今回は農業についてITや製造業が発達した現代の日本で農業に従事したことのある方、少ないのではないのでしょうか僕も1年前までは農業とは直接関わりのない人生を過ごしていました肌身で感じた、現状の日本の農業についてお伝えしたいと思います率直な感想を伝えると日本の農産物は美味しいのですが農業の仕組み自体は旧式で、利益を得て生活していくには程遠く感じていますJAが日本の9割以上の農産物を管理していますが"規格"が非常に厳しく、サイズ違いやちょっとした傷や斑点だけでB級品として叩き売られます。だから矯正容器にいれてサイズを固定したり、農薬で表面の傷一つないように気をつけているのが大多数の農家さんです。また、ハウス栽培の設置費用は1000万円を超えることもあり、トラクターも100~300万と高級車並みの値段です。これらをJAが貸し出す代わりに、JAのみに農産物を卸すような、JAだけで循環する仕組みが出来上がり、農家さんはそこから抜け出せず少しずつ借金を返済するのが現状です皆さんが気になるのは「農薬」ではないでしょうか僕が生姜農家なので生姜を例にお伝えします普通の生姜栽培では「植え付け前に農薬で土壌殺菌」「植え付け後に農薬で雑草と虫の抑制」「年30回の農薬散布による徹底(栽培期間から計算すると週に1回は)」と、かなりの量の農薬を散布していますそして、農薬自体も人間に害がないわけではありません。昔よりは改善されていても、人が死ぬレベルの農薬もあります。聞いた話だと、農薬散布ではどうしても吸い込むことがあり、ある分野の農家さんは壮絶な苦しみを伴って息を引き取るそうですなぜそれが公にならないか?あくまで僕の推測ですがJAは病院も管理しており、「原因不明の病」として片付ければ済むからだと思います高知にJAの病院があるのを見つけた時はゾッとしましたそして環境汚染の大きな要因が農薬です自然豊かな高知県でも高度経済成長期を堺にホタルは激減し、海で採れる海産物も減ったそうです農薬によって食料自体も失われているのではないでしょうか僕がいる生姜農家が栽培期間中、農薬と肥料不使用なためそれらの必要性は感じませんあえて言うならそれらは「人間の手間」を省く道具なのかなと愛情かけて手間暇かければ野菜たちは美味しく育ちますそして、そもそも自然界なのですから形は多種多様でいいはずです今の農業はある意味、工業製品化しているので農業駆け出しの僕の一感想ですが外の世界から見るからこそ、日本の農業に違和感を持っています私達が食材を手に入れられるのはJAのおかげでもあり、JAが絶対悪だとは思いませんがこの先の未来でも通用する構造だとは正直思えません...ここに風穴を開けたのが「食べチョク」だと思います長くなりましたのでこの先の農業について、食べチョクを絡めてこの先お伝えしようかなとついつい熱くなり語りすぎてしまいました...もし農業に携わっている方が不快に思われたら申し訳ありませんが僕の、本当に率直な感想であり、この先変えたい未来でもあります安全に美味しく、そして利益が循環する農業も目指したくてまた語るかもしれませんが引き続きよろしくお願いしますだいご
なぜリトアニアなのか生まれ育った場所に似ているから?元カノがいたから?の個人的な話を抜きにして戦略面でお伝えします醍醐は【ランチェスター戦略】を事業戦略のベースに考えています簡単にお伝えすると、弱者が強者に勝つ戦略ですいきなり中心地を攻めるのではなく端っこから力を蓄えつつ、最終的に中心地を攻めるにはどうすべきかという方法論です具体的なお話を欧州といえばパリやミラノが中心地でしょうかそこは力のある有名ブランドが競争し合う激戦地帯...資金や繋がりの少ない弱者の僕は数日の命かもしれませんそのため欧州の本当に端っこのEUの中でも物価が比較的安いリトアニアはスタートとして適していると考えていますでもそれは、あくまで戦略上の話でしょう?実際どうなの?と思う方が多いと思うのでそこに対しての僕なりの答えを高知県四万十町での醍醐の活動結果がその答えです人口約1.5万人の小さな街四万十町で僕は生姜事業を始めました高知でも生姜の一大生産地なのに美味しい生姜料理や生姜作品がないのに気づき、潜在需要を見込んで実施しました結果からお伝えすると約1年間の事業活動で◆高知の観光列車での採用◆四万十町の飲食店での採用◆四万十町での醍醐と生姜事業の圧倒的認知度と小さい世界がゆえにご縁を頂けて、必要とされる存在まで育ちました今は高知市内や東京の方からもご依頼を受けるように都心部で始めていたらこの結果はなかったかもしれませんこれを、リトアニアでも応用します欧州は生姜を食べる文化の国は多いですジンジャークッキーや生姜蜂蜜のお湯割り等冬に向けて色々と摂る文化がありますですが、日本由来の美味しい生姜はないのが現状です(なぜ日本の生姜が美味しいのかは後日)欧州で美味しい生姜には潜在需要がありますリトアニアを起点にリトアニアでも田舎から始めて徐々に都心部へ向け安定して事業が進められれば欧州全体へも壮大ですが、一歩ずつ進めば不可能ではない取り組みです頑張りますね!(元カノの話はまた後日に...)だいご
今回は東京生まれ東京育ち(多摩市の田舎ですが...)の僕が高知きた感想をお伝えしようかなと高知の率直な感想は「自然が強い"国"」「温かな有言実行な人が多い"国"」です森林面積約84%で険しい道が多く夏は日が強く暑く、冬は-5~10℃とかなり冷え込みます人間って小さな生き物なんだなぁと実感する日々ですそして高知の方は温かく優しく言ったことは実行する格好いい人が多いです自然が多いからこそ気持ちも寛大で、そして言うだけでは何も始まらないので実際に動いて形にしていくのかなぁとまたお遍路でのお接待文化もあるためとにかく受け入れておもてなしを...お遍路寺の一つ岩本寺さんには色々お世話になりそのおかげで今の醍醐もあります東京とは全く異なるある意味"別の国"に来たみたいです友達は東京を「人間界」というくらい...是非、高知も遊びにきてください!
経歴を書きましたがもう少し詳しくお伝えします明治大学へ在籍していましたが教授と大喧嘩して研究室を飛び出し、生姜料理のお店でバイト漬けの日々...正直劣等生でした...明治大学農学部を卒業後ご縁あって永谷園へ採用が決まり商品開発部へ配属されました【永谷園時代】最初は惣菜群の開発担当補助として新商品及び麻婆春雨などの改良を勉強1年後に、ふりかけ&お茶づけ群の担当になり大人のふりかけの新メニューやふりかけの新商品を担当しましたが、この頃はクラッシャー上司に精神的に追い込まれていた暗黒期です...(その頃の経験があって鋼の精神が身につきましたが)その後は卒業までふりかけメインに、フリーズドライやレトルト等幅広く商品開発の知識を学びました5年間で開発部の知識と技術をほぼ習得し、現在その経験が活きています【木内酒造時代】「常陸野ネストビール」という世界に通用する日本のクラフトビールを作っている会社へ、ブランド戦略と生産〜営業までの一貫した仕事の勉強に行きました始めは生産部門のビール工場で、ひたすら現場での生産とその苦労を学びましたその後、飲食部門への異動を希望し駅にあるお店へ異動しました(生姜料理専門店時代と同じく、やはりお客様と直に触れたくて)飲食部門でどうやったら気持ちよく、楽しく、笑顔でお客様が過ごせるかその結果を身を持って感じられる日々でした【空の下時代】そして生姜の原点を学びに高知県の秘境にある空の下という生姜農家へ修行へ畑仕事など無縁な人生だったのですがオーナーが丁寧に真剣に教えてくださることで初年度から無事生姜を収穫することができました栽培以外にも会社の立ち上げ、キッチンカー営業、法人営業とスタートアップの会社のため幅広く経験することができました社会人経験の全体を通じて、ある意味川上から川下まで、今後の生姜事業に関わることほぼ全てを勉強することができており、有り難いですあとは実践するのみ!がんばります!
今回は僕が高知県で修行している生姜農家のご紹介を!空の下という栽培期間中:農薬と肥料不使用の日本ではまだ0.1%程度の珍しい生姜農家さんへ来ていますトップ写真の中央の女性がオーナーのるみさんそして左が生姜料理の山さんです去年まではオーナーと僕の二人体制今年は15歳の男の子が入り3人体制とスタートアップでありかなり珍しい人材の農家です笑オーナーの理念「地球のための循環型農業」に惹かれてこの農家へ実は、環境破壊&温暖化の原因の一つは農業なのです当たり前にある野菜たちがどう作られているか肌身で感じて恐ろしく思うことも多々ありましたこの先の時代を見据えるとまさしく持続可能な農業にすべきだと確信しておりオーナーは未来を見据えて動いている素敵な方です今回ははじめのご紹介になりますが生姜栽培自体についても後日詳しく書ければ引き続きよろしくお願いしますだいご