【ネパール、ガイクール村とは】こんにちは!8期広報・渉外事業部の中村絢です。 突然ですがみなさんはネパールという国をどのくらい知っているでしょうか?日本とネパールは今年国交60周年であるということをご存知だったでしょうか? 今日は私たちKIVOの支援先であるネパールのガイクール村に私が実際に行った際感じたことを伝えられたらなと思います。 今年の3月、私は初めてネパールを訪れました。私たちの支援先であるガイクール村は首都カトマンズから約6時間ほど車で移動したところにあります。途中でジープに乗り換え塗装されていない道路に揺られながら、ガイクール村へと到着しました。そこは緑に囲まれた自然いっぱいな場所、ヤギや鶏がそこらじゅうにいて、村人たちはほとんどが自給自足の生活を送っていました。Wi-Fiは繋がらない、水場は共同…日本とは全く違った環境でした。 しかし私はたった約1週間の滞在でこのガイクール村に魅力され、大好きな場所となりました。 それはきっと村人たちの人柄が大きな理由だと思います。ガイクール村の支援先の小学校の子どもたちはもちろん、多くの村人が毎年私たちKIVOメンバーが来ることを温かく迎えてくれます。そして私たちのためにパーティーを開いてくれたり美味しいご飯やお茶を出してくれたり。すれ違っただけでナマステと挨拶をしてくれる人。家族のように接してくれる人。日本よりもずっと不便で決して裕福とは言えない環境ではありますが、ガイクール村の人々はみんな私たちKIVOメンバーを心から歓迎してくれます。そして現地コーディネーターの方、学校の先生、村人、多くの方の協力があるおかげで私たちは毎年現地での活動を行うことができます。私たちKIVOの活動はガイクール村の人々がいてからこそということを強く感じました。 学生だからこそできること。村の人たちに寄り添い、信頼し合い、協力し合い、互いに成長していく、そんな支援をKIVOは大切にしています。 これまで築き上げてきた信頼関係を大切に、これからも活動に励んでいきます。 皆様の温かいご支援ご協力よろしくお願い致します。 8期 広報・渉外事業部 中村絢
"支援する"とはどういうことなのか?! 皆さんこんにちは!初めまして、国際協力学生団体KIVO 8期 国内海外事業部の高橋彩夏です。 KIVOに大学2年の春に入って、早くも一年半が過ぎました。この一年半KIVOで学んだこと、経験できたことは数えきれません。この前、大学の友達とごはんに行った時に、KIVOでの活動のことを話したら、サークルでは何を学んだの?って聞かれて、何から答えたらいいのか分からなくなりました笑それくらいKIVOでの活動は言葉にならないほどわたしにとってかけがえのない財産になっているんだなとしみじみしてしまいました。 でも、今日はKIVOの活動を通してわたしが学んだ一番大切なことについて言葉にして書きます!!うまく言葉にできるかどうかはわかりませんが、皆さん是非お読みいただければ幸いです^ ^ これまでわたしはKIVOで本当に色々な経験をさせてもらいました。駅前での街頭募金、チャリティイベント、企画のリーダー、ネパールという未知の国に学生だけで行って現地の人と一緒に生活するなどなどなど。でもこれら様々な活動の中でわたしが一番考えさせられたのは、人を"支援する"ということはどういうことなのか?ということでした。 人を"支援する"ということは、一歩間違えれば、上から目線でただ自分の自己満足のための活動になってしまうのだとわたしは思います。本当に誰かのためになるような活動を実現させるためには、どうしたらいいのかな?と常に考えさせられます。 私たちが支援しているネパールのガイクール村は、ネパールの首都であるカトマンズから車で約5時間ほど離れた貧しい農村部にあります。2015年の4月25日におきましたネパール大震災においてガイクール村は非常に大きな被害を受けてしまいました。多くの村人の家は激しく倒壊し、政府からの支援金がなかなか農村部まで行き届かず、もともとは倉庫や家畜の小屋として使っていた建物を仮の住まいとして使っている家庭がたくさんありました。また、学校の校舎も倒壊してしまったり、地震の揺れによってヒビが入ってしまって政府から立ち入りを制限されているところがたくさんありました。 わたしは、2016年の3月にガイクール村を訪れました。人生初の発展途上国だったので、本当に驚くことがたくさんありました。携帯の電波は通じない、シャワーはない、水を使いたければ遠くの水場まで汲みに行かないといけない、お湯は沸かさないと使えない。今まで当たり前だと思っていた日本での暮らしがいかに恵まれているかが分かりました。でも、それと同時に生活の中でやること1つ1つに手間がかかるという村での生活は、毎日の生活の中で使うものや食べるものにじっくりと向き合い、感謝の気持ちが持てるという意味で、日本での生活よりも豊かなのかもしれないなと感じました。 ガイクール村は、ネパール大震災の震源地の近くに位置するため、地震による被害は一年近くたった当時でもはっきりと残っていました。KIVOが毎年ネパールを訪れた際に、現地の方々のニーズにより合った支援の方法を探るために行なっている現地調査では、多くの学校の先生や村人とじっくりお話をする機会がありました。その中で、現地の方々は何よりも今は震災の被害により校舎や家が倒壊してしまっていて、生活に困っているということが分かりました。家族との思い出がたくさん詰まった自宅が倒壊してしまったのを悲しそうに見つめながら震災のことを話す村人や、倒壊してしまった校舎の再建のめどが全く立たないことに困り果てた学校の先生の姿が今でも忘れられません。 KIVOは、学生団体であるため、専門的な技術や知識はそんなに持っていない。家を自分たちの手で立ててあげることは難しい。でも、私たちがこれまで関わってきたガイクール村の人は、住む場所や勉強をする環境がなくて困っている。しかし、そんな状況の中で、私たちはたくさんの本と、街頭募金で一生懸命みんなで集めた復興支援金を手渡すことしかできないということに無力感を感じました。自分たちがやっていることは、本当にガイクール村の人々の今一番必要としていることなのかな?ととても悩みました。 そんな疑問をネパール人の現地コーディネーターの方に村にいる間にわたしはぶつけてみました。すると、その方は[KIVOの活動は決して無力ではない。KIVOはこれまでたくさんの本をこの村の小学校に送ってきてくれて、それによって子供達の学力も上がり、将来の視野も広がった。君たちが毎年来てくれることを子供達は楽しみに待っているし、君たちと出会ったことが子供達の視野を広げる大きなきっかけになっているんだよ。]とおっしゃっていました。 学生は微力かもしれないけど、無力ではない。このことを痛感した瞬間でした。私たち学生は、専門的な技術も知識も持っていない。だけど、学生はその若さとエネルギーで現地の方々に影響を与えることができる。失敗を恐れずに新しい企画や支援方法にどんどんチャレンジしていける自由さが私たちにはある。 人を"支援する"ということにおいて最も重要なことは、支援活動を行なっている自分自身や活動内容を常に客観的に見つめることだとわたしは思います。本当に自分たちの活動はガイクール村の方々のニーズに合っているのか?もっと力になるには活動をどう変えていけるか?KIVOのメンバー一人一人がこのことを常に問い続けることがより良い支援につながり、ガイクール村との信頼関係をより強固なものにしていくのではないかなとわたしは思います。 また、自分たちは"支援している"と同時にたくさんの方々に支援されている、支えられているんだということを忘れてはいけないと思います。駅前の街頭募金で、忙しい中足を止めて募金をしてくださる方々、困難な状況の中でも温かく毎年私たちを迎え入れてくださるガイクール村の方々、現地コーディネーターさん、この記事を読んでくださる多くの方々… 人を"支援する"ことは、深く考えれば考えるほど正しい答えが分からなくなってしまいます。でも、私たちは、これからも支えてくださる多くの方々への感謝を忘れずに、自分たちの活動を常に見つめ直しながらよりよい支援を目指して頑張っていきます^ ^ KIVO 8期 国内海外事業部 高橋彩夏
【どうして「ネパール」なのか】 こんにちは。国際協力学生団体KIVO 8期の代表を務めております、青山学院大学2年、清水美雪と申します。先日、クラウドファンディングをスタートしました。皆様の温かい応援ありがとうございます! 今日は、数ある国がある中で、なぜ、私たちがネパールにこだわり続けているのか、お話させていただきます。私は、それは「人」によるものだと思います。毎年私たちがガイクール村に行くのを「待っている人たちがいる」ということです。私たちが村に行くと、駆け寄って一生懸命英語で話しかけてくる子どもたち、授業の時間を削って私たちの企画に協力してくれる先生方、泊まる場所や共同の水場を使わせてくれる村人たち。私たち学生が自分たちだけで他国に行き、こんなに歓迎してくれることは、7年間私たちとガイクール村が築き上げてきた信頼関係の形だと思います。 そんなネパールで大震災が起きてしまったこと。今まで築き上げてきた関係も、行ってきた教育支援も、全て0になってしまうのではないか、と思われました。 震災が起きた3ヶ月後の夏、数名の団体のメンバーがネパールへ渡航し、現状を見てきました。帰国後、私たちに見せてくれたのは崩壊して壁がないものや、穴が開いてしまった教室の写真でした。こんなところで授業なんて行えるのか、と疑問に思ったことを覚えています。 そしてその半年後、2016年の3月に、私は初めてネパールを訪れたとき、一番驚いたのは村人や子どもたちの反応です。私たちを温かく歓迎してくれ、企画一つ行うにも、先生や現地の方の通訳の協力がありました。私は、ガイクール村の人の協力があってこそ、私たちはここに来ることができるんだ、私たちも村の人から学ぶことがたくさんある、と感じました。ただの"支援する""支援される"という関係を超えて、KIVOが従来大切にしている「現地との信頼関係」を実感することができました。 震災の影響で校舎や家が崩壊するなど、ガイクール村の環境は変わってしまいましたが、村の人の心と笑顔は変わっていません。決して良い環境とは言えない仮設校舎でも、目を輝かせて勉強する子どもたちの姿を見て、この子たちのために力になれることを全力でしたい、そう思いました。 一刻も早く、ガイクール村の人、子どもたちが安心して学習できるような環境を届けたい、その想いは今でも私の中にあります。以上がネパールのガイクール村にこだわり続けている理由です。 震災の恐怖を知っているからこそ、震災直後はたくさんの方がネパールの災害に心を痛めたと思います。しかし、震災から1年半以上が経った現在、日本ではほとんど報道されることもなくなってしましました。私たちは、ネパールを支援する団体の一つとして、今後もネパールの現状を伝え続け、国際協力を続けていきたいと考えています。 「学生ができることを通じて社会に影響を与える」 私たちはこの理念のもと、学生だからこそ、ただ資金を送るだけではなく、現地に寄り添った国際協力ができると考えております。 毎年2週間、長い人だと4週間、実際に現地に行き、自分たちの目で見て現地の人の話を同じ目線で聞き、ニーズに沿った支援をすること、ありのままのネパールの現状を発信することは学生団体KIVOだからこそできることだと考えております。 皆様からのご支援は、2017年3月の渡航時に直接現地に届けさせていただきます。 どうか、温かいご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 国際協力学生団体KIVO 代表 清水美雪