現在、大工さん2人体制から3人体制になり、効率が上がり順調に改築工事が進んでいます。 その3人目の大工さんから、私を知っているという話になり、美保関小学校時代の息子の同級生の保護者とわかりました。 そして忘れてた”あの事件”の話に。 それは「片江の人から、学校に苦情の通報が入りました。」から、はじまりました。 「屋根に小学生の子どもが上がっている、まるでサルみたいに。」と。 そのサルみたいなのが私の息子とその大工さんの息子それにあと3人くらい。 息子にまずは、こんな時のいつもの私のスリーフレーズ。 状況を聞きます。 「何があったのか」 更に聞きます。 「それを現在どう思うか」 最後に 「それからどうしたらいい」 その日に保護者が集まって、状況を共有、そして私が保護者代表で子どもたち全員を連れて通報されたその方のところへ謝りにいきました。 今後は屋根には上りませんと、一人ひとり謝りました。 そんなことを大工さんと思い出しながらお互いの近況を話しました。 とかく無関心の人が多いこの世の中、本気で叱っていただける大人がここ片江にはいます。 幸いけがもなくすんだのも、本当にありがたいことです。 それ以降、片江の屋根では、本当のサル以外は見なくなったと聞いています。
今日は、久々に雨が降りました。 蒸し暑くもなく、気持ちよかったですね。 かたゑ庵のこの前の定例会で、料理の話になって、山椒が庭にあるといいね、とか話してたら、山椒の苗木をショウイチさんが持ってきてくれ、 それを岡山から来た佐古さんがドラム缶風呂の横に植えてくださった。 その山椒の苗木が連日の暑さで弱ってきた。 水やりは”気が付いた時”に、やってきたが十分ではなかったかもしれない。 以前、山椒の木は、裏山に自生していて重宝してました。 山椒の葉を魚の吸い物に入れて使ってましたので。 片江に住んでいたときには、とれたての魚を近所の方によくいただきました。 その魚を裁き、まずは刺身に、そしてアラはお吸い物にしました。 お吸い物は、アラを煮込んで、アクを取って塩だけで味付けします、私の場合。 シンプルな味付けだから、これに山椒が入ると、入らないとではずいぶん違います。 その違いは、ぐーっと料亭ポクなってくる、上品な風味が楽しめます。 私が魚を裁くのは片江に住むようになってから、本を読んで試しながら覚えていきました。 魚を裁いておすそ分けで持ってくる人はほとんどいませんからね。 ここで刺身を食べたかったら魚を裁けることが必須。 残念なことに、その裏山の山椒の木がいつの間にか、枯れていました。 背丈以上の木でしたが裏山に上がる楽しみがひとつなくなったような気がしました。 でも、皆さんのおかげで庭に山椒の木が植えられ、また楽しみができました。 その山椒の木、ドラム缶風呂の横で、暑さとメンテナンスの不幸という逆境の中で、今日の久々の恵みの雨をむさぼるように体に取り込んでいることでしょう。 かたゑ庵がオープンすると、台所はゲストの方は自炊に自由に使えます。 この山椒を使ったり、裏山には、野生のペパーミントもすぐ見つかります。 かたゑ庵でのゲスト同士での料理交流も楽しめます。 それを少しでも早く実現するために今日も壁落としかなり進めましたよ。 大工さんのほうも2人から3人体制になり、壁落しが終了したところから、次々筋交いを入れ防火ボードを張っていきます。 とりあえず順調な流れです。
クラファンも折り返し点にきました。 お陰様で、アクセス数も2000を増えました。 まったく、かたゑ庵を知らなかった方がこのクラファンをきっかけにアクセスして いただいていることに感謝申し上げます。 今日は、リターン品のサザエについてお話をします。 まず、リターンでお届けするサザエは、片江湾で獲れたものです。 片江湾を舟やカヤックで行ってみるとわかるのですが豊かな森林が間近に迫り、 サザエが獲れる場所はまったく建物や人工物が見当たりません。 グーグルで見るとよくわかると思います。 https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92690-1315+%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E9%96%A2%E7%94%BA%E7%89%87%E6%B1%9F/@35.568141,133.1843191,1252m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x355654e6f363265f:0x967f195d27269ea7!8m2!3d35.5568545!4d133.1892443?hl=ja この恵まれた環境で育ったサザエは、とてもおいしいです。 これだけのお話であれば、どこでもありそうなお話ですが、 ここからが本題に入ります。 今回のサザエは、私が尊敬する片江の素潜りの漁師にお願いをしています。 自分の目で見て、確かなものだけを選んで獲ります。 以前、その漁師さんが荒れた海に出られたときに、荒波に飲まれ、船は岩にたたきつけられ、ヘリで救助され九死に一生を得たことがありました。 入院されてるときにもう漁はやられないのではないかと思ってました。 しかし、翌年には漁を再開され驚きました。 奥さんに聞くと、「主人は海が好きなんです」と。 荒れた海だけでなく、素潜りの漁師にはいつでも危険が伴います。 潜って岩の下に入り、夢中で漁をしていると方向感覚が麻痺し、出口の方向を間違ってしまうことがあります。 そうなると、出口だと持ったところがさらに岩が続く、何度怖い目にあわれたことかと思います。 その漁師さんのサザエを直送します。 その漁師さんの獲れる量には限界があります。 その量に達しましたら、次からは片江のほかの漁師さん(網でサザエを獲る)のサザエを直送します。 先着何名などと煽るつもりはありませんし、また7月のサザエの解禁時にならないとコンデションもわかりません。 片江のサザエは、その環境の良さからどの漁師さんが獲ったのも本当においしいです。 それに加え、素潜りの漁師さんのサザエには、命をかけた物語があります。 もしお届けしたサザエに「素潜りの漁師さんのサザエ」と書いてあったら、食べた後の殻は記念にとっておかれるといいかもしれません。 それは私の尊敬する素潜り漁師さんであり、九死に一生を得た幸運の持ち主ですから。
今日は、とても暑くなるというので朝8時頃から廃材の整理をはじめました。 気が付くと目の前に、昨日のXさんが。 そのXさんは、かたゑ庵への苦情として区長さんにお伝えされ、昨日召集された会で「早く詳しい説明を聞きたかった」ことを皆さんの前で私にお話になさった方です。 昨日とは打って変わって、にこやかな笑顔で近づいてこられ、まず熱中症に気をつけてくださいと言われました。 続けて、昨日の話になり、私が皆の前で謝ってくれたことを男らしいと言われました。 そして、私がお話しをした、筋交いを30か所入れなくてはいけなくなったことや天井を防火用に変更などこれからかかってくる費用はもとより、オープンできたとしても、この片江にどれだけのお客様が来るかなど。 自分の事のように心配してくださいました。 そして今日もその改築費を少しでも減らそうと作業をしてる私を見て、それを伝えたいと思われたのかもしれません。 Xさんは、苦情として言うべきは言う、そして今度は本気で心配してくださる。 元漁師らしくスカットして気持ちがいいですね。 そして新たな理解者へなっていただいたように思います。 今回感じたのは、大きな理想や奇抜なアイデアをとうとうと語るよりも、どれだけ汗をかいたかの方が饒舌。 そして、とんとん拍子で行くよりも、思いがけない展開で悩んだり苦しんだりしながらいく事は、ありがたいことなのかもしれない。 今日はここまで。
本日は、区長さんから住民から苦情がでているとのことで、片江の公民館へ緊張しながら向かいました。 区長さんによると、かたゑ庵の詳しい説明を聞いていないと住民からご指摘があるとのこと。 公民館ではその方々にまずお詫びして、そこから今までの経過報告と質疑応答となりました。 今まで片江になかったゲストハウスができることに、様々な疑問や懸念があるのは当然です。 これはとても大事なステップで、そのため昨年9月に片江で区長さんはじめ住民にお声がけし第一回目の会を開き、そして毎月例会(第一火曜日夜7時半からかたゑ庵にて)を開き、住民のだれでも来て疑問に答えられる体制をとり、回覧板でも2月に現在行っていることなどお伝えはしましたが、周知できていなかったことに反省しきりです。 その上で本日、至らぬ点をお詫びでき、またオープン前に様々な疑問やご指摘を事前にお受けできたのはとても良かったと思います。 また私が目指すのが単なるゲストハウスの運営だけでなく、最終目的が片江に移住者を増やしたいとの考えを直接聞いていただくことができました。 10年前に700人以上いた片江の住民が今500人台、これからの10年にはどうなっていくのか。 私たち家族が10年間ここで生活し、子どもを育てる環境に最高の場所だと思っています。 そこで、定住ではなく、幼少期に限定した短期の移住、ここには空き家30以上の環境があり、私たち家族がそうであったように家を借りるのです。その移住者ターゲットは待機児童に悩む市内の家族。ここ片江は市内通勤圏内。そこに今後に向けての新たな活路を見出すことができるのではないか。 まずは、住民自身が作って楽しむドラム缶風呂や竹ドーム。外国人も交流できる、そんな楽しいことしてる地域のセンスに魅力をきっと感じてきてくれるのではと。 かたゑ庵が住民と移住者のコーディネーター役を引き受けたい、ゲストハウスがそんな相談窓口としても役割ができればと、そんな思いも伝えられました。