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知られざる話、「山霧─三成のしずく」小説を出版したい。

石田三成公を癒し匿った隠里、知る人ぞ知る(滋賀県)近江国古橋村。そこで何が起こったのか地元だけで口伝えられてきた史実を地元育ちの私が皆さんに伝えます。そのための本を出版しお届けしたい。本の中から当時の古橋の光景を垣間見て頂ければ幸いです。

現在の支援総額

110,000

22%

目標金額は500,000円

支援者数

21

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/11/28に募集を開始し、 21人の支援により 110,000円の資金を集め、 2018/01/16に募集を終了しました

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現在の支援総額

110,000

22%達成

終了

目標金額500,000

支援者数21

このプロジェクトは、2017/11/28に募集を開始し、 21人の支援により 110,000円の資金を集め、 2018/01/16に募集を終了しました

石田三成公を癒し匿った隠里、知る人ぞ知る(滋賀県)近江国古橋村。そこで何が起こったのか地元だけで口伝えられてきた史実を地元育ちの私が皆さんに伝えます。そのための本を出版しお届けしたい。本の中から当時の古橋の光景を垣間見て頂ければ幸いです。

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過疎化が進む集落 生まれ故郷を、私が子供の頃のような賑わう村にできないものか。 貴重な歴史がある村 みんなが誇りを持って欲しい。 難しい問題、時代に合っていない、困難はたくさんある。 本を出版したいと思ったのは間違いないし、語り部の方々が喜んで下さった本だから、地道に地元に浸透させて、 そこから観光客へとターゲットを変えるつもりだった。 私はアピールが下手でした。 せめて、地元の子供たちに配らせて下さい。 本を作るのに、こんなに資金がいるとは知りませんでした。 力になって下さった語り部の方々、古橋区の皆さんには お配りしたい。 だってこれは私が書いた本というよりも、古橋の財産だから。 無茶なお願いをしました。申し訳なかったです。 焦るあまり自分を見失い、流されてしまった。 基本に戻ります。   古橋の子供たちが、地元に誇りを持てるものになりますように。 観光客の皆さまが一つでも多くのお土産を手にして充実した旅を楽しんで頂けますように。 そして、純粋に読みたいと思って下さった皆さま、感謝に堪えません。   皆さまにも、戦国の世の中にあった恩返し、恩送りの温かさ、人の気持ちの悲しい動きをお届けできれば幸いです。


この七つ目の伝承。 いかにも昔だからというものです。 そして、語り部はおっしゃいました。 「こんな酷い話はないで。古橋にとってはもっとも反省すべき歴史や」   この七つ目の伝承は、古橋にずっと続いていた掟です。 戦後、この掟は排除され、今ではもう行われていません。その恐ろしい掟というのが……   「他所の村からは婿養子を取らない」   今ならば、人権問題になります。 この掟は、古橋が全力で守ろうとした石田三成公の居場所を、一人徳川方に告げて捕縛させたのが、よりにもよって一番石田三成公が親密にして頼っていた与治郎太夫の娘婿だったからです。 この娘婿は、古橋の出身ではなく、他所の集落から婿養子として入っていた人です。 ですから、恐らく、この人は古橋の人間ほど石田三成公に対する情は薄かったのかもしれません。   かといって、たまたまその人が古橋の人間ではなかったという理由で、ざっと330年間も古橋以外の村から婿養子を入れてこなかったのは、いかにも昔、神仏や森羅万象の世界観で生きてきた、村という集団で助け合って生きてきた時代の成せることだと言えど、他所の村の人間に対する偏見と差別と言われても仕方がない行為です。 これはかなり厳しく、村人の目が怖くて破ることができなかった掟だったのだろうと思います。 この禁則がなくなるきっかけになったのは、第二次世界大戦の引き上げ兵士が古橋出身の女性と結婚し、その後、古橋へ移り住んで来られたことでした。 古橋は、住むことは許したものの、区民として籍を入れることはせず、要するに古橋の村人として絶対に認めませんでした。 ですが、私の母が嫁いで来た時にはまだその方は区民でないままいらして、実際にお名前も伺いましたが、村の人の中に 「もういいがな。何年前の話や。もういい加減こういうことは止めよ」 と、おっしゃったことがきっかけで、晴れてその方は古橋区民と認められたのだと聞きました。 「恥ずべき歴史や」と語り部がおっしゃったこの禁則。 70年前に解除となりましたが、戦国の世からずっと守り続けてきた古橋の人々の思いは、余程強かったのでしょう。 数多ある出来事を文章に残さず、それぞれの家で語り継いでこられたのも、何かを物として残せばたちまち徳川の世に灰にされてしまったからだろうと推測されます。 石田三成公の母上様のお墓が、三珠院の奥に名前が見えないように後ろ向きに建てられていたのも、何とか隠そうとした気持ちを物語っているように思えます。


隠れたお茶所です。 飲み口はすっきり。渋みのある香り豊かな独特の味を持ったお茶です。 鶏足寺は奈良時代に行基が開き、平安時代に最澄が再興したとされる古寺です。 お茶は、最澄が古橋に持ち込んだとかいうお話をちらっと聞き及んだ覚えがあります。 たしかにお茶の木はたくさんあります。 集落内ではなく、山手の方へ行くと、亀山古墳という丸い丘があり、それは綺麗な列をなしてお茶の木が植わっています。 三献の茶云々言われていますが、わりと曖昧な情報なので、そこは湖北の宝話としてそっとして置きたいところではありますが、古橋としては法華寺が、石田三成公が秀吉様にスカウトされた場だと信じておられます。 その気持ちから、ずっと400年間、言い伝えられてきたのでしょう。 お茶所として有名な地は各地にあり、甘みのあるまろやかないいお茶を作っておられる場所はたくさんありますが、古橋のお茶を飲んで育った私は古橋のお茶が、やっぱりほっとするのです。


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ストラップ▪イヤホンジャックどちらでも使えます! プロジェクトオーナーのハンドメイドですから、一つずつ多少の形の違いがあります。 石田三成公のハンドメイド陣羽織。 地元お米と併せてリターン追加致しました! ご確認よろしくお願い致します。 お届けはハンドメイドなので多少の期間を頂戴致します。 1個1個、心を込めて作らせて頂きます。  


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「雷が落ちない」 三成の村民に対する恩義のためか。   って、言われているみたいなんですが、私、こればかりは初耳でした。ええ、生まれ故郷です。伝承のいくつかは知っていましたけれど。 雷が落ちないって、確かに今まで落ちたなんてあまり聞かないけれど、山間の村ですもの、集落よりも高いところに山とか鉄塔とかいっぱいあるから、確立は低いかも。 三成を慕う気持ちが、こういう話を作り上げたのかもと思ってしまう現代人の私です。 でも、三成公が本当に村民を守ろうとして下さっているんだって思えると、余計に三成公に対する敬意の気持ちは深まりますよね。 これはこれで、何も言わずに信じていれば幸せなのかも知れません。 一応、この七つの伝承は、地元研究会の人がお年寄りに取材して歩いて集めた言い伝えですから、元がどうだったかはともかく、おじいちゃんおばあちゃんが、その時に作り話した訳ではないと弁明しておきます。   ね(^^)/