広々とした和室の公民館には、たくさんの子どもたちとボランティアの先生たちが集まっています。 ここは学習支援「あしたの支援室」です。 経済的理由で塾に通えない。障がいがあるけれど、勉強を頑張りたい。様々な理由から不登校になってしまった。 そんな子どもたちが、週に一度の「あしたの支援室」を楽しみに、遠くからも通ってきます。 しかし、そういった困難を抱える子どもたちだけではなく、ここでは近所や地域の子ども達も気軽に遊びに来ます。 「だれでもきていいところ」 それが「あしたの支援室」のコンセプトです。 公民館のすぐ隣は広い公園となっており、勉強の合間には公園でボール遊びをして息抜きをする子どもたちもいます。 月に一度、子どもたちと一緒に調理をしながら、食事を楽しむ「こども食堂」も行っています。 また、それ以外にもおやつ作りを楽しんで、みんなでいただきます。 ボランティアさんは子どもたちのおばあちゃんの年代の方から、大学生まで、様々な年代の方達が集まっています。 障がいがあって、算数の問題を解くのが難しい子には、オセロのコマを使って丁寧に教えます。 ゆっくりゆっくり、時間をかけて。 問題が解けると、ハイタッチ! 子どももボランティアの先生も、笑顔がこぼれます。 「ここは誰でも来ていいところ。子供同士が大勢集まれば、時には喧嘩や仲間外れも当然起こりますし、それは当たり前のこと。 ただ、居場所を無くしてここに来てくれているのに、ここにも居づらくなってしまうことだけは絶対に避けねばなりません。 トラブルが起こった時は、子どもたちみんなに、ここの場所の意味を考えてもらっています。」 「あしたの支援室」代表の伊藤さんはおっしゃいました。 「せんせい!せんせい!」 と伊藤さんをはじめ、ボランティアさん達を慕う子どもたち。 あたたかいまなざしで子どもたちを見守るボランティアさん達。 子どもたちが通い続けている理由を垣間見た気がしました。
前々回にご紹介した「わがや'n わおん」では、だがしやさんの他にも、「ゆーがたハウス」と名付けられた学習支援や、高齢者のためのサロンなども行っています。 この日は「ゆーがたハウス」。 小学生や中学生達が、勉強をしに通ってきます。 地域の方のご厚意で貸して頂いている古民家は、とても大きく広いおうちです。 和室が中心となった家屋は大変居心地がよく、落ち着きます。 ここでは、格安料金で大人も子供もお食事をとることができます。 「こども食堂」というより、ゆーがたハウスに来て、勉強をして、ちょっとお腹がすいたらご飯も食べられるよ、そんなふうに、自然な形で食事もしてもらえたら・・・と、わおんの杉浦さんはおっしゃいます。 作ってくださるのは、ボランティアの方々。 「自分たちの作った食事を喜んでくれる子どもたちの笑顔が、作るはりあいや、やりがいにつながります。 また、一緒に食卓を囲みながらの食事も、楽しいのです。」 あたたかく子どもたちを見守ってくださるこうした地域の方々のご支援が、「わがや'n わおん」を支えています。 勉強して食事をして、また勉強する子ども。 食事だけ食べにくる子ども。 そのスタイルは様々ですが、駄菓子屋に通ってくる地域の子どもたちや、高齢者サロンに通ってくださる地域のみなさんも、この食堂に集うような場になれば・・・地域みんなの居場所になっていければ・・・それが杉浦さんの思いです。
いつでもおいでや、大人もこどもも集まるみんなの“さと” 大阪市西成区釜ヶ崎。“日雇い労働者の街”と呼ばれてきたこの地で38年にわたり活動を続ける「こどもの里」。 “さと”と呼ばれるこの場所では0歳からおおむね20歳までの子どもを、障がいの有無や国籍の区別なく無料で受け入れています。地域の児童館として学校帰りに遊びに来る子や一時的に宿泊する子、様々な事情から親元を離れている子だけでなく、子どもの親たちも休息できる場として、それぞれの家庭の事情に寄り添いながら、貴重な地域の集い場として在り続けてきました。本作では「こどもの里」を舞台に、時に悩み、立ち止まりながらも力強く成長していく子どもたちと、彼らを支える職員たちに密着。子どもたちの心の揺れ動きを見つめながら、子どもも大人も抱えている「しんどさ」と格闘する人々の切実な姿を描き出しました。 わたしはあんたの味方やで!現在求められている“居場所”の原風景 人と人とが関わり合うコミュニケーションが希薄になり、地域のコミュニティが失われつつある現在の日本。大阪市西成区釜ヶ崎は今でも日雇い労働者が集う喧噪の街ですが、昨今ではあまり見られない、地域内のコミュニケーションが現存している街でもあります。「こどもの里」はそんな釜ヶ崎の子どもたちにとって大切な“居場所”です。子どもたちを巡る状況が急激に変化している今、あらためて注目されている「こどもの里」の取り組みは、これからの社会を歩む私たちに子どもも大人も安心できる“居場所”とは何か、問いかけています。 ボランティア参加から完成まで7年 「こどもの里」の活動を通して、画面いっぱいにあふれ出る子どもたちや、釜ヶ崎という街の魅力を捉えたのは、大阪在住の重江良樹監督。ボランティアとして「こどもの里」に通い始めてから丹念に取材し、初監督作品として本作を完成させました。音楽は地元・釜ヶ崎が生んだヒップホップアーティスト、SHINGO西成。ストレートで飾らないメッセージの中に、街で生きる人々への熱い思いがつまったSHINGO西成の楽曲が、生きることそのものを力強く肯定し、映画全体をあたたかく包み込みます。 各地で大絶賛のこの映画! 12月2日に中部学院大学にて、12月3日は長良川国際会議場にて、上映予定です。 ぜひ、ご覧ください!! <下記アドレスをクリックしていただくと、予告編を見ることができます> https://youtu.be/u1x_BHwIDpQ
「わがや’n わおん」は、小学校の目の前にあります。 ここでは、学習支援や高齢者サロン、こども食堂をおこなっています。 そんな一つに、「だがしや」があります。 子どもが安心して買い物ができる駄菓子屋さん。 放課後の子どもたちにとっての社交場となってほしい、「わがや’n わおん」の杉浦さんはおっしゃいます。 学校帰りに直接来るのは禁止。 子どもだけでの買い物は、1日最高200円まで。 お金の貸し借りや、おごってもらうのは禁止。 そんなルールのもと、毎日のように子どもたちが小銭を握りしめて通ってきます。 今日は雨も降って肌寒い日となり、普段より子どもたちの数も少ないのですが、それでも通ってくる子どももいます。 小さな部屋に所狭しと並ぶたくさんの駄菓子の中から、何を買おうかと一生懸命悩む子どもの姿が微笑ましい。 たった100円でも、たくさんのお菓子を買うことができるのが、駄菓子屋の良いところ。 お店番のおじいちゃんとも言葉を交わしながら、お菓子を選んでいきます。 駄菓子屋の時間が終わると、学習支援や子ども食堂が始まります。 駄菓子を買いに来た子どもたちに、そんな活動もやっていることが自然に伝わり、地域の人達が自然と集まる場所になっていけば・・・。 地域を緩やかに包むコミュニティハウスを目指した「わがや’n わおん」です。
学習支援を行っている建物に足を踏み入れると、甘辛いお醤油の匂いが立ち込める。 「今日は、日本海で釣ってきたブリを下さった方がいるので、それをブリ大根にしようと思って煮ているの」 てらこや無償塾岐阜キッズな(絆)支援室の代表である、若岡さんが嬉しそうにおっしゃいました。 夜は「スマイルBasket」が学習支援を行っているお寺で、土曜日の昼間「てらこや無償塾」が学習支援とこども食堂を行っています。 小学生は和室で、受験が迫ってきている中学生は本堂の横の会館で、それぞれ教員OBが中心となったボランティアさん達が、子どもたちに勉強を教えています。 もともと、東北震災の避難者である子どもたちの支援から始まった「てらこや無償塾」ですが、現在は震災の避難者だけでなく、様々な困難を抱える子どもたちの居場所となっています。 学習意欲は大変強いけれど、経済的理由などで塾に通えない。 けれど、ここで一生懸命勉強し、希望する高校への合格を果たし、将来の夢に向けての第一歩を踏み出す子どもたちが後を絶ちません。 特に中学生の子どもたちの学習に対する姿勢は真剣そのもの。 ボランティアの先生がマンツーマンであたたかく、丁寧な指導をしています。 勉強が終われば、こども食堂でみんなで一緒にお昼ご飯をいただきます。 全ての食材が、無農薬の有機野菜にこだわり、あたたかいご厚意やご支援のもといただいたものです。 この日は、ご厚意でいただいた国内生産0.1%と言われる国産のゴマを炒ってすりごまにして、お漬物などに振りかけていただきました。 ゴマをすったり、果物を切ったり盛り付けたりを、調理実習という形で子どもたちが楽しそうに行います。 50人分の食事の準備ができると、子どもたちとボランティアさんたちが一緒に楽しく食事をいただきながら、今日頑張ったことを一人ずつ発表していきます。 「ほめてもらえたのが、すごくうれしかったです」 何人かの子どもたちから、そんな言葉が出てきました。 ボランティアさん達も、 「よくがんばったね」 「とても上手に書けていて、びっくりしました」 と、愛情にあふれるコメントが続きます。 大きな家族のような雰囲気もある「てらこや無償塾」。 おいしいお食事をいただいた後は、全員が自分の茶碗を流しであらって片づけました。 ここは、学習支援の場であり、こども食堂であり、あたたかい居場所でもあるのです。