みなさまこんばんは。 先日からお世話になっている、このクラウドファンディングですが、今日ネクストゴールだった80万円を達成しました!!!!!!! 1つの銭湯の歴史を残すために、地域の方々が80万円を出資してくれると言うのは、並大抵ではないことだと思います。これもひとえに豊岡の皆さんのあたたかさや、京極湯の持つ魅力のおかげです。 このクラファンを通じて、これまでどんなに豊岡で京極湯が愛されてきたのか。豊岡の皆様がどれだけ地域の歴史を大事に思っているのか。刻まれてきた歴史や交わされてきた言葉がどれだけ豊かだったか。そんなことを、しみじみと感じた1ヶ月半でした。 この先、ネクストゴールは特に設けません。 ただ、あと2日と少しの時間の中で、どういうことが起こるのか。 このプロジェクトを立ち上げたbozzoさんと、感謝の気持ちを持ちながら、京極湯の持つ力を最後まで信じて発信を続けたいと思います。 「なくなってほしくない」 「出来ることなら続いてほしい」 そんな言葉を、このプロジェクトを始めてから、何度耳にしたことか。 そんな京極湯の歴史が風化せず、いろいろな方の手元に残る。店主さんの思いのこもった語りや、その銭湯をこよなく愛した写真家の写真によって歴史が刻まれる。こんな歴史の紡ぎ方に共感をしてくれた方がもしいらっしゃったら、ぜひ8月31日まで、あと2日と少し、お力を貸してください。 引き続きよろしくお願いいたします。 佐藤春華(はるお)
【クラファン残2日〜!】ネクストゴールまであと2%まで来ました!みなさんのお力添え、本当にありがとうございます〜!これでほぼ達成間違いないところまで来ました!みなさんの思い、しかと受け止めて心して『家史』の完成まで力注ぎます。このたびは、本当にありがとうございました!あと2日と迫っていることもあり、忘れられない人形町の『世界湯』について写真と共に追憶にふけりたいと思います。人形町の『世界湯』は、元吉原だった名残濃い花街に、粋な江戸っ子が集まる場所としてほかの銭湯にはない気品と嗜みを備えたところでした。湯舟の温度も『京極湯』と同じく高温で、「やせがまん」して入るのが粋とでも言いたげな、モンモンがピンクに染まる男衆の集まりが見事で。通うたびに、寿司屋の親父やら、魚屋の親父やら、大工や左官の職人たちの、地元人形町の話題が浴場に谺してるのが、ホント鯔背で、白タイルに鏡もシャワーもないカランの設えと共に、なんとも言えない「湯屋体験」に陶酔していたのを、思い出します。そんな順風満帆と思われた『世界湯』が、コロナ禍に閉店との報せが…。人形町まで自転車で30分ほどの距離だったので、コロナってこともあり、『世界湯』通い。5月1日の閉店までのカウントダウン、閉店後の解体までの様子を、とにかく、とにかく、記録と記憶に収めようと、人形町に通ったものです。戦利品が竹野の我が家に。閉業して2ヶ月後には、解体が一挙に進み、見るも無惨な状態へ。元吉原の江戸っ子の粋な世界が、ただの瓦礫へと成り下がる顛末は、文化というものの儚さ、思いを受け継ぐことの貴さ、…をまざまざと突き付けられ、コロナ禍によって、反面教師的に「生きる」ことの本質を学びました。解体前の『世界湯』人間らしさとは、その危うい「文化」の継承によって育まれるものなのだな…ということを。『京極湯』への思いも、この『世界湯』の顛末から生まれています。壊すのは、至極カンタンです。命を絶つのも、それに近い行為かもしれない。しかし、しぶとく生きる…その意固地なまでの振る舞いこそが、人間らしさ…つまりは「文化」継承なのだ…と。『世界湯』跡地には賃貸マンションが(GoogleMAPより)bozzo
【クラファン残4日~!】ネクストゴールまで10万切りました!みなさんのお力添え、感謝~!このプロジェクトページは永久保存されます。この4日の頑張りが、しっかり記録されますので、何卒~!昨日はNPO法人たけのかぞくの『住まいのまちなみ』賞受賞報告で市長に表敬訪問でした。竹野の焼杉板のまちなみを保存継承すべく『あつまれ~!ヤキータ!』なる文化体験イベントで、移住者促進に力を入れていることが評価された旨を伝え、空き家の情報開示を進めて欲しいと、市長にお願いしました。その足で、お隣の土生田副市長室へ。『京極湯』の思い出を伺ってきました。明治29年開校…という兵庫県下2番目に古い「豊岡高校」に通われてた土生田副市長。(GoogleMAPより)地図で見ますと、たしかに京極通りが「今川焼」「京極湯」「豊岡市役所」を結んでます。高校生だった土生田少年は、部活帰りに「京極湯」で汗を流し、「谷口今川焼」でかき氷や今川焼を食べたんですね。谷口さんに「今でも豊高の学生は、こちらに立ち寄りますか?」とお聞きしたところ、今はもうルートが変わってしまって、昔ほど学生は来なくなりましたねえ…寂しいねえ。と仰ってました。京極湯も閉まってしまい、かつての京極通りの賑わいはもう見受けられないのかも。副市長から話を聞いて、「京極通り」のLINEが地図上で光って見えました。豊高→今川焼→京極湯→市役所ステキなLINEですねえ。当時の大らかさはどこ行ったんでしょうねぇ。もっと大きなスパンで生きてもイイと思いますよね。土生田副市長、胸に迫る甘酸っぱい思い出話をありがとうございました~!bozzo
【クラファン残5日!】こんにちは!はるおです。 日々バタバタと過ごしているうちに、このクラウドファンディングも残すところ1週間を切りました…! 但馬地域に残る最後の銭湯であり、その歴史と記憶を記録に残すための取り組みが、終わりを迎えようとしています。豊岡市の皆さん、そして豊岡にゆかりのある方々、銭湯が好きな方々に、ぜひ支援をお願いします。生田通り豊岡には4年前に大学が新設され、進学を機に豊岡に来た大学生も多くいらっしゃるのではないでしょうか。芸術文化観光専門職大学(CAT)今回はそのうちの1人、「まりりん」がやっている【芸観大ラジオ】で京極湯のクラウドファンディングのことを紹介していただいたので、そちらをシェアします!https://open.spotify.com/episode/4IZJFDO3K8SaXZeAJN6mS0?si=ARdyPb5OSbWpKqqJBjvzQQ&t=1322(22分以降あたりから、京極湯のお話が始まります)今回感じたことは、ラジオの持つ力と、家史の共通したものがあるのではないか、ということです。ラジオは、ただ単に事実や情報を切り取って伝えるだけでなく、そこに話し手の声の調子や感情がのってくる。家史もまた然り。今回のクラウドファンディングで制作している家史は、単に建物の保存だけでなく、「京極湯」にまつわる人々の記憶と地域の人々の歴史や人生のエピソードも詰まっているものです。そんな史実だけでない記憶を保存することの大切さを再認識できたら…という思いを込めています。残り5日で終わってしまうこの記録の営みづくり、どうぞ最後まで皆様の温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。はるお(佐藤春華)
【クラファン残6日〜!】残り一週間を切りました!泣いても笑っても、これで最後です!みなさんのご支援お待ちしております〜! 昨日は静岡県西部から 『京極湯』を訪問いただいたお風呂・サウナ好きの藤川さん。なんと、福知山で前泊してもらってのご訪問です。静岡には昔『巴湯』という銭湯が浜松市内にありましたが、もう廃業されて解体されてしまったようです。はるおとは10年ほど前に『チャリティーサンタ』のボランティア活動でつながりがあり、今回、銭湯を静かに閉じる『家史』の主旨に感動し、来たこともない豊岡まで足を運んでくださいました。ありがたや〜さっそく2代目ライオンから女湯を覗く藤川さん。湯舟に浸かりたかった…と、天井を見上げる。お風呂を通じた観光・コミュニティづくりにも関心があって、過去にふるさと佐賀古湯温泉の『泊まれる図書館・暁』にも泊まったことがあり、「温泉で地元の方々とのつながることができて、とても楽しかった」…と。国内にスーパー銭湯は多くあれど、 『京極湯』のような味のある銭湯が、 街の中心で、市役所近くにあるのは、奇蹟と。番台からの眺め。藤川さん撮影。昭和10年からほとんど手を加えていない『京極湯』の希少さに唸ってばかり。この立地を生かせば、観光としても十分やっていけそうな気配を感じます…と。しかし、薪ボイラーの配管の複雑さを紹介すると…「これを間違えずに操作するのは至難の業ですね」後付の循環器への配管が更に複雑にしていて、『京極湯』再建の道も、この薪ボイラーで頓挫した経緯を話しました。外に配置された循環器(浄水器)。「これだけは店主福井さんにしか扱えない」しかし、銭湯の裏まで見学できたことは藤川さんにとって大きな収穫だったようで、「豊岡まで足を運んだ甲斐がありました〜」と笑み。最後に自慢の入口前で記念写真。せっかくなので、城崎温泉までご案内しました〜!藤川さん、静岡から足を運んでいただき、本当にありがとうございました〜!ぜひとも、このプロジェクトを最後の最後まで拡散ください~!bozzo