46歳の誕生日を迎えました。キリのいい数字でもなく、なんだか盛り上がりに欠けますが、せっかくの機会なので、このプロジェクトの先にあるものについてお伝えしたいと思います。ベストは、Netflixでの配信です。ただ、こればっかりは審査があるので確約はできません。最近は古い日本映画もラインナップに入り始めたので、可能性は高いと思っています。もしNetflixがダメだとしても、Amazonでは国内向けに配信をしているので、そこは間違いなくいけます。ですので、最初は英語圏の北米とイギリスでの配信開始です。次に狙うのはヨーロッパで、フランスとイタリアを視野に入れています。これまで映画の海外展開はとてもハードルが高かったのですが、デジタル配信がボーダレスを促進した今、驚くほど容易にできるようになりました。さて、ここからですね。まず、欧米のインテリ層から火がつくのではと考えます。浮世絵や着物などのいわゆる「エキゾチシズム」が引きになるとは思いますが、ストーリーの深い部分でも感動を与えられると思っています。宮城野の自己犠牲、そして無償の愛は、原作者の矢代静一が「マグダラのマリア」としてキャラクター造形しています。フィレンツェで上映した際に、国境や宗教を越えて特に強く共感を呼ぶことができたのです。欧米で評判を呼べば、それは日本にも必ず波及します。島国・日本が「外圧」に弱いことは歴史が証明していますよね(苦笑)そこで『Two Portraits of Miyagino』として逆輸入され、再発見・再認識されるストーリーを描いています。ここまで来たら、さらに野望を語ります。その余勢を駆って、海外資本による新作につなげます。負け惜しみと言われそうですが、停滞した今の日本映画界のあり方を脱したいのです。「どんな映画を撮るんですか?」を聞かれますが、それは秘密です。パクられちゃいますから(笑)でも、ライフワークとしてやり続けている、「伝統文化の延長線上にある日本映画」を作ります。多国籍の出演者によるいかにもな映画ではありません。それを海外資本で作るというのはこれからの日本映画のあり方に一石を投じるはずです。……と、どんどん妄想が膨らみますが、40代のうちに再びカンヌに返り咲きます。このプロジェクトはそこへの大きな一歩になるはずです。年に一度の誕生日なので気が大きくなってちょっと筆が滑りましたね(笑)あなたのご支援を心よりお待ち申し上げております。映画『宮城野』監督 山﨑達璽
この映画『宮城野』の企画が始まったのは、2004年です。29歳の夏でした。毬谷友子さんが原作となる舞台版に初役で挑んだときです。楽屋でお目にかかった時に「これ、映画にしましょうよ」と声を掛けられ、それが始まりです。クランクインしたのは2007年11月。「あれ? 3年間も何をしてたの」と聞かれそうですが……他でもありません、お金を集めていました。脚本を書いたりキャスティングをすることもありますが、先立つものはお金です。海のものとも山のものともつかぬ新人監督の時代劇なんて、そう簡単にお金は集まりません。思い立ってから3年、多くの人たちの協力を得てなんとか準備を整え、撮影を敢行。2008年3月、なんとか完成に漕ぎ着けることができました。ここまでの4年近くずっと大変な日々でしたが、ここからもまだまだ苦難が続きます。今度は……公開が決まらないという壁です。「作品の内容が暗く、華やかさがない」「原作が人気漫画やベストセラー小説ではない」「アート性が強い上に時代劇」「ストーリーが複雑で上映時間が長い」……理由として挙げられたものは、まさに昨今の映画業界のトレンドを物語っていると思います。そして、これらが本作の“魅力”でもあるというジレンマにも苦しみました。そのまま時が過ぎていきました。結局、この時点ではビジネスとしては失敗でした。資本主義ではそれがすべてと言われればそれまでです。でも、どうしても納得できない気持ちがありました。青臭い思い出の長編デビュー作ではなく、100年後も色褪せることのない映画を目指したし、実際、ベテランのスタッフと豪華俳優陣の力を借りてそれができたとの信念は捨てきれないのです。それは、国内外の映画祭や自主上映の場で語りかけたお客さんからの温かい反応に、確かな手応えを得ていたからです。またまた時は流れて、2016年に待望のBlu-ray&DVD化が叶いました。「どこで見られるの?」と聞かれたときに、「近所のTSUTAYAでレンタルできます」と答えられるようになったのです。そして昨年末、とあるご縁で、Amazonプライムなどでのデジタル配信がはじまりました。これがまさかの大逆転!びっくりするぐらいの視聴回数をたたき出したのです。守秘義務があるので詳しくは言えませんが……印税がっぽり(笑)とはいきませんが、今までで一番大きなお金が振り込まれました。その証拠に、SNS上では非常に好意的な反応がどんどん上がっていきました。もちろんアンチもありますが、スルーされてないのは『気にはなっている』ということにほかなりません。現代の日本人にとっては「新感覚の時代劇」だと再発見・再認識されたのだと思います。そして、コロナ禍の今。2020年、46歳になりました。(明日9月18日が誕生日です)企画が始まった頃はまだ29歳でしたね(苦笑)これから世界のカタチが変わるのは誰の目にも明らかです。価値観がガラリと変われば、マイノリティがマジョリティになるかもしれません。自分をどこまでも愚直に信ずるならば、『宮城野』が改めて評価される日は来るはずです。IT技術の進化で、映画のデジタル配信は瞬く間に容易になり、「配信で映画を観ること」は世界的に市民権を得ました。ここまで来ると、海外進出をやらない手はないんです。信念はもはや執念になっていますが、ニューノーマルに向かって『宮城野』の再チャレンジをしようと決心しました。この苦難の日々の中で、鬼籍に入られてしまった人たち、ずっと応援してくれている人たち、そして、この再チャレンジにつきあってやると手を挙げてくれた人たち、みなさんの思いに心からの感謝をしつつ突き進みます!映画『宮城野』監督 山﨑達璽
本プロジェクトにあたり、ご支援くださる皆様へのリターンを全12コースご用意しました。今回は「お気持ち」コース【A〜C】の中身を詳しくご紹介します。【A.「お気持ち」コース】1,000円「歌舞伎」や「浮世絵」などを含めた日本の伝統文化が好き、その価値を大切に思う「お気持ち」や、本プロジェクトの想いに共感してくださる「お気持ち」に甘えて、ご支援をお願いするものです。ご支援をいただく証として、制作中の映画『宮城野』インターナショナル版(英語字幕)のエンドクレジットに、お名前を掲載させていただきます。どうぞ半角英数字にて、ご希望のクレジット名を備考欄にご記載ください。また、監督からの感謝&報告メールを送らせていただきます。この「お気持ち」コースの内容は、今回ご支援くださったすべての皆様へのリターンになります。【B.ポストカードつき「お気持ち」コース】1,500円浮世絵師・石川真澄氏による「宮城野」の美人絵をポストカードにしてお送りいたします。こちらは映画『宮城野』のための完全描き下ろし。本編中では矢太郎(片岡愛之助)が描きあげた設定ですが、筆を持つ手の代役(手タレ)は石川真澄が担当しています。本編中のこの絵を描くシーンにも是非ご注目ください。■石川 真澄(いしかわ ますみ)1978年東京生まれ。2000年に六代目歌川豊国に師事。まもなく六代目が他界したため、独学で浮世絵表現を習得し画家、絵師として独立。近作に『DAVID BOWIE』浮世絵(ロンドンの大英博物館に所蔵)、『New Era』とのプロダクトコラボレーション、『STAR WARS 歌舞伎』メインヴィジュアルほか多数。今春待望の『STAR WARS』浮世絵新作『星間大戦絵巻 侍第師範 擁懦』(ヨーダ)発売。作品集『石川真澄 作品集 IMAGINATOR』の刊行予定。今昔ラボ主宰。www.konjakulabo.comアクリルのフレームに入れて飾っても素敵ですね。(※フレームは付きません)【C.デザイン画ポストカードセットつき「お気持ち」コース】2,500円美術監督・池谷仙克氏による美術セットのデザイン画をポストカードセットにしました。Bコースの「宮城野」美人絵ポストカード(1枚)に加え、計5枚をお送りいたします。◆池谷仙克氏によるデザイン画ポストカードセット(4枚)映画『宮城野』で池谷さんの果たした役割の重要性については本文でも触れていますが、立版古や、美術ボードといった美術関連の資料はたいへん貴重なものです。池谷美術のファンの方には、特におすすめです。こちら、数に限りがあるため「30名様限定」となっています。本作をご覧いただいた方から、鈴木清順や篠田正浩監督作を彷彿とさせる、というコメントを頂戴することがあります。それは、ATG(アートシアターギルド)の先鋭的な作品なども多く手掛けてきた池谷美術によるところも大きいでしょう。■池谷 仙克(いけや のりよし)1940年、東京都八王子市生まれ。66年、武蔵野美術大学を卒業後、円谷プロに所属。TVシリーズ『ウルトラマン』(66-67)の特殊美術助手を経て、『ウルトラセブン』(67-68)の特殊美術でチーフデザイナーとなる。『怪奇大作戦』(68)に参加後、円谷プロを退社。実相寺昭雄らと共にコダイグループを創立。『帰ってきたウルトラマン』(71)や『シルバー仮面』(71-72)などで怪獣デザインを手掛けるほか、映画、テレビ、CMの美術監督として活躍。鈴木清順、寺山修司、相米慎二、篠田正浩ら数多くの著名な監督作品の美術を担当。『写楽』(93)『瀬戸内ムーンライトセレナーデ』(98)で日本アカデミー賞最優秀美術監督賞を受賞。2016年、癌のために死去。76歳没。***山﨑監督に「池谷美術を堪能できるおすすめ映画」とその見所を聞いてみました。1. 帝都物語(1988年/実相寺昭雄監督) 「CGではなくてミニチュアを使った特撮が圧巻」2. 陽炎座(1981年/鈴木清順監督)「歌舞伎の舞台セットで伝統文化との融合」3. D坂の殺人事件(1997年/実相寺昭雄監督)「立版古が出てくるんです」美術面で気になった方は、ぜひご覧になってみてください。リターン紹介、次回へ続きます。
こんばんは、監督の山﨑です。樹木希林さんが亡くなって丸二年、三回忌を迎えました。前回は希林さんからいただいたことばを紹介しましたが、今回は思い出話をいくつか。希林さんへの演出「希林さんにどうやって芝居をつけたんですか?」なんて聞かれますが、一挙手一投足、細かくつけたということはないですよ、そりゃ(苦笑)。ただ、最初の出番の前に、「役の性根」みたいなものをじっくりとお話ししました。セットの片隅で二人っきりになって。終始、穏やかで、面白おかしく、いろんな経験談を交えながら。希林さんの役の解釈は「女将は非情」。「女郎屋の女将は商売のことしか興味はないの。男と女に何があろうと、心中があろうと、そんなことは日常茶飯事。いちいち相手にしない。だけどお役人が来たときだけは動揺するわ。だって商売に影響するから」『はみだし刑事情熱系』(96~04)で演じた婦人警官の役を例に出していました。警察署に勤めてれば事件や事故なんて日常茶飯事。いちいち動揺するような演技はおかしいと。これは希林さん流の「配役のバランス感覚」なんですよね。この映画は情念の世界なので、主要登場人物が全部それだと息苦しくなる。一人ぐらい非情のキャラクターがいることでバランスがとれる、そんな感覚でしょうか。前回のキムチの話にも通じますね。もっともお気に入りのシーン一番気に入ってるのは、本編の中盤、主要登場人物による「だんまり」です。歌舞伎のお化粧と拵えになるんですが、希林さんはスタジオに入るなり、自分の顔を指して「こういうチンドン屋がいたわ」と。みな、笑うに笑えず……。さて、そのだんまりは舞踊仕立てになっていて、日本舞踊の先生が振付をしました。それぞれの個性でこれを踊ったわけですが、なかでも希林さんは出色でした。何とも言えない独特の味わいがあるんですね。これは言葉では形容しがたい。振付の先生は「希林さんの振りはすごい。樹木希林のだんまりになってる。あれは誰にもできない」とずっと感心していました。多くの作品を残した希林さんですが、だんまりの振りをしたのは本作だけです。▼▼▼▼▼ホント、思い出は尽きません。たった一作になってしまいましたが、希林さんとお仕事をしたことは、この先、誰にだって、永遠に威張れます。歴史的な偉人に出会った、そんな感覚でしょうか。最後に、これは希林さんからいただいた、私の一生の宝です。「なかなかいい監督ですね」希林さん、ありがとうございました。
こんばんは、監督の山﨑です。樹木希林さんが亡くなって二年、明日、あっという間に三回忌を迎えますね。希林さんには、これから私が映画を撮っていく中で「山﨑組の常連さん」になって欲しい、そんな思いでご出演いただきました。それがたった一作だけで終わってしまったことが悔しくて悔しくてなりません。映画とはどういうものだ、監督とは、役作りとは……いっぱいいっぱいいろんなことを教わりました。いつも飄々としていて、おかしくて、おふざけが過ぎることもありますが、決して品格を損なうことなく、凛としていて……希林さんを形容するのは難しいですね。今回は希林さんを偲んで、撮影時の思い出を綴ってみようと思います。「この映画は私が出るべき。私が出たらもっと良くなる」希林さんへの連絡手段はFAXのみ。一か八かでオファーしたところ、すぐにプロデューサーの携帯にご本人から「受けます」との電話がありました。その次の言葉がこれだったとか(笑)「写楽役にはいいのがいるわ」希林さんに初めてお目にかかったのは「かつら合わせ」の時です。終わってから、助監督を交えて近くのファミレス(笑)へ。平日の昼間に希林さんが若いスタッフを連れてホットケーキを食べてる光景は、なんかの番組の撮影に見えたと思います。実は、その時点ではまだ写楽の役は決まっていませんでした。「写楽は決まってないの? 一人いいのがいるわ。ただ、台詞がねえ……」と希林さん。きょとんとする私たちに向かって「『バカヤロー!』とかね、そういう瞬発的なのはいいんだけどね……」と畳みかけます。「え、誰ですか?」「内田裕也」「(一同)……」「カレーにキムチのような女優でありたいわ」撮影中のある日、私たちのご飯はカレーでした。昼から制作部が寸胴鍋でコトコト。スタジオの外にはいい匂いが漂ってました。さあ、メシ休(ご飯休憩)になったとき、希林さんが大量のキムチを持ってきました。毎回豪華な差し入れをしてくださるんですが、「え、キムチ?」と一同唖然。そして、希林さんは「ちょっと載せて食べてみなさい」と手ずから一皿一皿にキムチを添えるんです。意外な組み合わせに首を傾げながら食べたところ……これが実に美味! カレーにもうひと味が加わって絶妙なバランスになるんですね。スタッフのそんな様子を見たときの希林さんの嬉しそうな顔。「そうなの。ほんのちょっとだけど、ちょーっと変わるのよ」と。「希林さん、これいいですね」と伝えたら、「カレーにキムチのような女優でありたいわ」といたずらっ子のような顔をしてスタジオに入っていきました。▼▼▼▼▼いただいたことば、思い出は尽きません。あれ、勝手に使ってるって?希林さん宅の留守電のメッセージをご存じですか?(笑)こちら希林館です。留守電とFAXだけです。なお過去の映像等の二次使用はどうぞ使ってください。出演オファーはFAXでお願いします。 (希林さんの思い出は次回に続きます)