600年以上続く神事の中にある神話を、その神社で上演してみる。

2025年10月4日(土)、地元のboraお祭りのプレ・イベントとして創作舞台「つたじまのおろち」を上演。香川県三豊市・賀茂神社に伝わる神話が、大人も子どもも楽しめる新しい芸能としてよみがえり、そしてその芸能が次の世代に手渡される。600年続く神事と神話、そして芸能の継承へ、ご支援をお願いします。

現在の支援総額

1,701,500

113%

目標金額は1,500,000円

支援者数

160

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/09/04に募集を開始し、 160人の支援により 1,701,500円の資金を集め、 2025/10/04に募集を終了しました

600年以上続く神事の中にある神話を、その神社で上演してみる。

現在の支援総額

1,701,500

113%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数160

このプロジェクトは、2025/09/04に募集を開始し、 160人の支援により 1,701,500円の資金を集め、 2025/10/04に募集を終了しました

2025年10月4日(土)、地元のboraお祭りのプレ・イベントとして創作舞台「つたじまのおろち」を上演。香川県三豊市・賀茂神社に伝わる神話が、大人も子どもも楽しめる新しい芸能としてよみがえり、そしてその芸能が次の世代に手渡される。600年続く神事と神話、そして芸能の継承へ、ご支援をお願いします。

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プロジェクト・オーナーの海谷英明です。まずは、みなさん、多大なご支援とご協力、本当にありがとうございました! (また、上演後すぐに、みなさまへのご報告と感謝をお伝え出来なかったこと、大変申し訳ございませんでした。)今回は、みなさまへの感謝を込めて舞台の裏話や、地元の反響を交えながら、今後の動きについてお話させて頂きたく思います。(少しマジメくさくなってしまうかもです。)何はともあれ、この「超素人運営」+「超赤字企画」+「超一流出演者」といったイベントが、事故もクレームもなく無事に終えられたことに本当に感謝しております。舞台の撤収が終わる正にその瞬間まで、がむしゃらな緊張の中"天球儀を抱えるアトラス”のような気持ちでした。(良く知りませんが。^_^; ) 実施日を迎えるまでも、途中、いくつかの理由で準備が一ヶ月ほど止まってしまったり、出演者の変更、想定以上の各種メディアへの対応などなど、一軒々戸を叩いて回ったあの日々が懐かしく思えるほどいろんなことがありました。多くの思いや考えがありながらの、イベントの企画・運営でしたが、わたしの個人的な思いは、土地(&土地の神様)への感謝と参加者(出演者+オーディエンス)の真に楽しげな雰囲気、これらをこの地で呼び起こすことでした。そして、その意味ではそれらはほぼ100%叶ったのではないか、と(勝手にも)思っております。見に来てくれた方々の表情、舞台を観ていた親子のやり取り、出演者のみなさんの次の日になっても消えない笑顔、何にも替えることができない体験をさせてもらいました。本当にありがたいです。地元からの粋なプレゼントそんな中、常に実務をスケジュール通りこなし、関係者をまとめていってくれたのは賀茂神社の役員の方々でした。彼らの力がとても大きかったのは言うまでもありません。実は、(いっていいのかな、いやダメかも…。)東京雑戯團の主要メンバーは、(いや、安田登さんが!)大の蟹好きなのです。どのくらい好きかというと、好きな食べ物の1~10位までは、全て蟹(10種のカニ)だそうで、因みに、11位以降はエビが来るそうです。驚きですね!?なので、我々としては香川と言えば、うどん!、ん~、それだけじゃ厳しいかぁ?、じゃあ、“骨付き鳥”!!、…といってもなかなか心躍ってくれそうにありません。そこで、賀茂神社総代の倉本氏が仕込んでくれたのは、地元、瀬戸内海産の大きな“ワタリガニ”でした! それも、地元に伝わる調理法で手早く仕込んだ調理したての蒸し蟹です。もう、美味しくないはずがありません!リハーサルの終わったメンバーの前に出された1匹づつの大きなワタリガニ!さー、みなさん喜びに沸いたカニ晩餐のはじまり、はじまり~、と思いきや、もう、そこは試験会場のような静けさ。時折聞こえるのは少し邪魔っけなわたしの蟹の説明と、“蟹奉行”と化した安田登氏の的確な蟹食アドバイス。鉛筆やシャーペンの音の代わりに、蟹スプーンの音が響きます。噂にたがわぬ蟹食のプロフェッショナルズでした。(お見それいたしやした~。)多分、これが本番での芸術性の更なるシフト・アップに繋がったのかもしれません。 倉本さん、そして、その場を用意してくれた吉田さん、塩田さん、ありがとうございました。さて、奉納舞台を終えた仁尾の町ですが、実はわたくしその直後に、親族の葬儀後、(そしてその足で空港へ)インドでのチベット文化取材などが入っており、戻って地元のお話を伺うのが一ヶ月後になってしまいました。賀茂神社のある仁尾町に戻ると、とにかく、あのイベントをみなさんがどんな風に感じたのか、そればかりが気になります。自分からは中々切り出せない中、お会いする方お会いする方、皆がみな、“素晴らしい舞台だった!”、“あんなの観たことなかった!”、“まちの文化度が一気に上がった気がするわ~。”、と感動と感謝のお言葉ばかりでした。更に、“行きたかったのに何で言ってくれなかったの~!”、と知らない人からも。また、まちのビジネスリーダー、まちおこしリーダー、校長先生、の方々にも、とても良い評価と感謝のお言葉をいただきました。本当にうれしい限りです。(僕がやったわけではないのに、これは役得ですね。ニヤニヤ )そして、これからのお話です。 安田さんを含め、私たちが描いているのは、細々とでも長く続いていく伝統や文化の伝承です。多くの観客や華やかなゲスト陣とは関係なく、根をはった活動です。それには、ちいきのこれからを担う小中学生の存在が欠かせません。彼らがこれからの活動にどう興味を持ってもらうか、その導線をいかにつくるか、が次の鍵となります。 ・少子化 ・伝統芸能の担い手や、興味を持つこどもがいない。 ・神社仏閣の行事が一般の人から遠ざかっている。 ・神社仏閣の管理・維持が、年々難しくなっている。こういったことは、一部を除き全国共通の課題です。これらを逆に地域全体の課題と捉えて、それらに興味をもって参加してもらう装置(機能的枠組み)を現在議論・検討中です。例えば、「部活」や「お祭り」、「マルシェ」、「“キッザニア”的芸能体験」、等々、『つたがも』に限らず、こういった取り組みに寄与できる枠組みや施策は実現の可能性は十分あると思います。まだ、内容をご報告できる準備はできてないのですが、今後、行政や他の地域との連携を含め、いろんな実験を行いながら進めていきたいと考えています。もし、ご興味ある方いらっしゃいましたら、一緒にやりませんか!? そして、三豊や香川に移住してたりして…。(⌒∇⌒)<返礼品について>現在、みなさまのご協力に対する返礼品につきまして、データの集計とその制作を順次進めております。12月中でのお届け、ということで、スダッフ一同、東京と香川での分業体制で頑張っております。みなさんからの各種必要事項のご回答(Tシャツのサイズやパンフレットへのお名前の掲載等)をお待ちして、集計の後、それぞれ制作の手続きに入っております。特に、Tシャツの制作につきましては、プリントの柄合わせを(微妙な図柄なので)手作業と個別対応のやり取りで行ってもらっているため、想定より時間が掛かっております。お待たせしてしまうことになり大変恐縮ですが、納品(12/27予定)され次第、梱包~発送に入らせていただきます。また、「Tシャツ+印刷物」のパッケージにつきましては、もう少しだけお時間いただくことになりそうです。大変申し訳ございません。お手元に届くまで、もうしばらくお待ちくださいませ。最後に;四国の上にある右側の角(?)がここ三豊市です。その角(⇒荘内半島)の中には、 ニューヨークタイムズが「2019年行くべき52カ所の旅行先」の世界で7番目として掲載した「紫雲出山(しうでやま)」からの景色があったり、https://www.mitoyo-kanko.com/mt-shiude/⇧(前回もお伝えしました)持続可能な観光の国際認証団体 Green Destinations により「TOP100 ストーリーズ(世界の持続可能な観光地100選)」に選出された「ちちぶヶ浜(父母ヶ浜)」があります。https://www.mitoyo-kanko.com/green-destionations2025/ここも、持続可能性に真正面から挑んだ昭和・平成の先達に守られ、令和の現代に大きく評価された場所です。(ここから本イベントの『つたがも』の舞台である「つた島」がすぐ近くに見えます。)このような「地」の力と雰囲気を感じ、味わいながら、古の知にふれる、そんな豊かなことが日常にできるまちです。ご縁がありましたら、是非、このまちにいらしてください。そして、一緒に、この地(自然)と知(文化)を味わい楽しみましょう!(蟹も⁉) ご案内いたします。それでは、その時まで。(⇧つた島の中腹にある賀茂神社の元宮/出演者の皆さんが講演翌日お礼参りに行かれました。)みなさま、この度のご支援とご協力、本当にありがとうございました!『つたがも』奉納上演プロジェクト・オーナー海谷英明


▼無事に終演いたしました!ご支援いただいた皆さま。皆さまのおかげで目標額を達成することができ、『蔦島の大蛇』を賀茂神社において無事に終演することができました。本当にありがとうございました。現在、撮影をお願いした人からの写真や動画が届くのを待っております。それが届き次第、写真付きの活動報告をいたします。会計報告も準備をいております(ただし、CAMPFIREさんからの振り込みが11月下旬ですので、会計報告は少し先になります)。また、リターンの制作も部門ごとに開始しております。ここら辺も進捗状況をこちらに書いていきます。地元の方たちには、とても喜んでいただき、終演後には子どもたちもやって来て「あれやりたい」、「これを持ってみたい」と大騒ぎをしていました。▼いろいろありましたが…さて、無事に終演はしたのですが、実はいろいろありまして…。まず、これを書くのはプロジェクト・オーナーの海谷英明のはずでした。が、海谷の身内に突然の不幸がございまして、作品の創作責任者の安田登が代わりに書いています。海谷の身内に不幸があったため、海谷が神社内に入ったり、皆さまの前でご挨拶することができませんでした。本来は終演後に会場でクラウド・ファンディングに関するお礼を申し上げる予定でしたが、それができずに本当に失礼いたしました。さらに!衣装を送ったスーツケースが行方不明になるという事態が発生し、安田ら、出演者一同は、出演直前にそちらの対応に追われ、海谷の代わりを務めることができませんでした。荷物は、東京から香川に送ったものなのですが、紛失したもののひとつはなんと羽田空港で止まっていました。しかも、宅急便屋さんは「確かに送り状はあるけれども、どこにあるかわからない」というつれない返事。それをこちらでさまざまなリサーチをして、羽田にあることがわかり、急いで送ってもらいました。そして、さらにもうひとつ紛失したのですが、それは上演時にはなく、まだ出て来ていません。足りない衣装で、どうやったらいいかをあれやこれや考え、開演ギリギリまであたふたしていました。すごいでしょ。衣装のスーツケースが2つない。こういうときに、音楽のヲノサトルさんは、必ず「面白くなって来たぜ」と言います。そして、何とかするのが東京雑戯團です。しかし、それでもやはり「とほほ…」ではあります。だってまだ出て来ていないのですから。「東京トホホ團」とも言われています。▼天候にも祝福され?さらに、始まった途端に雨が降り出しました。電子音楽の楽器は濡れると音が出なくなるかもしれない。太鼓も革がダメになるかも。装束も着物も絹です。雨は大敵です。しかし、もう始まっています。やめるわけにはいきません。「これは龍神さまからの祝福だ!」と(無理やり)思い、そのまま続けていたら5分ほどで小雨になり、15分後の「龍」や「別雷(わけいかづち)の神」が登場するころにはやんでいました。しかも、終演時には美しい月が中天にかかっていて、みなさまを祝福しているようでした。いろいろありましたが、土地の方にも、そして天候にも祝福された奉納上演でした。▼蔦島への参詣そして、今日(上演の翌日)は、出演者たちで蔦島に渡り、プチ山登りをして「沖津宮」に参詣し、いとうせいこう、玉川奈々福、ヲノサトル、安田登、そして出演者みなで謡を奉納いたしました。めでたし、めでたし…。…と思ったら、香川から東京に戻る電車(新幹線)が遅れ、今日中に東京に着けるかと最後の最後まで「とほほ…」です。


皆さまのあたたかいご支援のおかげで目標額を達成することができました。心より御礼申し上げます。本プロジェクトのオーナー、海谷英明は今日は賀茂神社で椅子を並べたり、テントを張ったりの力仕事、私、安田登は新幹線で賀茂神社に向かっております。さて、明日の上演の詞章を掲載いたします。下記《ナレーション》部分は、当日、浪曲師の玉川奈々福さんと落語家の笑福亭笑利さんとのインプロ掛け合いになります(笑)。リターンでプログラムをお選びの方には、後日、製本した台本をお送りいたします。またプログラムには、この「活動報告」に書いた文章も載せようと思っております。音声部分はダウンロードができるようにします。お楽しみに~。《物語》《龍の頭:山下昇平作》 讃岐の仁尾にある神社が、都の賀茂の御分体だという夢を見た都の賀茂神社の宮司が、仁尾の賀茂神社に来た。参拝していると不思議な女性が現れ「この沖にある蔦島という島には、むかし大蛇(オロチ)が住んでいて、人も近寄れず、島は蔦と蔓と雑草と棘で覆われていた」という。 ある日、都の賀茂神社の神様の御分身である白木の祠が着いた。鴨田、河田、吉田、塩田、倉本の「四田一本」の人々は神様をこの地に勧請し、仁尾の人々は真摯に拝した。すると大蛇は海に消え、蔦島も仁尾の町も豊かになった、と。 都の宮司がさらに大蛇の姿を尋ねると「目はほおずきのように真っ赤で、山が八つもあるようなとても大きな蛇で、お腹も血で真っ赤になっていました」と答える。 すると時間が巻き戻されて「今は昔」になり、昔の蔦島がよみがえり、大蛇も現れた。 そこに島を守る神、別雷の神が現れ、剣で大蛇を斬り刻んだ。が、切られた大蛇は六体に分かれ、また神に向かって来た。神がさらに力を振るうと、龍は退治されて、海中の龍宮に帰っていった。『蔦島の大蛇』上演詞章【前半】《ナレーション》都の賀茂神社の宮司が登場する神官「仁保てふ浦の宮柱(みやばしら)。    仁保てふ浦の宮柱。   加茂の古跡(こせき)を尋ねん。    そもそも是は都の内。    加茂の宮の神主則之(のりゆき)とは我が事也。    さても我不思議なる御霊夢を蒙(こうむ)り。    只今讃州(さんしう)仁保の浦。    加茂の明神に参詣(さんけい)仕り候。《ナレーション》都の賀茂の神社の神主が不思議な夢によって、仁尾(香川県三豊市仁尾町)の賀茂神社に参詣することを決め、仁尾に向かう神官「急ぎ候程にこれははや。   讃州仁尾の里。   加茂の社(やしろ)に着きて候。   心閑(しず)かに参詣申さうずるにて候。   何事の。おはしますかは知らねども。   忝(かたじけな)さに涙こぼるる。   あら有難(ありがた)や候。《ナレーション》そこにどこからともなく女性がひとり現れる海女「なうなう何とてその社(やしろ)へは立ち寄らせ給ふぞ。神官「さん候これは都の加茂の社人にて候が。   当社の御神(おんがみ)と。   都の加茂の御神とは。   御一体との御霊夢を蒙り。   只今参詣申して候。海女 「仰せのごとく当社の御神は。   都の加茂の御分体(ごぶんたい)にて。   別(わけ)雷(いかづち)の神(しん)にておわします。神官 「さて御身はこの浦の海女にてあるか。海女 「さん候この浦の潜(かづ)きの海女にて候。神官 「さやうに候はば尋ねたきことの候。   まず近う御入り候へ。海女 「心得申し候。   さてお尋ねとは。   如何(いか)やうなることにて候ぞ。神官 「承り候へば。   この島の名をば蔦(つた)島(じま)とこそ申し候へ。   何とて左様には名付けられて候ぞ。海女 「さん候昔この島は。   蔦(つた)や葛(かづら)が島を覆い。   雑草(ざっそう)荊棘(けいきょく)生ひ茂り。   住む人も無く。   浦漕ぐ船も見えざりしにより。   蔦島とは申し候。神官 「あら不思議や。何とて左様にはなりたるぞ。海女 「往昔(むかし)より恐ろしき大蛇(をろち)の棲(す)むにより。   さて左様にはなりて候。《ナレーション》そこに白木の祠がひとつ流れ着いた。それは都の賀茂神社の神様の御分霊であった。四田一本の人たちがそれを祀ったら大蛇は海に消えた。海女 「則ち四田(よた)一本(ひともと)の人々勧請(かんじょう)申し。   此の浦の氏神(うぶがみ)とは祀(まつ)りしなり。神官 「いわれを聞けば有難や。   扨々(さてさて)さきに承(うけたまわ)る。   大蛇(をろち)のとがは如何ならん。海女 「其の後(のち)山河(さんが)鳴動して。   遂に退(た)ちしも此(この)神(かみ)の神官 「神慮(しんりょ)の程と海女 「聞くものを地謡 「玉藻よし。   讃岐の國はむら鳥の。讃岐の國はむら鳥の。   仁保の小里に宮柱。   敷(ふとしく)たてて御殿(みあらか)に。   神を納めし昔より。   天(あま)の羽衣稀(まれ)に来て。   撫(な)づとも尽きぬ平石(ひらいし)の。   堅き誓いぞ有難(ありがた)き。堅き誓いぞ有難き。神官 「猶々。大蛇の謂(いわ)れ委(くわ)しく御物語候へ。海女 「さても蔦島に棲みける大蛇は。   ただの大蛇にてはあらざるなり。神官 「さて其の形はいかならん海女 「その目は赤かがちの如くして神官 「何と。赤き鬼灯(ほおずき)の如しとや海女 「また八頭(やがしら)八尾(やお)有りて神官 「其の身の上には海女 「蘿(ひかげ)と檜(ひ)椙(すぎ)生ひ纏はり神官 「さて其の長(たけ)は海女 「谿(たに)を八谷(やたに)神官 「峡(を)八尾(やお)に度りて海女 「其の腹は神官 「悉(ことごと)く血に爛(ただ)れたり【後半】《ナレーション》すると突然、空が真っ暗になり、時が遡った昔の仁尾の町になり、大蛇もやって来た。神官 「あら不思議や空かき曇り。   波も逆巻き時も渦巻き。   いまは昔になるかと思へば。   大蛇の現れ出で来るぞや。《龍の登場》オン・アロリキャ・ソワカ地謡「海風暗く水は渦まき。   雲は地に落ち波立ち上り。   山河も崩れ鳴動して。   現れ出づる大蛇(だいじゃ)の勢ひ。   年ふる角(つの)には雲霧かかり。   松柏(まつかや)そびらに生ひ伏して。   眼(まなこ)はさながらあかゞちの。   光を放ち角(つの)を振りたてさも恐ろしき。   勢ひなり。《ナレーション》神官 「あら不思議や箱の岬より。   波風頻(しき)りに鳴動するは。   別雷(わけいかづち)の。   来現(らいげん)かや。《別雷の神、登場》別雷 「そもそも是は。   この島を護り國を治むる。   別雷の。神なり。神官 「神は十握(とつか)の神剣を携へ。   遥かの空より下り給へば。《ナレーション》別雷 「すわ大蛇よ。もの見せんと。地謡「大蛇(だいじゃ)は驚き怒りをなせども。   神威(しんい)にいかで叶ふまじや。   大蛇は地に伏し通力(つうりき)失せて。   山河に身を投げ漂(ただよ)ひめぐるを。   神剣を振り上げ斬り給へば。   斬られてその尾は雲を穿(うが)ち。   ぐるぐるぐると。ぐるぐるぐると。   八重(やえ)九重(ここのえ)に神を巻かんと   覆へば飛び違ひ。   巻き付けば斬(き)り払(はら)ひ。   廻(めぐ)ればめぐる。廻(めぐ)ればめぐる。互ひの勢ひ。   神は威光の力を現し   左右(ひだりみぎ)りに剣(つるぎ)を振(ふ)って。   大蛇を斬(き)り伏(ふ)せば。   斬られて大蛇は六体(ろくたい)に分かれ《ナレーション》《龍、六体に分かれる》 《ラップ》以下、2回繰り返す海風暗く水は渦まき/雲(い)は地に落ち波立ち上がり←山河も崩れ>鳴動して/現れ出づるその大蛇(だいじゃ)の年ふる角(つの)には雲霧かかり松柏(まつかや)そびらに生ひ伏したり←眼(まなこ)はさながらあかぢちの/←光を放つと角(つの)を振りたて/さも恐ろしきはその勢い←大蛇は驚き怒(いか)れども/神威(しんい)にいかで叶ふまじや←大蛇は地に伏し>通力(つうりき)失せ←山河に身を投げ>漂(ただよ)ひめぐるを神剣(しんけん)振り上げ斬り給ふと/斬られたその尾は雲を穿(うが)ち←神を巻かんと覆(おお)へば飛び違ひ巻き付けばそれを斬り払(はら)ひ廻(まわ)ればその輪めぐりゆき/互ひの勢ひ増しまさば 神は威光の力を現す 地謡「空も俄にかき曇り。   山は頻(しき)りに鳴動し。   波は逆(さか)巻(ま)き打ちよせて。   岩かみくだき山つひへ。   其の止むべくも見えざれば。   流石(さすが)大蛇(だいじゃ)も棲(す)みかねて。   海底(かいてい)深く飛び入りて。   龍宮(りうぐう)へ失せてぞ消えにける《ナレーション》別雷 「天津空ゆく日の如く。地謡 「天津(あまつ)空(そら)ゆく日の如く。   末(すえ)の世守る。神(しん)徳(とく)を。   天地(てんち)に誓ひて。海(うみ)幸(さち)と。   仁(にん)を保(たも)つの仁保の浦を。   永久(とわ)にやすらにとこしへに。   栄(さか)えゆくこそ。めでたけれ。《出演者》都の賀茂の神主           安田 登海女(実は観世音菩薩) 金沢 霞別 雷 神       本郷 智龍           名和紀子(笙も)            大島淑夫(笙も)            村田活彦            安達茉莉子            西村明子            占部まりラ ッ プ       いとうせいこう(地謡も)ナレーション      玉川奈々福(地謡も)                              笑福亭笑利(地謡も)真 言                 上戸暖大(海岸寺住職)音 楽: ヲノサトル(電子楽器)     森山雅之(打楽器)     五味佐和子(シンギング・ボウル)地謡:龍も(五十音順)  [流れの会]足立真穂、井上迅、宇野澤昌樹、小山(岡本)悦子、            杉井道子、中山ひとみ、福井沙季、門戸大輔[海岸寺寺子屋]加藤尚子、左柄伸哉、高橋香織、福田倫丈                  振り付け :大﨑 緑美術・照明:山下昇平


クラウド・ファンディングも、いよいよあと3日になりました。皆様、ご支援、本当にありがとうございます。東京雑戯團の会計を担当しております金沢霞です。『蔦島の大蛇』では、海女(実は観世音菩薩)を演じます。ちなみに上の写真は、日本神話のイザナギ命の冥界下りと、ギリシャ神話のオルフェウスの冥界下りを重ね合わせ、新たな舞台作品として再構築した『冥界の秘儀』です。手前側が私です。今回の活動報告書では6月に上演した『冥界の秘儀』の写真をいくつか載せます。赤字の劇団、東京雑戯團この度は、ご支援いただき、本当にありがとうございます。正直なところ、これほど多くのご支援をいただけるとは思っていませんで、驚きと感謝でいっぱいです。皆様のおかげで、今回の公演はあまり大きな赤字にならずに済みそうです(笑)。なんといっても出演者が29名。そのうち東京からが16名、京都からが7名ですから交通費だけでも大変なのです。そのうち何人かは出演料もなし、交通費・宿泊費も自腹です。それでも赤字です(笑)。会計担当としては胃が痛くなる毎日です。さて、私は今回の上演の演技の中心を受け持つ「東京雑戯團」について書いてみたいと思います。「楽しい」を追求する東京雑戯團の活動東京雑戯團とは、なんともふざけた名前ですが、これは本團の(一応の)主宰者である安田登(以下、安田さん)が命名した私たちの劇団の名前です。宗教家であり、宗教学者でがある釈徹宗先生から、「相変わらず雑な生き方をしていますね」と安田さんが言われたのがきっかけで、それまでのノボルーザを改名しました。ノボルーザという命名も雑です。名無しで活動していたのを、安田さんの名前である「登」から「ノボル一座」といとうせいこうさんが呼び始めたのですが、私をはじめとして、メンバーの多くが、遅刻はするわ、道は間違うわ、忘れ物はするわ、稽古の日は忘れるわ…と、ラテン気質が多いので、「一座」の「一」を長音の「ー」に読んで「ノボルーザ」とキーボードのヲノサトルさんが呼び始め、それが定着していました。が、「雑な生き方」と言われて、うれしくなってしまった安田さんが「これから当分、東京雑戯團でいこう!」と言い出して、いまのところこうなっています。でも、これも「雑」なので、いつ変わるかわかりません。リーダーがいない東京雑戯團東京雑戯團の特徴のひとつは「リーダーがいない」ということです。先ほど、安田さんが「(一応の)主宰者」と書きましたが、これは文字通り「(一応の)主宰者」であってリーダーではありません。能がそうらしいのですが、出演者の多くが違う流派に属している。持っている台本も違う。それなのに一緒に稽古(練習)をしない。東京雑戯團もそうです。ひとりひとりが自分のやるべきことを、自分なりにやってくる。そこで解釈を話し合ったもしない。誰かがリーダーになって、この演目はこうする!ということも決めない。以前の活動報告に、先日の凱風館(内田樹さんの合気道の道場:兵庫)での『銀河鉄道の夜』の公演後の打ち上げで「のぼるファースト」ではない、という話が出たとありました。主宰者の安田さんですら、ファーストではないのです。そのときに「じゃあ何ファーストだろう」という話になり、誰かが冗談で「かすみファースト・のぼるラスト」と言いました(かすみというのは私の名前です)。その時は「いやいやそんなわけ…」と適当に流していたのですが、その後、東京までの帰路にぼんやり考えて、「のぼるラスト」はともかく、「かすみファースト」は意外とその通りかもしれないと思いました。稽古を振り返ると、私が「こんなことをしてみたい」、「このタイミングでこうしたら面白いのでは」と、一番自由に発言していることに気づいたのです。私はメンバーの中で一番年下で、経験も少ないのですが、周りの経験豊富なメンバーが、私の意見を尊重し、受け入れ、時には軌道修正しながら見守ってくれています。おかげで、私はとても伸び伸びと、自由に活動できています。そして、おそらくはメンバーの全員が「自分ファースト」だと思っている(安田さん以外)に違いないのです。「ひとりひとりファースト」です。だからリーダーなんて必要ないのです。自由と楽しさを守るために実は、東京雑戯團の公演は毎回、赤字続きです。たとえば、直近の公演である9月の『銀河鉄道の夜』(兵庫県・凱風館)や、6月の『冥界の秘儀』(東京・新宿歌舞伎町能楽堂)も数十万円の赤字でした。海外公演などでは数百万円の赤字になることもあります。この赤字は、メンバーである安田さんが別の仕事で稼いで補填しています。コアメンバーは私を含めて5人いますが、このコアメンバーは出演料をもらわないのはもちろん、交通費・宿泊費も全て自腹です(安田さんもです)。また、コアメンバー以外の出演者も、相場よりかなり少ない出演料で快く参加してくれています。しかし、特に東京以外での公演では、交通費や宿泊費だけでもかなりの金額になるため、どうしても大きな赤字になります。では、なぜチケット代を上げたり、公演回数を増やしたりして、黒字にするようにしないのか?それは、「黒字にしよう」とか「利益を追求しよう」とすることで、もっとも大切である、「自由さ」や「楽しさ」が失われる可能性があるからです。まず、チケット代をあげるのは論外です。また、黒字にしようとすると、より広い会場を借りたり、何日も連続公演をしたり、あるいは外部に宣伝を委託したりと、さまざまな条件に縛られてしまいます。広い会場になるとお客さんとの近い関係がなくなりますし、何日も連続公演をすると毎回の新鮮さがなくなり、お仕事っぽくなる。宣伝を委託すると(ちょっと)ウソっぽいことを書かれてしまう可能性もある。その結果、自分たちが心から「やりたい!」、「楽しい!」と思える公演づくりができなくなってしまう可能性があると思うのです。そして、私たちが心から「やりたい!」、「楽しい!」と思える公演でない限り、ご覧いただいている方もそう思えないんじゃないか、そんな風に思っています。「損をするのが良いんだよ」という言葉お金の価値だけでは測れないものがあると、私たちは考えています。『銀河鉄道の夜』の公演は会場を提供して下さった凱風館館長の内田樹さんも、お金を出してくださいました。そのときに内田樹さんが「東京雑戯團も凱風館も、みんなちょっとずつ損をしている。それが良いんだよ」とおっしゃった言葉が心に残っています。この言葉の通り、お客さんも含めて、公演に関わる全員が金銭的にはプラスになりません。それでも、同じ時間を共有し、言葉では言い表せない特別な経験を分かち合うことができる。私たちは、その経験そのものに大きな価値があると考えています。私たち東京雑戯團は「お賽銭」形式の公演を行うこともあります。料金を決めずに、お賽銭箱を置いておき、そこに自由に入れていただく。いま金銭的に苦しい人でも、ご覧になることのできる公演、それが「お賽銭」形式の公演です。今回のクラウド・ファンディングも、この考えに基づいています。お金を「価値の対価」としてではなく、心からのご支援として受け取りたい。懐に余裕がある方は多めに、そうでない方は少しだけで構いません。今回のクラウドファンディングも、金額の多寡は関係なく、応援してくださるお気持ちそのものが私たちの励みです。もちろん、会計担当としては赤字にしたくないと切実に思っていますが、それ以上に、皆様の温かい応援に本当に感謝しています。最後にご報告と感謝を込めてこの公演も、そんな風に楽しく稽古を重ねてきました。本番をどうぞ楽しみにしていてください。なんだかまとまらない文章になってしまいましたが、皆様への感謝の気持ちと、東京雑戯團の活動に対する思いを少しでもお伝えできていれば幸いです。これからも東京雑戯團をどうぞよろしくお願いいたします。ちなみに、写真の『冥界の秘儀』の次回公演は、『蔦島の大蛇』の2週間後の…10月19日(日)…にあります。会場は東京の日本デザインセンター(銀座)です。ご興味のある方は、こちらをご覧ください。と、ちゃっかり宣伝もしてしましました(笑)。


クラウド・ファンディングも、残り4日になりました。ご支援、まことにありがとうございます。今回は、香川県にある真言宗のお寺「海岸寺」のご住職、上戸暖大師による「道場観」です。昨年は、弘法大師空海の生誕1250年。それに合わせて、上戸暖大師は、1年間で1250座の護摩行をされました。私たちが、ふだん見る護摩は短いもの。上戸師の護摩は1時間以上もかかる五段護摩です。それを1年間に1250座ですから、日に何度もされることもあった。すごい、気力・体力です。そんな上戸師による「道場観」です。以前に「龍と弘法大師」という記事を書いて下さり、その続きになります。前にお話しした「道場観」として「阿字観」をしてみましょう。最初に「仏教の世界観を前提にする」、「道場観は「瞑想」と「ヨガ」のエッセンスをあわせもつ」というお話しをします。それから呼吸を数える瞑想である「数息観」をし…、そして、道場観である「蓮華観」、「月輪観」、そして「阿字観」をします。1.仏教の世界観を前提にするはじめに仏教の描く世界観についてお話をしましょう。仏教では、この世界は虚空(大いなる空間)から始まると考えます。・やがて風がめぐり(風輪)、・その動きが火を生み(火輪)、・火の熱が水を生じ(水輪)、・そして水が地を固めます(地輪=金輪)この世界は神が創ったのではなく、このように自然に生成していった、それが仏教の世界観です。そして、この流れ…虚空→風(風輪)→ 火(火輪)→ 水(水輪)→ 地(地輪=金輪)へと展開。…は、五輪の塔(五大)の上から下へと向かっています。そしてその地の上に須弥山というとても高い山がそびえ、さらに三千大世界へ広がります。これは、物理世界の宇宙であるだけでなく、心の中の「宇宙の縮図」とも考えられています。※ちなみに「地」の金輪から「金輪際」という言葉が生まれました。2.道場観は「瞑想」と「ヨガ」のエッセンスをあわせもつ道場観は「瞑想」と「ヨガ」のエッセンスをあわせ持つものです。「瞑想」というのは、サンスクリット語で「ディヤーナ」、すなわち「心を静めて集中する」ことをいいます。この「ディヤーナ」の音が漢字にうつされて「禅定」になり、そしてさらに「禅」になります。また「ヨガ(ヨーガ)」というのは「つなぐ・結ぶ」という意味です(語根:ユジュ:つなぐ、統一する)このヨガが漢字にうつされて「瑜伽(ゆが)」になります。空海さんは、日本で初めて「ヨガ」という言葉を紹介した人だとも言われていて、密教僧は「瑜伽者(ゆがしゃ)」=心・体・宇宙を結ぶ人と呼ばれます。ですから、これから行っていこうとする道場観は「瞑想によって心を沈めながら、ヨーガ的に宇宙と自己を統合する修法」といえます。つまり…・「内的世界の集中」に重きを置く「瞑想(ディヤーナ)」と、・「内外の結合・宇宙との統一」に重きを置く「ヨーガ」…の両方を同時に行うのが道場観なのです。内的集中(瞑想的側面)+宇宙との統合(ヨーガ的側面)3.数息観(呼吸を数える瞑想)では、これから道場感に入るために呼吸を整えます。その方法として「数息(すそく)観」をしましょう。・姿勢を整える座布団や椅子に安定して腰掛ける。体を左右に揺らして安定する位置を探す。椅子に座る場合は、両足は地面にしっかりとつける。背骨をまっすぐにし、肩の力を抜く。手は軽く膝の上におくか、左手を仰向けてその上に仰向けた右手を重ねて親指通しをくっつけて丸い輪を作りおへそのあたりにそえる。目は軽く閉じるか半眼にして、自然な視線にする。・呼吸を数えるゆっくりと息を吐ききる。このときに「身体の中の不浄な空気が出ていく」と思うといい。すべて吐ききったら空気が自然に入ってくる。そのタイミングで息を吸う。「新鮮な空気が身体の隅々まで届いていく」と思いながら息を吸う。吐いて吸って「ひとーつ」、吐いて吸って「ふたーつ」と心の中で数える十まで数えたら一に戻る。呼吸を数えることで心は静まり、雑念が少しずつ遠ざかっていきます。この落ち着きが、次の観想の準備になるのです。4.道場観をやってみよう高野山をはじめ、真言宗のお寺では「阿字観」という観想を体験することができます。近代になって一般に広く知られるようになった阿字観ですが、この観想も道場観のひとつです。阿字観は、もともとは熟達した修行僧だけが行う秘法で、公開することさえためらわれていました。しかし「みんなが悟ることが何より嬉しいことだ!」と考えた僧侶たちが思い切って一般にも開放してくれました。今回紹介するのは、その阿字観へとつながる道場観の導入です。体感してみましょう。●蓮華観、月輪観、そして阿字観阿字観をする前に蓮の花を観想する「蓮華観」や月を観想する「月輪観」をし、そして「阿字観」を行います。蓮華観蓮華観:自分の心を大きな蓮の花に見立て、清らかに咲かせていく観想。大きな蓮の花をイメージし、それが自分の心であると観想します。そして、その花は清らかに咲くことをイメージします。蓮の花は泥の中にありながら清らかに咲く花です。泥の中にあるからこそ、より清らに咲くともいえます。煩悩にまみれた自分、そして周囲の人たち、その中にこそ仏としての自分の心があります。月輪観月輪観:夜空に浮かぶ満月を心の中に描き、その円満な光で心を照らす観想夜空に浮かぶ満月をイメージします。そして、その円満の光が自分の心を照らしていると観想します。「お天道様(太陽)に恥ずかしくないのか」などと言ったりします。そんな公明正大に生きてなんかいられないときもあります。日の光のもとでは胸を張れないようなときでも、月の下では顔を上げることができます。月の光はどんな人でも一切を等しく照らしてくれる慈悲の光だからです。また、月の円相は「円満・完全性」を意味し、悟りの智慧を象徴します。阿字観阿字観:その月輪の中に梵字の「阿」を観じ、宇宙の根源と一体になる観想。月をイメージしていると、その月の中央に、光り輝く梵字「阿」が現れます。その「阿」字は、やがて自分を包み込み、仏さまの姿へと変化し広がっていきます。「阿」字は大日如来の種子(しゅじ/シンボル)であり、「すべての音の始まり」であり、また「存在の根源」をも表します。また、「阿」は「本不生(本来から生じないもの)」を象徴し、衆生の本性はすでに仏であることを体得させます。観想された「阿」の字は、 やがて自分を包み込み、 仏さまの姿へと変化し広がっていきます。 目の前の世界が仏さまの世界そのものとなり、 そこに坐す仏さまは今まさに生きて、 自分と向かい合っているように感じられるようになっていきます。


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