下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----前回の更新からだいぶ日が経ってしまいましたが、また、再開していきたいと思います。お陰さまで、クラウドファンディングも無事終了しました。想像を超える支援金をいただきまして、本当にありがとうございました。6月から順次リターンの発送を行っております。ポストカードとDVDは発送が完了しました。それ以外のリターン品は準備していますので、少々お待ちくださいませ。-----2022年11月から、解体が始まりました。事前に父の弟(建築士)にどこまで壊していいかを確認し、梁以外は全部壊してもいいことになりました。ここに映っているもの全て壊せるものを壊していきます。襖はすでに全部外して処分してありました。押し入れを壊し、クローゼットの様な収納部分を壊し、鴨居を外し、、、和室の名称を調べてもよくわからないのですが、、、まぁ、とにかく全部壊していきました。 テレビとかでやってる解体シーンって、解体後は部屋全体がスッキリしていることが多いけど、実際は、、、片付けきらならない(父と弟の)荷物と、解体して出てきたゴミが部屋中に散乱して、ものすごくカオスな状態に。 ここでも「もう、(作品も含め)全部捨てちゃおうよ」という、家族の心の声が、、、。 荷物問題、、、ずーーーーーーーーーっと、尾を引いていきます。(今現在も)https://volvolare.com/preparation/173/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----2022年9月ごろの姉と弟の3人で会議の中で、ざっくりとしたスケジュールを立てました。 10/15 ゴミ出し11月 解体12月 2023年1月 リフォーム2月 階段・1階キッチンリフォーム・電気工事3月21日 史於75歳誕生日 ギャラリーOPEN! と、いうことになりました。 父に「パパの75歳の誕生日にギャラリーオープンさせる予定で2階のリフォームするからね!」 と、報告すると、 「いいね~」 と(笑) 誰がお金を出して、誰が宣伝して、誰が店番して、、、、という細かいことは考えているんだか、考えていないんだか、、、。 ちなみに、ギャラリーの名前はどうするか聞くと、 「ボルボラーレで」 と、即答でした。 私からすると「ぼってぼられて」の居酒屋?レストラン?カフェ?のイメージの強い名称でしたが、そこは父の昔からずっと言ってた名前だったので、そのままいく事にしました。https://volvolare.com/preparation/163/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----確か2022年9月くらいのこと、弟が床屋の2階の今後について話したいということで、姉と私の3人で会議が行われました。1階の工房のDIYもだいたい終わり、自分のビジネスも少し新体制で動きが出てきたころでした。 弟としては、2階をこのまま物置き(一応父の作品がありますが、、、)状態でずっとお金を垂れ流しにしているんだったら、ギャラリーにして、人の流れができた方が、何か面白い化学反応が起こって、自分のビジネスにもいい影響がでるのではないかと思い始めたみたいでした。 ただ、2階のDIYとなると、金銭面でも体力的にも厳しいから、姉二人に手伝って欲しいということでした。 父のギャラリーなので、弟一人に負担をかけるわけにはいかないので、なんとなく「じゃあ、みんなで協力してやっていこうか!」という流れになってきました。 そして、いろいろ話していく中で、、、 「俺、なんか、嫌な予感してて、ピーパー(弟は父のことをピーパーと呼びます)は、このままぽっくり逝きそうな気がするんだよね。だから、最後の親孝行のつもりでギャラリーを実現させてあげたいんだよね」 と、真剣な表情で話し始めました。 そんな話を聞いて、感動して、涙する、姉二人、、、、、、、 とはならず、、、 「へ~~~~~~~~(そんなこと思ってたんだ~、でも、史於はまだ死なないから大丈夫だよ。ま、死んでも幸せだったから大丈夫だよ)」 と、思った薄情な姉でした。 姉はどう思ったかわかりませんが、姉も「へ~~~~~~~~」と言っていたので、同じことを思っていたと思います。 そんなこんなで、この会議で一気にギャラリーが現実味を帯びてきたのでした。https://volvolare.com/preparation/158/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----茨城からの荷物を全部運び入れると、約18畳の部屋はあっという間に荷物でいっぱいになりました。実は、2階にはもう一つ約6畳の部屋があるのですが、ここには昔から使っている収納棚を無理矢理運び入れました。階段も狭く、棚を2階に運ぶのも一苦労なので、外の窓から運び入れました。この部屋もあっという間に、パンパンです。つまり、約24畳分の荷物があるということです。 荷物を運び終えたら私たちの仕事は一旦終わりです。ここから整理するのは父の仕事になります。 まずは、今までの海外取材の資料の整理から始めてもらいました。情報は古いし、今はインターネットでいくらでも調べられるので、紙の資料はほとんど処分します。 それから、本の整理。写真集や洋書などは近所のブックオフに売りに行っても、価値がわかっていない人が評価するので売りたくないと言い出し、 「タダでもいいから、さっさと引き取ってもらってよ」 と、内心思っていましたが、実際、知人の古本屋さんに引き取ってもらったら、、、数万円にもなっていました。これは、珍しく父の言葉に従っていてよかったなと思いました。 片付けが少し進むと「どこかで(ギャラリーの)お金借りられないかな」と、ぼやく父。 「例え借りられたとしても、お金ができたとしても、この荷物はなくならないからね!!まずは、ここの荷物を整理してからじゃないと何も始まらないんだから、やって!!!!」 と、姉に言われていました(笑) 「確かに~」 と、納得の私たち。 本当に、そうなんですよ。全部捨てていいなら、お金で解決できるかもしれないけど、それはできないのが現状。 父の荷物整理は、のんびりですが、着実に進んでいきました。半年くらいかけて(笑)https://volvolare.com/preparation/147/
下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。-----時系列で言うと「Episode 10 いよいよ始動!」の続きになります。 父の過去の作品や資料、使用しないけど捨てられないモノは、茨城県にある父の知人の空家を借り、そこに置いてありました。必要なものがあれば、父が車で取りに行くのですが、あまり車を運転させたくない家族と、なんとなく往復3時間ほどの距離の行き来を億劫に感じていそうな父と、コロナが重なり、足が遠のいていた現状がありました。 衣替えをし茨城に持って行き、なんとなく取りに行くタイミングを逃し、服がないので新しいものを買う。そして、また荷物が増えていく、、、。 悪循環に陥っていました。 そんな現状を改善するために、とりあえず、茨城にある荷物を、床屋さんの2階に運ぶことになりました。作品だけでなく、たくさんのネガ、海外取材の資料、本、服、靴、帽子、楽器、大工道具、キャンプ道具、、、荷物多すぎです。トラック2台がパンパンになるほどの荷物です。大量の荷物が運び終わりました。ここで弟が、 「じゃ、このままゴミ処理に行きましょう!」 と、冗談で言っていましたが、もし、父が死んでいたら本当にやりかねない弟と姉。 この時、私は父に「パパがこのまま死んだら、本当に捨てられちゃうよ。私一人ではあの二人に対抗できないから、死ぬ前に作品の整理、本気でお願いします!」といった記憶があります。 そんな、作品の大移動の一日でした。https://volvolare.com/preparation/141/