東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

現在の支援総額

984,000

140%

目標金額は700,000円

支援者数

120

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/03/13に募集を開始し、 120人の支援により 984,000円の資金を集め、 2026/04/30に募集を終了しました

東北でプロレスリングアライヴ&メジャーズの大会を入場無料で開催したい!

現在の支援総額

984,000

140%達成

終了

目標金額700,000

支援者数120

このプロジェクトは、2026/03/13に募集を開始し、 120人の支援により 984,000円の資金を集め、 2026/04/30に募集を終了しました

2009年に岩手県花巻市で旗揚げしたプロレスリングアライヴ&メジャーズが、17周年の節目に入場無料大会を開催します。舞台は藤原秀旺のデビューの地。子どもがリングに立ち、大人が熱狂する一日を届けたい。インディーズから地域を盛り上げ、東北に再び熱を灯す挑戦です。あなたの支援が、花巻のリングを動かします。

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 アライヴの旗揚げと同時に入団する事は結果的にできませんでした。神奈川県川崎市で生活していましたし仕事もすぐに辞めれるようなポジションではなかったので、辞める際にも後任者への引き継ぎ等があり、結局旗揚げ戦の岩手県大迫大会には参加できませんでした。藤原秀旺からすぐに旗揚げシリーズの大迫大会、翌日の紫波町大会の映像を送ってもらいましたが、どちらも集客も良く試合も盛り上がっていたので、現地では見れませんでしたが、直感的にこれはいける!という気持ちが芽生えました。インディー団体というのは昔からそうですが、どんどん細分化され、あの人とあと人が仲悪くて、とか大した試合もできないのにキャリアばかりを重ねてデカイ顔する輩も少なからずいます。こちらとしても気を使うのもめんどくさいし、そうゆうのが嫌でもう辞めようかな、と思うことも未だにありますが、結果的に不要なものを削ぎ落とし少数精鋭ではありますがアライヴのメンバーは信頼関係の強い とても理想的なメンバーと言えます。他団体から参戦していただく選手たちも会場や控え室の雰囲気が良くて理想的ですね、とよく言っていただき本当にありがたいです。結果的に旗揚げメンバーに加え、他団体で活躍していた松崎さんや服部さん、磐城さんが こんな小さい団体にも関わらず入団していただけた、ということに繋がっていると思います。話しが少しずれてしまいましたが、旗揚げ戦の映像を見たのち、末吉さんの地元 栃木県足利大会を神奈川から見に行ったあと遂に神奈川から岩手へと引っ越しました。入団して、なにをやりたいですか?と聞かれました。当日券売り場のもぎり、レフェリー、撮影、リングアナこの中からどれでもいいよ、と言われましたが、私の中では選択肢は一つでした。リングアナウンサー、これ一択でした。昔からいろんなリングアナのモノマネをするのが好きで、尊敬しているリングアナの方、未だに参考にしているリングアナの方がたくさんいます。ちなみに大好きなリングアナはは全日本女子プロレスの今井リングアナと、FMWの荒井社長です。モノマネのレパートリーは、今井さん、荒井社長、全女の氏家さん、JWPの山本代表、みちのくの篠塚アナ、アルシオンの中島アナなど他にもたくさんいます。尊敬するリングアナのテイストを少しずつ織り混ぜながら私は試合のアナウンスと試合前のMCをやらせていただいています。念願のデビュー戦は群馬県邑楽町にある邑楽道場での道場マッチとなりました。岩手県からめちゃくちゃ遠い道中でしたが藤原秀旺との群馬県までの旅は本当に楽しい旅でした。最近は仲間割れしてしまい、一緒に会場へ行くということは無くなってしまいましたが、本当に楽しかったなあ。邑楽道場に置いてあった昔のイーグルプロレスのDVDがあって、島田宏選手が某選手をボコボコにしている戦慄の映像を二人で夜中に見て爆笑したり、本当に楽しかったですね。選手たちといろんなところをサーキットしながらリングアナとして楽しい日々を過ごしていたある日、東北の人間にとって忘れることのできないことが起きてしまいます。2011.3.11つづく


 おばんでございます。唯一神藤原秀旺です。 東北 でプロレスリング アライヴアンドメジャーズの大会を入場無料で開催したい!プロジェクトに向けて現在、53名の方に応援、ご支援いただきました。78%達成、55万円突破!支援者の皆様方、そしてこちらのプロジェクトサイトをご覧いただいている皆様方誠にありがとうございます。 ボクといえば、夢に向かっての決断として2006年3月北都プロレスを退団。2008年末頃までの3年間は暗黒時代でした。 何せプロレスラーとして半分くらい自分を否定しながら試合をしていたような気がします。 しかしこの場では語るに値しないマイナスな事柄なので…。 皆さんの人生の中でそんな場面があるかと思います。そんなふうに察していただければ幸いです。 このプロジェクトは今回からずっと未来に向かって続いていく為にはね。前向きなお話をしましょう。といいつつ昔話ばっかり。  2008年末と記憶しています。末吉利啓が前所属団体を退団するという報告の電話があり「何か、もっとちゃんと新しい団体をやりませんか?」とそれ以降、木村太輔も含め、一緒にやるにしろやらないにしろ一度話し合いをしようということになりました。たしかあれは上野にある貸会議室でした。当時WWS所属の鎌田大輔さん(引退)も合流し4人で一日中話し合いを行った。  団体名、足利プロレスや花巻プロレスその他にも様々な団体名が案として出ましたが、特定の地域だけではなく地域密着ながら様々な場所で開催していくことから地方名称は却下となり、ボクが当時、小柳ゆきさんの「BE ALIVE」(名曲なので一度聴いてみて)を入場テーマ曲にしていたこともありアライヴっていいんじゃないか?となりました。 最初は「レッスルアライヴ」だったんですが、伝わりづらいとなり「プロレスリングアライヴ」異議なし、正式に決定いたしました。ロゴマークの火山噴火も東北から関東が山脈で繋がり、噴火はそのエネルギーが爆発するというようなイメージでした。かなりダイジェスト版でお送りしていますが…まだまだ先は長いのでこのあたりでごっちゃんしさせていただきます。つづく 


 支援者の皆様こんにちは!渚です。前回からまた支援額も増えておりました。本当にありがとうございます!引き続きご支援宜しくお願い申し上げます!こちらのページも面白いものを書いていきますので、どうぞお楽しみに!さて、前回の続きです。デビュー直前の藤原秀旺と初めて会ったのは一関市か花巻市どちらかのガストでした。事前情報がクレイン中條さんから全く知らされておらず、「大迫町出身の今度プロレスデビューする青年」としか中條さんからは伝えられていなかったので、どんな人なんだろう?大迫町?大迫といえば大迫町カントリープラザに毎年プロレス見に行ってるなあ~遠いよ大迫!それくらいの事しか頭に浮かびませんでした。かなり緊張したのを覚えていますが、出会って10分もしないうちに私の緊張は完全になくなり、なんならもう意気投合するくらいの感覚でした。というのも、これまでお互い見てきたものが全く一緒、プロレスに対する思考がほぼ一緒だった、ということです。プロレスと一言で言っても上から下までピンキリです。プロレスをあまり知らない人たちの為に説明しますと、深夜放送などで地上波で放送されているプロレスがいわゆるメジャー団体と言われるプロレスです。それ以外のものに関しては一般的にインディー団体と言われています。「メジャー」の対義語はふつう「マイナー」ですが、プロレス業界では、メジャーとインディーというように分けられます。更に細分化されれば、メジャー、インディー、どインディーとも言われますが 笑私と藤原秀旺はいわゆるインディーと位置付けされるプロレスが大好きな人間でした。プロレスに興味を持った人がいきなりインディーから見始める、好きになる、という事はなかなか無いと思います。まずは教科書のようなメジャー団体から見始めて、他にも興味を持ちはじめて巡り巡ってインディーを追っかけるようになる。インディー団体を好きになるポイントは人それぞれ理由が異なると思います。非日常的なものが好きな人、胡散臭いものに惹かれる人、選手との距離がメジャーに比べて近いところ、会場でセルフ実況しながらニヤニヤしながら見る人、など多種多様ですが、私の場合なぜメジャー団体には見向きもせずインディーマニアになったのか。これには生まれ育った場所が「岩手県」というのが大きく関わってきます。今は無くなりましたが一関文化センター体育館という会場が私の家から最寄りのプロレス会場でした。1年か2年に一回、二回程度プロレスが開催されました。9才からプロレスファンだった私は普段テレビや週刊誌でしか見れないプロレスが来るということで、団体問わず一関や近くの街にきたプロレスは全部見に行っていました。そこである違和感に気付きます。気付くというよりか、そう感じとってしまった少年の自分がいたのです。これは、あくまで子供の頃の私の感覚なので熱狂的なメジャー団体のファンの方は怒らないでくださいね 笑テレビ中継で見ている団体が来る!これは絶対行かなきゃ!そして会場へ行き対戦カード入りのパンフレットを買う。すると、あれ?見たことも聞いたこともない知らない選手がメインに名を連ねている。そして当然のようにその人が負けて終了。普段テレビに出ているスター選手は2分も出てないじゃん。なんだこれ?と。ピュアな小学生です。テレビに映っている後楽園ホールや都内の大きい会場の試合と同じものを見れると思い会場へ足を運んでいるのです。なるほど、田舎だと後楽園ホールの一番高いチケットより値段高いクセに箸休めみたいなカードで試合するんだな。本当の試合を見たいなら後楽園に来いってか、と感じたのです。何回も言いますが、これは小学生当時の私ですからね!笑で、逆にインディーを見に行くと、えっ!?後楽園と同じカードじゃん!凄い!インディーは地方でも手を抜かないぞ!とピュアな渚少年は感じてしまったのです。大人になり、よくよく考えてみれば そもそもメインに出れる器量の選手が限られているわけで そりゃあ首都圏と遜色無いカードになりますわな、と気付いてしまうという 笑嫌な大人になってしまったもんです。といった感じで小学生の頃から週刊プロレスを後ろのページから読む(インディーはほとんど後ろのページだから)危険な子供へと成長し、いまだにインディーばかりを追いかける危ない思想を抱いたまま40すぎてしまいました 笑話しが脱線しすぎたので戻します。北都プロレス時代の藤原秀旺との関係はあくまで選手とファン。試合の告知を手伝ったり、会場でグッズをたくさん買って少しでも利益になってくれれば、と そういった関係が何年か続いたある日なにげない いつもの藤原秀旺からの電話だと思い出てみると「花巻で新団体を旗揚げする。参加してくれないか。」実はこの当時、私は神奈川県川崎市で生活していました。田舎の若者なら一度は抱く夢、都会へ出たい。現金だけ持ち、なんとかなるだろう、そう思い知人を頼りに川崎へ引っ越してから約3年は経過したでしょうか。突然の花巻での旗揚げ宣言。旗揚げ後は東北をサーキットする、と。しかし自分は今 神奈川県にいる。神奈川県から毎回東北の試合に参加するのは正直厳しい。でも藤原秀旺には協力したい。気持ちは大きく揺れていました。つづく


 プロレスリングアライヴ東北エリア統括兼リングアナウンサーの渚大士(なぎさ・だいし)です。 この度は花巻大会開催への皆様の支援本当にありがとうございます。そして、興味を持ってこのページを開いてくれた皆様もありがとうございます。引き続き大会開催までの期間中の皆様のご支援をどうぞ宜しくお願い申し上げます。 さて、今回約10年ぶりの東北エリアでの開催となります花巻大会。アライヴとしては初の試みとなるクラウドファンディングでの開催ということで、初めてプロレスリングアライヴに触れる方もたくさんいらっしゃると思います。ここでは私自身の歴史とプロレスリングアライヴの歴史を振り返っていきたいと思います。 私は岩手県一関市花泉町生まれで、9才の頃からプロレス小僧でした。親が買ってきてくれる週刊プロレス、週刊ゴングを楽しみにし、年に何回か来るプロレスの試合を見に行くのが楽しみでした。クラスでプロレスを好きだったのは自分だけだったので、少し変わった子と思われていたかもしれません。プロレスが好きという思いはやがて、プロレスラーになりたい、という気持ちに当然ながら変化していきます。時が経ち、2004年。私は肺の中で出血が止まらなくなるという大きな病気になり宮城県内の大きな病院に入院しました。と、同時にプロレスラーになる夢は諦めました。今思い出しても地獄のような検査、治療が連日続き体力的にも精神的にもかなりしんどかったです。退院が近付いてきたある日、突然私の携帯が鳴りました。それは知らない番号からでした。普段知らない番号からの電話は出ない私ですが、何故かこの時は電話に出ました。この時何故電話に出たのかは分かりませんが今思えば運命だったと思います。電話の主は北都プロレスの代表クレイン中條さんでした。これは今でも謎なんですが、どこで私の携帯番号を入手したのかは20年以上経った今でも謎です(笑)この時、私は当然選手でもなければリングアナでもないただのファンです。ただこの当時、プロレス特番の番組にファン代表として出演したり、学校をさぼって試合を見に行ってましたので東北の会場であればどこに行ってもいるヤバい人という、ちょっとした有名なファンだったと思います。中條さんの電話の内容は、「今度、大迫で藤原という選手がデビューするから大会を支援してほしい」という内容でした。私は自分自身の病気でいっぱいいっぱいだったので その時は適当に返事したのを覚えています。しかしその数日後、わざわざ中條さんは北海道から見舞いに来てくれました。そしてその時に北都プロレスへの思いと、デビューする藤原秀旺への思いを伝えられ、病気でプロレスへの気持ちが消えていた私の気持ちをまたプロレスへと向かわせてくれました。そして退院後、デビューを控えた藤原秀旺と初対面することとなります。つづく


 いつも多大なるご支援、そして温かい応援をいただき、心より感謝申し上げます。梅沢菊次郎です。 今日は、2025年10月26日に心筋梗塞で倒れてから、今日この瞬間まで私を突き動かしてくれた「感謝」の想いを、ありのままに書かせていただきます。1. 私の命を繋いでくださった医療関係者の皆様へあの時、私の心臓が止まりかけた瞬間、救いの手を差し伸べてくださったのは、医療従事者の皆様でした。 一刻を争う極限の状態の中で、プロフェッショナルとしての使命を果たし、私の命をこの世界に繋ぎ止めてくださった。医師、看護師、リハビリスタッフの皆様。皆様が注いでくださった情熱と献身がなければ、私は今、こうしてキーボードを叩くことすらできていません。 「梅沢さん、頑張りましょう」という言葉に、どれほど救われたか。皆様は私の命の恩人です。魂を込めて、深く感謝いたします。2. クラウドファンディングで背中を押してくださった皆様へそして、このクラウドファンディングを通じてご支援をくださっている皆様。 病床で「またリングに立ちたい」と願ったとき、正直なところ不安しかありませんでした。しかし、支援の数字が積み重なり、寄せられる温かいメッセージの一通一通を読むたびに、震えるほど力が湧いてきました。 「一人じゃないんだ。待ってくれている人がいるんだ」 そう確信できたことが、私のリハビリにおいて何よりの特効薬になりました。皆様からのご支援は、単なる資金ではありません。私の止まりかけた時計を再び動かしてくれる、「情熱のエネルギー」そのものです。これほどまでに皆様の存在を大きく感じたことはありません。 皆様の存在がなければ、6月6日の復帰という目標は、ただの「夢」で終わっていたかもしれません。今の私は、順調にトレーニングを積み、リングで暴れるための準備を整えています。 これは、私一人の力ではありません。皆様と一緒に歩んでいる道のりです。3. ともに「笑顔で健康に」生きる未来へ私はこの経験を通じて、強く、強く思うようになりました。 「倒れても、また立ち上がれる。そして、みんなで笑い合える。」 そんな社会を、皆様と一緒に作りたい。私が6月6日、岩手花巻のリングに立つ姿を見て、「あいつがあれだけやれるなら、自分も頑張れる」と思ってくれる人が一人でもいるなら、私の闘病には大きな意味があったと言えます。皆様、本当にありがとうございます。 皆様の期待を、勇気を、愛を、すべて拳に乗せてリングへ戻ります。6月6日、岩手の地で。 最高に元気な、復活した梅沢菊次郎を、ぜひその目に焼き付けてください!梅沢 菊次郎


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