開けシャッター!相川考古館の挑戦 江戸時代からの商店が残る街の建物リノベーション

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

江戸時代から歴史を繋いできた伊勢崎の街並み、その一つに昭和時代に町のお肉屋さんとして愛されていた中沢肉店さんがありました。しかし、7年前にシャッターが下り、空き家に。商店街で残った町屋をリノベーションして、講演会やワークショップなど色々な人たちが使えるスペースをつくり、町を盛り上げたい。

現在の支援総額

5,587,828

111%

目標金額は5,000,000円

支援者数

221

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/02/18に募集を開始し、 221人の支援により 5,587,828円の資金を集め、 2025/05/08に募集を終了しました

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開けシャッター!相川考古館の挑戦 江戸時代からの商店が残る街の建物リノベーション

現在の支援総額

5,587,828

111%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数221

このプロジェクトは、2025/02/18に募集を開始し、 221人の支援により 5,587,828円の資金を集め、 2025/05/08に募集を終了しました

江戸時代から歴史を繋いできた伊勢崎の街並み、その一つに昭和時代に町のお肉屋さんとして愛されていた中沢肉店さんがありました。しかし、7年前にシャッターが下り、空き家に。商店街で残った町屋をリノベーションして、講演会やワークショップなど色々な人たちが使えるスペースをつくり、町を盛り上げたい。

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

集まった支援金は100%受け取ることができます

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泣いても笑ってもあと30日。今日も頑張ってまいります。今日は4/6(日)の出来事をお伝えします。日曜日は様々な来館者がありました。親子で来られた見学者からは「美術の大学に通っていて、現在学芸員の資格を取ろうとしている。先生から群馬にいるなら相川考古館に行きなさいと言われて」来館したとのことでした。…何故?ここをご指名?お話を聞いていると、「簡単に学芸員とお話ができる場所を求めている」という感じでした。アポンインを取れば、そんなことは無いとは思いますが、、そんな話を先生の言葉から出るのは、有り難い限りです。どうも、「気楽に学芸員に会える博物館」として売り出した方がよろしいようです。最後には楽しかったと仰って頂き有難いなと感じた次第です。博物館に求められらこと・学芸員が求められることは果たしてなんなのでしょうか?考えさせられる出来事でした。また同日、別の方をご案内をしていた所、以前史蹟会で伺った「大磯町郷土資料館」の職員だった方と判明いたしました。その節はお世話になりました。大磯町は良いところです!江戸時代には、東海道五十三次の8番目の宿場町として栄えました。中でも有名なのは鴫立庵でしょうか。現在は郷土資料館もさることながら、吉田茂邸や旧大隈重信別邸など名だたる人のお住まいが残っていて、その建物を今は国指定重要文化財として残し、大磯町の歴史を伝える努力を怠っておりません。きっと、その建物は大磯町の顔になっていくことでしょう。今後、楽しみになる町の1つだと思っています。その職員だった方とお話をしていたところ、色々な部分で興味深い話が出ました。「本当に20万人都市なんですか!?」とも驚かれ、3万人の町がやっていることなど色々な話を伺いました。うなづける話も多く、日常で感じていることが多分にあったのだろうと感じた次第です。「生まれも育ちも大磯町です」自身の生まれた場所に誇りを持っている、そして、それを口外できることは素晴らしいことだと感じました。最後には、募金箱に差し伸べてくださいました。思う所は、みんな一緒なんだろうなと感じつつ、また日常に戻ったそんなほがらかな日曜日。


チャリティー茶会
2025/04/07 08:00

昨日はNPO法人無径会主催のチャリティー茶会に出席してまいりました。朝の鎌倉さんのお話を聞いてからの参加ということもあり、身の引き締まる思いをしていました。今回の道具組は、能登に関わる道具組が施され、学ばさせて頂きました。菓子器と棗に"輪島塗り"が、蓋置に"珠洲焼"が使用されていました。無径会さんの凄い所は、基本的には自身が作ったものを使うというコンセプトをお持ちで、色々なものをお作りになります。今回のお菓子もまさしく手作りで楽しませていただきました。趣向を凝らされた茶会でした。


昨日は、土曜日。天気の良好ということもあり、見学者も多く来られました。昨日の来館者の方の殆どは、東京国立博物館で行われた特別展「はにわ」の影響で、当館の埴輪を見に来られた方々でした。武人埴輪はまだ帰ってきておりませんが、琴弾く埴輪会いたさで来られる方のもおり、その可愛さを堪能されておりました。さて、昨日は、親子連れの方が来られ、写真のものを受付にて提出されました。東京国立博物館で3日間限定でゲリラ的に配られた群馬県のはにわスタンプラリー。来館された方にはバッチが配られ、10か所回ると記念品がもらえるという、かなり激レアなリーフレット。当館でコンプリートとなりました。おめでとうございます。にしても、最近の子どものはにわ熱がすごい。小学生でよく知っているなと感じるほど勉強されています。こういう中から、将来考古学の道を選ぶ子が出てくるのだろうと、ひしひしと感じます。そして、尋ねたところ、しっかりと「HANI-アプリ」はやってました。英才教育甚だしい群馬県。(良い意味で)でも、「ハニアプリ」は「ハニワっち」という名前が候補に挙がっていたことは、内緒で。


昨日は、JR新幹線の雑誌「トランヴェール」の取材で担当者など5名の方が来館されました。なにやら特集で「町田佳聲」のことを取り上げるとのことです。町田佳聲は、相川家と縁がある人物です。7年前の2018年には、町田佳聲についての企画をしたことがありました。今回は、そのお話を伺いたいということで取材されました(取材している時の写真を撮り忘れました)。お持ちになられた「トランヴェール3月号と7年前の企画展資料」町田嘉章は、中学時代には萩原朔太郎とともに回覧雑誌を発行するエピソードを持つ人物で、若い頃には、北原白秋や西条八十などの詩に曲をつけていました。その数は200曲ともいわれます。後半生は20kgの録音機を担ぎ、全国の消えていく民謡を採集し、それを『日本民謡大観』としてまとめあげた偉業を成し得た人物として有名です。当館の創始者相川之賀の妻・三保は、西条八十に影響を与えた人物で、梨木温泉にて梨木小唄という新民謡(ご当地ソング)を作る際に、仲介役をしました。当館には、三保が、梨木館に行った際に町田嘉章・西条八十と一緒に映った写真が残っています。さて、実はその町田佳聲の生家は、当館の前を通る西町通りにあり、明治15年の立派な建物が残っています。「モノの見方を変えれば見え方も変わる。」そういった"点"をもって、見方を変えると、当館の前の「西町通り」は「音楽通り」とみてみてるのも一興かと思っています。古代には、相川考古館の国指定重要文化財の埴輪「弾琴男子」が構え、近代には、北原白秋などとともに多くの作曲を手掛けた町田嘉章を排出、現代では、現役で活躍されているbacknumberのベースの小島和也さんを排出したそんな歴代の音楽の特徴がある通りがこの西町通りになります。余談ですが、館長は、小島さんとは学年が一つ違いで、小学生の時には夏祭りの鉦を一緒に叩いていた、そんな記憶が残っています。全国で活躍される方々はそれぞれ、琴・三味線・ベースと時代時代の音色を引き(弾き)ついできた町と考えると、それはそれで特徴のある面白い通りではないかと想像してやみません。あ、弾琴男子が前橋市出土なのは内緒で。


旧中沢肉店の裏側
2025/04/04 08:32

通りからでは見えない中沢肉店の裏側になります。写真に見える場所は後に増築した部分になります。右側入口部分は倉庫として使っていたようです。真ん中窓部分は風呂場。タイルがレトロ感のある風呂場で、これはこれでレトロ好きには考えてしまいます。左側が渡り廊下です。屋根の組み方が悪いようで、ダメージが受けやすい構造になっているとか。そのため、ここは取り壊し、新たに水回りをセットする予定です。そして、実は、写真後ろも細長くなってます。


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