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但馬最後の銭湯「京極湯」の記憶を記録に残したい!

昭和10年創業の「京極湯」も、2022年12月から休業状態。昭和の激動期を【銭湯】の目線でずっと見守ってきた「京極湯」。店主福井さんの人生そのもの…とも言える「京極湯」の記憶を記録することで、「変化に優しく」閉じることの尊さを伝えたい…と思います。

現在の支援総額

901,800

180%

目標金額は500,000円

支援者数

171

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/07/23に募集を開始し、 171人の支援により 901,800円の資金を集め、 2024/08/31に募集を終了しました

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但馬最後の銭湯「京極湯」の記憶を記録に残したい!

現在の支援総額

901,800

180%達成

終了

目標金額500,000

支援者数171

このプロジェクトは、2024/07/23に募集を開始し、 171人の支援により 901,800円の資金を集め、 2024/08/31に募集を終了しました

昭和10年創業の「京極湯」も、2022年12月から休業状態。昭和の激動期を【銭湯】の目線でずっと見守ってきた「京極湯」。店主福井さんの人生そのもの…とも言える「京極湯」の記憶を記録することで、「変化に優しく」閉じることの尊さを伝えたい…と思います。

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【クラファン12日目】皆さん、このページをご覧いただきありがとうございます。はるおです。ご支援いただいた皆さん、本当にありがとうございます。まちでも「クラファン、応援してるよ!」と声をかけてくださる方もたくさんおり、とても心強く嬉しい毎日です。今日は、私が京極湯の現在の持ち主の福井さんにお話を聞いたときのエピソードについてお話ししようと思います。今回の制作のために、私は何度も福井さんの生家であり、住む家であり、生涯仕事をしてきた京極湯に足を運びました。京極湯初代店主、福井徳次郎さんとマサさん。右端は福井さんの父、忠義さん。京極湯の歴史を話してくださる福井さんはいつも、苦しかったことや楽しかったことをとても表情豊かに話してくださり、単なる過去の事実を聴取するだけではないとても貴重な時間を過ごさせてもらったと思っています。父、忠義さん。福井さんの思いだけにとどまらず、「あの時母さんがこう言っていた」「父はこう思っていたんじゃないか」「あのお客さんは…」と、京極湯に関わるさまざまな人の顔を思い浮かべるようにしてお話をしてくださった福井さん。母、タツヱさん。私は京極湯が営業している頃の時代を知りません。京極湯に入ったこともありません。けれども、福井さんにお話を聞く中で、歴史が重なった銭湯の建物を見ることで、この地に京極湯という銭湯がたしかにあったこと、そしてこの銭湯をめぐって、様々なドラマがあったことをしみじみと感じました。福井さん、6歳の頃。人間は必ず命に終わりを迎えますし、建物や形のあるものはいつか壊れてしまいます。ただ、そのたくさんの歴史の上に私たちが今生きているのだと想起する手がかりを作ることが、歴史の中の様々なドラマと出会う機会が未来に残されるような取り組みが、今回の家史づくりでかなえられたらなと思っています。2階で家庭教師をしていた頃の福井さん。何よりも、目の前にいるbozzoさんや私にうれしそうに京極湯の歴史のお話をしてくださった福井さんの表情が、この家史のもつ力を信じさせてくれるものだなと思いました。京極湯で生まれ育ち、銭湯業を続けていく中で、ご子息を持たなかった福井さん。今回家史が出来るということは、福井さんだけにとどまらず福井さんのご先祖の皆さんの思いが絶えず紡がれること。 このような取り組みが形になることは、きっとこれからの色々な人の希望になる、そう信じています。  引き続き、なにとぞご協力よろしくお願い致します。はるお(佐藤春華)


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【クラファン11日目!】8月2日。今日は豊岡市内では「柳まつり」。コロナ前は市役所職員も総出で、お祭り前には「禊ぎ」と称して前市長も『京極湯』で汗を流した…とか。それだけ『京極湯』は町の中心部に存在してます。そんなエピソードを聞かせてくれた地域づくり課の沖中係長から、とっておきのYELLを!「出石永楽館」は明治34年の建物で平成20年の大改修で、44年ぶりに復活しました。旧市役所である「豊岡稽古堂」は1927年…昭和2年竣工の建物を、2013年に元の場所から現在の道路側に曳家し、再活用。「稽古堂」とは豊岡藩の藩校名で、「古(いにしえ)を稽(かんが)える」「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」…という、温故知新はたまた継往開来、先人の業を受け継ぎ、未来を切り開く…を体現しているわけです。「豊岡1925」は震災復興建築として1934年に建てられた旧「兵庫縣農工銀行豊岡支店」です。のちに豊岡市役所南庁舎別館として再活用され、2015年、ホテルとして生まれ変わりました。『京極湯』の隣り…ということもあり、宿泊客が銭湯に足を運ぶことも多かったようです。「ふれあい公設市場」には「Hostel Act」があります。こちらも最古級の木造アーケード。1927年建立。沖中さん、色々な気付きをありがとうございました~!人口減少、定常経済のいま、『京極湯』家史から豊岡市のあるべき姿のヒントが見えてくると思います。


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【クラファン10日目】8月に入りました~あと30日、引き続きのご支援、シェア何卒〜!ローカルガイド厳選5/50いかがでした?過去のレポート見てたら色々と思い出すことも多く、さらに深掘りしてみたいと思います~。なんといっても最古級銭湯といえば、伊勢崎市『寿美乃湯(すみのゆ)』その佇まいと、時間の堆積に心奪われました。1月の寒い時期だったので、灯油ストーブの赤い光が空間を支配してて、エコーのかかったお年寄りの会話と共になんだか妙にノスタルジックな気持ちに。過去一番印象的な銭湯です。古さから言えば、鳥取県倉吉市の『大社湯』。こちら、現存しません。コロナ禍、ギリ間に合った訪問でした。2016年の震災で浴場の白タイルが崩れ、修復に全国の銭湯へ呼びかけたところ、日本橋『世界湯』さんが応えてくれたそう。こちらは解体に立ち会ったので、その話を聞いて打ち顫えました。2020年7月解体の日本橋『世界湯』。花街の粋な銭湯でした。現存しない銭湯シリーズで言えば、三軒茶屋『千代の湯』。都会のエアポケットのようなバラック三角地帯、その中心にあった銭湯。硬質なビル群のただ中で、トタン板に落書きの昭和。脱衣所も雑然としていて、浴場のスチームサウナが妙な空間で、とにかく萌えました。銭湯の良さは過去が現存し利活用されていることの全肯定性だと思います。刷新することが全ての世にあって、古いまま、過去のまま、今も現役でしっかり利用されていることの、その安堵感。古さでいえば、吉祥寺『よろづ湯』。再開発で次々新しくなる駅前にあってこの銭湯だけは時間が止まっていて、その時代の良さを湛えている。昭和の空間がそのままで、今もしっかり息づいてる。その安堵感は、都会で常に刷新を迫られてる身には『弁天湯』と合わせて、ほんとオアシスでした。竹野の良さも、そんな安堵感にありますね。本日最後は、沖縄に現存する最後の銭湯『中の湯』。沖縄在住中は知らなかったのですけど、2019年に初めて訪問。亜熱帯オキナワにとって、なぜ銭湯が長続きしなかったのか、それがよくわかった体験でした。薪で沸かした湯はカラダの芯まで温まるので、湯上がり後の汗の量がハンパなく。オキナワの湿気を含んだ風がさらに汗をべたつかせ、もう一度シャワーを浴びるほどに。それでも『中の湯』さんの存在が、昭和のオキナワを彷彿とさせ、アメリカ世の中でも内地を夢見たウチナーの精神そのもの…と実感した次第。それもこれも、時間の蓄積が生む銭湯の素晴らしさです。次回もお楽しみに。


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【クラファン9日目】竹野のbozzoです。昨日は地元の花火大会が、なんと風で中止。52回を数える中、過去1度だけ台風で中止だったことがあるくらいで、海側から吹く北風が強く、上げた花火の火の粉が客席に舞い落ちる可能性があった…と。「そんな風、吹いたことないわ」と地元の人。どんどん気象があらぬ方向に変化してると、感じます。本日は、ボクの銭湯熱をお伝えすべく、Googleのローカルガイドから抜粋。10年ほど前から、無くなっていく銭湯に危機感を覚え、訪れた銭湯の記録をローカルガイドにUPするようになりました。トップの写真は、もちろん【京極湯】。初めて訪れた2020年7月の感想です。時間が遅かったこともあり、入浴者はボク一人。番台のタツヱさんにお声をかけ、脱衣所や浴場の写真を収めました。その時、色々と身の上話も聞かせてもらい、移住前だったにもかかわらず、また来ることを誓いました。それから何度も通った【京極湯】。その変化もローカルガイドに記してます。舞台写真家として生業を立てているので、さまざまな銭湯の写真もまとめてます。THE_SENTO消えゆく昭和の社交場。若葉湯、塩湯、もうすでに廃業してます。SENTO_20222020から2022までの銭湯記録。コロナ禍で加速度的に銭湯が失われていく、その解体現場などを記録したアルバム。地元「丸八湯」、人形町の「世界湯」が、涙出るほど悔しくて、何度も通いました。他にも厳選したレポート名調子をいくつか。これは能登震災で3月にボランティアに行った時。水道の復旧もままならない中、お風呂に入れる有難みを噛みしめた時の銭湯です。京都九条【日の出湯】。その存在に震えました。昭和3年、1928年創業の銭湯ですよ、木造の出で立ちに拝みました。時間の蓄積が、これほど受け手をおののかせる。人生より長い時間を体感すると、ひとは謙虚になります。そういったものをまちに散りばめておかなければ、アカンと思います。東京時代に近所「森下」にあった老舗銭湯『常磐湯』。店主がまた堅物で、ペンキ絵師は早川利光さんしか認めない…と、現役の丸山清人さんや中島盛夫さんに描かせなかった。この『常磐湯』も、今じゃサウナ押しの素気ない銭湯に。大阪の『寿楽温泉』。こちらは奇跡的な銭湯です。廃業された銭湯を取り壊すべく店主が業者と相談。そこに地元総合病院の院長夫妻がたまたま通りかかり、地域の居場所として銭湯をなくしてはいけない…と一念発起。釜場からすべてリノベし再開、見事地元に愛される銭湯に。実は【京極湯】再開のために、なにか出来ることを…とこちらの『寿楽温泉』さんにお願いして、釜の修行を3日ほどさせてもらったことも。その節は、大変おせわになりました。こちらは銭湯の鑑。宝塚『ほっこり湯』。宝塚って、音楽学校のイメージが強いけど、実はけっこう被差別部落な場所で、その歴史から人権センターがあり、地域の交流の場、健康のバロメーターとして自ら管轄し、入浴料300円と、日常の湯屋をキープしてる…という。それを聞いたときに、銭湯がある町の有り難さを痛感しました。そうそう、銭湯は地域にとって大事なハブなのだ…と。その役割をもっともっと見直していかなくては、アカンのや…と。このプロジェクトは、そこの部分を伝えるためでもあります。まだまだ沢山ネタがあるので、時間を追って公開しますね〜。お楽しみに。


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【クラファン8日目】そろそろ息切れしてきた感ありますが、いかがお過ごしでしょうか? 竹野のbozzoです。あと1ヶ月ありますので、こちらも楽しんでエピソードを集めたいと思ってます。今日は、遠方の方を想定して「宿泊」を入れ込んだリターン品、京極湯訪問+宿泊+家史!のゲストハウスHostel Actさんのご紹介。(↑ダンサーの森下真樹さんと来竹の時…2021年)オーナーのもりめさんとOKDさんは、ボクが初めて豊岡を訪れた時にお世話になったふたり。彼らに『京極湯』の存在も教えてもらいました。店主福井さんが入院された際も、色々と連携して情報交換をした仲であり、『京極湯』への熱い思いを共有しているふたりです。今回のクラファンにも全面的にご協力いただいてます。そのHostel Actさん、北但大震災後に出来た日本最古級の木造アーケード、『ふれあい公設市場』内にあります。Actさん自身クラウドファンディングで資金を集め、4年前に開業されました。1階の『もりめ食堂』は、立ち飲み風の小粋な居酒屋で、木造アーケードの風情と共に、もりめさんのアテ目当てに国籍問わず人々が集まります。2階の『Hostel Act』は、「上演する」という意のゲストハウス。Hostel Actが生まれた場所、「ふれあい公設市場」。ここで、まちの人の暮らしや想い、旅人の時間や故郷の話、働き方やありふれた毎日のことが話され、共有され、劇場で映画を見るように集う人々そのものを「映す」場所にしたいという思いが込められてます。ふたりのお人柄が滲み出た公設市場の宿です。限定残り3口!豊岡の人と場所にどっぷり浸かるプランを是非!はるおともりめさん。詳細はこちらをご覧ください。