、同じ人が国の英霊として靖国神社に祀られる。この時代の日本人には、2つの死がある。ここで面白いのは、脳死に対する考え方。一神教では、体は神からの借り物なので、神から与えられた本人が良ければ、臓器提供が許される。家族の入る隙間はない。しかし日本では、家族の意思も尊重される。これは場を重視する日本ならではかもしれない。【じゃあ、どう死を考えるか?】いろんな考え方があるのは今まで述べた。その中で「自分はどう考えるか」を考えていてもいいのではないかという結論に行き着いた。・他の人間や動物に生まれ変わる→インドの宗教(輪廻)・別の世界で永遠に生き続ける→一神教・すぐそばで子孫を見守る→日本の宗教・子孫の命の中に生き続ける→儒教・道教?・自然の中に還る→ユニタリアン・完全に消滅する→自然科学、唯物論一つでもいいし、いいとこ取りでもいいw自分が死ぬということは、周りの人を認識している自分もいなくなる。なので、自分が存在しなくなると周りも存在しなくなるという考え方もある。つまり、自分の死=世の中の死。生きるために死を考える。今を楽しむために死を考える。そして、いろんな考え方があることも理解しよう。受け入れよう。そうすると、争いごともなく楽しい。どの宗教を選んでも死は来る。勝手に来る。でもそういう考え方や生き方があるのを知ることで、人生が豊かになる気がする。 *** *** *** ***私がこの本を手に取ったのは、この年の9月に脳出血で倒れたからかもしれません。でも、それをきっかけに新しい知識や考え方が生まれて嬉しかったのです。
【複数のグループに身を置くメリット】 自分のSNSの投稿を遡るのは、なかなか面白いものです。2021年1月には『自然経営(じねんけいえい)」という本を読んでいました。自然経営(じねんけいえい) 「ティールを超える」 武井 浩三 天外伺朗 著https://amzn.to/3sX3zJXこの本は1ページ1ページが深くて考えさせられる内容なので、なかなか読み終えることができませんでした。ここで得た学びは「複雑系が人間関係を広げて良好にする」ということです。私は会社で経営者の顔、家族の中では父親の顔、実家に帰れば長男の顔を持っています。ウォーキング部では監事世話役だけど、別のグループに行くとイジられ役で、ある団体では下っ端ぺいぺいの雑用係です。それぞれの集まりで自分の顔は異なります。つまりこれは「立場を使い分けている」ということ。自分の中では複雑でカオスな状態なんだけれど、これがいいという話です。会社では経営者として厳しい決断を迫られる場面が度々あります。責任の重さに押しつぶされそうになることだって一度や二度では済みません。でもイジられ役の立場になればその苦しさから解放されます。午前中は心が+(プラス)、それが午後には-(マイナス)に傾いたとしても、1日のスパンで見れば限りなくプラマイ0に近くなる。だから、いろんな立場でモノを考えられるようになるのかもしれません。例えば、就職のために上京して一人暮らし、彼氏彼女どころか親しい友人もいない場合は、「〇〇会社〇〇部〇〇課の社員」という顔しかありません。家に帰ってきても一人、休日も一人では心が同じ場所から離れられません。全能な人なら1つのグループだけでいろんな役割を得られるかもしれないけれど、普通の人には至難の業。だから、複数の集団に所属して、強制的に複数の役割をこなすことで、特別なことをしなくても精神の安定が得られるようになるのではないか?この本を読んで、そんなことを考えました。だからこそ、週2正社員が役に立つのではと思っています。
国が推し進める働き方改革。残業廃止。有給強制消化。パワハラ・セクハラ禁止。同一労働同一賃金。非正規雇用を正規雇用に。そして2023年、首相による賃上げ要請の追加。大企業は次々と要請に応じる方針を表明しています。しかしコロナ禍やウクライナ侵攻で経済的な混乱が続くこの状況です。地方の中小企業にとっては、かなり厳しい話です。過去の実績を根拠に同じやり方を続けてきた結果、平成は「失われた30年」と呼ばれるようになりました。終身雇用で定年まで働き、リタイア後は年金と退職金で悠々自適なセカンドライフ…なんて、もはや儚い夢物語です。今までの会社組織のあり方は、すでに老朽化しきっています。ちょっと強めの風が吹いたら即崩壊かもしれません。会社としては、こんな経済状況でも社員を雇用し続けるために、稼げるうちに稼いで、内部留保をしておかないと怖いのです。国に「社員をやめさせるな」「雇用し続けろ」「賃金を上げろ」なんて言われたのなら、なおのこと内部留保という名の蓄えが無ければ前に進めません。 *** *** *** ***「いや、そもそも正社員が本当にいいのか?」「もっと働き方を変えたほうがいいんじゃないか?」それこそUberEatsみたいに、誰でも自分の好きなときに好きな仕事ができるようになれば、学業そっちのけで就活に勤しむ学生なんて出てこないよね?空いた時間に好きな仕事を自分で選んで、日によって異なる会社の多様な仕事をして、どんどんスキルとネットワークを広げていって。そんな風にしていると、リーダーとしての振る舞いを求められることがあるかもしれない。もちろん「リーダーにはなりたくない、誰かの指示でやる方がいい」と言う人もいるだろう。その場合も、自分に何ができて何が得意なのかがわかっていないと、頼まれる人にすらなれない時代が来るんじゃないかなぁ? ビジネスの多くは自分一人で完結させられない。だから求めるスキルのある人を探して、仲間に加える必要がある。そうすると「〇〇できる〇〇さんを知っている」「△△できる△△さんを知っている」が重要になってくる。もしかしたらプロジェクト単位でチームを立ち上げて、完了したら解散するのもアリなのかもしれない。こうなると「会社って何?」という問いが生まれる。会社はあくまでも“責任がある団体”であって、社員数はそれほど関係ない。やりようによっては特定の社員が常駐しなくていいのかも。下手すると、社長さえもいる必要がないのかも。会社を存続させなければならないという固定観念を取っ払ってしまえば、内部留保はいらなくなる。利益は丸ごとメンバーに還元できるので、巡り巡って経済が活性化する可能性もある。働き方と「シェアリング・エコノミー」を掛け合わせて、時間と場所とスキルを共有する仕組みが作れれば、会社は必要なくなって、最終的に「一億総個人事業主化」に行き着くんじゃないのかな?みんなが個人事業主になってしまえば、会社という枠にこだわる必要がないので、好きなときに好きなことで稼げるし、一緒にいて心地良い人と働くことが今よりもずっとしやすくなる。自責で考えて行動しなければならないので、自分の成長スピードが上がる。多様な経歴の人に出会うチャンスが増えて、新しい視点も獲得できる。一億総“個人事業主”社会が実現すると、最初に言った国の施策はいらなくなるのかも。・残業廃止→そもそも残業という発想がなくなるから、不要・有給強制消化→休暇は自分の好きな時に取れるので、不要 (国民が一斉に休暇を取らなくなると繁忙期や閑散期がなくなって、宿泊施設の価格が安定するかも…)・パワハラ・セクハラ禁止→生産性に悪影響を与える存在はチームから排除が可能&ほかのプロジェクトで声がかからなくなるといった自浄作用が働くので、不要・同一労働同一賃金→一人ひとりが自分の価値向上を図るようになるので、不要・非正規雇用を正規雇用に→そもそも雇用がなくなるので不要 *** *** *** *** …などと思いを巡らせながら、SNSに投稿したのが2019年1月でした。「一億総個人事業主化」について周りの人に聞いてみると、賛否両論ありました。それから研究者の本を読んだり直接会いに行ったりして勉強し、改めていろんな人の意見を聞いて、考えに考えを重ねた結果たどり着いたのが「週2正社員」という働き方なのです。