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但馬最後の銭湯「京極湯」の記憶を記録に残したい!

昭和10年創業の「京極湯」も、2022年12月から休業状態。昭和の激動期を【銭湯】の目線でずっと見守ってきた「京極湯」。店主福井さんの人生そのもの…とも言える「京極湯」の記憶を記録することで、「変化に優しく」閉じることの尊さを伝えたい…と思います。

現在の支援総額

901,800

180%

目標金額は500,000円

支援者数

171

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/07/23に募集を開始し、 171人の支援により 901,800円の資金を集め、 2024/08/31に募集を終了しました

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但馬最後の銭湯「京極湯」の記憶を記録に残したい!

現在の支援総額

901,800

180%達成

終了

目標金額500,000

支援者数171

このプロジェクトは、2024/07/23に募集を開始し、 171人の支援により 901,800円の資金を集め、 2024/08/31に募集を終了しました

昭和10年創業の「京極湯」も、2022年12月から休業状態。昭和の激動期を【銭湯】の目線でずっと見守ってきた「京極湯」。店主福井さんの人生そのもの…とも言える「京極湯」の記憶を記録することで、「変化に優しく」閉じることの尊さを伝えたい…と思います。

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【クラファン19日目〜!】有難うございます!ついに目標額を達成いたしました!ここに来て支援者もどっと増えてきております。不思議なモノですね、共感が共感を呼ぶのでしょうか?ネクストゴール80万円を設定し、全国の銭湯ファンにこのプロジェクトを広めたい!さらに、いろんな方々のエピソードを【家史】に入れ込んで、ページ数を増やしていきたい〜!と思っておりますので、さらなるご支援、シェアをよろしくお願いします。本日の【京極湯エピソード07】です。『京極湯』となりにある、元「兵庫縣農工銀行豊岡支店」であるホテル『TOYOOKA1925 』を経営する会社の代表である中原大輔さんに、京極湯との関わりについて、メッチャ刺さる話を伺いました!この『TOYOOKA1925』、旧市役所が曳家という形でだいかい通り側に移築&改修され、息を吹き返す…という偉業を前市長の中貝さんが銘打った時、建物の所有者である豊岡市が、民間の古民家再生ノウハウに基 づき、まちなみ景観と建物の歴史性を尊重するかたちで改修を行い、ビジネスで活用しながら保存していくという、手法としては新しい、全国からも注目される公民連携の取組みとしてスタートしました。「豊岡稽古堂」「TOYOOKA1925」と復興建築が生き残ることで、北但震災で大きく損なった豊岡のアイデンティティを後世まで引き継ぐこととなり、まちなみが物語る、この場所の意義、関わった名士たちの存在を無にすることなく、豊岡市の歴史が空気となって来訪者の心をくすぐる。シンプルな客室であれば、『京極湯』もまた、大衆風俗の代表として、このまちなみに存続させることで、「豊岡稽古堂」「TOYOOKA1925」の合わせ鏡に成り得るのではないか?いや、そんな話が実際あったのです!「まちなみ」は、お互いの配慮から生まれる…とは、まちなみコンクールで審査委員長の言葉。そのような配慮が、『TOYOOKA1925』再生の背景にあったとは!館内には「寿ロータリー」も再現中原さんは、それまでの経験をフル活用し、現在はCYCLEという会社を立ち上げ、近くにある元鞄屋さんの古民家を改修し、willowという一棟貸しの宿も経営、『TOYOOKA1925』と共に、このまちにしかない資産を活かしたビジネスや事業を通じて、持続可能な地域として次代に継承していくことを目指しています。当然、『京極湯』の今後も気になっている…とのこと。『京極湯家史』のプロジェクトを通じて、銭湯文化継続への活路が見出せれば…と、全面的なご支援をくださいました。中原さんとの話を通じて、『京極湯』があることの大きさをあらためてひしひしと感じた次第。『TOYOOKA1925』も身近に感じられるようになりました。貴重なエピソード、誠にありがとうございました!!


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【クラファン15日目〜!】支援者79人!目標額の84%まで来ました!毎日確実に伸びているのが、有難いです!引き続き、ご支援とシェアをお願いします〜!こんにちは、はるおです。先日に続き、京極湯の近くで日本料理店「おさらぎ」を営む細間さんのインタビューの後半をお届けします。豊岡市内で子ども時代を過ごした彼の京極湯の思い出。水の出るライオン型の蛇口の隙間からドキドキしながら女湯を覗いていた細間少年と、お友だち。それよりもいい女湯の覗き方があると気づいてしまったらしく・・・?ぜひ、他のエピソードも併せて続きも楽しんでご覧くださいね。いかがでしたでしょうか?細間さんの子どもの頃のやんちゃなエピソード、多様な人々が日常的に一緒にお風呂に入っていた風景、そして銭湯に付随する当時の大衆の娯楽文化などが垣間見える、とても楽しいインタビューでした。ただ、このように京極湯に昔から通っていた方、思い出を語ることができる方は、これから少しずつ減っていってしまうということもまた現実です。少し寂しい気持ちではありますが、今回のようにお話を伺いそれを記録していく営みの大切さを実感する機会にもなりました。もし「私も京極湯の思い出を話してもいいよ」という方がいらっしゃいましたらぜひ、bozzoさんかはるおまでご連絡ください!細間さん、ありがとうございました!はるお(佐藤春華)


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【クラファン15日目〜!】支援者79人!目標額の84%まで来ました!毎日確実に伸びているのが、有難いです!引き続き、ご支援とシェアをお願いします〜!昨日は16時35分から地元コミュニティラジオ局FMジャングルで『京極湯』について、はるおと二人で話してきました。(収録は日曜日)マイクの前で話すことで、そして聴き返すことで、飛び出してくる言葉から…「自分はこう思っていたんだぁ」と客体化できるのが、ラジオの面白いところ。そもそもなぜ銭湯が好きか?そんな自問自答も生まれてきます。京都烏丸『錦湯』ボクが大学を出たのは1991年、バブル絶頂期。広告代理店「電通」直轄の広告写真家のアシスタントに付くのですが、その時に借りていた高円寺のアパートが風呂なしで、「夜中にトイレでぼくは、きみに話しかけられていた」その経験が、ボクを銭湯好きにさせるのだけど、銭湯の良さって、「ハダカの付き合い」に尽きると思うのです。「公衆浴場などではなく自宅で入浴するようになったことは、人々の自身の身体への意識、羞恥心、身体への経年変化への感受性も大きく変えたと考えられる。簡単に言えば、自らの身体の変化のみに意識が集中し、老いは誰の身にも必ず訪れるものであることを受け入れにくくなったと言えよう。他者の身体を実際に見る機会が少なくなり、老若男女、体型や身体がさまざまあることも徐々に実感ではなく、観念的にとらえるようになった。」(山本芳美著『イレズミと日本人』より)日暮里『帝国湯』安普請の風呂なしアパートで、帰れないこともしょっちゅうだった底辺の生活。それでもなんとか銭湯の時間に間に合うと、さまざまな人がハダカでその日の疲れを癒やしている。要町『山の湯』手足の一部が欠けた人や、背中に大きな画を掲げた人。太った人や痩せた人、痣や斑点や手術痕が目立つ人。実にさまざまなカラダを、都度ながめるコトが、ボクにとっての癒やしになってました。ラジオでも話しましたが、「そのままでいいんだよ」…という全肯定が、昭和から引き継がれた時間の蓄積と、行き交う人々の「生き様」に溢れている。横須賀『当り湯』そんな人たちとの「共生」を体感できるのが、銭湯。城崎温泉では味わえません。「公共」を育む場、それが銭湯だと思います。他者の交流が希薄な現代こそ、必要な社交場であり、居場所だと思うのです。bozzo京都五番町遊廓跡『亀の湯』


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【クラファン14日目〜!】こんにちは、はるおです。支援者77人!目標額の81%まで来ました!ありがとうございます〜!引き続きのご支援、シェア、何卒〜!先日、京極湯にほど近い豊岡市中央町にて日本料理店「おさらぎ」を営む細間さんにインタビューをしてきました。豊岡市内で幼少期を過ごした彼から、当時の京極湯の様子のみならず、豊岡にあった銭湯とそれにまつわる子どもたちの日常のことを聞きました。実際に子ども時代を経験した人からしか聞けないようなリアルで鮮明でちょっと笑えてしまうようなお話がたくさんあり、インタビューの最中にはbozzoさんと一緒に大笑いしてしまいました。盛りだくさんですが、ご覧ください。もはやここまででもとっても面白エピソードなのですが、細間さんからの話は止まりません。というわけで、後半に続きます!お楽しみに!


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【クラファン13日目~!】竹野浜ビーチは、夏を満喫すべく京阪神からどっとクルマがやってきてます!暑い夏をいかがお過ごしですか?bozzoです。今日の京極湯エピソードは、CAT…芸術文化観光専門職大学の3回生、まりりんこと、押川真里佳さんから。広島は呉の出身で、お姉さんが京都に居るとかで、よく京都の銭湯に足を運んでいたそうです。大学では、記憶をアーカイブする…というテーマで東日本大震災のその後をリサーチすべく、今度気仙沼に行く予定だとか。東日本大震災直後の陸前高田市観光の目線とは少し角度を変えてこれからの地方の在り方を考える。だから、ムラツムギの指針にとても共感するものがあると、彼女。豊岡市は「豊岡稽古堂」や「出石永楽館」、出石の城下町や竹野の焼板のまちなみなど、古き佳きものが共存しているところ。今後のまりりんの活躍に、期待しちゃいます~!bozzo