下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----2022年5月頃、床屋さんの物件を借り、ようやくスタートしました。弟のビジネスが。 もともと別のところに部屋を借りて仕事をしていた弟がここを工房件事務所にするために借りました。 1階をカフェギャラリーにする妄想は消えました。完全に消えました。 でも、2階があります。そうです、まだ、2階があるのです。頑張って荷物を片付ければ、ギャラリーにできるかもしれない(かなり妄想に近い)場所があるのです。 正直、私としては弟が借りてくれたことで、父の暴走が止められたと思い安心しました。弟が借りているので、父の思い通りにはならないし、弟のビジネスが拡大したら、2階をオフィスにする可能性も出てくるわけです。父はきっと諦めていませんでしたが、私たち家族の中では「幻のボルボラーレ」になりました(笑)-----ギャラリーの話とは少し離れますが、ここから、弟の床屋さんDIY日記が始まります。弟には申し訳ないですが、2~3話くらいで完結させますので、どうぞお付き合いください。弟が「もっとしっかり書いてよ!」と言ってきたり、周りから「もっと1階のDIYが見たい!」という反響が出たら、スピンオフ企画として、「剛のDIY日記-もっと俺を見て、俺を褒めて-」みたいなタイトルで書いてみますね。https://volvolare.com/preparation/78/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----2021年12月に内見し、すぐに物件をキープしてもらい、現実的で具体的な話が進むにつれて、主導権は弟が握るようになってきました。当たり前ですよね。父はやりたい思いは強いけど、具体的な資金面での話は一切出てこないのですから。それに対して姉が突っ込むと「○○を担保にお金借りられないかな」とこれまた非現実的な話をする。そこに弟が「仮に借りられたとして、どうやって返済するの??返済プランは?事業計画は??」と100倍返し。私は「まーまー(ギャラリーなんて夢のまた夢なんだからそんなに熱くならなくても)」と呑気に構えていると、、、「じゃあ、舞ちゃんの部屋を売って資金に」と父が言い始め、、、 私、ブチ切れ。 最初は他人事でしたが、自分の身は自分で守らなければと、借金に対しては必至になった記憶があります。 そんなこんなで、時間は過ぎていき、2022年の春くらいには、 1階 弟の工房2階 父の作品整理部屋(荷物が全部片付いたらギャラリーの話してもいいよ) という感じにまとまってきました。 https://volvolare.com/preparation/75/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----父の病気の話で少し脱線してしまいましたが「Episode 4 賛同者現る」の続きです。 内見の申し込みをし、父と弟で内見に行ったのが2021年12月。この時に撮影した写真を、記事やホームページに使用しているので、今の姿とはだいぶ違います。早くオンタイムの記事が書けるよう頑張ります。 内見し、いろいろ説明を受ける中で「自由にDIYしてもらっても大丈夫です」という言葉に、、、父ではなく弟が食いつきました(笑) 父も昔からテーブルや棚を自作していましたが、そのDNAが受け継がれたのか、弟も「やっぱ道具は大事だよね~」と言いながら、道具だけは大工さんなみに揃えるような人間に成長し、DIYにとどまらず、リフォームも視野に入れ、電気工事士の資格まで取ってしまいました。 この内見後、父は大きな手術のため長期入院しました。きっと、この入院生活で妄想は大暴走していたことでしょう。 しかし、弟の中でも構想(割と現実的なので妄想ではありません)は進み、カフェギャラリーは、夢のまた夢のお話になっていきました。-----ここに残している記事たちは、父に直接インタビューしているわけではないので、あくまでも娘の私の視点から書いています。それを姪っ子2(父から見たら孫2)に話したら「舞ちゃんの妄想日記だね(笑)」と。 確かに!! 私も父譲りで妄想と暴走が得意だったことを思い出しました。弟は左脳派で論理的で現実的。父は右脳派で感覚派で非現実的。 この後(今現在も?)、いろいろ問題が生じます、、、。 この記事は父は読んでいないと思って自由に書いています。本人が見ないことを祈って。https://volvolare.com/preparation/72/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----父の病気の話しのつづきです。家族内で語り継がれる伝説のお話です。長くなりそうなので、今回で終わりにします。 2021年~2022年に手術や検査、抗がん剤治療などで何度か入院をしていた父ですが、入院すると家族のLINEに「史於の入院日記」が送られてきます。 「中庭にローズマリーがあったので、ローズマリーティーにしてみました」「朝食の牛乳をとっておいて、今、ロイヤルミルクティーにしました」「昼食の○○をレンジでチンして○○にして食べました」 などなど、快適入院ライフのLINEが来て、本当にどこにいても生活を楽しめる父に関心していました。 そして、退院すると、一気に解放されたように 「○○のカツサンドがどうしても食べたいので食べてから帰ります」「○○の赤ワインが飲みたいのでワインとワイングラスを買って帰ります」「タンカレー、ひとたれでいいのでお願いします」 と、周囲の心配をよそに、本人は食欲も意欲も旺盛でした。 きっと、この何度かの入院生活の間にも、ギャラリーのことを妄想していたのだと思います。もしかしたら「死」ということも考えていたのでしょうか。まだ整理のできていない過去の写真や作品をどうにかしたいと思ってのギャラリー、、、だといいのですが、、、。 次女の私は父の作品に対して割と理解がありますが、姉と弟はあまり理解がありません。(今は多少あるかもしれませんが)もし、あのまま父が死んでしまったら、、、父の作品は日の目を浴びずに、、、ゴミとなっていた可能性があります。このギャラリー計画は父の妄想と暴走で始まりましたが、私自身は父の作品が最後に?少しでも日の目を浴びる機会ができればと思っています。 長くなりましたが、この病気や入院生活が父にとってギャラリーオープンのきっかけになったと思うので、残しておきました。https://volvolare.com/preparation/68/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----父の病気の話しのつづきです。家族内で語り継がれる伝説のお話です。 2021年なのか2022年なのかも忘れてしまいましたが、たしか夏の暑い日のことです。抗がん剤治療を始めるにあたり、担当医から髪の毛が抜ける可能性があると説明を受けました。そんな話から、カツラを買って、床屋さんでカットしてもらったいいと話していたところ、、、「どうせカツラを被るなら、ドレッドヘアのカツラがいいから、ネットで探して」と、真面目な顔で言い出しました。私は心の中で爆笑しながらも、早速探して画像を見せたところ、、、「そんな細いドレッドじゃなくて、ボブ・マーリーみたいな太いドレッドを探して」と、真面目な顔で言い始めたので、大爆笑してしまいました。 本人はいたって真面目です。 結局、抗がん剤治療をしても髪は抜けることなく、逆に白髪が少し黒くなっているくらいでした。本当に強いです。精神が強いのか身体が強いのか、関心します。 このドレッド話は速攻で家族や友達に報告しました(笑) まだ、いくつかあるので、また次回にでも。https://volvolare.com/preparation/65/