お知らせです。7月中旬に予定していて、準備もしていたアメリカ行きですが、事情があって、9月初旬に延期になりました。そのため、プロジェクトとリターンのスケジュールが、少し変更になります。・8月初旬までに、返礼品の「お礼メール」「お礼手紙」をお渡し。(←変更なし)・9月初旬に、渡米(一週間ほどを予定)。(←最初の予定より、1か月半遅くなります)・9月末までに、「アメリカ取材の報告手記配信」をお渡し。(←最初の予定より、1か月半遅くなります)・12月〜翌年1月、ノンフィクション本を出版後に、返礼品のサイン本を送付。同じく返礼品の、出版記念イベント(オンライン)にご招待。(←変更なし)以上です。いろんな人たちの、いろんな思いが交錯して、一筋縄ではいかないことを、痛感しています。それはそのまま、ベルさんの人生の複雑さと繋がっている気がします。しかし、わたしの思いはただひとつ、ベルさんを、アメリカに連れていき、お母さんのお墓参りと、妹たちとの対面を実現させる。です。ただ、ただ、それだけです。迷いはないので、何が起きても、へっちゃらです。頑張るぞ!
北海道取材旅行、後半は、ベルさんが合流しました。初日は、ベルさんの、踊り子時代のプロダクションの社長さんへの取材です。ベルさんが、ときに「お母さん」と呼ぶ、大切な人。児童養護施設を出た後、彼女が一番はじめに信頼し、自分の生い立ちや読み書きに不自由があることを打ち明けた人でもあります。今回の取材で、この「お母さん」にも、かつて母親探しを手伝ってもらったことがあったと、わかりました。二日目は、午前中に、豊羽鉱山跡地へ。ここは、ベルさんの戸籍謄本にある、お母さんの出生地です。閉山しているので、人などいないと思っていたのですが、思わぬことに、鉱山の後始末をする業務を行う会社が事務所を構えており、たくさんの人が働いていらっしゃいました。鉱山時代のことを尋ねると、「やたらと車で移動すると危ないから、案内しましょう」と、ご親切に車を先導してくださり、昔の施設跡について、お話も聞かせてくださいました。鉱山というと、過酷な肉体労働や、荒くれ労務者たちをつい思い浮かべてしまい、暗い印象を持ってしまいますが、図書館で調べたところによると、戦争のたびに好景気になる鉱山にはたくさんの家族が住み、戦前の繁栄期には人口5,000人を越えたそうです。戦時下では、重要産業に対する政府の優遇措置があり、札幌市内の人たちが羨むような、豊かな暮らしぶりだったそう。流行を先取りした若者も多くいて、注目の的になっていた頃もあったのです。1931年、ベルさんのお母さんは、そんな街で生まれました。その頃は、どんな賑わいだったのでしょう。今は緑に覆われ、当時の面影など微塵もない山並みを眺めても、なかなか想像がつきません。午後は、ベルさんが18歳まで育った北広島市の児童養護施設「天使の園」を訪ねました。施設長の畠山さんのはからいで、当時ベルさんと一緒にここで過ごした同窓生や、併設されている北広島教会の信者さんで、当時をよく知るご夫婦が同席してくださり、話は尽きませんでした。施設は何度か建て替えられているため、ベルさんがいた頃の面影はありませんでしたが、周囲を歩いていると、マリア様の像や、犬小屋、栗の木など、ベルさんが「これ、昔もあった!」と指差すものも、いくつかありました。ベルさんが大嫌いだったサイロ(ここに雨合羽を着て入り、藁を踏む作業があったそうです)も、建て替えられて今は使用されていません。畑も、子どもたちが世話をしたという牛も馬も豚も鶏も、いませんでした。最終日は、まず、北広島教会から移っていらしたシスターに会いに、「札幌修道院」へ。わたしが知りたかった、天使病院の「ベビーホーム」の話をうかがうことができました。また、まったく未知なる世界である、修道女としての暮らしについても、少しうかがうことができました。続いて、すぐ近くにある「北十一条教会」へ。ここは、ベルさんが生まれてまもなく洗礼を受けた教会です。昨年、問い合わせの手紙をお送りすると、電話をくださり、懇切丁寧にいろいろ教えてくださった事務局の方が、出迎えてくださって、この日もたくさんお話を聞かせてくださいました。帰り際、ベルさんが、教会に併設されているショップに立ち寄った際、わたしに小さな聖母子像を買ってくれました。今、仕事机に置いています。
5泊6日で北海道取材に行ってきました。前半は一人で調査や取材、後半はベルさんが合流しました。最初の2日は、札幌中央図書館と情報館に通い、司書さんたちのご協力のもと、戦後進駐軍がいた頃の札幌の様子がわかる資料や、ベルさんのお母さんのご実家にゆかりのある土地に関する資料など、手当たり次第に探して、コピーをとりました(あまりにたくさんの資料があるので、東京でも手に入れられそうなものは省きました)。3日目は、真駒内にある、陸上自衛隊真駒内駐屯地へ行きました。この日は幸運なことに、駐屯地開庁69年周年記念のイベントで、基地内が一般公開されていました。目当ての史料館も、ふだんは事前予約や申請書の提出が必要なところ、この日は予約も必要なく自由に出入りできるのです。ここは、戦後の占領時代、キャンプ・クロフォードという米軍キャンプがあった場所です。つまり、開庁69周年とは、ここが米軍キャンプから返還されて、69年が経つということなのです。ベルさんは、占領期に、米軍兵士と地元の女性との間に生まれました。札幌市内にあるこのキャンプは、彼女の実父が関わっていた可能性がとても高い場所です。史料館には、そのキャンプ・クロフォードの資料も、少し展示されていました。この中に、ベルさんのお父さんがいたかもしれない。そんな思いがよぎります。彼らは、どんなふうに出会ったのでしょう。何が起こったのでしょう。想像してもしかたないことを、つい想ってしまいます。史料館を見終えて表に出ると、ヘリコプターや空砲の爆音が響き渡りました。演習のデモンストレーションが始まったのです。たった今、実弾の雨にさらされている地へ、思いを馳せずにはいられませんでした。その地でも、ベルさんのような子供が生まれているかもしれません。
去る6月20日(火)、ベルさんがパスポートを取得しました。アメリカ行きがいよいよ決まり(日程は後日発表いたします)、わたしも彼女も、不安と期待で胸が膨らんでいます。どんな旅になるのだろう……。スーツケースを持っていないベルさんに、わたしの小さいものを貸すことになりました。4輪キャスターなので、ステッキ代わりにもなるのです。パスポートを受け取ったあと、落合にある「聖母会」本部へ行きました。翌週に行く北海道取材で、ベルさんが18歳まで過ごした児童養護施設「天使の園」を訪ねるのですが、そこで彼女に関する資料を開示してもらうための、申請書を出すためです。カトリックの団体である「聖母会」は、その施設の運営母体なのです。「聖母会」で、シスターから「隣の聖母病院にお御堂がありますから、寄って行かれるといいですよ」と勧められたので、立ち寄りました。ベルさんは、今でも、心を落ち着けるために、近所の教会に行くそうです。わたしは、人の結婚式と観光以外で教会に入ったことはなかったので、とても新鮮でした。静まり返った聖堂の中に入ると、自然と厳かな気持ちになりました。クリスチャンではないわたしも、北海道取材が、アメリカ行きが、うまくいきますようにとお祈りしました。
去る6月5日(月)、ベルさんと、新宿の街を、クラウドファンディングのチラシを配って回りました。前日、ベルさんの親しいお友達のために、チラシを作ったのですが、それを知らせたら、ベルさんが奮起してくれて、「◯◯◯(彼女の馴染みのお店)のマスターに、チラシを置いてほしいってたのんだら、いいよって言ってくれたから、届けたい」と言ってくれたので、さっそくお店に出向こうとしたら、当日の朝、さらに、「あれから、また何軒かに頼んだから、100枚くらい印刷してきて!」と電話がきたのです。ベルさん、やるときはやります!ちょうどインクが切れそうだった我が家のプリンターの、本当にインクが切れるまで印刷して、それを持って新宿へ行きました。ベルさんのお友達のお店、紹介してもらったお店など、全部で6軒を回りました。どのお店も温かく迎え入れてくれ、嬉しい応援の声をいただきました。チラシを置いてくださるだけでなく、クラウドファンディングの支援をくださった店主の方や、お客さまもいらして、この日は、ベルさんの人徳にわたしのほうが助けられました。帰り道には、ベルさんもわたしも、嬉しくて胸がいっぱい。皆さま、ありがとうございます!