オアシスチャペル利府キリスト教会牧師、松田牧人《応援メッセージ》武田和浩さんとの出会いはもう25年ほど前。まきばフリースクールの活動をスタート当初から垣間見てきましたが、武田さんの想定外な発想と行動にはいつも驚かされ、同時に深い気づきを与えられてきました。現代の日本社会では、冒険や失敗のリスクを恐れ、それを徹底的に排除する風潮があります「誰が責任をとるんだ!」「炎上しないように、叩かれないように」と縮こまり、禁止事項ばかりが増えていきます。確かに物理的な事故やトラブルを避けることができるかもしれませんが、残念ながら多くの人々の心が折れ、壊れていっている…。何かがおかしい…。でも、どうして良いか分からない…。武田さんの続けている挑戦は、そんな閉塞感を吹き飛ばし、ドーンと大きな風穴を開けるものです。桁外れの行動力と排除しない包容力が、いつも不思議な作用を生み出して「場」を作り出します。それは、人生の逆転劇が起こる舞台であり、支援を必要とする人々が主役となる場です。いつも豪快に笑う武田さんですが、これまでの歩みの中では心身共にたくさんの痛い思い、辛い思いも重ねてこられました。そして、「敢えて試練の中に飛び込んでいく」というスタンスなのだと思います。聖書のヤコブの手紙には、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉がありますが、困難や試練の中で「神は私を見捨てない」という経験をした時に人は成長し、強く優しくなることができる…。武田さん自身が、まさにそのことを誰よりも経験し続けているのだと思います。武田さんの自叙伝出版プロジェクトには、ぜひ多くの方々のご支援をお願いしたいです。武田さんが人生をかけて伝えようとしているメッセージがさらに広く届けられ、読んだ方々に励ましと気づきをもたらすことを心から願っています。
Rie Shiga Hope English Studio 主宰【拡散・シェア希望】数ある武田語録の中で大好きな言葉◇誰かに助けてほしい私たちは◇誰かに助けてほしいそのままで◇誰かの助けになれるだろうか答えは【Yes♡】◇生きとし生けるものを愛し、誰よりも純粋に、◇誰よりも子供のように楽しむその姿が周りの人をより自由にし、自分でいること、自分が欲しいものを望むことへの許可を与えてくれます。◇武田さんと一緒にいると自然と肩の荷が降り、◇自分の人生に起きる全てのことが、最良への出来事だと思えて来るんです。人は人によって傷つき人によって癒される孤独に絶望し、孤独を渇望するあ〜あって思いますよね!◇愛情たっぷりに育てられた動物達と響き渡る子供達の声大人達の歌う声◇まきばは私の心の保健室です。多くの人達にとってなくてはならない場所、一緒にご支援いただけたら嬉しいです。
岩手県一関市在住 後藤紀恵私は武田さんのこの言葉が好きです・・☆わたしには一つ確信がありますまきばフリースクールを立ち上げて21年間ずうっと心掛けてきたことがあります。どこにも安心出来る居場所のない人を最優先に歓迎して受け入れていこう!その結果わかったことがあります。それは、もっとも困っている人(弱く小さな人)の足元にはいつも神さまがいらっしゃる!「最も小さい者(弱い者)の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」だからどこにも居場所がない人をお迎えするというのは、もれなく神さまが御一緒して下さるのです。その船は嵐が来ても沈みません。汲んでも汲んでも湧き上がる井戸のようです。いつも空っぽですが、満ち足りています。不思議な法則です。やってみなきゃ分かりません。分かって出来るものでもありません。ただただ、恵みと憐れみ‥ギフトです。・・いつお会いしても何年経っても武田さんのこの言葉の信念に一切の揺るぎはなく、普通の人の優しさや思いやり程度ではできないことをいつもいつも武田さんはしている決して並大抵のことではないけれどもいつもそれを喜んで行っているそして「いつも空っぽだが満ち足りている」と記すここまで神様が望んでおられる生き方を体現している人を私は知らない「どうしてできるの?」「なんでそこまでするの?」その答えがこの自叙伝には綴られていることだろう武田さんが言うこの「一つの確信」がそこには書かれていることだろう人生には自分が望まない思いがけないことや自分の力では到底どうにもできないこと、絶望という壁にぶち当たることがある そんな時にこの武田さんの自叙伝が再び生きる力を与えてくれる一冊となるであろうということを私は確信している「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」マタイによる福音書 11章25〜30節
小林 愛 (仙台市在住)【武田さんの自叙伝出版を応援しよう♡】「忘己利他(もうこりた)」という仏教の教えがあるらしい。意味は「自分のことを忘れ、他人のために生きる」ということ。「自分のことは後にして、まず人に喜んで頂く行いをする。そこにこそ真の幸せがある。」という教えだそうだ。キリスト教の牧師である武田さんを、この言葉で形容することが適切かはわからないが、まさに武田さんは「忘己利他」な方である。たとえ自分がボロボロになろうとも、助けを求める人に自分のすべてを捧げる。自分が溺れ死にそうになっても、海に飛びこみ救いあげる。武田さんがこれまで巻き起こしてきた奇跡は数知れず、そんな武田さんの25年を綴った自叙伝は、やがて世界中の人が読む「伝記」となるかもしれない。いつの日か、学校の図書館や家庭の本棚に「武田 和浩」という伝記が並ぶ日がくることを妄想してみよう。「おばあちゃん、この方のことよーく知ってるよ。この方と、お話したことあるよ。あなたのおとうさんは、この方にあそんでもらったんだよ。」孫にこう語る日がくるやもしれない。武田さんが夢を語れば、それを叶える人々が次々と集まってくる。自叙伝を出版したいという武田さんの夢を、みんなで一緒に叶えましょう‼
特定非営利活動法人Sisterhood代表理事 小笠原千秋【メッセージ】子どもも大人も、ヤギも牛もポニーも放し飼い。こんなに自由な空間が今の日本にあるなんて。先日「まきばフリーディ」に初めておじゃまして、その解放感に圧倒された。特に自己紹介もなければ、やるべきことがあるわけでもない。ただそこにいることがそれぞれに等しく許され、尊重されている場所だと感じた。食べてもいい、駆け回ってもいい、おしゃべりしてもいい、一人でいてもいい、歌を歌ってもいい。知らない人同士でも、年齢が上でも下でも関係ない。そのような場が気持ちよく成り立っている中心には、武田さんの圧倒的な「人を信じる力」があるように思う。人はどうしても、相手のいいところや悪いところを見つけていろんなジャッジをしてしまう癖があるけれど、武田さんはそれをしない。その人をあるがままに受け入れて、「そうかそうか」と受け止める。だから私たちは、背伸びをする必要もないし、無理してだれかと仲良くしようとか、誰かの上に立とうとかする必要がなくなる。それは、いまの競争社会の中で生きる私たちにとって、心地よい解放感を与えてくれる体験だ。そんな武田さんのまなざしが、どうして可能になったのかを私は知りたい。これまでどんな道のりを歩まれ、どんな苦悩の果てにそこにたどり着いたのか。その言葉は、誰にとっても意味のあるものになるはずだと思うから。自叙伝の出版をとても楽しみにしています。