下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----このプロジェクトからは、少し脱線してしまいますが、父の病気の話は切っても切れないような気がします。2021年5月に、身体の不調を感じ近くのお医者さんに診てもらい、ガンの疑いがあると診断されました。この時の本人の心情は本人にしかわかりませんが、母は割とショックを受けていたように思います。私は「まだ疑いだから、きちんと調べてもらって、本当にガンだったら、その時考えよう」と、冷静だったと思います。 ここから、いくつか、家族内で語り継がれる伝説が生まれました(笑) 予約の取りにくい病院を紹介してもらったのにも関わらず、思いのほか待ち時間が長く(お腹が空いて)イライラしたので、怒って帰って来てしまい検査ができませんでした。紹介してくださった先生に母が頭を下げ、再度予約を取ってもらい、おにぎりを持って(たしか、母と一緒に)病院へ行きました。 検査の結果、膀胱がんと診断されたのですが、その病院の帰りに、ホームセンターで植物の苗木を買って帰ってきました。母は「自分ががんだと言われたのに、苗木買って帰って来られるなんてすごい」と話していました。もしかしたら、父はショックを受けていたのかもしれませんが、本人から全く感じられなかったので、私はあまり心配しませんでした。 まだ、いくつかあるので、また次回にでも。
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----今までは、父が妄想を語っていても、「へ~」とか「そうなんだ~」と、聞いてはいるものの、内心は「妄想はタダでもできるからね」くらいの気持ちで聞いていました。しかし、不動産屋さんへ行き、具体的な金額を聞き「え?安くない?!?!」と、好反応を示す人物が現れました。 それは、、、息子(私の弟)です。 父の妄想(カフェギャラリー)は置いておいて、弟の仕事場として借りるという選択肢も出てきたのです。 ここからの父の行動力は半端なかったです。 すぐに不動産屋さんへ行き、内見の申し込みをし、日程調整をしてきました。弟もまだ具体的に考えてはいなかったものの、 「まぁ、見るだけ見てみようかね?」 のつもりで、内見に行きました。 これも、2021年の12月のこと。妄想が妄想ではなくなりそうな予感がしてきたころです。
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----この床屋さんの物件の妄想を始めてすぐに管理している不動産屋さんへ行き、間取り図を手に入れていました。ここで、家賃や敷金礼金のことなど、具体的な金額を聞き、家族のLINEに報告してきました。この時点では、1階がカフェギャラリー、2階は別宅に置いてある過去の作品を整理する部屋。そして、整理が進んだら、2階もギャラリーにしようと思っていたと思います。 妄想にとどまらず、暴走は加速していきました(笑) この話は2021年の12月のこと。 この頃、私はまだ、父の夢物語だと思っていました。https://volvolare.com/preparation/54/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。自宅前の昔床屋さんだった物件を8階建てのビルにする妄想は、資金面で現実的ではないと判断したのか、賃貸すること方向へシフトしました。床屋さんの店舗だった部分をカフェギャラリーにして、2階の住居部分だったスペースもギャラリーに。妄想はタダですが、、、 誰が店番するの?誰がカフェメニューを作るの?誰がギャラリーの管理するの?まずは、そのお金はどこから出てくるの? まぁ、妄想は誰でもタダでもできますからね。放っておきましょうと思いつつ、姉と弟にも「史於の暴走が始まった」と報告した気もします。https://volvolare.com/preparation/50/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。自宅前の昔床屋さんだった物件の話しを始めたのは、2022年の初めかと思っていましたが、2021年の秋くらいから口にしていたと思います。そうなると、本人の頭の中では、もっと前から妄想は始まっていたと思います。 「前の床屋さんて、上から見ると結構広いから、更地にして8階建てくらいのビルにして、一番上を自宅にしようかな」 と、言い出したのが、私が聞いた(直接ではなく家族からかもしれません)最初の言葉でした。 父よ、そのお金はどこから出てくるのですか????まぁ、妄想は誰でもタダでできますからね。放っておきましょうと思いつつ、姉には「史於の暴走が始まった」と報告した気もします。https://volvolare.com/uncategorized/48/