今回は水曜日の夜回りお裾分けに参加したみんなの広場を一緒に取り組むKさんの感想です。ひとつひとつの体験から思うこと、感じることを大切に出来る心強い若き同志です!K.Mこの前梅田でお弁当などを配るお手伝いをさせていただいた時に感じたこと、忘れないうちに書きます。別れ際に一人の男性が「これどうぞ!」とお菓子を手渡してくれました。その日初めての私も関係なく一人一人に。食べ物の配布を受け取りに来られるくらいだから、生活が楽であるはずないのに。「ありがとうございます!」とお礼を言うと、「いいよいいよ!」と満面の笑みで返してくれました。そっか、そうだよなと思いました。私もただ皆さんに配るのを手伝っただけですが、「ありがとう。」と受け取ってもらえると嬉しかったし。お互い様で、どちらも少し幸せな気持ちになれた瞬間だっのかなと勝手に思ってしまいました。
ファンディングのご協力の参考に見ていただければ幸いです。【元気でちょっと寂しいおばあちゃん】今クラウドファンディングの協力依頼でありとあらゆる知り合いに話に出向いています。今日お会いしたのは今83歳の女性。以前施設長をしていた施設で非常勤職員として利用者(知的障害がある人たち)と明るく元気にかかわってもらった当時64歳。子どもはおらず、旦那さんもなくなり今は一人暮らし。市役所の人(ケアマネさん?)は困ることがあればいつでも連絡くださいねって言ってくれるけど何でも自分で出来るし困ったことなんてないねん!まだなんか人の役にたつことしたいし出来ると思うんやけどまわりはやってほしいことばっかりさがしはるから寂しいわ。私たちがやろうと思うみんなの広場の話をすると「私にも何かすることあるかなぁ?私、人としゃべるの大好きやで」高齢者は介護を受ける人、障害のある人は支援を受ける人、子どもを抱え経済的に苦しい人は施しを受ける人そういう「決めつけ」がさびしいな。支援を受けながらも何か人のために出来ることをしながらつながっていく!これがみんなの広場なんだと思う。「私も仲間に入れてや!」という彼女にVサインして別れた。みなさんクラウドファンディングに是非ご支援お願いいたします。
【電動車椅子が利用しにくい喫茶店】(話してわかり合い手をつなごう)若い頃障害者運動を共に取り組んだTさん。彼は肢体障害者当事者運動の道を一筋。僕は施設職員、運営管理者の道を歩いてきた。Facebookを通じて30年ぶりに再会し近々会うことになった。彼は肢体障害者運動を手伝ってほしいといい、僕は新しいプロジェクトみんなの広場への協力をお願いするために。彼は電動車椅子で鶴見区在住。僕は大東市で車移動。彼が電動車椅子で移動出来て僕が車移動で駐車場があるところとして鶴見区のコメダ珈琲でと決まった。彼曰く、コメダ珈琲は電動車椅子の僕は気を遣いなかなか利用しにくいところ。だけれど会う時間が混まない時間帯だから大丈夫とのこと。まだ杖で歩行出来る自分には駐車場も広いしあちこちにあるから便利でよく利用するんだけれど電動車椅子の人は喫茶店やちょっと食べに行く所もいろいろ考える、検討しないといけないんだ!と今さらながら考えさせられた。障害のある人に限らずいろんな生きづらさを感じる人々にとって、物理的な環境づくりは大切だがもっと大切なことは~生きづらさを感じる人々が一緒に話をし、理解しあい、共感しあいながらつながっていくことじゃないかな!みんなの広場の意義がまたひとつ確信となった。
今夜はは気持ちのよい結婚披露宴に参加させていただいた。奈良市で宅配弁当の会社の経営者。そして私がアドバイザーとしてお手伝いしているグループホームの管理者。僕より4つ若い64歳。その方が弁当屋さんで働くベトナムの女性と結婚された。年齢や国籍の違いを気にもされず堂々と明るく笑うお二人に気持ちが癒やされた。新しいプロジェクトがクラウドファンディングの開始で動き出した今日、元気をもらった。応援者も何人か知り合えたし(^^)v
【名もなき人々こそ人の世の宝】自分の1.17今日の予定を終え最後の病院点滴を今受けています。5時46分52秒を寝屋川の自宅(今は違う方が住んでおられる)の前で迎え(不審者と思われたかも)その足で1ヶ月くらい支援にまわった豊中市内あちこちを訪れ、それから2ヶ月ほど応援に入った神戸に向かった。当時の避難所もいくつか訪れた。そして拠点となった障害者施設の前で手を合わせているとひとりの高齢女性が声をかけてくださった。当時避難所にいる行動障害のある人たちは大変な混乱の中他の避難者の「迷惑」を考え家族も大変な状況だった。そんな状況の支援のため、全国から僕も含めた「経験と専門性」がある職員が自主的に集まった。しかし正直専門家といわれる僕には当初手も足も出なかった。目の前で何の経験もないボランティアの女性や学生がただただその人の手を握り校庭中を歩く姿、そんな中ですこしずつ笑顔を見せる行動障害の人がいた。今日施設の前で声をかけてくださった方は当時40歳、何も出来ないけどいてもたってもおれないと名古屋からボランティアで来られていたという。この震災で自分の福祉観、人生観が変わったひとつがここにある。もちろん専門的知識や経験は大切だ。しかしこの女性のようにただただ相手の気持ちを受けとめ、寄り添い続ける名もなき人々こそ人間が変わり社会が変わっていくための大切な存在なのではないか!今も大切にしている僕の福祉観だ!今は70歳というその女性も今日は名古屋から来たとのこと。しっかり手を握り握手した。「僕が今でもこの仕事を出来ているのはあなたのおかげ、僕の師匠です!」と言うと恐縮ですと目に涙をためて笑っておられた。長い投稿になりました。点滴そろそろ終わります。2025年1月17日勝本彰