【クラファン25日目】支援者119人、目標額の125%まできました!毎日のご支援、拡散、誠にありがとうございます!本日は京極湯『家史』のアプローチが次の世代へバトンを渡す行為だとあらためて思えた『お盆』の話を。bozzoが住む竹野は、人口4000人弱の過疎化が進む地域で、様々な風習が今や風前のともしびとなってますが、それでも続けていく気概を持った人たちが、精一杯の地域愛を胸に、活動をしております。南北に長い竹野町。さらに集落ごと33もの地区が『お盆』ではそれぞれ、先祖を迎え、送る風習をつないでいます。満願寺盆踊り蓮華寺古代太鼓踊り田久日盆踊り竹野浜盆踊り轟の石積み仏送り小城の石積み仏送り三原のダブセ埋め墓神原の地蔵講数珠繰り『お盆』のそれらの行事に触れ、集落の人々と接することで感じたことは、先祖の命がつなげる土地の記憶を継承することで、やがて自分たちもその土地に還ることを体感する儀式なのだな…ということ。過去から連綿とつづく自分のルーツを意識し、その先の未来へ、命をつむいでいく…。京極湯『家史』もひとつの銭湯の歴史ではありますが、過去を知り、現在を知ることで、目指すべき先の視野を育てるものだと思います。そのような時の流れを意識できるのが、『家史』の存在意義だと確信しました。ぜひお手元に一冊、お納めください。bozzo
【クラファン24日目〜!】みなさま、こんにちは。はるおです。 世間はお盆モードですがいかがお過ごしですか? クラウドファンディングの支援者さんも100人を超え、皆さんの京極湯に対する愛に触れて温かい気持ちになる毎日です。みなさん、ご支援ありがとうございます^^ 先日、早めのお盆というわけで、実家の秋田に帰っていました。私の生まれ、故郷の秋田県は過疎化が激しく、人口減少率が全国ワースト1。将来人が住まなくなる最初の自治体と言われていたりもします。そしてわたしの地元も例に漏れず、ものすごい田舎でした。およそ25年以上前の私が保育園に通っていた時代、同じ年齢の子供は7人しかいませんでした。記憶が曖昧なのですが、今から約10年前にその保育園は閉園。地元に帰った時に閉園して静かになった保育園を散歩がてら見に行ってすごく寂寥感を感じたことを覚えています。そして、今回、この文章を書くにあたって、保育園の名前を検索してみて驚いたのですが、記録がほとんどないのです。 私が見つけられていないだけかもしれませんが、インターネット上に記録が見当たらないんです。 つまり、当時通っていた園児の親御さんが持っているものしか今はほとんど残っている記録物がないと言うこと。 これはとても私にとってショックな出来事でした。幼少期に友達を駆け回った、グラウンドや砂遊びをした園の前の広場、お気に入りのお人形をときには取り合いしていた園内のホールや「お片付けのレコード」をかけていたレコードマシン。中に入ると怒られた職員室や、優しいおばちゃんがいつもいた給食室。 そのような脳裏に焼き付いている記録が、まるで夢だったかのように、記録に残っていないのです。 それはまるで、自分が生まれ育った時間が消えてなくなってしまうかのような、ある種の恐怖感のようなものを帯びているような不思議さです。人の営みの記録を残すことは、その時間や空間があったことを証明するもの。自分自身のアイデンティティを守ることにも繋がり得るのではないかとも思うのです。 今回の『京極湯』の家史を作る事は、様々な人たちの記憶を記録に残し、その人たちの過ごした時間を風化させないことにもつながるのだと思います。 そんな文化づくりを具現化させるためにも、引き続きご支援ご協力よろしくお願いいたします。 佐藤春華(はるお)
【クラファン23日目〜!】お盆真っ只中となりました!毎日なにかしらのご支援を頂いております!誠にありがとうございます〜!あと18日。ひたすら、愚直に更新あるのみです!一昨日は豊岡劇場にて波田野州平監督『私はおぼえている』を観てきました。©現地点プロジェクト監督の言葉10人の老人たちに、最初の記憶から現在に至るまでの記憶を聞くことにした。彼らはその長い人生を振り返りながら、わからんだろうと何度も私に言った。その通り、彼らの人生はあまりに固有で、軽々しくわかると言えることなどひとつもなかった。そして私は、目の前にいるこの人は、私の知らない膨大な時間を使って今この場所までたどり着いたのだ、と実感した。これは、他にない唯一の生を生きる人間たちの記録です。波田野州平監督と案内役の豊岡映画センター杉本悠さんカメラを前に「おぼえていること」を語る10人の登場人物。戦前から現在までの記憶の断片が、身体記憶としてカラダから湧き上がる、その一部始終を収めた224分の大作。©現地点プロジェクト撮影されたのはコロナ前だったのですが、すでに5人の方が鬼籍に入られました。そのひとり、竹部輝夫さんは、撮影当時92歳。東伯郡三朝町中津地区にたったひとりで住んでました。©現地点プロジェクト竹部さんが最後の住民。居なくなれば廃村、という状態。中津ダムが1957年に造られ、その後は「どんどん人が出て行きよった」ようです。©現地点プロジェクト「時代の流れでなぁどうしようもないわいという気持ちだったと思うな」「出ていくっちゅうもんを止めるわけにもならんし、止めようもないし」「できればもうもう一度、復活できたらなぁと思う気持ちはあるけどもうそれは夢だいな」「もう元には戻らん おそらく」「なんとか自分で身の回りができる間は、ここがええなと思うですわな」「やっぱり自分の生まれた土地ちゅうもんはいつまでも忘れられんですわ」©現地点プロジェクトひと言ひと言が、抉られるような気持ちになります。これが、「静かに閉じる」のリアルな現実です。『京極湯』もまた、店主福井さんの心の中は、このような台詞が乱れ飛んでいることだと思います。波田野監督の『私はおぼえている』はひとり語りのFIXした映像がメインです。しかし、インサートされる、その記憶の断片からは、カメラ前で語られている登場人物から派生した多数の者たちの語りが重層的に響いてくるように見えます。監督は、そのつづれ織りを表出したかったのではなかったか?現代に生きる我々もまた、過去と繋がっており、その先の未来へとつながっている。©現地点プロジェクト過去と現在と未来とが同席しているのが、この世界であり、そのことに「明晰であろう」とする姿勢が大切なのだ…と。波田野さんの映像はとてもシグナル的です。常になにかの伏線を秘めたような、含みのある画が流れます。「トナール」は「世界」をつくる。それは、話すというしかたでだけ世界を作る。そうした言語的な世界認識の上において人間はこの世界のなかにみずからの世界観を打ち立てていきそこに安住しようとする。けれども〈世界〉は、そうした「世界」の〈裂け目〉からたえずその人間をゆさぶりにかかってくる。 (『気流の鳴る音』真木悠介より)©現地点プロジェクト目の前の事象を言葉にし、明文化することで世界を把握していくのが人間の有り様です。しかし、その認識は常に「世界」からズレが生じていて、そのズレが補正されずに、「社会」は混沌を極めていく。『京極湯』が静かに閉じること、それもまたリアルな現実です。しかし、そのシグナルから獲得できるモノは何か?映画『私はおぼえている』は多くの示唆を与えてくれました。過去とつながる現代の場所から、これからの未来を紡いでいく。その働きかけがとても大事なのだと、ボクは思います。bozzo
【クラファン21日目~!】ついに半分となりました~!あと20日でこのプロジェクトも終了となります~!みなさんの熱い視線を感じつつ、地道に「静かに閉じる」京極湯家史を広めていきたいと思います!本日は沖縄フリークス会でつながった谷口景子さんの【京極湯エピソード08】をご紹介~!昨日の竹野浜は、お盆直前の週末ってコトで、この夏一番の人出、ビーチに集まる人、人、人。昨年同様、奥城崎シーサイドホテルのBEACH_SHOPではたらく景子さん。豊岡市内で育った景子さんの『京極湯』って?小学生の時にひとりで銭湯に行こう…と思った景子さん。社会人になって押し殺してた自分を解放して、今は、沖縄そば屋『アキサミヨー』を経営する事業主となりました。自慢の沖縄そば。自分を信じて突き進む姿が、小学生のまんま、ステキです。これからも応援してます~!心あたたまるエピソード、有難うございました!夢は豊岡にエイサーチームを作ること。動いてます!
【クラファン19日目〜!】有難うございます!ついに目標額を達成いたしました!ここに来て支援者もどっと増えてきております。不思議なモノですね、共感が共感を呼ぶのでしょうか?ネクストゴール80万円を設定し、全国の銭湯ファンにこのプロジェクトを広めたい!さらに、いろんな方々のエピソードを【家史】に入れ込んで、ページ数を増やしていきたい〜!と思っておりますので、さらなるご支援、シェアをよろしくお願いします。本日の【京極湯エピソード07】です。『京極湯』となりにある、元「兵庫縣農工銀行豊岡支店」であるホテル『TOYOOKA1925 』を経営する会社の代表である中原大輔さんに、京極湯との関わりについて、メッチャ刺さる話を伺いました!この『TOYOOKA1925』、旧市役所が曳家という形でだいかい通り側に移築&改修され、息を吹き返す…という偉業を前市長の中貝さんが銘打った時、建物の所有者である豊岡市が、民間の古民家再生ノウハウに基 づき、まちなみ景観と建物の歴史性を尊重するかたちで改修を行い、ビジネスで活用しながら保存していくという、手法としては新しい、全国からも注目される公民連携の取組みとしてスタートしました。「豊岡稽古堂」「TOYOOKA1925」と復興建築が生き残ることで、北但震災で大きく損なった豊岡のアイデンティティを後世まで引き継ぐこととなり、まちなみが物語る、この場所の意義、関わった名士たちの存在を無にすることなく、豊岡市の歴史が空気となって来訪者の心をくすぐる。シンプルな客室であれば、『京極湯』もまた、大衆風俗の代表として、このまちなみに存続させることで、「豊岡稽古堂」「TOYOOKA1925」の合わせ鏡に成り得るのではないか?いや、そんな話が実際あったのです!「まちなみ」は、お互いの配慮から生まれる…とは、まちなみコンクールで審査委員長の言葉。そのような配慮が、『TOYOOKA1925』再生の背景にあったとは!館内には「寿ロータリー」も再現中原さんは、それまでの経験をフル活用し、現在はCYCLEという会社を立ち上げ、近くにある元鞄屋さんの古民家を改修し、willowという一棟貸しの宿も経営、『TOYOOKA1925』と共に、このまちにしかない資産を活かしたビジネスや事業を通じて、持続可能な地域として次代に継承していくことを目指しています。当然、『京極湯』の今後も気になっている…とのこと。『京極湯家史』のプロジェクトを通じて、銭湯文化継続への活路が見出せれば…と、全面的なご支援をくださいました。中原さんとの話を通じて、『京極湯』があることの大きさをあらためてひしひしと感じた次第。『TOYOOKA1925』も身近に感じられるようになりました。貴重なエピソード、誠にありがとうございました!!