開けシャッター!相川考古館の挑戦 江戸時代からの商店が残る街の建物リノベーション

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

江戸時代から歴史を繋いできた伊勢崎の街並み、その一つに昭和時代に町のお肉屋さんとして愛されていた中沢肉店さんがありました。しかし、7年前にシャッターが下り、空き家に。商店街で残った町屋をリノベーションして、講演会やワークショップなど色々な人たちが使えるスペースをつくり、町を盛り上げたい。

現在の支援総額

5,587,828

111%

目標金額は5,000,000円

支援者数

221

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/02/18に募集を開始し、 221人の支援により 5,587,828円の資金を集め、 2025/05/08に募集を終了しました

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現在の支援総額

5,587,828

111%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数221

このプロジェクトは、2025/02/18に募集を開始し、 221人の支援により 5,587,828円の資金を集め、 2025/05/08に募集を終了しました

江戸時代から歴史を繋いできた伊勢崎の街並み、その一つに昭和時代に町のお肉屋さんとして愛されていた中沢肉店さんがありました。しかし、7年前にシャッターが下り、空き家に。商店街で残った町屋をリノベーションして、講演会やワークショップなど色々な人たちが使えるスペースをつくり、町を盛り上げたい。

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

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これは、地名であるわけではなく、不動明王の名前としてある。いわゆる「江戸五色不動」と呼ばれる巡拝地のことである。一説には、天海僧正が江戸城を鎮護するために建てたとか、陰陽の関係で江戸を鎮護したとか、様々なことが言われているが、江戸五色不動誕生自体は明治時代になるので、後から尾ひれ背びれがついた話である。さて、先日、半田専務理事とのお話で、学生時の分野の話を振られ、昔を思い出したので、くだらないことでも書いてみようと思う。・・・なので、今回は読まない方が時間の無駄にはなりません。大学時代は、東洋大学文学部インド哲学科に入学。いわゆる「イン哲」と呼ばれる科である(元々は仏教学科、今では東洋思想学科と名が変わっている)。とりわけ、興味があったわけではない。そこが受かったからという理由だけだった。ただ、入ったからには卒業をしなければならない。編入という選択肢もあったが、それはそれで逃げた気もするので、与えられた場所をただ一生懸命にしようと思っていた。しかし、最後には「卒論」というものを提出しなければならない。興味があったわけではないので、この「卒論」を見据えつつ、どうしたら興味を持てるようになるのかを考えた結果、考古館が行っている史蹟会の真似事を大学でもやろうと考えた。大学2年の冬(1月26日)、同じ学科の友人と「寺巡りサークル」を立ち上げた。活動は月に一回、東京の寺社仏閣を巡るというものであった。お寺というと京都、奈良というイメージだが、政治の中心が江戸になると、多くの寺も江戸に造られた。なので、実は東京には多くのお寺があり、しかも、かれこれ、結構な歴史も紡いでいる。そんなことで、お寺を廻っていれば、何か気になるものも見つかるだろうと、テーマを決めて、毎月、エリアを決めて地域を廻り、最終的には大学の文化祭(学祭)で活動発表を行った。初めのテーマが「江戸五色不動」学祭で飾った五色不動の掛け軸平成19年4月15日の目赤不動から始まり、10月14日の目青不動まで、夏休みを抜いた5回の活動を行い、学祭にのぞんだ。懐かしさもあるが、今から18年前のことと考えると・・・・恐ろしい。このサークルは、実はその後、後輩が入り、何気に続くことになったのだが、実は、現在でも存続するサークルになっている。大学の人に聞く機会があったので、サークルの話をしたら、今では人気サークルとのことで、しかも老舗サークルになるらしい(18年で老舗か・・・)。若い集団がぞろぞろ東京の寺社仏閣を歩いている光景はそれはそれで凄い。今でこそ、御朱印巡りが若い人たちの中でも流行っているが、当時はまだそういった御朱印巡りをするようなことはなく、若い集団が寺を巡る光景は不思議な光景に映ったことだろう。(今から考えると、地方から来ている人が、東京をブラブラ歩くきっかけになるのは、サークルの意義的な部分は大きかったかもしれないと勝手に想像する所である。)そして、この時に行った体験が、昨日も取り上げた相川考古館の史蹟会の活動にそのまま役に立っている。寺巡りの活動自体は、月に一回だが、下調べをして、ルートを決め、現地を廻るので、地域の歴史を調べたりするので、様々な知識を得るきっかけになっていたので、意外に馬鹿にできない。最終的に、この「江戸五色不動」の調べたことを卒論にし、結果、賞を頂くことが出来た(その後の顛末は、過去の活動報告に書いたとおりである)。調べてみると、巷で言われていることは案外適当なことが多いことが分かり、文献を当たる大切さ、フィールドワークの大切さをこの寺巡りをきっかけに知ることができた。だから、何をやっても無駄なことはなく、やったことは、それはそれで身になるものだと学生時代に学んだものである。半田専務理事からは、「学科」という専門性について聞かれたが、もっと大きく捉え、「文学部」という学部に所属したことで、文章の書き方を学ぶことができたことは自身の大きな財産になったと思っている(といってこの体たらくだが)。なので、この活動も、ご支援以外でも、様々なことを学ばせて頂いている。あと16日、頑張ってまいります。そして、良ければお声をかけて頂けると助かります。


史蹟を巡る活動を続けて80年以上。昨日は、宿場の雰囲気を中心に史蹟とともに見て巡りました。約40年前、川越が重伝建になって以降、各地でも地域の歴史を感じられるように景観の維持に努力してきています。日光街道の6番目の宿場として栄えた幸手宿も、道なりがそのまま残り、当時の雰囲気を伝えています。ガイドに案内をして頂き、幸手宿の約1kmの宿場を歩いてきました。徳川吉宗がお昼を取った聖福寺勅使門明治19年に起きた大火で多くの家が燃えたそうですが、それでも立派な家が残っていました。岸本家住宅(国登録有形文化財)元は醤油屋、現在は内装を変え、喫茶店になっている。キャッチ-コピーは「歴史を感じられる町幸手」当時のものすべて残っているわけではありませんが、歩いてみるとウナギの寝床が見え、宿場の雰囲気を感じることが出来ました。やはり、一つの特徴・町の顔だなと感じます。吉宗弁当 幸手宿でお昼を食べた徳川吉宗。その時の献立が記録で残っていて、それを再現されました。また、幸手の地域もそうですが、利根川流域は利根川の氾濫ととも歩んできた歴史も備えています。幸手、久喜、加須、板倉といった地域は「水塚」と言って、洪水から被害を逃れるために盛り土をして、建物が高く造られています。栗橋宿にあった吉田家もその一つで、スーパー堤防を作る際に、水塚の蔵が市に移管され、今は内部が見ることができます。もっと宣伝すればいいのにと思えるほど独自の文化だと感じます(こちらでいう養蚕農家の建物が多くみられるのと同じような感覚なんでしょうね)。吉田家水塚 2m近く盛ってあります。生活の知恵こういう文化財があることによって、洪水と共に生きてきた地域の文化が分かりやすく理解することができます(伊勢崎地域では見ることはありません)。栗橋関所跡しかし、地元の人は、そういった独自の文化に気が付いておらず、受付の方もよく知らないと言っていました。地元の人だからこそ、地元の歴史を知って頂けると、もっと会話が弾んだことでしょう。川俣宿の船着場の地図や栗橋宿の関所跡を廻り、最後は県道(赤岩の渡し)で船に乗り、埼玉から群馬に渡り、岐路に着きました。会員の方、お疲れ様でした。


昨日は、友の会の方が来て下さり、鯉のぼりを設置してくださいました。朝9時、まるで業者のようないで立ちで、準備に取り掛かってくださいました。大変ですよ。あれは。今まで各家庭で上げていたと考えると感心します。お父さん偉い!上げてみて考えてみると、この文化も、消えつつある日本文化の一つのような気がしてきました。男の子が生まれると上げていた鯉のぼり。5月5日の節句の時期には当たり前の光景でした。江戸時代、浮世絵にも描かれるくらい、風物詩だった鯉のぼり文化。昔、電車に乗って外を見渡せば、田園風景に鯉のぼりが泳いでいた光景は、それは壮観でだったとの話も伺います。少子化の問題もあるのでしょうか。昨年、一つの風物詩が見られなくなるのは寂しいと、鯉のぼりを上げて欲しいとの要望があり、色々な方の協力のもと完成しました。まさか、本当に上がるとは。上がったら上がったで、見てみると良いものですね。新緑のこの時期、緑の背景に原色の色が映えます。是非、何かきっかけがありましたら当館へお越しください。でも、考えてみたら町はどちらかというと座敷幟が多いような。。


本日、お陰様で300万(60%)を超えました。300万円の壁を越えさせて下さったのは、はにわTシャツを選んで下さった方です。決して安くない返礼品ですが、更にお気持ちまで乗せて下さり万感の思いです。ここまで皆様のお気持ちで何とかここまで来ることが出来ました。あと19日、泣いても笑って19日。最後までよろしくお願いします。


いよいよ特別展「はにわ」も最終章となってまいりました。残る所、あと23日になります。当館のこのクラウドファンディングの物語はその3日前、5月8日にて終わりを迎えます。当館の学芸員が端を発したことから始まった特別展「はにわ」。当館としても、無事に終わることを祈念して、お迎えの準備をしないといけません。そこで、この度、橋本先生をお迎えして「埴輪ついて」お話を致します。【日時】 2025年4月24日(木)20:28~21:28【会場】オンライン開催(オンライン開催はZoomにて)    ※申し込み確認後、リンクをお送りします。【参加費】無料【申込はこちらのリンクから】 https://x.gd/Uaeg3 ※要事前申込【登壇者】相川裕保(相川考古館 館長)     橋本博文さん(新潟大学名誉教授 / 文化財保存全国協議会代表委員)【司会進行】 鎌倉幸子(かまくらさちこ株式会社 認定ファンドレイザー) 【登壇者プロフィール】相川裕保(相川考古館 館長)1986年群馬県伊勢崎市生れ。東洋大学文学部卒業後、民間会社に就職。2012年に退社し、相川考古館で学芸員として企画展を担当。「伊勢崎藩 武家の茶 茶道石州流 鎮信野田派の系譜」「作曲家町田嘉章と北原白秋・西条八十」「相川之賀と史蹟名勝天然紀念物調査会」などの展示を手掛ける。2024年7月館長に就任。 橋本博文さん( 新潟大学名誉教授、文化財保存全国協議会代表委員)早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学) 新潟大学名誉教授、文化財保存全国協議会代表委員主な著作 「埴輪の起源と性格論」『論争・学説日本の考古学5 古墳時代』(雄山閣、1988年)、『アートになった考古遺物たち』(相川考古館、2020年)、『実物とアートで楽しむはにわ点』(新潟市潟東樋口記念美術館ほか、2022年)、『東国と大和王権』(共著、吉川弘文館、1994年)。最新刊は「埴輪ガイドブック―埴輪の世界」(新泉社、2024年) 鎌倉幸子(かまくらさちこ株式会社 認定ファンドレイザー)青森県弘前市出身。公益社団法人シャンティ国際ボランティア会カンボジア事務所図書館事業課コーディネーターとして、小学校に図書室を整備するプロジェクトを担当。2007年に帰国後、同団体で広報・ファンドレイジング業務を担当。2016年にかまくらさちこ株式会社を設立。ファンドレイジングの企画・運用支援社会的インパクト・マネジメントや組織基盤強化などのコンサルティングを行っている。


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