600年以上続く神事の中にある神話を、その神社で上演してみる。

2025年10月4日(土)、地元のboraお祭りのプレ・イベントとして創作舞台「つたじまのおろち」を上演。香川県三豊市・賀茂神社に伝わる神話が、大人も子どもも楽しめる新しい芸能としてよみがえり、そしてその芸能が次の世代に手渡される。600年続く神事と神話、そして芸能の継承へ、ご支援をお願いします。

現在の支援総額

1,701,500

113%

目標金額は1,500,000円

支援者数

160

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/09/04に募集を開始し、 160人の支援により 1,701,500円の資金を集め、 2025/10/04に募集を終了しました

600年以上続く神事の中にある神話を、その神社で上演してみる。

現在の支援総額

1,701,500

113%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数160

このプロジェクトは、2025/09/04に募集を開始し、 160人の支援により 1,701,500円の資金を集め、 2025/10/04に募集を終了しました

2025年10月4日(土)、地元のboraお祭りのプレ・イベントとして創作舞台「つたじまのおろち」を上演。香川県三豊市・賀茂神社に伝わる神話が、大人も子どもも楽しめる新しい芸能としてよみがえり、そしてその芸能が次の世代に手渡される。600年続く神事と神話、そして芸能の継承へ、ご支援をお願いします。

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これから2回にわたって「あなたの中の龍と出会う」瞑想をお届けします。今日は「女声」編で、臨床心理士の五味佐和子さんです。次回は「男声」編で、精神科医の大島淑夫さんです。【五味佐和子】臨床心理士。 英国カンタベリー・クライストチャーチ大学にて修士取得。また同国にてサイコシンセシス・カウンセリング資格を取得。 インド北部ウッタルカシでヨガ講師の資格取得。 カウンセリングやヨガを行うヘリックスセンター代表。https://helix-centre.com/あなたの中の龍ときに、どうしようもなく何かを壊したくなったり、抑えきれないほどの怒りに身を震わせた経験はないでしょうか。日常の中では、それは「ストレス」とひとことで片づけられたり、医学的な診断名をつけられたりします。けれども、そんな説明では、心の奥に潜むそのエネルギーを捉えることはできません。「字義通りの世界」では、イメージや想像力が削ぎ落とされ、私たちの心を流れる神秘的な力を受け止める器が失われてしまいます。しかし、私たちの中にある「間・主観的世界」と呼ばれるもうひとつの世界の中には、幻想や象徴が満ち、豊かに広がっています。心理学者ジェイムス・ヒルマンは、心の病理の背後に古い神々を見出そうとしました。人間の暴力や犯罪、残酷さといった暗い影は、実は魂(サイキ)のシャドウであり、その奥に古代の神々が潜んでいるのだ、と。思いがけない破壊衝動の裏にも、もしかすると破壊神シヴァやスサノオ、あるいは龍の気配が潜んでいるのかもしれません。龍は自我の声に従うことはなく、むしろ衝動を通じて「ここにいる」と私たちに知らせようとするのです。このような衝動にただ突き動かされてしまったら、私たちの生活も破壊されてしまうかもしれません。では、そのような衝動に振り回されずに、この「内なる龍」と向き合うにはどうしたらいいのでしょうか。それは、あなた自身の想像力に耳を澄ますことです。イメージを大切にし、龍のための新しい心の空間を育むこと。そうすることで、破壊の衝動はただの暴力ではなく、創造へと変わるかもしれません。私たちの中に潜む龍は、恐ろしい存在であると同時に、大きな力の象徴でもあるのです。それでは、私たちの中に潜む龍と出会い、そしてその声に耳を澄ませる瞑想を始めましょう。目を閉じることを勧めていますが、無理をする必要はありません。また、音が出せないところで瞑想をすることもあると思いますので字幕も入れておきました。おりにふれて、繰り返し行ってみてください。 


ヤマタノオロチを巡る旅、第3回目です。安田登(能楽師)が書きます。▼斐伊川とオロチの旧跡のつながり ヤマタノオロチ神話を辿って、奥出雲、雲南を巡ってきましたが、すべて斐伊川(ひいかわ)流域でした。 さらにここから下って行った出雲市周辺にもオロチの旧跡があります。ところが、それらの旧跡は突然、斐伊川を外れるのです。オロチ=斐伊川氾濫説においてはむろんのこと、オロチ=たたら一族説でもオロチの本体は斐伊川です。斐伊川を離れてのオロチ説話というのは考えにくいのです。 と思っていたところ、斐伊川の流れが江戸時代に大きく変わっていたことを知りました。今の斐伊川は宍道湖に注いでいますが、寛永年間の川違えまでは神門水湖(神西湖)を通って海に流れ込んでいました。 となれば、すべてのオロチ旧跡は斐伊川にあることになります。ひと安心です。 とはいえ、出雲市周辺のオロチ旧跡群も、ここはここでひとつの物語を完結させています。 どうもヤマタノオロチ神話は、斐伊川の上流・中流・下流でそれぞれ物語を完結させているようなのです。▼重層する神話と「鬼の舌震」伝説  奥出雲では、同一の平面に時間や系譜を超えたいくつかの神話や神々が掛詞のように重層的に重なっていました。また、オロチの旧跡は土地ごとに独立しています。 これは、物語の原型としてのヤマタノオロチ神話があり、それが川の上流・中流・下流によって、それぞれ違った受け止め方をされながらも、同一の神話として享受されてきたからなのでしょう。 さすが神話世界は、縦(時間)と横(空間)とが複雑に錯綜しています。 などと考えていると、雲南に「鬼の舌震(したぶるい)」という、なんともそそられる名所を見つけました。 寄ってみると、奇岩・奇石とその間を流れる渓流が織り成す自然の絶景です。ここは斐伊川の支流にあり、ヤマタノオロチの神話とは直接の関係はありませんが、『出雲国風土記』にはこの地にまつわる神話が載っています。 恋山(したいやま)の伝説です。 この土地(阿伊の村)に坐します玉日女命を、和爾(わに)が恋い慕い、川を上って来ていました。ところが玉日女命は川を石で塞いでしまったので、和爾(わに)は恋い慕いながらもヒメに会うことができなくなってしまいました。これによって山の名が「恋山」になり、「わにの恋(した)ふる」が「鬼の舌震」になったというのです。 この物語は確かにヤマタノオロチの話とは違いますが、しかし何となく似てもいます。 稲田姫はタマヒメとなり、オロチがワニに変わってはいますが、異類が乙女を求めるという点では共通しています。ともに処女を異類に生贄として差し出す儀礼の神話化のように思われます。▼因幡の白兎と大国主命 ワニということで思い出すのは「因幡の白兎」の話ですが、ここで絵本や童謡でも知られる「因幡の白兎」を紹介しておきましょう。 出雲の神である大国主命(おおくにぬしのみこと)は、兄神たちの荷物をすべて持たされて旅をしています。兄神たちは因幡の八上比売(やがみひめ)と結婚をするために、出雲から因幡まで旅をしていたのですが、一番若い弟にすべての荷物を持たせていたのです。 小学校のとき、みんなのランドセルを持たされるとか、そんなことありますね。 さて、重い荷物を持たされた大国主命は、ひとり遅れて歩いていました。 すると、そこに泣いている白兎がいました。「なぜ、泣いているの?」と大国主命が聞くと白兎は説明します。 私は隠岐の島に住んでいて、因幡の国へ渡ろうと思ったのですが、海を渡る方法がありませんでした。そこでワニをだまして「数を数えるから並んで」と言い、背中を飛び移って海を渡りました。 ところが最後に「だましたんだよ~」と言ってしまい、怒ったワニに皮をはがされてしまったのです。 そこに大国主の兄神たちである八十神(やそがみ)の行列が通りかかり、「海水を浴びて、風に当たって寝ていろ」と教えてくれ、その通りにしたら体中が傷だらけになったのです、というのです。 大国主命は、「それは違うよ。川の真水で洗い、蒲(がま)の穂を敷いて寝ていなさい」と教えたので、その通りにした兎は元気を取り戻しました。 白兎は感謝し、「八十神たちは因幡の八上比売と結婚はできず、あなた(大国主命)が結婚するでしょう」と予言しました。この兎は菟神(うさぎがみ)になりました。▼神話を「演じる」ことで見える供犠儀礼「鬼の舌震」から「ヤマタノオロチ」を連想し、さらに「因幡の白兎」までいくと、もとの話からはどんどん離れてしまう…ような気もします。しかし、実はそうでもありません。 神話に向かうときは、読むだけでなく「する」ことも大切です。物語を立体化してみるのです。神楽や能のような神聖舞踏劇として演じてみます。 すると、この「因幡の白兎(稻羽の素菟)」の物語も、同じく処女供犠儀礼の物語化であることが見えてきます。 皮を剥がれたと思っていた白兎ですが、『古事記』には「悉(ことごと)に傷つけ」られ、「裸(あかはだ)」だったと書かれます。たしかに子どもの頃に歌った『大黒様』の歌詞も以下のように「あかはだか」になっています。大きな袋を かたにかけ大黒さまが 来かかるとここに いなばの 白うさぎ皮をむかれて あかはだか しかも、『古事記』によれば、兎がワニに剥がれたのは皮ではなく「衣服(きもの)」です。兎は衣を剥がされ、しかも傷つけられていました。それが大国主の教えた、水門(みなと)の水による沐浴と薬草、蒲を使う秘法によって再生し、しかも未来を的確に予知するという「菟神」へと変容します。 供犠の儀礼において生贄の乙女たちが清らかな衣を着ることや、沐浴をすることなどは、ホメーロスの『オデュッセイア』などにも描かれます。 この物語は、この後に続く大国主の全身の火傷と、キサ(刮+虫)貝ヒメと蛤貝ヒメによって授けられる貝殻と貝汁による母乳の秘法による再生、そして真の英雄神への変容の物語と呼応することによっても明らかなように、「死と復活」、そして「超越者への変容の儀礼」であり、またイエスの十字架の死にも似る供犠の儀礼なのです。▼異類に捧げられる乙女と殺害欲求の神話化 処女を生け贄として異類に捧げる物語は、神話の典型的なモチーフです。 人が人を殺害して、生け贄として異類に捧げるという暴力的な行為は、農耕社会から生まれたようです。狩猟社会の儀礼において人の生け贄はあまり用いられません。人牲はむしろ農耕社会の儀礼としての方がより用いられるのです。 人が人を組織的に殺害することも、農耕社会の誕生とともに起こり、灌漑農業の発明以降、それがより加速したことが近年の発掘調査などから指摘されています。それはむろん、土地を守るための戦いということが第一の目的でしょう。しかし、それだけではないのではないでしょうか。 どうも私たちの中には、狩りをする霊長類としての殺害への欲求のようなものがあるのではないかと思います。 猛獣を殺害する(ほぼ)唯一の霊長類であり、同族を組織的に殺害する唯一の動物でもある我々人類の中には、殺戮者としての血が、深い「思ひ」として奥深くに根強く残ったのでしょう。 その欲求は、農耕という殺害を必要としない社会の形成とともに抑圧されました。 しかし、人類の深奥に残る殺戮への「思ひ」は、農耕社会になっても海月(くらげ)のように漂っています。その海月のような「思ひ」、混沌たる情動を、私たちは異類に転嫁しました。 土地によってそれはオロチとなり、あるいはワニとなります。 ところでワニとは何でしょうか。 いまはサメだという説が強いようです。 が、ちなみに『古事記』でワニになる豊玉姫は、『日本書紀』では「龍に化す」とあります。ワニの「ワ」とは「浦回(うらわ)」「川曲(かわわ)」のように曲がりくねったものを表します。 ならばワニも曲がりくねった生物、すなわち龍蛇だったのはないでしょうか。 そして、それは神迎えの先導をする龍蛇様であり、それに続く神々も、我々の抑圧している殺害、暴力への思ひの発現なのではないでしょうか。▼国譲りと龍蛇の行列 出雲は、アマテラス一族の神々が、国譲りという名のもとに無理やりに奪った土地です。 その土地を、龍蛇を先導に新たな支配者となった神々が練り歩きます。そして、沿道の人々は家の中にこもって息を潜めて通過を待ちます。それが『聖書』の過越しに似ているのも宜なるかな、などとヤマタノオロチの旧跡を巡りながら考えました。 なお、スサノオがなぜ川上に降り、さらに川上に向かわざるを得なかったのか。そのことについては紙幅が尽きましたので、またいつか考察いたします。 長い間、ありがとうございました~。※今回のイラスト、タッチがみなあまりに違っていてすみません(笑)。


『蔦島(つたじま)の大蛇(おろち)』の出演者のひとり、いとうせいこうさんの応援メッセージとラップです。いとうせいこうさんは、出雲の神楽のコラボでもラップをしてくれました。今回は謡(能の歌唱)とラップでの出演です。蔦島(つたじま)に住んでいた大蛇。そのために近づく人もなく、蔦島は荒れ果てていました。そこに流れ着いた祠(ほこら)は、都の賀茂神社の神様、別雷(わけいかずち)神のご分霊でした。人々が神様に祈っていると、別雷(わけいかずち)神が来臨し、龍と戦います。最初の龍との戦いは能の謡で行います。が、神に斬られてもまだ6体の龍に分かれて神に向かっていく。その戦いを、いとうせいこうさんと地謡(じうたい:コーラス)のラップで歌います。このラップに合わせて、龍たちが踊り、神たちが戦います。観客の皆様にもラップの歌詞をお渡ししますので、一緒に歌いたい方はどうぞ~!ただ、歌詞を見ていると戦いが見られないのですよね~(笑)。動画のラップはいとうせいこうさん。音楽はヲノサトルさん。龍の絵は山下昇平さん。謡は安田登です。


今日も安田登(能楽師)が書いています。前回、これは2回に分けてお届けしますと書きましたが、どんどん書いて長くなってしまったので、やはり3回にさせてください。今日は2回目です。▼奥出雲から始まるヤマタノオロチ神話 神迎え祭りの違和感から、出雲大社からさらに奥に向かい、ヤマタノオロチ神話の舞台を歩いてみることにしました。 ヤマタノオロチ神話は、奥出雲から始まります。列車ならば木次線の出雲横田駅。松本清張の『砂の器』の舞台となった亀嵩(かめだけ)の次の駅です。そこからヤマタノオロチ神話のスタート地点である船通山(せんつうざん)への登山口まではバスを使います。 船通山は、かつて鳥髪山(とりかみやま)と呼ばれていました。 天照大神が天岩戸に閉じこもる原因を作ったスサノオは、多くの贖罪の品々を神々に出したあと、鬚(ひげ)と手足の爪を切られて高天原を追われ、ここ出雲国の肥(斐伊川:ひいかわ)の河上である鳥髮山に降り立ちました。 神話の話です。「船通山のどこに降りたのだろうか」などと場所を特定するのは野暮でしょう。それでも「肥(斐伊川)の河上」とあるので、斐伊川の源流である鳥上滝あたりかもしれない、なんて思って歩いて見ます。 スサノオは、ここで箸(はし)が川を流れ下るのを見つけ、その河上に人がいると思います。そして川を遡(さかのぼ)り、そこで二人の老人、手ナヅチと足ナヅチと出会います。ふたりには櫛名田(くしなだ)姫という娘がいて、彼女を間に挟んだ老夫婦。ふたりは泣いています。 そこで、ヤマタノオロチの話になるのですが、ここで『古事記』からヤマタノオロチの話を紹介しておきましょう。▼ヤマタノオロチの姿 スサノオが「お前たちはなぜ泣いているのか」と尋ねると、老人が答えます。「私たちには、8人の娘がいましたが、毎年、高志(こし)の八俣(やまた)の大蛇(おろち)がやって来て、娘たちを食べてしまったのです。この子は最後の子。そして今がその大蛇がやって来る時期なのです」と答えます。「どんな形をしているのだ」とスサノオが問えば、おじいさんが答えます。。「目は赤い赤カガチ(鬼灯:ほうずき)のようで、 一つの胴体に八つの頭と八つの尾があります。 その体には日影蔓(ひかげかずら)と檜(ひのき)・杉が生えていて その長さは谷を八つ、峯を八つ渡るほど、 その腹は血に爛(ただ)れて真っ赤です」 そこから先はご存知のようにオロチに酒を飲ませて、酔って眠ってしまったところを剣で斬ってしまうのですが、しかし、このオロチの話、よく読むと変なところがいくつもあります。▼ちょっと変なところ いくつか気になるところを書いてみると、まず、ヤマタノオロチが、毎年、この時期にやってくるということ。 几帳面すぎる!少なくとも荒々しい性格の奴だったら、こんな几帳面なはずがない。来たいときに来る、行きたいときに行く!それがヤンキーでしょ。それを毎年同じ時期なんて変です。 それに娘が八人でしょ。で、オロチは首が八つある。ということは口だった八つあるはず。 なら、一挙に八人食べればいいものを、と思う。「今年は俺が食うから、兄貴は来年ね~」なんてやっていたら、いつか「冗談じゃねぇよ。八年も待てるか!」と怒る首だってありそう。 そして、その大きさもすごい。谷を八つ、峯を八つ、しかも背中には樹木が生えている。そんなデカいオロチを退治するんだったら、いくらスサノオが神の子だからって、ふつうの人間の大きさということはあり得ない。 おそらくスサノオはウルトラマンほどの大きさがあったに違いないのです。ウルトラマンと巨大怪獣蛇との戦いがヤマタノオロチの戦いです。 しかも、酔っ払わせてのだまし討ち。これはウルトラマンならしない。そんな卑怯なウルトラマンは少年少女のヒーローにはなれません。 それを、こんな英雄譚のように語るのも変だよね~なんて思うのです。▼河上の川上 …とツッコミどころ満載のヤマタノオロチ神話ですが、その前にも変なことがあった。これは実際にその地に行くと気づくのですが、スサノオがここに来たときのことが、やはり変なのです。 細かいことを言って申し訳ないのですが、スサノオが降り立ったのは肥の「河上」、鳥上滝あたりでした。ところが、箸が流れてきたのが、そのさらに川上からだったと『古事記』に書いてあります。 スサノオが降り立ったのも河上なら、そのさらに川上ってどこやねん、となるでしょ。だいたいここより川上はない。いったいスサノオはどこに向かったのか、などと考えながら近所に神社はないかと探して歩き回ります。 すると、出雲横田駅から三十分ほどの所に、稲田姫(櫛名田姫)の生誕の地といわれる稲田(いなだ)神社がありました。稲田姫の産湯(うぶゆ)の跡までもがあるのですから、老人夫婦と姫はここに住んでいたのでしょうか。 ですが、ここは川下です。「これでいいのか!」なんて思う。 そもそも川上から川上に向かうという『古事記』の記述自体が変です。いや『古事記」だけでなく、『日本書紀』にも同じように書いてある。 でも、多くの山々に囲まれたこの辺りを散策していると、なんだか方向感覚や上下感覚までもが狂ってしまい、夢の中にいるようなぼんやりした気持ちになり、「細かいことは、まあいいか」なんて思ってしまうのです。 稲田神社の由緒書きを読んでみると、神社の創建は江戸時代だそうです。「なんだ、新しい神社じゃん」なんて思わない方がいい。 神社ができたのが江戸時代だからといって、この地が新しいというわけではない。本居宣長(もとおり・のりなが)によって『古事記』が読み直され、さらに昔からの言い伝えなどによって、ここが櫛名田姫の生誕の地とされて神社が創建されたのではないか、なんて思ってみる。▼神話的重層世界 稲田神社から駅に戻ると、反対側にはスサノオの子である五十猛(いそたける)命を祀った伊賀多気(いがたけ)神社もあります。 『日本書紀』によれば、天を追放されたスサノオは、その子・五十猛とともに新羅(しらぎ)に渡りましたが、そこに住むことをよしとせず、埴土(はにつち)で船を作り斐伊川の川上である鳥上の峯に至ったといいます。 新羅から一挙に山上に登る埴土の船というのは、おそらく空中を飛行する空飛ぶ船。すごい! 古代の日本人のなんという想像力。 いや、ひょっとした本当にあったのか。 今年(2025年)は万博があり、空飛ぶ自動車が飛ぶなんて話がありましたが、古代には空飛ぶ船があったのか…なんてことを考えながら… その神社の由緒を読むと、この横田が仁多郡であることに気づいた。       そこで「おお!」となるのです。 仁多郡は、『出雲国風土記』の中でもひときわ異彩を放つ神、阿遅須伎高日子(あぢすきたかひこ)命ゆかりの地です。 阿遅須伎高日子命は、大国主(大神大穴持命)の子ですが、髭が八握(やつか)になるまで言葉を発することができなかったという神です。八握というのはこぶし8つ分、髭がお腹のあたりに来るまでなので、成人になるまで言葉を発することができなかった。 成人になるまで喋れなかったといって思い出すのは、古代中国の殷(いん)の武丁(ぶてい)です。漢字を作ったといわれる王です。武丁は言葉を発することができなかったので、文字を作ったという伝説もあります(ただし、これはひとつの読み方で、違う読み方もあります)。 言葉の遅い人は異能を有します。しかも阿遅須伎高日子命が言葉を発することができなかった理由が、昼夜、哭き明かしていたからだというのです。 これはオロチを退治したスサノオを思い出します。 スサノオも「妣(はは)の国に行きた~い!」と、やはり髭が八握になるまで昼夜、哭き明かして、そのゆえに高天原を追放になります。 スサノオは、阿遅須伎高日子(あぢすきたかひこ)の父である大国主の遠い祖先(『日本書紀』によれば父)です。 出雲の地の主・大国主を挟んで遠い祖先・子孫関係にあるこの二柱の神が瓜二つであるというのは面白いことです。 この地は同じ空間に『古事記』、『日本書紀』、『出雲国風土記』という三つの神話世界が透明なレイヤーのように重なっていて、時間を超えた神々が同一体として存在しています。 まことに錯綜していて、しかもその仲介には出雲の大神である大国主がいます。 これは現代語のリニアな語法では記述も理解もできませんが、古語でよく使う掛詞だと思えばすっきりします。「大国主」を糊代にした縦軸の掛詞のように二柱の神が立っているのです。古代日本語特有の詩的な神話文法がこの地に息づいています。▼たたら製鉄とオロチ そんな詩的文法の中に身を浸しつつ、さらなる夢のごとき世界にさまよいながら奥出雲を徘徊していると、やたら目につくのが「たたら」の文字です。 ここ奥出雲は、たたら製鉄やたたら吹きの里であり、宮崎駿の『もののけ姫』のたたらの場面も、ここをモデルとしているともいわれます。 ヤマタノオロチが何だったかについてはいろいろ言われていますが、製鉄集団のことだったという説があります。 スサノオがオロチの尾を切ったときに、その剣が欠けました。不思議に思って尾を割くと、都牟羽の(=すごい)剣が出てきました。これが草薙(くさなぎ)の剣であり、スサノオはその剣を天照大神に献上しました。スサノオの持っていた十拳剣が欠けたのは、草薙の剣が鋼鉄製の剣であったことを示すというのです。 また、オロチの目が鬼灯のように赤く、その腹も赤く血に爛れていたという『古事記』の記述も、製鉄の火の赤さや、鉱毒によって川が濁ったさまなどを表すともいわれます。 スサノオが箸を見つけたことだって、川の中にキラリと光る砂鉄を見つけたのだと考えられなくもありません。 ここ出雲には、大和からすれば考えられなかったほどの最先端の製鉄技術をもつ職能集団がいて、彼らがヤマタノオロチ一族であり、鉱毒の被害がオロチ伝説になったというわけです。▼洪水神話としてのオロチ ヤマタノオロチに関しては、もうひとつの説があります。 それは、船通山系を始点とする斐伊川などの川の氾濫をオロチに見立てたという説です。ヤマタノオロチの八つの頭は、斐伊川の支流だというのです。 日本に限らず、古代の農耕社会では川の氾濫と治水は最大の関心事のひとつでした。古代中国でも黄河の治水によって王となった「禹(う)」をはじめ、洪水神話はたくさんあります。 スサノオは、禹王と同じく斐伊川の氾濫を治めた治水の英雄だという説です。 ここ奥出雲地方は、まだ川の上流なので氾濫も少なかったのでしょう。その説の根拠を探るために、斐伊川を下りながら、ヤマタノオロチの旧跡を探してみます。 すると、あるはあるは、たくさんあります。 現代は雲南市と呼ばれるあたりの斐伊川の中流域には、ヤマタノオロチの旧跡が多く残ります。 上流の奥出雲にもあった稲田姫や老夫婦が住んでいたという所がここにもありますし、オロチに飲ませた八つの酒壷のひとつが残る神社もあります。オロチ退治の成功を祈願してスサノオが舞った聖地に建立された神社や、退治の後に報恩の舞を舞ったという神社まであります。オロチの八つの頭を埋めて、その上に八本の杉を植えたという八本杉は、巨大な神籬(ひもろぎ)のようでもあり、神聖儀礼を行う聖堂のようでもあります。 ここはここで、ひとつのヤマタノオロチ神話が完成されています。 ちなみに、ここ雲南の深野神楽保存会の方たちやいとうせいこうさんたちと、島根県民会館で『芸能開闢古事記』という作品を上演しました。       ▼洪水とオロチ この辺りを巡っているときに、急に雨が降り出しました。 ゲリラ豪雨です。 道端にあった屋根のある見晴台に避難しました。 突然、暗くなった山道に、バラバラと屋根を打つ雨音。眼下には斐伊川が流れています。それまでは青くゆるやかだった斐伊川が、轟音を立てる茶色の濁流と化しました。まさに氾濫しそうです。 千年以上にもわたる治水の歴史を経てもこうなのです。古代の人々が斐伊川の氾濫をオロチの暴虐と見たのもうなずけます。       《続く》


安田登(能楽師)が書きます。1カ月のクラウド・ファンディング、昨日でちょうど半分が終わり、今日から後半の15日が始まります。朝の時点で70名の方にご支援いただき、目標額1,500,000円のうち、なんと1,093,000(72%)ものご支援をいただきました。本当にありがとうございます!心からお礼申し上げます。さて。この活動報告、あまり活動報告っぽくないのですが、今は「龍」について書いています。今回は安田がヤマタノオロチ神話のある出雲を旅をしたときのことを書こうと思います。長いので、今日と明日に分けて載せます。今日は前半、オロチの旅に出る前の話です。▼歩く神々と日本神話の等身大性日本の神話の嬉しいところは、神話の土地を自分の足で歩けることです。ギリシャ神話などではこれは難しい。話が大きすぎるし、広すぎる。車や船を使った移動ならばまだ何とかなりますが、歩いて回るのは無理です。それに対して日本の神話は、その舞台を歩いて回ることができるのです。等身大の神話が日本神話なのです。おそらくこれは神々の性質の違いなのでしょう。日本の神々はよく歩きます。スサノオしかり、大国主しかり。歩くという行為自体が神の業(わざ)なのです。神話の時代が終わり、神々が身体を手放して歩けなくなると、今度は人に憑依して歩くようになります。歩行は「神の業」から、神霊が憑いての「みことの業」へと変わります。スサノオ命などというときの「命(みこと)」という語は、おそらくは「御言(みこと)」であり「御事(みこと)」ではないかと思っています。「みこと」とはすなわち、身体を持たない神の「代弁者」であり、また「代行者」であることを意味します。ちょっと話はずれますが、イザナギが黄泉の国から戻ってきたときに禊(みそぎ)で生んだ最後の三神…天照大神月読命スサノオ命…「神」は天照大神、つまりアマテラスだけで、あとのふたりは「命(みこと)」なのです。すなわち女性は身体を持たない「神」であり、男ふたりが女性神に仕えて働く、それが日本神話の基本構造です。シュメール神話も似ています…と書いていくときりがなくなるので、それはまたということにして…さて、身体を持たない天照大神は、自分の鎮座すべき地を求めるにあたり、「みこと」である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に憑依して「ここじゃない」、「ここも違う」歩き回り、ついに奈良の笠縫邑(かさぬいむら)の地を見つけて、そこに鎮座しました(『日本書紀』崇神六年)。しかし、それから九十年ほど経って、「やっぱりここじゃない気がする」と今度は倭姫命(やまとひめのみこと)に憑依し直して、新たに鎮座すべき地を求めて歩きます。アマテラスが憑いた倭姫命は、まず莵田(うだ)の筱幡(ささはた:奈良県宇陀市)まで歩き、そこから近江の国(滋賀県)に行き、さらに美濃の国(岐阜県)に回り、やがて伊勢の国(三重県)に至って、そこを鎮座すべき土地に決めました(同、垂仁二五年)。いまの伊勢神宮のある所です。奈良→滋賀→岐阜→三重と、地図で見れば遠回りも遠回りですが、あちらこちらと遊行漂泊をするのが、神が憑いての歩き方なのでしょう。近世になって松尾芭蕉は、『おくのほそ道』への誘いを「そぞろ神のものに憑きて心を狂わせ」と書きましたが、これは決して誇張でも、また旅に出たいがための言い訳でもありません。倭姫命にアマテラスが憑いたように、芭蕉翁にも「そぞろ神」が憑き、漂泊へと駆り立てたに違いありません。私たちもときどき無性に旅に出たくなることがあります。そういうときは、神霊に憑依されているわけですから無理をしてはいけません。さっさと旅に出るに限ります。▼出雲「神迎の道」と龍蛇様の謎…てなわけで、私も旅に出ることにして、出雲に向かいます。出雲には神々が歩くという道があります。稲佐(いなさ)の浜から出雲大社までのおよそ2キロの道です。この道を「神迎(かみむかえ)の道」と呼び、旧暦の十月十日、神々はこの道を遊行します。その道を神々とともに歩いてみよう!と思い立ちました。旧暦の十月十日の夜、神々が上陸するという稲佐の浜では「神迎祭」が執り行われます。稲佐の浜には、聖石・弁天島が屹立しています。岩の中腹には鳥居があり、真新しい注連縄にシデが結ばれています。そう簡単に登れる岩ではありません。決しておざなりではない神官たちの信仰心を感じます。この島は、以前は海岸からは遥か離れた沖にあり、「沖御前(おきごぜん)」と呼ばれていたそうです。海中から頭を覗かせた弁天島は、かつて高天原と地上とを結ぶ中継基地として信仰を集めていたのでしょう。稲佐の浜は、『出雲国風土記』では国引き神話、『古事記』では国譲り神話の舞台でもあります。ここに立つだけで、自分が神となって神話の舞台に立っている気持ちになります。ここ出雲だけは旧暦の十月を神在(かみあり)月といいます。日本中の神々が出雲大社に集まり、これから一年のご縁を相談するという、なんともありがたいミーティングが開かれます。そのため出雲大社は縁結びのお社として有名であり、出雲空港は「出雲縁結び空港」と名づけられています。そのありがたい神々をお迎えする神事が「神迎祭」なのですが、不思議なことに「神迎祭」は荒天が多いのです。▼龍蛇が先導する行列の不思議さ私が参加した年も荒天でした。昼は天気もまずまずでしたが、夜、神迎祭の時間が近づくにつれて雲行きが怪しくなってきました。稲佐の浜の入り口で御幣(ごへい)を頂戴して海岸に進みます。浜の斎場には注連縄が張り巡らされています。中央には篝火が焚かれますが、その火の光は闇をいよいよ濃くするだけで、照明としての役割は果たしていません。暗闇の中、太鼓の音、祝詞の声、神職たちの歩む音と、音だけが聞こえます。「闇」という漢字は、「門」と「音」から成ります。暗闇の中を訪れる(音ずれる)神霊の音をいうともいわれます。神々は、稲佐の浜でも「音」とともに訪れるのでしょうか。やがて雨が降り出しました。風も強くなってきた。暗闇に頬を叩く雨と、聖なる音響。意識が遠のく。気がつくと、神々が宿った神籬(ひもろぎ)が白い布で覆われていて、いつの間にか神々の上陸が終わっていたことに気づきます。先導役である「龍蛇様」も白く覆われ、ここから出雲大社へと神々の遊行が始まります。低く響く、神職の「おー」という警蹕(けいひつ)が休みなく続きます。ここでも「音」です。しかし、列の後ろに続く人々は一言も発してはなりません。「無音の音」を発する人々は、黙々と神々の歩みのままに歩むのみです。神迎の道の沿道に住む人たちは、低く頭を下げ、神々の遊行を迎えます。よく見知った人もいます。普段は冗談ばかり言っている人が、敬虔(けいけん)な顔つきで頭を下げています。その姿を見たとき、「あれ?」と思いました。何かが変なのです。「出雲縁結び空港」とか「縁結びの神様」という明るい、あっけらかんとしたイメージの出雲大社と、この神迎の行列はあまりにも違います。いや、そもそも龍蛇様が先導するというのだって不思議ではありませんか。日本神話で龍といえばヤマタノオロチでしょう。そして出雲大社に祭られる大国主神とは、そのヤマタノオロチを退治したスサノオの子孫です。その龍が八百万の神々を先導して大国主の神殿に向かっているのはなぜなのか。やはり変です。▼過越の夜そう思った途端、この行列がとてつもなく不思議なものに思えて、神々の道を歩くことができなくなり、私は行列をそっと外れました。沿道に住む人に話をうかがうと、少し前までは神様を見ることなどとんでもないことだったそうです。人々は家の中にこもり、神々の通過をただただ待っていたとのことでした。それではまるで、エジプトを暗闇で覆い「すべての初子を皆殺しにする」と宣言した神の通過を、家の中で息を潜めて待つ『聖書』の《過越(すぎこし)》のようではありませんか。縁結びの神のイメージとは全然違います。この道を歩む神々とは一体何者なのか、そして先導の龍蛇とは何なのか。それを知るには、やはりヤマタノオロチの旧跡を歩いてみなければならないだろうと考えました。というわけで、出雲大社から奥へと向かい、ヤマタノオロチ神話の舞台に赴くことにしました。《続く》


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