日本海を野宿取材!新潟発・自費出版雑誌LIFE-mag.を発行したい!

「日本海を結んで考える。『地域』の未来とは」とし、新潟を中心とした日本海地域に取材対象を広げた特別編集版を企画しています。そこで、今回「FAAVO新潟」において制作資金の募集をさせていただけたらと思い、応募させていただきました。

現在の支援総額

622,000

107%

目標金額は576,250円

支援者数

72

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2013/08/12に募集を開始し、 72人の支援により 622,000円の資金を集め、 2013/11/07に募集を終了しました

日本海を野宿取材!新潟発・自費出版雑誌LIFE-mag.を発行したい!

現在の支援総額

622,000

107%達成

終了

目標金額576,250

支援者数72

このプロジェクトは、2013/08/12に募集を開始し、 72人の支援により 622,000円の資金を集め、 2013/11/07に募集を終了しました

「日本海を結んで考える。『地域』の未来とは」とし、新潟を中心とした日本海地域に取材対象を広げた特別編集版を企画しています。そこで、今回「FAAVO新潟」において制作資金の募集をさせていただけたらと思い、応募させていただきました。

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秋田レポートをこれにて最終稿にします。次稿より、富山レポートをアップしていこうと思います。秋田レポート最後は、野宿取材の様子です。 取材の前後には必ず、今日の寝床探しから。ちょうど秋田は集中豪雨の被害があった時期と重なって、河川敷などは注意が必要でした。 また、取材の合間に、取材メモの整理、写真データの取込、取材打合せなどをアウトドア編集室にて行っていました。 普段はひとりで取材に出かけていますが、今回、はじめての県外取材。しかも経費が出せないための野宿取材。多少の心配がありました。佐渡から渡辺さんに来ていただいてほんとうに心強く、助かりました。 LIFE-mag.的アウトドア編集室その1 LIFE-mag.的アウトドア編集室その2 取材〜打合〜夕飯〜銭湯が終わって、テントを貼るころには毎日0時過ぎ。真っ暗! ささやかに缶酎ハイで、お疲れ様の宴。 4日間のテント泊で設営・撤収も慣れました!取材はこの後も、山形〜富山〜石川と県外へと伸びる予定。


【地域を外から見ているイメージと住んでいる日常の中にいるイメージ】 卒業後、秋田に戻り、臨時職員としてコピーやお茶くみをしながら過ごしていました。ある日、友達に「そんなぬるま湯でいいの?」と言われたこともあり、新潟で積極的に関わっていた地域づくり講座、コミュニティビジネスワークショップに参加し、その時に現在のNPOの理事長に出会いました。 入社後、感じたのは「新潟では学生というリミットがあって、まちや地域を外から見ているイメージでしたが、秋田では"住んでいる日常"があって、その中にいるイメージ。そこでのコミュニケーションって、「スキル」で接して欲しくないじゃないですか。だから、ファシリテーショングラフィックも、回数を重ねるほどに、そういうものをどんどん捨てていく、実体験や本とは違うということを大切にしています」 【地域に暮らしている事実は変わらない】 吉田さんが、携わってきたファシリテーショングラフィックの機会は100回を越えています。しかし、「毎回毎回"消化不良感"があって、常に同じものがないので、そういった怖さにいつもさらされていたりもします」 「ファシリテーションって、みんなでつくる満足度の高さがあったり、サイレントな人やうまく言えない人にうれしいもの。言わない≠自分の意見がないじゃないこと。そういうのを実感できる場だったりします」 「通院・買い物支援などが行われているムラのワークショップ会場では、参加される方は70~80歳。耳の遠い方もいらっしゃる中で、グラフィックが活きることを実感しました」 「社会的にもローカル(地域)が注目される流行があって、地域づくりを「ビジネス」にしている人たちが入ってきたりもしています。秋田も大型イベントや新しい公共施設の建設などが控えています。そんな変化を通り越しても根底にあって変わらないもの、残るもの、そこに本当に大切な価値があるように思います」 この街に暮らしているからこそ感じられること、見えてきたことを語っていただきました。 〜本誌では、より詳細なインタビューを掲載予定です〜 インタビューは、秋田拠点センターアルヴェで行われました。写真はエントランスホールです。


地域づくりやワークショップの場で用いられる「ファシリテーショングラフィック」という手法がある。話し合われていることをイラスト化、関係性を持たせて、その場で可視化していく。 NPO法人あきたNPOコアセンターで、様々な地域活動、NPO活動の中間支援を行っている吉田理紗さんを訪ねた。 吉田さんは、法人の中に「ファシリテーション・グラフィック事業部SKIP.lab」を立ち上げ、街場や山間の集落に入りその「ファシリテーショングラフィック」を行っている。活動の中で、感じたこと、考えていることを伺った。 【暮らしている感がなく、もやもやしていた】 秋田県土崎町。「土崎港 曳山まつり」そのために生きていると言っていい位の人たちが沢山いる町。吉田さんの地元である。 【秋田を出て、一人暮らししたい】 そんな思いで、新潟大学に新設されたばかりの教育学部学習社会ネットワーク課程を受験し、入学。動機を訪ねると意外な答えが、「偏差値ですね。新設で、どんなことを学ぶのか分かりにくいので比較的低かったんです」。 【周りに吹っ切れた人たち。自発的なまなびの欲求】 「大遠足しませんか?」偶然、手に取ったチラシを見て参加した会。参加者には、不登校や障がいのある方などが結構いて、そういった方との交流の会でした。それを企画するのは同年代の農学部の学生。 さらに10歳年上の後輩が入ってきて、「見るからにガラの悪い、校内で湘南ナンバーの車を乗り回す、既に家族があって、大検をとって入学してきた人」がいました。 しかし、そのガラの悪い人は、学校と公民館、地域を結んだ学びの場をつくる「まなび屋」というフリースクール活動を行っていました。関わってみて、学びの延長に地域づくりがあるんだと実感。 その後も、新潟では吹っ切れた人たちとの縁に恵まれました。「就職活動も1社目で合格。でも、決まってから長かったからか・・・。もやもや考えるようになって、無意識に直前になって、内定を断りますって電話してました」 〜卒業後、秋田に戻り現在の職場に就職〜(次稿へ)


【施設に来られる方は、みな年配。「気持ち」のある人たちがやっていることを伝えたい】 奥さんが編集を手がける情報誌『はんさん』。「編集を全面的に任せて頂いたのですが・・・、職員になってすぐにショックがあったんです。センターに来るのは、みな年配の方ばかり。東京ではもっと若者も集まっていたのに。まだまだ秋田では、NPO=余暇でやるもの。怪しいものという状況でした。「気持ち」のある人たちがやっていることを伝えたいと思いではじまりました」 【自分がやりたいことが、誰かのためになる。誰かが笑えて、楽になって。その循環で自分も笑顔になれる】 奥さんが、現在特に力を入れているものが「秋田県若者会議ネットワーク」。仕組みとしては、もともと県北・県央・県南の3エリアの市町村ごとに会議がスタート。高校生から40歳位までの方々をメンバーに、それぞれの地域課題とそれを解決するプロジェクトを実践していく。ゆっくりと時間を積み重ね、個々の会議も発展し、現在はエリア単位・全県とネットワーク化、関係性の構築が進んでいました。 事務局となってサポートしている奥さん。これまでで印象的だったことを聞くと、「美郷町という地区があり、大きな市に挟まれていまます。もっと認知してもらうには何ができるだろう?と活動をスタート。商店街の人にその想いをぶつけると、この時代にこれだけシャッターが開いている商店街ってのはすごいんだ!むしろ商店街の人たちに地域の価値を教わりました。それならば・・・と、顔の見えるマップを作ろうということになりました。高校生のメンバーが、商店街でも有名な恐い店主にインタビュー(笑)。意外にも地域の人も知らないようなことを引き出したんです!また、発達障害のある子が社会との接点として参加することを楽しんでくれていたりもします。気軽に参加できる市民会議。そうした場づくりの必要性を実感してきています」 近い将来、「若者会議の全国大会」をやりたいとのこと。本誌ではそのことにも触れられると思います。


秋田取材3人目は、NPO法人秋田県南NPOセンターの奥ちひろさんでした。 秋田県は県北、県央、県南とエリア別に、NPO・市民活動を支援する組織があります。奥さんが所属するのは、横手やきそばなどで知名度の高い、県南エリアの横手市です。様々な市民活動の支援、広報誌作り、若者会議の運営などを担当し、県内を駆け回り活動されています。 【地域の狭さに夢が持てなかった】 横手市に生まれた奥さんは、「とにかく地元を離れたかった。幼少期から、親にも先生にも誰にも言えない、一人では解決できない悩みを抱えて苦しんでいた」。その答えを求めるように東京の大学へ進学。 【近所に行き場のない子どもたちの集まる場があって、まるで自分を見ているようだった】 「初めて一人暮らしをしていた家の近所には、NPOが運営する子育て支援の施設があって、行き場のない子どもたちがまるで、自分をみているようで、自然とそのNPOをお手伝いするようになっていました」。そこのお手伝いをさせていただく中で、自分自身の抱える課題ときちんと向き合わなければいけない。そう思って、そのNPOからは一時距離を置いて、自分自身と向き合う時間をつくりました。 【秋田が滅びる夢を見て、私が帰らなきゃ秋田が滅びる!】 大学に入学し出身は?と尋ねられて、「平鹿町(ひらかまち)ですよ!」というと、「みんな、え、どこ?」って…(笑)。東京に出ても、そう答えている自分がいました。あれだけ嫌だった秋田を自分のアイデンティティとして捉えなおすはじまりでした。秋田の物産品販売のお手伝いをしたり、秋田出身のオーナーが経営する居酒屋「なまはげ」でバイトしたりしました。やはり秋田から離れられず。 そんな生活を送る中、ある夢を見ることに。「まずはおばあちゃんが死んで、年老いた父と母がいて、思うようにできないことが多くなって、近所の人たちもみんなそうで…」そんな夢を見たら、「私が帰らなきゃ秋田が滅びる!」と思ったそうです。 その後、突然、父親が倒れたのを機に、大学卒業後は秋田へ帰ることに。 一度は嫌で離れた秋田。NPOに入って、もう一度秋田を発見していくのです。(続)


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