6時のミサに参加してきました。キリスト教は、言葉の宗教。ミサの間、終始司祭が信者にわかりやすい言葉で語ります。最後のほうで、司祭は「イエス・キリストのように生きなさい」と言われた気がします。2000年前にパレスチナで活動したイエス・キリストのように、あなたも勇気を持って、現代のイエス・キリストとして生きなさい。そうすると、どのように生きたらよいか。



現在の支援総額
16,000円
目標金額は1,000,000円
支援者数
3人
募集終了まで残り
終了
このプロジェクトは、2019/08/02に募集を開始し、 3人の支援により 16,000円の資金を集め、 2019/10/20に募集を終了しました



現在の支援総額
16,000円
1%達成
目標金額1,000,000円
支援者数3人
このプロジェクトは、2019/08/02に募集を開始し、 3人の支援により 16,000円の資金を集め、 2019/10/20に募集を終了しました
6時のミサに参加してきました。キリスト教は、言葉の宗教。ミサの間、終始司祭が信者にわかりやすい言葉で語ります。最後のほうで、司祭は「イエス・キリストのように生きなさい」と言われた気がします。2000年前にパレスチナで活動したイエス・キリストのように、あなたも勇気を持って、現代のイエス・キリストとして生きなさい。そうすると、どのように生きたらよいか。
台風8号フランシスコが近づくなか、昨晩から長崎にきています。今年秋にローマ法王フランシスコが、長崎にみえられる露払い役として、台風はきているのでしょうか。デジタル言語学は、ヒトに知恵があるのではない、正しい言葉を正しく学ぶことによって、ヒトは知能を高めると考えます。正しい言葉を正しく学ぶというのは、日本のキリシタンたちが実践したことではないか。彼らは、踏み絵を踏めなかった。言葉と身体が結びついていたから。彼らは、殉教をおそれなかった。イエス・キリストの生涯を知っていたから。なぜ、キリシタンたちは、殉教を恐れなかったのか。なぜ、禁教のキリスト教を棄てなかったのか。このことを、考えてみたいと思いました。キリシタンたちは、信仰生活のなかで、言葉と身体を結びつけていたのではないか。だから、嘘をつけなかった。イエス・キリストのように殉教すれば、神のもとに行けると、聖書の言葉を信じていた。自分の命よりも、聖書の言葉を、優先させることができた。宿は、浦上天主堂の前にある、長崎カトリックセンターです。昭和20年8月9日に、聖母マリアの被昇天の祭りを準備していたキリシタンたちがいた浦上天主堂の上空で、人類史上はじめてプルトニウム型原子爆弾が炸裂しました。原爆で無残な姿となった浦上天主堂は、アメリカのカトリック教徒たちから建て替え資金をもらう条件として、壊されてしまいました。(高瀬毅「ナガサキ、消えたもうひとつの原爆ドーム」を是非ともお読みください。)新しい浦上天主堂も、赤いレンガでつくられた美しいカテドラルです。これからそこで、午前6時のミサに、参加してみます。(上の写真は、アルハンブラ宮殿の夏の宮で撮影したもの。光と影のコントラストは、私たちの意識の深層に到達して、言葉と身体を結びつけるのに、役立つように思います。)
写真は5月に京都に行った帰りのフェリーから見た瀬戸大橋。きれいでした。本を丁寧に繰り返し読んで知らなかったことを知り、著者と立場を共有するのも行脚、旅に出て知らなかったことを知り、旅先で知り合った人たちと知識を交わすのも行脚。これは、道元の語録『道元和尚廣録』にある言葉を、僕流に解釈したものです。本を読むのも、旅をするのも行脚。どちらも大切であり、片方だけではいけません。デジタル言語学は、旅と読書を重ねることで発展しました。
今回のグラナダ報告を、グローバルワイファイの4トラベルの旅行記としてアップしました。ぜひぜひご覧ください。https://4travel.jp/travelogue/11524215
デジタル言語学は、コンピュータ・ネットワークと、真核生物の核内でおきるタンパク質産生メカニズムと、ヒトのデジタル言語を比較します。ヒトは生まれながらに知恵を持っているのではない。言葉を正しく学び、正しく使うことで、知能を構築していくことを明らかにします。